第4話 ロートリンゲン家の事情とカールの胸の内

〈 二人が出会う数年前~ロートリンゲン・リュネヴィル城の食堂 〉


「せっかくレオポルトのための祝いの席だというのに、あなたは一体なにをしているの? その年にもなってお行儀の悪い!」


父であるロートリンゲン公ヨーゼフが、実質的に隠居して以来、家庭内の力関係のおいて、この国の影の支配者になった母の公妃エリザベートは、いらだたしげに、次男のフランツに声をかけていた。


『まあ、悪いのは兄のフランツだ』


弟のカールはそう思っていた。


なにせ、兄のフランツときたら、みなで食卓を囲み、父方の祖母の従甥にあたる『神聖ローマ皇帝カール6世』の元で学業を修める、という名目で、『マリア・テレジア大公女殿下』とのお見合いのため、ここを出立をする長兄のレオポルト兄さんの挨拶が終わり、いざ祝杯、そんな時に、隠れてテーブルの隅で書いたメモを、兄の侍従である陰気な顔のストラソルド伯爵に、こっそり手渡していたのである。


「よこしなさい!」

「ああ! それは、大切な手紙なんです! 早く伝書鳩に持たせなければ大損です!」


『太陽王/le Roi Soleil』ルイ14世の姪である母は、父にもとかく高飛車な妃であったが、もちろん僕らに対しても、そうであるからして、僕らに拒否権などない。取り上げられたフランツ兄さんの急ぎの手紙は、くしゃくしゃに丸められ、暖炉の中に放り込まれようとしていた。


「母上、今日は祝いの席ですから、どうか穏便に!」

「母上が今度、ヴェルサイユに挨拶に行く時のドレスをプレゼントすると! そのためですよ! ねえ、フランツ兄さん!」

「そ、そうです! その通りです! 母上には一番美しくあって欲しいと!」


「……そういう理由なら……でも、次は許しませんよ」


フランツ兄さんめがけて振り上げた、暖炉の火かき棒を持つ母上を、うしろから慌てて羽交い締めにした兄のレオポルトをはじめ、周囲の必死の説得のかいあって? くしゃくしゃの手紙は、再びストラソルド伯爵に手渡されると、彼はどこかに走って消えた。


金儲けの、いや、金に関することにこだわることなど、王侯貴族にあるまじきこと、と、されているのであるが、どこからどう見ても、めったに見ない美青年であり、凛々しくも雄々しい生きた軍神にしか見えない兄、『フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン』の趣味というか、生きがいというか、一番の才能は『経済活動/金儲け』であり、いまの手紙もいつものごとく、どこかしらに金の匂いを嗅ぎつけて、なにかの取引を急いでいたようだった。


レオポルト兄さんが旅立って、しばらくしたある日の朝、剣術の稽古に顔を出さなかったフランツ兄さんの部屋をのぞくと、案の定、どこからか運ばれてきた、ぎっしりグルデン金貨が詰まっているであろう箱が何個も積んであり、うっとりと箱をながめるサファイアのように美しい兄の目には、なぜか代わりにグルデン金貨がふたつ、ぴたりと張りついている。


その時は、そんな錯覚すら覚えたものである。これ以外、実に善良で優しい兄ではあるのだが。


兄の部屋のマントルピースの上には、素晴らしい大理石のヘルメスの彫像が飾ってあり、朝晩かかさずに祈っていることを僕は知っている。(ヘルメスはギリシャ神話の神で、御利益は富と幸運、たしか、旅と発明と商売と泥棒の守護神だ。)うちは熱心なカトリック教徒の家系である。そのはずである。


「いつか異端審問にかけられて、火あぶりにされてもしらないよ?」

「……安心しろ、免罪符は束で購入済みだ」


そんな答えに、ため息をついた僕は、兄の部屋をあとにして、母上に朝の挨拶をしに、部屋をうかがってみると、やはりその悪行? は、ばれているみたいで、母上は額に手をあてて、フランツ兄さんのことを、大いに悩んでいる様子であった。


それでもしばらくしてから、「まあ、まあいいわ、フランツは次男、レオポルトは非の打ちどころのない子だし、あなたもいる……わたくしは産む順番を間違えなかった。それだけで、よしとしましょう……」そう、なんとか母が気を取り直し、僕と一緒に朝食を……そんなことを口にしていた時であった。


「レオポルト様がオーストリアのホーフブルク宮殿への道中、突然、天然痘にかかり、急ぎ帰っていらっしゃるとのことです!!」


そんな一報が入り、あの、あの気丈な母上が、気を失ってしまい、あっという間に、兄のレオポルトが亡くなってしまったのは。


そして、王侯貴族あるある話だが、お悔やみとセットで、今度は次のロートリンゲン公に繰り上がった『フランツ・シュテファン・・フォン・ロートリンゲン』つまりフランツ兄さんに、大公女との、お見合い話がやってきて、兄の肖像画を見た皇帝陛下は、一目で兄を気に入ってくれていた。


『そしていまに至る……』


ロートリンゲン公フランツの弟、カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲンこと、カール公子は、どこから見ても「軍神がこの世に現れた」そんな非の打ちどころのない外見の兄を、同行したウィーンの宮殿の中で、平たい目でじっと見ていた。


