枝の内で膨らむ芽

 月刊誌の連載が終わっても、それを文庫に纏める話が来なかった。いくつか持っていたアイディアも、編集会議を通らなかった。正直な話、このまま一生所得がなくても遊んで暮らせるような蓄えはないし、勤め人のように厚生年金が入ってくるわけでもない。公務員の妻と離婚しなければ、そこそこ生活していけたかも知れなかったと、そんな乞食めいた自分に嫌気がさす。もう自分は書けないのかと絶望してもやはり腹は減り、アルバイトで食いつないでもこの先の保証はない。

 今更のように、人生の後半戦を考えなくてはならないと思った。勤め人でなくなってからの時間が長すぎて、おそらく同年代がしているような仕事はできないが、上を向いて口を開けていたって天から餌が与えられないのなら、自分を養う手立てを取らなくてはならない。


 四十代も半ばになっての求職は、プライドと折り合いをつけながらだ。伝手を辿って公益法人の事務に潜り込み、実家から遠くない地方都市に移り住んだ。都会に住むよりも刺激はないが、母に何かがあればすぐ移動できる場所なので、少々の安心感がある。慣れない決まった時間に動く生活は、思っていたほど窮屈ではない。

 別に書くことを止めたわけではなく、ひとりの部屋の中で毎晩パソコンに向かい、企画の通らなかった話を書き続けた。他人に読まれない話を書くのは空しいのではないかと以前の私は考えていたが、書きはじめてしまえば同じように夢中になった。つまり私は文章を紡ぐことが好きなのだと、改めて思ったりもする。

 ともあれ遅ればせながら、他人の生活を日常的に垣間見る行為は、私に何かの影響を与えたのかも知れない。殊更に閉じていたつもりのない世界であったけれど、新しい風が吹き込んできた気がした。

 学生時代の友人たちは、子を持ったり家を建てたり、忙しそうにしている。それに伴う責任を持たない私は、幸せであるのか不幸せであるのか、きっと死ぬときにしかわからない。


「須々木さんって、作家なんだってねえ。ペンネームは何ていうの?」

「まあ、いいじゃないですか。大して売れませんでしたから、ご存知ないと思いますよ」

 そこで深く追求する人がいないような職場で、私のような伝手で入った職員と天下りが大半だ。忙しくないこともない程度の仕事をして、定時になれば帰る日々の中で、電車の中でぼんやりとプロットを考えたりする。すっかり行きつけになってしまった定食屋で安い夕食を摂り、コンビニエンスストアで缶ビールを買って帰る生活には、すぐに馴染んでしまった。

 これで安心して老いて行けると思う一方で、これで良いのかと声が聞こえる。うすぼんやりした生活に満足して、誰にも読まれない小説を手元に温めているだけで、本当に満足なのか。そう思うたびに求められたらすぐにでも提出できる作品をと、短編のストックの確認をする。

 何も持たない空虚さと、老いへの焦りだけが身体の中にあり、ときどき闇雲に外を歩いた。


 冬の乾いた空気の中に、もう茶色になって種を落とすだけになっている、芙蓉の実を見た、比較的古い寺の境内で、奥に進むと小さな林がある。

 この寺には、芙蓉が咲くのか。それは私の実家にあるような、一重の大きな花だろうか。白く咲いて赤く染まっていく、あの花であればいい。それならば日の長くなる夏に、何度も会いに来よう。

 三年以上前のことを、これほど鮮明に覚えている。声も仕草も、時間が経つにつれ深く自分に染み込んでいく気がする。すべて合わせても、接したのは一日の時間にも満たないというのに、何故こんなに心に残っているのか。

 いっそのこと訪ね歩こうかと思ったことはある。けれど姉の話が彼女のことならば、あの土地からはもう離れているはずだ。彼女のことではなければ、既婚者を訪ねて家庭に亀裂を入れることになる。幸福に家庭生活を送っているのならば、そんなことができるわけないではないか。せめてその後の彼女の動静だけでも知れれば、この張り付いた感情は剥がれるのか。



