:第五話「睡蓮と“ごめん”と“すめん”」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第五話「睡蓮と“ごめん”と“すめん”」
…………………………
−睡蓮の浮かぶ池に恋心を、決して花を穢す心のすさびとは言わん。
睡蓮が浮かぶ美しい池がある。睡蓮の花言葉には「純真」「清浄」「信仰」「信頼」などがあり、どれも心からくる感情を表すものだ。静かに池に浮かぶ美しさに魅了され、愛し、描き続けた画家がいた程である。
池の畔に白いペンキで塗られた一軒の本屋さんがあり、入るなり主人は、必ず、こう言う。
「いらっしゃい。声はかけない、ゆっくり見ていってくれ」
愛想がない言葉を並べるも、やさしくあろうとする声は、彼の生い立ちがそうさせているものなのだろうか。彼は………、
彼岸の獣。
本来、この世の生き物ではない。
そして、わたしは彼に恋をしている。
…………………………
よくもまあ…………こうもペラペラと話せるもんだ。華子の手にある“よっちゃんイカ”が全く減っとらんよ。華子に公園へ呼び出されると二人でベンチに座り、三十センチメートルの間を空け、左隣から華子の惚気話を、その美しい顔に備わったお口からペラペラと聞いていた。さしずめ、赤毛の“恋愛撃墜王”か。その美しい戦闘機に備え付けられたお口は、バルカン砲か。わたしは華子くんの僚機として、対空監視を実行し、心の無線を使って“レッドなんちゃら”に報告したのだ。さっさと撃ち方止め、弾薬の無駄であります!と。そんな派手に弾幕を張っても、敵機なんか一機も飛んでいない。貴君はわたしを撃ち堕とす気か!本当に、ペラペラ、ペラペラ。ただ、ただただ、見上げる空が…………空が青い、青いよお。早く弾切れにならないかなァ、華子のペラペラ惚気バルカン砲。
「でねっ!でね!そしたらさー、彼がさーっ」
「華子くん、真面目な話をしよう。どう計算しても惑星間の距離を保つには、引き合う互いの重力が足りないらしい。しかし、現状では惑星間で釣り合う関係が破綻していない。何故だろうっ、ねっ!?」
「はっ?えっ!?……え?……あ。ふむ。なんでだろう。そういえば、そう聞く。最新の話じゃ、相対性理論も破綻したと聞くから、時間の進行軸における質量の………いや……これじゃ説明がつかない。うー…ん?」
止まった、ちょろい、単純。
「………りんご、りんごも“ダークマター”の存在を信じるのっ!?カルト臭いけれどさっ、あの月刊詩読んだっ!?」
ああ、なんだか……砲弾の種類が変えられ射撃が再開されちまったや。一見、遊んでいる系女子高生に見える華子なのだけれど、すごく勉強が出来て、様々な事に興味津々。そして、追求しないと気が済まない性分。また、それらを理解しうる明晰な頭脳をお持ちだ。ついでに背が高くて、顔立ちも整っている。さらに、さらに長い髪もさらさらときた…………世の中って不条理だなあ。本当に、空が……空が青いよう。
「いらっしゃい。“とくに”声はかけない、ゆっくり見ていってくれ」
眼鏡の奥にある凶暴な目でぶっきらぼうな声が、なるべくやさしく鳴るようにする貴方が、いつもわたしの心を震わせる。その声はお店に入るとレジカウンターの向こう側から、一度こちらを見て響き、そして、すぐに手元の本に視線が落とされる。その伏せた目が好きだ。本を持つ大きな手が好き、その大きな身体が好き。貴方が大好きなんだよ。
今日も本を選ぶ手が迷子になっていた。そして、そわそわ、チラチラと貴方の様子を伺っていた。すると「何か探しものでもあるのか?」と真っ直ぐな目で尋ねられ、その目にまた一目惚れをする。だから、言葉が「あ、いや。その……っ」と絡れ、渋滞し、出てきやしない。やっとの思いで振り絞った二十文字。
「この間は送ってくれて………ありがとうございました」
いいや、礼には及ばない。私も町に用があったから……と渋滞せずに続く言葉が、わたしの為に用意されたやさしい言葉であって欲しいと願う。今日は、このお店に通うようになって、初めて、レジカウンター横にある常連客が雑談をする時に使う小さな丸椅子に腰掛けた。一度、わたしが座るのを確認したっきり、その目は本の虜らしい。その目の追うものが、文字からわたしに変わるような出来事が、いずれ用意されているのだろうか。
「あの……っ。そっ……相談がっ」
貴方とお店の前に称える睡蓮の池を眺めていた。この白いペンキで塗られたベンチは、ゆっくりと池が眺められるように置かれているらしい。今、貴方と隣り合わせて座って……いっ、いる!から…………っ!だ、ど、だっ、でっ?ど!?どうしよう!!?この破裂音を鳴らす、力強い鼓動で自壊しそうな心臓の音がっ、お、音が聞こえてしまっていたら………ど、どっどうしよう!?
「呼吸が荒いな。何か病か?」
言われてハッとした。ハアハアと息を切らせて、薄らと汗をかいているではないか。これでは、まるで変態さんだ。格好悪いなあ、と思う。わたしは、こんなに余裕が無くなるくらいの格好悪い恋をしている。それが、なんて素敵な事か。本当に何かの病だよ。実は、わたしはね、大病を患っているんだ。貴方という素敵な泥棒に心を奪われた“恋”という名の大病をなっ!どうだっ!!埼玉県警のトレンチコート警部も真っ青だろっ!!!
「……………………実は友人が」
自分で『恋という名の大病』と考えた事が恥ずかしくなり、神妙な顔を作った。脳内で再生したセリフを“無かった事”とする為に、嘘の顔を作ったのだ。少し………少しだけだよ?華子を利用させてもらった………。
華子くん。
誠に申し訳ない。
すめん。
“すめん”
これはわたしと華子の間だけにある言葉だ。
どういう意味で使うのか、それは二人だけの秘密なのである。
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第五話「睡蓮と“ごめん”と“すめん”」おわり。
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