第37話 悪夢はかくも可憐なりて
あとを皆に任せ俺は処置室へ急ぐ。
見つけるのは実に簡単だった。
なにしろ受付兼待合室を飛び出したところで、捕らえた連中を抱えた『動物看護師』たちが行列になっていたからだ。
追ってくる『動物看護師』もいるなか、並んでいる奴らは確保した患者(?)が重要らしく足元を駆ける俺には見向きもしない。
俺にとっては都合の良い話だったが、そいつらに捕まっている連中による『ニャスポーン様、お助けをー』の大合唱には辟易する。
いやまあ連れこまれた仲間がハッピッピーになって出てくるのを見ていれば必死にもなるだろうが、今は助けている余裕がない。
こうして俺は悲歎の大合唱をBGMに処置室へと飛び込んだ。
と、ここで追ってきた『動物看護師』があきらめたように引き返していく。
なんだよ!
ならみんなで強行突破してきたほうがよかったじゃん!
判断を誤ったかと思うが、いまさら後悔しても遅いし、ちゃっちゃと『獣医』を倒してしまえば結果は同じだと思い直した。
処置室の内部は書類の棚があったり、医療機材があったり、医療薬品を満載したワゴンがあったりと、なんとなく想像していたとおり。
中央にはレンコンの断面みたいな無影灯のもと昇降式の診察台が備え付けられていて、そこには『動物看護師』とは違う医療服を着た『知らないやつ』がいた。
おそらくはあれがここのボスたる『獣医』だろう。
そしてその『獣医』に、今まさに治療(?)されようとしているのがレオ丸だった。
『おやおや~? この子も健康状態がよくないですねぇ~。じゃあ元気になるお注射をしてあげますからねぇ~』
「おあっ! おあっ! おあぁぁぁっ!?」
ずずい、と迫る注射器。
もはやレオ丸はビビりすぎて言葉も話せないほど。
なんかすごく連れて来られた猫っぽいのだが……まあ無理もない。
ここの『悪夢』にとってはペンほどの大きさにすぎない注射器も、俺たちからすれば警棒くらいの大きさ。細い針もけっこうな太さに見えて、そんなもんをぶっ刺そうとしてくるんだから、そら怖いわ。
「うニャァァァ! やらせねぇニャァァァ!」
ぴょいーんと華麗な大ジャンプで俺は診察台に飛び乗ると、レオ丸に迫った注射器に渾身の猫パンチを放つ。
おお、侮るなかれ猫パンチ。
その速度たるや約コンマゼロ1秒、並のボクサーの倍速い!
さらにはそこへ愛くるしさが乗ることで、くらえば人とてただではすまない効力を秘めた威力となるのだ!
『おやまあ!』
俺の猫パンチにより注射器は粉砕され消滅。
これで一安心――と思いきや、『獣医』の手に新しい注射器が出現する。
備品だもんな。
まあそこはレオ丸を助けられたので……。
『これはこれは可愛い猫ちゃん! でもちょっとやんちゃですねぇ~』
「ええい、猫扱いすんじゃねーニャ!」
「ニャスポーン様、それは無理というものでは……」
「うっせーニャ! おめーはどっかに隠れてるニャ!」
戦いの邪魔になるのでレオ丸を診察台から蹴り落とす。
「うわぁぁぁ! ――へぶっ!」
よし、レオ丸を救出することができた。
あとはこの『獣医』を退治すれば万事解決だ。
『猫ちゃん、ほら、落ち着いて。怖くない、怖くないよぉ~』
「おめーが怖くなかったらなにが怖えっって話ニャ! ニャーを押さえつけようたってそうはいかねえニャ! ふしゃぁぁぁ!」
俺を捕らえんと伸ばされる手を爪引っ掻きで牽制する。
っていかん、これでは本当に受診中の猫ではないか。
「なにも小競り合いをする必要はねえニャ! これで決めてやるニャ!」
口からビーム――至近距離でのねこねこ波だ!
が――
『こらっ、本当にやんちゃな猫ちゃんですねぇ~』
「なん、ニャと……!?」
野郎、すぐ目の前だってのにするり躱しやがった。
猫の反撃にはなれているってわけか?
『はい、猫ちゃん捕まえたっ』
「うニャァァァ!」
動揺した一瞬の隙を突かれ、上からわしっと押さえつけられる。
ええい、なんでここにきて俺専門に手強いんだよ!
このままではお注射されてハッピーセットになってしまう!
さすがに覚える焦り。
だが、その時だ。
なんということか、シルが登場したのだ!