 依頼もない中篇をいくつか書き散らしたころ、久しい編集担当からファンレターが何通か届いていると連絡が来た。

「いつも通りそちらに送ります。何か新しい企画はありますか」

「いくつか書いてある。メールで送るから、見てくれないか」

「先生は欲がないから。構想があるなら見せてくださいよ、隠していないで」

「前に通らなかった企画だよ。捨てきれなくて書いてしまった」

 じっくり読ませてもらうと編集者は言い、電話が終わった。ファンレターか、とひとりで呟く。SNSのアカウントを持たない私へ読者からの直接の反応は、こうして偶に届く短い文章だ。インターネットのエゴサーチは、怖ろしくてできない。数少ない作家の知り合いの中にはエゴサーチを繰り返している人もいるが、悪意で書かれた批判を受け止める度量を、私は持っていない。もしくは、ひとつもヒットしなかったらと思うと、そちらの方が怖いかも知れない。

 転送されてきたファンレターは大切に読み、保管している。とても嬉しい内容だったりすると、短い返事を出したりもする。わざわざネガティブな感想を送るために切手代を出そうなんて酔狂な人間はそうそういないから、大抵は自分の作品に賛辞を送ってくれるものなのだ。もちろん今回も大切に読ませてもらうつもりだったし、停滞している何かに喝が入るかも知れないという期待があった。


 送られてきた手紙の中を順に読んでいき、もう二年も新刊を出していない作家を応援してくれる誰かに感謝する。そして開いた薄青い封筒は、細く柔らかな女の文字だった。

 高校を卒業する間際の三人の男が、農家の離れで雑談に興じるシーンからはじまるその小説は、いつか少しだけ話題になったものだ。バラバラの進路を決めた三人の、それぞれの生活を描いた。地元に残るひとりが、若葉マークをつけた自動車で新幹線の駅までふたりを送る。国道に出る細い抜け道で後部座席のふたりは、行き先の違う切符を見つめている。あれを書いていたとき、私はまだ妻と上手く生活していた。

 

 時間がかかってしまいましたが、やっと読めました、とあった。おかしな書き出しだなと思ったが、そのまま読み進めた。驚くほど丁寧に読み込んであって、本当にこれは自分が書いたものの感想なのかと驚く。ひとりひとりの苦悩や焦燥を慮り、再会の歓喜の声が聞こえたとある。こんなにたくさんのメッセージを、私が書いたものから受け取ってくれる読者がいる。それは私を勇気づける手紙だった。

 もう一度、世に送り出すことができるかも知れない。こんなに懸命に読んでくれる読者がひとりでもいるのならば、私も懸命に書いて送り出そう。身体の内側に、力が漲ってくる。こんな感情は久しぶりだ。ファンレター一通で、自分が鼓舞されるとは思わなかった。つまり私は、今まで好意的な手紙を受け取ることに慣れてしまっていたのかも知れない。

 それにしても、これを書いたのは何年も前だ。図書館ででも見つけたのだろうかと思いながら、もう一度読み返す。

 時間がかかってしまいましたが、やっと読めました。購入してから積ん読になっていたのか、それとも。


 ドクンと心臓が鳴った気がした。彼女に渡した本は、何だったろう。書棚にあった本を適当に抜いて、あれは厚みのない文庫本だった。この本ではなかったろうか。何故私は、何を渡したのかも覚えていないのだ。

 封筒の裏には、律義に住所が書いてある。それは私の実家の近所ではなく、隣の県になっていた。彼女であるなら。私の中の誰かが背を押すように、会いに行けと言う。けれどまた違う誰かが、彼女の状況も知らないくせにと囁く。ただもう一度会いたいだけで走ってしまうほど、私は若くないではないか。

 耳の奥に、強い雨の音がする。細い指、痩せた胸、そして抑えた声。忘れていない。


『淡く咲き 雨を受けるや 酔芙蓉』

 下手な俳句を一枚の紙にしたため、自分の住所を記入したのは、狡い賭けかも知れない。彼女が私と同じものを見ているのならば、雨と芙蓉という言葉で、私が忘れていないことを受け止めるはずだ。

 目を閉じてポストに投函し、これに何かの反応があることを祈った。この年齢になってもまだ、こんな感情を持ち得るものなのか。二十代のころ、四十代半ばなんて人生が終わってしまっているかのように思っていた。灰色に煤けて女に相手されなくなって、生活のためだけに働いて老後を待っているような、そんなイメージを持っていたのだ。私も外から見れば、やはりそうなのだろうか。家庭を持たず、たったひとつ持っていた仕事に不安を抱いて、安定を得る目的で外の勤めを求めた。


