第29話 膝の上で猫は何匹くつろぐか?

 さて、石抱とはいかなる拷問だろうか?

 やること自体は時代劇でちらっとでも目にしたことのある者ならば、もうそれだけで理解することができるほど単純なものだ。


 石抱にかけられる者はまず後手に縛られ、脚部をさらした状態で十露盤板そろばんいたに正座させられる。

 するとどうなるか?

 語らずとも想像できるとおり、自重によって三角形の辺が脛に食い込み甚大な苦痛に苛まれるのである。

 この拷問の恐るべきところは、もうその痛みでも充分だというのに太ももへさらに石の板を載せ苦痛を増加させるところだろう。


 載せられる板は一枚から四枚ほど。

 徐々に追加していく場合もあれば、いきなり四枚載せて一度最大の苦痛を骨身に染みさせることで効果的に脅す場合もあったらしい。


 石抱にかけられた者は苦痛に叫び、もう涙も鼻水もよだれも流そうが垂らそうが、そんなことに意識を払う余裕はなくなってしまう。

 拷問後はもはや立ち上がることすらままならず、その回復には何日もの時間を要する。

 それが石抱という拷問なのだ。


「のう、あのな、儂の気のせいじゃろうが……これ、拷問道具ではないか? いや、さすがに、いくらなんでも気のせいだと思うんじゃが、念のためな?」


「やれやれ、ひどい勘違いをしてくれる。これは俺のいた世界で精神修養のため日常的に使われていたありきたりな日用品だ」


「うっそじゃろぉ!?」


「ええい、嘘ではないわ!」


 まあ嘘なのだが、なにも俺はこの場で拷問を始めるつもりはなく、ただ石抱にインスパイアされた提案をしようとしているだけ。

 それはつまり、用いる十露盤板もまた『拷問道具ではなくなる』ということであり、すべてが嘘というわけではない。

 まあ世の中というのは概ねそんなものである。


「これはな、こうやってギザギザの上に座る……って、けっこう痛ぇなおい!」


 実践してみたら痛くてビビった。

 これはちょっと想定外だ。


「いやそらそうじゃろ! なんでそんなことするんじゃ!? お主のおった世界は地獄なんか!?」


「んなわけあるか。俺のいた世界には『心頭滅却すれば火もまた涼し』という言葉がある。なんとなくわかるだろうが、要はどのような苦痛であろうと苦難であろうと、その身に超越的な精神を宿していればさしたるものではないということだ、このとおりな」


 まあ嘘である。

 森で生活するなか、脛をぶつけたりぶつかったり、折れたりもげたりした結果、頑丈になっているだけである。

 にもかかわらずわりと痛いとは……。

 さすがはお江戸の拷問道具だな。


「本来の用途とは違ってしまうが、今回はこれを神さまへの想い――信仰力を計ることに用いようというわけだ」


「つ、つまり、ずっとそうやって座っていられるかどうか……耐えられた時間の長さで信仰力を計るということでしょうか?」


 顔を引きつらせながら確認してきたのはレオ丸だ。


「いや、それだけじゃない。……お、来たな」


 そこでクーニャが猫たちを連れて戻ってきた。

 にゃーにゃーにゃー。

 おやつをよこせと大合唱だったので、俺は十露盤板から立ち上がるとち○~るを用意して猫たちに味見させる。

 まずは味を覚えてもらわないといけないからな……。


「そ、その猫たちをどうしようと?」


「べつに猫になんかするわけじゃないぞ? こいつらには、アレの上で座ってる奴の太ももに乗ってもらうんだ。なるべく多く」


 さすがに石の板はやり過ぎだと思うので、代わりにと思いついたのがち○~るで猫を呼び寄せて太ももに乗らせる方法だ。

 膝の上にこう、大きなトレイみたいなものを載せて、真ん中にち○~るを設置し、猫たちにぺろぺろさせるのである。


「要はあれの上にどれだけ長く座っていられるか、そしてどれだけ多くの猫を太ももの上でくつろがせられるか、それをもって信仰力を計ろうっていうわけだ」


 例えばそれは『一時間と猫五匹の信仰力』といった感じだ。

 針の上で踊る天使にはなんの意味もないが、膝の上でくつろぐ猫はその者の信仰心の強さを証明してくれるのだ。


「では、ケイン様が先ほど仰ったことから考えるに、団体名を変更する条件としてアバンド豊穣卿はこれに挑戦せよと?」


「おいおい、豊穣卿だけじゃ意味ないだろ? 意見を通したいならその問題に関わる者の中で最も高い信仰力を示せってことだよ。今回は俺と豊穣卿の我慢比べってことになるな」