中身といえば、「グルデン金貨を握りしめて生まれてきた」身内にはそう言われ、少しばかりの趣味以外は、金貨や資産の運用以外に、才能も興味もない男である。


すでに婚約の話は決まってはいるが、お見合いと言う言葉が示すとおり、まだ正式な書面は作成されていない。怖い、怖すぎる。


あと何日で、兄の化けの皮が剥がれて、皇帝に宮殿を叩きだされるのか? カール公子はそう思い、真剣に、『ロートリンゲンまで、無事に帰れますように』そう神に祈りながら、心の中で、何十回も何十回も、十字を切っていた。


そんな時、フランツ兄さんこと『グルデン兄さん』はといえば、小さな金色の髪のお姫様を、先程からなぜか、龍の洞窟にあるという、巨大な金貨の山でも見つけたように、凝視したまま固まっていたのである。


兄の様子に、母のエリザベートに頼みこまれて、ウィーンまでつき添ってきた心配性のカールは、兄が恋に落ちたことを確信した。


大公女殿下と兄たちは、本物の五割増し以上、そんな評判が高い『肖像画お見合い/お見合い・ザ・ギャンブル』であったが、そのギャンブルという観点でいえば、こちらは大勝ち、いや、ぼろもうけであった。


ミダス王の宮殿から流れ出した滝のような美しい金色の髪、深淵を映す湖のような、兄とは違う清廉で神秘的な青い瞳、抜けるような白い肌。母皇ゆずりの、いや、それ以上の美貌の女大公になるに違いない。その上、オーストリア大公国のオマケつき!!


どんな画家でも彼女の美しさと、身にまといつく底知れぬオーラ、聡明さを描くことはできないだろう。


そんな印象を受ける『マリア・テレジア大公女殿下』に、兄は一目で恋に落ちたようである。


「……僕のグルデン金貨を、全部あなたに差し出します!」

「はい?」


「あーー!! 珍しい鳥が空を飛んでる!!」


馬鹿なことをほざいた兄に、怪訝な顔をしている幼い大公女の気を逸らすべく、僕が窓の外を指さしながら、大声で叫ぶと、天の助けか、丁度、大きな鳥が滑空していた。


「あ、あれは、わたくしの飼っている鷹です」

「た、鷹?!」

「ハンガリーのエステルハージ侯爵から、誕生日の贈り物にと頂きました。いい子ですよ」


大公女殿下が嬉しそうに、なにやら合図すると、鷹はもの凄い速さで窓をくぐり抜け、こちらにやってきて、近くに用意されたとまり木に、おとなしくとまっている。


「幼い大公女殿下に鷹を贈るとは……」

「さ、さすがは、勇猛果敢さで有名なハンガリー貴族ですね」

「一度お会いした時に、すっかり話がはずみましたの。その流れでプレゼントしていただいたのですわ」

「なるほど……」


エステルハージ侯爵と言えば、ハプスブルク帝国でも有数の武力と勢力を誇るハンガリー王国の頂点に立つ貴族だ。マジャール人であることを誇りとするハンガリーの領主的存在でもある。


彼が一手にハンガリーの貴族を取り仕切り、彼の住むエステルハージ宮殿は、ハンガリーのヴェルサイユ宮殿と呼ばれているのは、つとに有名な話である。


鷹のまわりには、どこから湧いたのか、すぐに各国から派遣されているらしき大使たちが、もの珍し気に集まってきていたが、彼女は「少し失礼いたします」そう言うと、何ヶ国語なのかも分からない、そんな様々な言葉が飛び交う中を、気軽にひとりひとり、声をかけながら、鷹を迎えにゆく。


籠を捧げ持つ侍従の方を指さすと、鷹はおとなしく中に入り、周囲はまた大いに盛り上がっていた。語学に壊滅的に弱い兄とは真逆で、大公女殿下が語学の才能にあふれているとのうわさは本当だった。


引きつった顔の兄に気づかない、ちょっとした騒動から戻ってきた大公女殿下は、「足手まといでしょうけれど、乗馬のレッスンもしているので、近いうちに、ご一緒に鷹狩りに行きましょう!」そう言いながら、もう天使ですら、そのへんの貧しい庶民にしか見えない!! そんな愛くるしさでほほえみ、皇帝や周囲の大人たちも、あたたかく見守っているので、兄は、「もちろん楽しみにしています」これまた幼い大公女に優しさをみせる軍神、そんな外面で、ニッコリほほえんで、そう答えていて、用意された部屋に向かう途中、僕は兄の耳元でこっそりとささやく。


「兄さん、乗馬、苦手じゃなかった?」

「……明日から頑張る」


恋の力は偉大であった。


そして、ウィーンで『マリア・テレジア大公女殿下/皇女マリア・テレジア』に出会った翌日の早朝から、兄は生まれて初めて、真面目に乗馬やらなんやら、いわゆる騎士の基本の『基』に取り組んでいた。


「一生、馬車でいいとか、平和主義者だから、一生、弓術や剣術の稽古なんてしないとか、そう言ってなかった?」

「うるさい……」


かくしてフランツ兄さんは、結ばれるはずもなかった『マリア・テレジア・ヴァルブルガ・アマーリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ/Maria Teresia Walburga Amalia Christina von Österreich』のために、なんとかかんとか、騎士らしいことをはじめたのであった。


「いまさら?」


母のエリザベートは、息子のカールから届いた、そんなあれこれを書きつづった手紙の内容に、大いに顔をしかめてそう言うと、今度こそ、その手紙を火のついた暖炉に放り投げていた。

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