 別れた妻は、あなたはクリエイターなのだから、生活臭を纏ってはいけないと言っていた。そして何か賞の候補になるようなものを書いたら、取材を受けたときに恥ずかしくないようにと。三十代の終わりが見えたころ、同世代の友人たちがやけにキチンと大人になったように見えて、妻の言葉に違和感を持ち始めた。君が必要としているのは、僕ではなくて作家の夫という言葉なのではないの? そう問うたことがある。僕の書くものが時代にマッチするかどうかなんて、書いているときはわからないのだから、期待するのは止めてくれ。僕は量販店で買ったシャツを何年着ても平気だし、トイレットペーパーを提げて歩くことが恥ずかしいとは思えない。

 妻は高所得だったし、実際私たちの生活の基盤はすべて妻が作ったものだった。だから私は、少々引け目を感じていたのだろう。彼女の意に添えない自分にだんだん苛立ちを感じるようになり、そして結果的に結婚生活を破綻させた。最後の話し合いの席で彼女は、子供を産めないことに劣等感を感じていたと言った。子供を育てることの代替えのように、夫を育成しているつもりだったのかもと、自分を振り返っていた。どちらにしろそのときには互いに心が離れてしまっていたのだから、考察自体が不要のものだったろう。

 子供がいればと考えたことはあるが、今更そんなことを言っても詮無いことだ。養子を取るということすら選ぼうとしなかったのは、お互いの意思だったのだから。



 集合ポストに封書を見つけたのは、一週間ほど後のことだ。一筆箋というものだろうか、小さな紙が一枚入っていた。

『宴を待ちて 夕を華やぐ』

 私の俳句につけた脇句らしい。それ以外の言葉はないのに、手が震えた。住所はあるが電話番号やメールアドレスは記載されておらず、状況はまったくわからないままだ。こんな思わせぶりな、そう思ってから、先に自分がそうしたのだと気がついた。

 彼女だって、私の状況など知らないのだ。まして会ったときの私は、既婚者だったではないか。

 姉の話は彼女のことではなくて、彼女は配偶者の赴任地に移動したのかも知れない。もしくは三年以上の時間の中で、新しく支えてくれる人ができていても不思議じゃない。そこにノコノコと過去に数日会っただけの男が現れたとしたら、彼女を混乱させることになりはしないか。いや、そもそも句が戻って来ただけで、彼女だと名乗られているわけではない。


 会いに行かぬ言い訳を、考えているんだろう? 自分の中で、ひどく醒めた声が聞こえた。あの鮮烈な記憶を手放したくなくて、実物の彼女を目の当たりにしたくないのではないかと、その声は言う。本当は彼女のことなどどうでも良くて、会いたいと思っている自分が心地良いだけさ。

 背中に何か、冷たいものを感じた気がする。私はもとより、彼女のことを知らないのだ。そしてまた、彼女も私を知らない。ただ一点で繋がった記憶を、この先共有するつもりがあるのか。


 気がついたら、スマートフォンで彼女の住所を検索していた。私の住まいから移動するには、公共交通機関よりも車のほうが動きやすい場所だ。指で液晶を叩き、目を瞑った。

 確認しに行けばいい。自分を鼓舞するように呟く。その場所まで出向いて、手紙の主が彼女であるのか、そうであれば今どんな生活をしているのか、確認しに行け。

 もう若くもなく、失うものとて何もない生活をしているではないか。過去の栄光なんて亡霊のようなものだ、何の傷にもなりはしない。あのときの私は衝動的ではあったが、それでも何年も心に残していた。捨てる気のない感情が何のためのものなのか、自分で確認しよう。

 カレンダーを見つめ、次の土曜日にしようと決める。わくわくしているのではなく、むしろ苦しいような気分だった。



 老健に入っていた祖父は、その後家に戻ることもなく老人施設で亡くなり、心臓の弱っている祖母が入院がちになると、両親は私を家から出したがった。十分に介護を経験したのだから、もうしなくて良い。家には両親がいるし、兄が外に出て自分のことだけを考えていられるのだから、私も同じように自分のことだけを考えなさいと言われた。