『先生~! こちら急患で~す!』
ただし『動物看護師』に運ばれて。
後ろから抱きかかえられるシルは、足とか翼とか、すっごいジタバタさせていてなんだか微笑ましかった。
「ちょっとシルにゃんんん!?」
「ええい、そんな顔して見るな! ちょっと油断しただけだ!」
『うわぁ、これはおっきなトカゲちゃんですねぇ~!』
「誰がトカゲだ! 失敬な!」
緊張感はあんまりないが、それでも状況としてはかなりマズい。
ここはなんとかして――
『でもそっちのトカゲちゃんはこっちの猫ちゃんのあと。は~い、元気すぎる猫ちゃんはタマタマを取っちゃいましょうねぇ~』
「――ッ!?」
こいつ俺の『
冗談ではない……。
冗談ではないぞ!
憤りよりもまず恐怖がきた。
想像しただけで心が折れそうになる。
もう尻尾なんて丸まってお股にくるりんだ。
なんとか、早くなんとかしなければ……!
かつてない焦燥感に駆られながら、この危機を脱する策に思考を巡らす。
すると――
「――ッ」
再びの白昼夢。
やはりそれは見知らぬ猫たちの顔で……だが、今回はよりはっきりと、その表情が驚愕であったり、悲しげだったり、寂しげだったりするのがよくわかった。
さらにはなにやら声まで聞こえてくる。
『お股のアレがなくなってるにゃん……!』
『お股のアレ、どこいっちゃったにゃん?』
『お股のアレをペロペロできなくて寂しいにゃん……』
これは……ああ、そうか。
ある日、突然『
心か。
はたして、これが獣医というものに纏わり付いていた思念でそれごと神さまが生み出してしまったものなのか、それとも俺の妄想――いや妄想はさすがに勘弁だ。
こんなのが自発的な妄想とか本気で自分が心配になる。
きっとニャスポーン化してるから影響されたんだと思うが……ともかくオス猫たちの悲哀を感じ取ったことで弱気になっていた心が奮い立った。
俺もそうなってたまるか、と。
奮起した俺は危機を脱するのではなく反撃を試みる。
そのためには――
「シルにゃん、顔をこっち向けられるなら、こいつにごばーってやってやるニャ!」
「いいだろう! それで私が捕まったことは忘れるように! くらえい!」
『おわぁ! そっちのトカゲちゃんもやんちゃですねぇ!』
妙な取引を成立させられてしまったが、シルのブレス攻撃を回避したことで『獣医』は俺から手を離す。
その隙を逃さない。
「オス猫たちの悲哀を思い知るがいいニャァ!」
俺は『獣医』の股ぐらに飛びつき――
「うニャァァァ!
がぶっと。
だが、それだけではない。
「
これで『獣医』の股間は木っ端微塵だ!
『うぎゃあぁぁぁ――――――――ッ!』
断末魔の悲鳴とはまさにこれだろう。
残虐非道の二段構えをくらった『獣医』は倒れ込み、そしてあへあへうめきながらボロボロと崩れ、やがて消え去った。
と同時に並んでいた『動物看護師』にも異変。
唐突に崩れ、消え去り始める。
抱きかかえられていた連中はあえなく落下、床にしこたま打ちつけられることになったが……まあ回復魔法があるから。
また『動物看護師』の消滅に遅れ、『動物病院』も崩壊を始めた。
「どうやらニャーの推測は正しかったようだニャ!」
あれよあれよという間に『動物病院』は跡形もなく消え失せた。
あとは青空の下、空き地のあっちとこっちにいる俺たちだけになる。
「やれやれ……これで終わりか? 終わったということでいいのか?」
「たぶんそうニャ。見るニャ」
ちょっと不安げなシルに街並みを見るように言う。
すでに廃墟のようになっていた村落もまた、『動物病院』のように崩壊を始めていた。
ここにあった『悪夢』が消え去っていく。
それは百鬼夜行の妖怪が朝日に追い立てられ消えていくようだ。
そういえば百鬼夜行の様子を描いた絵巻の最後、現れた太陽に妖怪たちが逃げていく様子を、もっとも怖ろしい大妖の出現に逃げていったのだという面白い解釈がある。
その大妖、名を『
あるいは『
ただ『
そんなことを思っていたところ、空からなにかがゆっくりと落ちてくることに気づいた。
ゆらゆらと少し揺れながら、するすると音もなく落ちてくるそれは――
「あ」
それは『一輪の花』だった。
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