:第七話「獣と枕詞」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第七話「獣と枕詞」


…………………………


  −たわわにつける紫陽花の相違う求愛を、等閑視する波斯菊。


 ゆらゆらと揺れる葉の間から、石畳に落ちる光の中を町に向けて歩く。わたしは、本当にこの道が好きだ。静かで樹々や葉の間を通る光や空気、風や樹々、竹の匂いが青くやさしい。もし、わたしが文章家だったなら、この情景に、どんな言葉を選び、どんなリズムで書くのだろうか。ざあっ、と、風が吹いたから、ギラッ、と、葉の間から射す光に目を細めた。そこに貴方の広い背中がいたから手を伸ばして、宙を掻く手。


「あ」


 わたしが見たのは光と影が入れ替わり揺れただけの陰影で、貴方ではなかった。


『そんなにまで、獣を愛しているのか』


 華子に言われた言葉が風のささやきから聞こえた。そうだよ、本当にそう。もう、どうしようもないくらいに、貴方の事が大好きでね。


 旧街道の森を抜け、古い家屋や蔵が立ち並ぶ旧市街も抜ける。幅の広い堀を渡ると、そこは産業革命の時に鉄道が敷かれ発展した新市街だ。旧市街を本町、新市街を新町と地元の人間は呼ぶ。久しぶりにひとりで歩く新町は、がちゃがちゃとしているように感じる。毎度お馴染み、眉間に現れる日本海溝は地殻変動により眉をしかめたから。歯をギリギリと鳴らして不快を表現しながら、雑踏を下手なダンスのように歩いた。どうしてだろう。なんだか、人とぶつからないように注意しているのだけど、人混みを歩くのが下手になっている。ずっと、貴方の本屋さんに入り浸っていたから、あの静かな空間に慣れてしまったからだろうか。貴方に一目惚れをして、七……?いや、八ヶ月を超えるのか。貴方に恋をするまで「一目惚れなんてマンガじゃないんだからっ、はっはっはっ」と、華子を馬鹿にした事もある。今となっては全力スライディング土下座で額を地に着け、ぐりぐりしながら謝りたいものだ。まさか、わたしが一目惚れをするとはなー………はヒっ!!!


「ああ、君か。こんにちは」


 雑踏の中、目の前に現れ、避けきれなかった大きな影を見上げると、その影は貴方で、その目付きの悪い顔に、いつもと違う挨拶をされた。いや、これはまた光と影の具合で見えている幻影的なアレで………幻影的なアレって何だっ!?もしくはホログラム的なものかっ?いやいや、ホログラムって、そもそも何だよっ!!?


「私の顔に何か付いているのかな?」


 貴方のせいで世間では貴重に扱われる女子高生の可愛らしさが崩壊しているよ。


 大きな背中の後ろを歩けば人を避ける事が容易く出来た。それは貴方が大きから………だけではない事は、通り過ぎる人を見れば分かる。数分前、ばったりと会った貴方の挨拶に返事を返せたのは、一分以上、二分未満という時間が経った後だった。息が止まり、身体が固まって、脳内で繰り返される“幻影”や“ホログラム”に対するボケとツッコミの処理と、貴方にかけるべき言葉の解を見つけ出すのに時間がかかってしまったのだ。


「あっ。あー……アのっ!?新町で会うなんて……ぐ、偶然ですネーっ?」


 わたしを探していた、とか言ってください。わたしに会いに来た、とか言ってください。後ろ姿が見えたから追いかけてきた、とか言ってください。そんな邪念が脳を蝕んでいた時、貴方の目付きの悪い左半分が見えて「食料品と仕入れをしに町に下りてきたんだよ」という至極真っ当で、残念だなと思う返事が大好きな声で告げられた。


 わたしの脳は、どこまでお花畑なんだろうか。“わたしを探していた”とか“わたしに会いに来た”なんて言わせたい、とか。でも、こうなったのは、全部、貴方のせいなんだからね。


 貴方はリサイクルショップ?骨董品屋さん?の類であろう、ごちゃついたお店の前で立ち止まった。軒先には動けば奇跡に立ち会えそうなくらい古い扇風機や年季の入ったお鍋、黒光りする仏像(?)とか、はたまた古着の類いが積まれており、実に怪しさ満て………いや、持続可能な未来に向けて、社会に貢献しているような、していなさそうな、とりあえず環境にはやさしそう……な、そんな、お店。


「私はここに用がある。じゃあ………」


 また貴方の都合でさよならしなきゃいけないの?わたしは、いつになったら、どうしたら“お客さん”から一歩でも貴方の近付くにいけるのですか。


「わたしも一緒に入りますっ。デートみたいなものです、いやっ!デートですっ!」


 うああああああああああああああっっっ!!!!!やっちまったァァアアアああああああっ!!!!

 頭の中で色んな想いがぐるぐるしていたら、とんでもない言葉を口走り、さらに貴方の腕に抱きついてしまうという能動的衝動にも程がある突発的な行動に出てしまった。


「お。らっしゃ…………い?」


 まずいっ!まずいっ!まずいまずいまずいっっ!!身体中が熱くなって体温で身体が溶けそう。今、ここで火事が発生したら火元は間違いなく真っ赤になっているであろう、わたしの顔だ。何故か、前を向く事が出来ない。何故か、顔が上げられない。だから、震えている脚がよく見える。あっ…………うぅ。くそぅ、わたしの育ち過ぎたお胸に、貴方の腕が沈ん…………ちょっと、これはまずいかもしれない。意識すると、ちょっと気持ちい…………って、わたしは変態さんかっ?このままでは、変態さんの所業ですよねっ!?


「確か『彼岸の小さな恋』を置いていたな。まだあるか?」


 え、えっ、え?また、あの本を買いたいお客さんがいるの?


「あー…アレは確かー………なあ?それより、そのちっこいの何?彼女?そんなに密着して、何?嫌がらせ?え?しかも女子高生?犯罪じゃね?巨乳に抱きつかれて羨ましいな、おい?で?まず、どこからつっこんだらいい?」


 か、かっ、彼女っ!?カノジョニミエマスカ?店員サンっ!?


「いいや、ウチの客だ。後、容姿を気にする人もいる。だから、安易に小さいとか胸が大きいとか言うものじゃない。密着しているのは、彼女が私を揶揄っているからだ。だから、お前に対する嫌がらせではない。年齢は知らないが、恐らく高校生だ。恋人関係では無いから犯罪ではない。私も揶揄われているのだから羨む事もない。いちいち、つっこまなくていい」


 相変わらず、淡々としている貴方の“ツッコミ”に、思わず口を尖らせて言ってしまった。………こんな時くらい“彼女だ”って嘘を言ってくれてもいいんじゃないですか?って。


「例え『合意』であっても“成人の彼岸の獣”が、十八歳以下の“未成年の人間”と交際する事は許されないと法律で決まっている」

「堅物」


 周りに分からなければいいだけの話だし、そういうのは、みんな黙認しているよ。町を歩く男女だって、華子だって、年齢なんて気にせずに歳上歳下のカレシカノジョを作ったりしているよ。だから、そんな真面目な顔で、念を押すように「どういう理屈であれ、法と約束は守る。私は平穏に暮らしていたい」だなんて、そんな事をすらすらと言わないで欲しい。


「ところで、気になっていたんだが鼻はどうしたんだ?怪我をしたのか?」


 あ。鼻にティッシュ詰めたまんまだったの忘れてた。……いや、詰めたままで良かった。ちょっと、あなたに触れているお胸が気持ちい……から、のぼせているんすよね。


…………………………


実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第七話「獣と枕詞」おわり。

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