 家族経営の小さな会社だけれど、再就職はあっさり決まった。地元の物流会社の経理は外から見るより忙しく、自分が社会から離れている間に変わったことを覚えるのが精一杯だったけれども、身体が疲れるのは却って有難かった。幸い詮索の酷い人もおらず、チームワークの悪くない職場だったので、私も馴染むのに時間はかからなかった。

 狭いアパートの部屋を自分の好みで整え、自分が食べたいものを食べ、観たい映画を観に出かける。花屋で花を一輪買い求めて、食卓の上を飾る。これを幸福だと感じられる程度には、私は私自身を取り戻していた。

 もちろん実家には顔を出してはいたが、父が二度目の定年を終えて家にいることが増えたので、母の負担は軽くなっている。ふたりとも短時間のパートや市民サークルで気晴らしをしているようで、私の出る幕はなさそうだ。私も、そうしたかった。夫婦で介護を乗り切り、後悔なく義母を見送りたかった。それを思うと私の二十代後半の数年間は、何のためにあったのだろうと思う。


 こちらに戻ってからも古い友人たちと連絡を取ることはせず、たまたま行き会った人に挨拶をしただけだ。根掘り葉掘り離婚の経緯を聞きたがる人がたくさんいるとは思いたくないが、離婚したことすら口にしたくなかった。仕事以外に新しい人間関係を構築するのは、今は億劫なのだ。

 兄の奥さんが、もう一度恋愛をしろと言う。不幸を幸福で上書きすれば良いと言われても、先の結婚生活だって不幸ばかりではなかったと思う。少なくとも夫が単身赴任する前、つまり実質二年程度の同居生活は問題なかったし、その途中から加えられた義母の世話も大変ではあったけれど、私は義母が好きだった。ただ、人間は変わってしまうのだと学習しただけ。ずっと同じ夢を見続けることはできないのだ。これから何かしらの出会いがあったとして、私はその人に自分の感情を委ねることができるか? おそらく、それは難しい。


 あの本を繰り返し読んだ。まだ読み残しがあるのではないか、受け取り損ねた言葉があるのではないかと、感想を書いては破棄して、やっと書き上げた。あれから三年以上経っているのだし、もう覚えていないかも知れない。それにあのとき、私も彼も既婚者だった。何度も頭の中で繰り返した言葉は、ともすれば私が夫を責めることを躊躇させた。いや、彼にも配偶者がいたのだから、私の方がもっと酷いことをしたのかも。

 何度も書き直し、投函することに更に迷った。あのときの女だとは名乗らずに、気がつくか否かという言葉をひとつだけ入れて、それだけにしよう。忘れてしまっているかも知れないし、彼以外の人が下読みをしても気にならないだろう。

 忘れているのなら、それでも良い。何かをしたいわけでもないのだ、読むと言ったのだから読んだと報告したいだけ。

 自分を質す声が聞こえる。本当に報告したいだけ? 何かが変化することを、自分で期待しているのではない? 今まで何冊も本を読んできたけれど、作者に感想を送ったことなどないじゃないの。


 逡巡しながら出した手紙には何の反応もなく、ふた月経った。出版社に送ったとてすぐに本人に届くものでもないだろうし、創造的な仕事というのは私にはわからないけれど、他所からの声を遮断している時期もあるのではないかと思う。そうではなくて、私だと気がつかなかったのか。

 忘れられていても良いと、自分で言っていたくせに。苦い笑いで集合ポストを確認して、部屋に戻る。ダイレクトメールやチラシ以外には何も入らないポストだ。入っていたフリーペーパーを読み、最寄りの駅の近くでフラワーアレンジメントの教室があることを知って、しばらくそれについて検討した。

 何か、生きる縁とか夢中になれるような時間とか、そんなものを見つけなくては。主語を自分に取り戻した今、楽しむことを考えるのだ。焦って探しているつもりはなくとも、自分自身に背中を押されているような気がする。何もない女には、なりたくない。自分の生活を整えるだけの僅かな収入の中で、手をつけない口座にある大きな金額は心強い。夫が私と義母を見捨てた代償として父が請求した金額は、腑抜けた私には考えもつかなかったろう。私が思い描いていた未来を失ったと考えれば虚しいお金だけれど、もしも夫があのまま私と婚姻関係を続けようとしたとしても、義母を見捨てた事実に変わりはなく、私の苦労を差し引いても許されるべきではないと思った。