 そう言うと豊穣卿はぎょっとした。


「ケ、ケイン様までやらずとも……」


「俺までつーか、俺もやらなきゃ意味がない話なんだって。まあどうせ俺が勝つわけだが、であっても豊穣卿もそれなりに信仰力を見せたほうがいいぞ? そうすりゃ後々には『豊穣卿はこれだけの信仰力を示したものの、力およばず改名させるには至りませんでした』ってことになるからな」


「あ……!」


 ようやく俺の仕掛けた罠に気づいた豊穣卿。

 この罠はあとから文句を言ってくる連中に向けてのものだ。

 要は『文句があるなら豊穣卿以上の信仰力を示してから言え』ってことである。


「これまではなんの覚悟もなく、褒められることもねえのに良い子ちゃんしいがあれはダメ、これはダメって声高に叫んでいたんだろうが、これからはそうはいかねえ。我を通したいなら信仰力を示せ。神さまやニャニャたちのためってんなら、これくらいできるだろ? できねえなら黙ってすっこんでればいいんだ。これは抑制を抑制する試み――ってちょっとシルさん!?」


 ふと見たらシルが十露盤板の上に正座してた。


「ん? いや、どんなものかな、と。確かにちょっと痛いが、それがわりと気持ちの良い――」


「はーいシルさーん、立っちしましょうねー。そこはくつろぐところじゃないですよー」


「なんだその猫なで声は。気色の悪い……」


「ほらほらー、これは俺の世界にあったヒレ酒っていう、冬にぴったりなお酒ですよー。温めた清酒に焼いた魚のヒレを入れたもので、ヒレの香ばしさがお酒に移って独特のコクと風味が味わえるお酒なんですよー」


「もらうー、もらうー、シル、おさけ、すきー!」


 外面を気にしてここ数日は酒を断っていたからだろうか、そっと差し出したヒレ酒の香りはシルに甚大な効力を及ぼし、どういうわけか幼児退行してしまった。


「よいちょ」


 シルは無駄に可愛らしいかけ声で十露盤板から立ち上がると、ヒレ酒を受け取りちびちび舐め、うまうま言いながら席に戻っていく。


「ふう……」


 危なかった。

 あのままシルがくつろいでいたら、結局は体が頑丈な奴なら普通に耐えられるものとバレてしまうところだった。


 で、シルの戻った席では、シセリアがおチビたちや邪妖精にお菓子を配って仲良く食べていた。


「なにしれっとおやつ始めちゃってんの!?」


「え? ケインさんが色々ぶち壊し始めたんで、ならもういいかなと……」


 なにがいいんだ、お前は『待て』のできない犬か。

 いや、今はいい、駄犬の面倒をみてはいられん。


「ふむ、これは見た目ほど痛みを覚えるわけではない……?」


 あ、ちょっと目を離した隙にレオ丸がなんか誤解してる。


「ケイン様、まずは私が挑戦してみようと思うのですが、よろしいですか? ここで私が最も信仰力が高いと示せたのであれば、色々な面倒をいっぺんに解決させることができます」


「やりたいなら止めはせんが……」


 物好きとは思ったが、レオ丸が信仰力を示すことには確かに意義があるのでやらせてみることにして、俺は猫がたくさん乗れるでっかいトレイとち○~るを盛ったお皿を用意する。


