:第四話「ケモノにはならない獣と悶々と煩悩」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第四話「ケモノにはならない獣と悶々と煩悩」
…………………………
−徒情け、泡沫の恋とならずに理無いの間柄を求むも。
睡蓮が浮かぶ池を眺めて……いるはずなのだが、瞳孔から入り脳が認識できる色情報が理解出来ない。いつも、いつも、ぶすっとしている貴方が、ぶっきらぼうに投げるその言葉が『わたしを町まで送る』と言った。たった、それだけで心臓が壊れてしまうくらいに速く、強く、脈打っていて、身体が融解しそうなくらいに熱くなっている。貴方が、わたしを送るとか、どういう風の吹き回しなのかと考えれば、
………変な想像しか出来ない。
「待たせた」
「はヒッい!!」
まずい、まずい!妄想に囚われすぎて、周りの情報なんか入っていなかった。あろう事か“色々”と考え、乙女の熱にうなされ、貴方を待っている事すら忘れていた。だから、ほら『なんだ?こいつ?』みたいな感じで見られている。な、何か、何か話さないと…………な、何をっ?ナニを話そうかっ!?
「イけっ?イ?いっ、池のっ、真ん中に石がありますねっ!」
「そうだね。早くしないと暮れる。行こう」
「えッ!っあ!はひっ!はいっ!」
石を浮かべた池だなんて、どんな庭にでもあるだろうよ。いざとなるとポンコツが露呈してしまう。本当にわたしは駄目だなあ。
薄暗い森の中、悠久讃える石畳。苔を踏まないように歩くわたしと、四歩前の貴方。期待をしていた“並んで歩く”という事は出来なさそうだ。だけど、改めて知る、その高い身長と大きな身体、背中が広い事。わたしみたいな低身長組ちんまり班なら悠々とベッドに出来そうだね。………………きっと、この背中も社会の不条理を知っているんだろう。大きく揺れる背中を見つめながら、授業で習った事を思い出していた。
共存の道を選んだ人間と彼岸の獣だったのだけれど、彼岸の獣に待っていたのは『平等』という名の『差別』だった。多くの彼岸の獣は、大きな体格と大きな力を持つ事から“人間と平等”とする為、様々な枷で動きが制限される。それは法的な拘束と物理的な拘束だ。法では、彼岸の獣のみに適用される厳しい法律と罰則があり、同じ罪であっても人間の量刑に対し、彼岸の獣には何倍も重い刑罰を科す事が可能だ。また、大きな手足を伸ばす事が出来ないように、手枷、足枷をされ、身体の自由を制限された。後者の拘束法が廃止されたのは………たった、二十六年前。わたしが生まれる十年程前である。共存を謳いながら、彼岸の獣に負わせるものが大きい。それでも人間が決めたルールの中で、彼らは四百余年も生きている。
「あっ、あのっ!!」
前を行く背中に投げた声に対して、歩みをゆるめる事も、振り返る事もなく「なんだ?」とだけ言った。せめて、わたしの声には振り向いて欲しかったな。
「『彼岸の小さな恋』を読みました………貴方は辛くないんですか?」
「何が?」
「何が……って。その………………差別、が」
小さく肩が動いたから、多分、鼻で笑ったんだと思う。そして「辛いも何も、これが私たちの普通だ」と言って「今日、君は本を選ぶ事に迷っていたね」と、わたしの話に向けた。本を選ぶのに迷っていたのは、華子と彼氏さんの未来に苦しくなったからだ。貴方も生きたであろう『彼岸の小さな恋』の時代にあった差別と、それらがまだ平然と目の前にある現実に気分が悪いんだ。すると、貴方は「そうか」とだけ相槌を打って、いつものように黙る。貴方にも『彼岸の小さな恋』のような…………不条理があったのだろうか。もし、あったとして、作中のように愛が終わったのなら………わたしなら辛くて、辛くて、受け入れる事も出来ず、途方に暮れて、何も出来なくなっていくと思う。自分で命を終わらせる気力も無く、息をする事すら忘れていって、その内、自分を失くすと思う。わたしの伏せたまつ毛に、きらきら、と光が跳ね、目の前が明るくなった。
「おしゃべりはお終いだ」
「あの……どうして、ここまで送ってくれたんですか?」
「森は暗くなるのが早い」
心配……してくれるんだね。本を取ってくれた時や、こういう小さなやさしさに触れる度、やっぱり貴方の攻略本が欲しくなる。
「世の中には悪い奴もいる、気を付けなさい」
「この辺りは治安がいいし、大丈夫」
目つきの悪い貴方の目が少し怒ったのか細くなって、悪い大人も、悪い人間も、悪い彼岸の獣も、君が思っているより世の中にはいるんだ、そう辛そうに言ったから…………生真面目な貴方に、少しの意地悪を、した。
「貴方は、わたしに悪さをする“ケモノ”にはなってくれないんですか?」
……ふっ、どうですか?女子高生から、こんな事を言われる気分は?
「君が私に犯罪を唆す理由が分からない」
「そういう……事じゃアないんだけどなーっ」
「私は安穏のまま生きていたい」
いや、うん。そう………デスネ。平和にね、平和に。わたしみたいなちんまい女子高生なんか相手にせず、平穏無事に。はあ、駄目だ、この堅物。わたしを襲うような“ケモノ”になるまで、相当ハードルが高いらしいよ。やっぱり、貴方の攻略本が欲しいと強く願った入相にお寺の鐘。
ひとつ、ひとつ、電柱に取り付けられた灯りをたどり家までの道を、ご機嫌に歩いていた。色々と辛い気持ちはあるけれど、貴方と歩く時間が過ごせる事になったのは、なんだか、いい日だと思える。……………………でも、こんな時間から貴方が出掛けるなんて珍しいな。いつもなら本屋さんを閉じる前に家の灯りを点ける。町に出るなら帰りは森が暗くなるし、懐中電灯とか持っているのかな?それとも暗闇も見通せる赤い目でもお持ちなのか……。え、もしかして“夜に森を歩く必要が無い”から出掛けた!?え…………、えっ!?それって、それって!?一般的に考えると………、
大人のお店かなあ。
普通は恋人の家だろう?と、どこからか言われたのだけれど、ひたひたに甘い、恋に浸かった脳は、そんな事などに耳を傾けていなかった。
「一応、男性?だしなあ。そーゆーの我慢するのは身体に良くない、辛いって本で読んだしなあ」
かの農業を通して理想郷を見た偉大な作家様は、ヤラシイ事で悶々とする事を悪い事だと考え、紛らわす為に一晩中森を歩き回っていたという。
「そこまでしないと抑えられないってスゴイなあ。ケモノだなあっ」
良い事なのか、悪い事なのか。わたしが本の虫で得た知識には、こういう事も含まれている。
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第四話「ケモノにはならない獣と悶々と煩悩」おわり。
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