 そうして自分の仕事と生活に慣れ、習い事なども始めて、新しい人間関係が身体に馴染みはじめたころ、ポストの中に白い封筒を見つけた。何の飾りもない素っ気ない封筒で、差出人は彼のペンネームだった。

 お決まりのファンレターの返事が入っているのだろう。やはり私のことなど忘れてしまっているのかと、半分以上がっかりして部屋に入り、鋏で開封した。中には薄い便箋が一枚入っていて、姿勢を正してそれを開いた。

『淡く咲き 雨を受けるや 酔芙蓉』

 言葉はこれだけだった。便箋の右下に知らない住所が書かれており、須々木浩則と記名されている。


 これを、どう受け取れば良いのだろう。彼が過ごしていた家の表札は、確かに須々木姓だった。あの家の門の横に会った淡い花、あれは酔芙蓉だと教えてもらった。そして湿った畳の匂い。あの記憶を彼は、たとえば既婚者同士の軽いアバンチュールのようなものと考えていたのか。そうして口から出るがままに、一緒に来ませんかと言った。そのほうが納得がいく。

 それならば、本名や住所を私に明かす必要はないではないか。何か記されていないかと、便箋を裏返して確認した。封筒の中をもう一度見ても、残されたものは見当たらない。謎かけのような手紙を目の前に置き、テーブルに肘をついた。このままこの便箋を持って、そういうこともありましたねと自分に確認すれば良いのか。


 数日テーブルの上に置いたままの封筒を、しまうことも捨てることもできずにいた。何をするにしても自分の納得する行動にならず、勤め先から帰宅するたびにそれを見つめた。そしてやっと、届いていると伝えることを思いついた。私が今どんな生活をしているかなんて、元の生活すら知らない人に報告しても仕方ない。そこで考えついたのが、彼の俳句につける脇句を送ることだった。

 俳句の心得があるわけでもなく、酔芙蓉の佇まいを思い浮かべて、指を折って文字数を数えた。

『宴を待ちて 夕を華やぐ』

 やっと纏まったと一筆箋に一行だけの手紙を送った。これに返事が来たら、鮮明に消えないあの記憶の意味を考えよう。繰り返し蘇る湿度の高い部屋は、私に何か訴えているのか。

 投函してからしばらく、赤いポストの口を見ていた。まるで笑っているかのようだった。たった一度のことをいつまでも記憶しているなんて、おまえの心は余程暇だと見える。もっと考えなくてはならぬことは、たくさんあるだろうに。


 出社すると、社長の奥さんに打ち合わせスペースに呼ばれた。見合いをしてみないかというような話だった。

「真面目な良い人なのよ。なかなか出会いがなくて四十近くになってしまったみたい。実家がお金持ちだから、結婚したら家も建ててあげるって」

「私、結婚は……」

「もうずいぶん経ってるんでしょう? のんびりしてると、子供が生めなくなるわよ。会ってみるだけ会ってみてちょうだい、断っても構わないんだから」

 夫と別れてからの時間。私にはたった三年余りなのに、世間はそれを長い時間だというのか。私は黙って下を向いたまま、首を振った。

「悪い記憶なんて、次の結婚生活が楽しければ忘れちゃうのに。それともまだ、未練があるの?」

「そうじゃないんです」

 説明をするのは不可能だ。前の結婚生活が恋しいわけもなく、新しい出会いを否定しているわけでもなく、それでも結婚相手を紹介するようなシステムには乗りたくなかった。

「こんな良いお話は、そうそうないのよ。あなたが良い人だから、ピッタリだと思ったのに」

「申し訳ありません」

 社長夫人は本当に好意だったらしく、話を収めてくれた。時間は、本当に過ぎたのだろうか。私が頑なに心を閉ざしているだけなのか。それすらもう、自分では判断できない。


 やっと自分以外のことを考えなくても済む生活に、馴染んできたのだ。嘆いたり誰かを責めたり慟哭したり、義母の死から満ち満ちていた感情から、やっと解放されつつあるのだ。解放されて空いた部分に、他人の思惑をを入れるほど、私はまだ凪いでいない。

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