第18話 グランドツアー 12

〈 場面は再び皇帝の行列に戻る 〉


 先導するハンガリー軍の先頭にいたエステルハージ侯爵は、驚く周囲を無視して、突然馬を返すと、マリア・テレジアが乗る金色の豪華な馬車に近づいて、意味深な視線を硝子越しに向ける。



 硝子越しに見えた彼の口は、そんな風に動いていた。


「お姉さま、侯爵はなにを言っているの?」

「ちょっとね……」


 不思議そうな顔をしていたマリアンナは、姉がジェスチャーで、侯爵に返事を返しているのを見ていたが、自分には関係ないかと思うと、少し眠たかったので、途中でよると聞いているイタリア王国の夢を見ながら、向かいでウトウトしていたが、マリア・テレジアは侯爵に、ハンガリーに入るときには、馬へ騎乗した姿で入りたいので、近くに丁度いい大きさの仔馬を用意しておくようにと頼んでいたのである。


『まあ、いざとなったら、仔馬も説得するし、もともと乗馬には自信があるから大丈夫!』


 これは、馬と共に生きるマジャールのたみの上に立つ以上、女であるハンディを、少しでも軽減させるために、必ず成し遂げなければならないと、マリア・テレジアがカール6世と並んで騎馬でハンガリーへ入るために、周囲の反対を押し切って決めた話であった。


『ええか? 馬刺しになりたくなかったら、おひいさん(お姫様)を、ちゃんと乗せるんやで』


 ハンガリー近くに待機させられているマリア・テレジア用の白い仔馬、ゴルトエルゼは、耳元でささやかれた言葉に、「馬刺しってなに!?」と、馬小屋で反応しながら、どこかに飛んで行った鷹のセリフに怯えきっていた。


 ***


「お母さまにも、早くの良きご報告ができればいいけれど……」


 マミーにもたれて、まどろんでいたマリアンナの耳に、姉のそんな言葉は聞こえていなかった。


『あのな、婚約者のアイツ、プロイセンへ向かったらしいで!』

「え……?」


 マリアンナが、すっかり爆睡する中、マリア・テレジアは、ひどく嫌な顔をしていた。


 馬車の旅は、まだまだ続く……。


 ***


〈 その頃の凶鳥/オワゾー/oiseau 〉


「また制服コレクションが増えますね――!」

「しっかし、最前線ばかりとは、たまったもんじゃね――な! 次、相手が引いたら、銃剣突撃をかけて、俺らは、そのまま一気に離脱する! 潮時だ! ケツまくって逃げ切るぞ! ったく、オーストリアのお姫さまは、人使いが荒いったらありゃしね――!」

「傭兵の宿命ってヤツでしょうねぇ……」


 なかったはずの実質的な「グランドツアー」へと旅立ったマリア・テレジアに、遠いスペインで毒づいていた彼らは、イギリスの軍服を着用し、全力で走り回っていた。


 オワゾーoiseauは、カール6世の大遠征が終了して早々に、維持費はフランツ持ちで、彼からマリア・テレジアに譲渡され、父親か頼まれたマリア・テレジアの命によって、イギリス軍に紛れ込み、最前線に放り込まれていたのである。


 ***


〈 それから少し先 〉


 任務を完了したオワゾーoiseauは、『甲冑を着た修道士の師団/ヴェリタVerità』と共に、なんとかピレネーを超え、しばらくの潜伏先として、ヴェリタVeritàの修道院があるドイツ地方、とある森の中、村の近くに用意された簡易的な宿営地にたどり着いていた。


「あの坊主どもは楽しやがって! 俺らが戦場で苦労している間に、気楽なスペイン巡礼の旅ってか! はっ!」


 その言葉は、オワゾーの師団長ポリニャックが、副官ガブリエルに、聞こえよがしに吐いていたセリフであったが、宿営地を案内をしていたヴェリタVeritàの師団長でもあり、今現在、修道院長に戻ったアルフォンソは、マリア・テレジアからの依頼を果たせたことしか頭になく、押しつけられたに近い居候の暴言に怒りに震え、ポリニャックに、なにか言い返そうとした、騎士上がりの修道士たちを、そっと手で制すると、当面の食事の手配を村から来た者たちに任せ、小柄な影が待っている自分たちの修道院へと、そのあとは無言で修道院へ帰って行った。


「院長、あの不心得者どもは……これだけ世話になっておいて、あんなことを……」

「もめごとを起こすな。彼らを預かったのは、大公女殿下からの命だ。それ以上でも以下でもない。それよりもヨーゼフの手当てを手伝うように」

「はっ……大公女殿下は、さぞお喜びになることでしょうね!」

「ああ、奇跡が起きた……殿下はまさに聖女にふさわしい方でいらっしゃる……。それよりも金の風見鶏には注意するように……」

「はっ! 以後、決して同じ事は!」


 院長室の一室に置かれた簡易的なベッドの周囲では、薬草の扱いにたけた修道士が、ヨーゼフと呼ばれた小柄な影の横についている。

 影はどうやら酷い怪我を負っている様子であったが、命に別状はないらしく、細い息ながら、どこかもの言いたげな視線をアルフォンソに向けていた。


 アルフォンソは、そっと影の頭に手をやって、安心させるように髪を撫ぜながら口を開く。


「安心しなさいヨーゼフ、いずれあなたは、オーストリアに帰り、名誉を回復します」

「司祭さま……なんと御礼を申し上げてよいか……」

「御礼は健康になってから、マリア・テレジア大公女殿下に申し上げなさい。ひとまずこの修道院で元気になるのが先決です」

「マリア・テレジア大公女殿下……」


 ヨーゼフと呼ばれた影は、アヴェマリアを口にするアルフォンソを、しばらくじっと凝視していたが、やがていつの間にか眠りについていた。名誉よりもなによりも、あの方が自分を覚えてくださっていた。それだけで、この先のすべてを、あの方に捧げて生きゆく決意に値すると思いながら……。


 彼の名は『ヨーゼフ・アルフレート・フォン・ライヒェンシュタイン』少し先に現れるマリア・テレジア直属の秘匿されし、史実には現れないまま消える運命にある金羊毛騎士団のleftNo.4となる存在であり、皇后リースルの乳母を祖母に持つ、先のカール6世の大粛清の嵐に巻き込まれ、幾多の陰謀に巻き込まれた末に、サンティアゴへの旅の途中で、連れ去られようとしていた、幼きライヒェンシュタイン子爵家の当主であった。


「あのお姫さまは、本当におっかねーな」


 その言葉は、回復したヨーゼフと顔を合わせたときに、ポリニャックが十字を切りながら、口にしたセリフであるが、いまのところ彼は、満身創痍の十歳になったばかりの少年で、いまはただ深い眠りについていた。


『アヴェマリア、恵みに満ちた御方……主はあなたとともにおられます。

 あなたは女のうちで祝福され、御胎内の御子イエスも祝福されています。

 神の母、聖マリア、わたくしたち罪人のために、いまも、死を迎えるときも、お祈りください……アーメンamen





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