「ではさっそく」


 そうレオ丸は十露盤板の上に正座をし――


「あっ、痛っ! これ痛っ! 痛あっ! いやものすごく痛いのですがこれちょっとあだだだだ! 待った、待って、痛いですって!」


 さっそく騒ぎ始める。

 とはいえこれでは時間計測もまだできないため、俺はそっとち○~るを盛ったお皿をトレイごとレオ丸に差し出す。

 するとレオ丸は痛みのあまり俺にしがみついて逃れようとしたようで、結果、トレイもお皿もひっくり返り、ち○~るが盛大にレオ丸にぶちまけられた。

 で――


『うにゃぁ~ん!』


 おやつにゃ~んとレオ丸に殺到する猫、猫、そして猫。


「うぼおあぁぁぁぁぁ――――――ッ!!」


 しがみつく猫による重量増加で、レオ丸は咆吼のごとき猛々しい悲鳴を上げる。

 あー、この猫まみれはさすがのメリアでも羨ましがることはないだろうな、なんて思っているうちにレオ丸は神殿騎士たちに救出され、床に転がされた。


「おああぁ……」


 もはやうめくばかりとなったレオ丸に大神官としての威厳はなく、なんだか雌ライオンたちの機嫌を損ねてボコボコにされてしまった雄ライオンのようであった。


 そんなレオ丸を眺める豊穣卿の――いや、枢機官たちみんな顔を引きつらせており、このままではせっかく提案した信仰力測定が中止されてしまうかもしれないと俺は危惧する。

 そこで――


「やれやれ、神殿の長たる大神官がこのていたらくとはな。結局、誰もが良い子ちゃんぶったおままごとの組織だったってことか?」


「――ッ」


 ちょっくら煽ってみたところ、うめいていたレオ丸が黙り、ちょっとぷるぷるしながらのっそり体を起こした。


「い、今のはちょっと急な痛みに驚いて取り乱しただけですよ。言わば練習です。本番はこれからですので。ああそれと、ケイン様、これもっと数を用意できません? まずは私と枢機官たちで、誰が一番か決めましょう。そうしましょう」


『……ッ!?』


 あ、レオ丸の奴、自分だけ無様を晒したからってみんなを巻き込んだ。


「まあ、自分の信仰心に自信がないのであれば? それを強いるのは酷というものでしょうから? 辞退は認めてあげますがね?」


『……ッ!!』


 このレオ丸の挑発に枢機官たちはやる気になり――。

 こうして阿鼻叫喚の宴は始まった。


「あぎゃぁぁぁ! 猫ちゃん猫ちゃん猫っちゃーん! おやつ美味しいですかぁぁぁん! よく味わわわわわはぁぁぁぁん!」


「うにゃーん!」


「あばばばば! ばびばびびび! わわっ、私のっ、信仰心はっ、負けない! 負けななななっ! あははぁぁぁん! あばばー!」


「にゃおーん!」


「わ、私に足などない! ないから痛くない! 痛く、痛っ、あだだだだ! いやいや痛くなぁぁぁ! あへあぁぁぁ!」


「ごろにゃーん!」


 叫ぶ、叫ぶ、レオ丸と枢機官たちは苦痛に、猫たちは喜びに。

 だが、それでもまだ誰もギブアップをしない。

 自分がこの中で最も信仰力が低い、そんな不名誉を押しつけられるわけにはいかないからだ。

 レオ丸は神殿の長として、枢機官たちは各派閥の長としての立場がある。

 とはいえ、それでも痛いものはやっぱり痛く、なんとか意識を逸らそう、折れそうになる意思を奮い立たせようと神さまや信奉する神猫たちの名を叫ぶ。


「ぬあぁぁ! ニャザトース様ぁぁぁ! 騒がしくて申し訳ございませぇぇぇん!」


「ニャトゥルフさまぁぁぁん! ご覧になっておられますかぁぁぁ!」


「うおおおぉん! ニャスター様ぁぁぁ! 私に力をぉぉぉ! 名状しがたきこの痛みに耐える強さをぉぉぉ!」


 耐える。

 誰もが耐え続ける。

 その信仰に真摯であるがゆえ、高潔であるがゆえ。

 ああ、信仰とはかくも苦難へ人を駆り立てるものなのか!


「お主これどうするんじゃ……?」


「どうしようか……」


 俺と豊穣卿が我慢比べをして、俺が勝ったものの豊穣卿もそこそこ善戦しました、ちゃんちゃん、で話は丸く収まるはずだったのに、まさか俺を除外して身内で我慢大会始めちゃうなんて想定外だ。

 この様子では、誰もが自身の限界を超えて我慢するだろうし、そうなれば終わる頃にはみんな仲良く再起不能だろう。

 提案が名案すぎて本題が行方不明になっちまうとは、なんという皮肉であろうか。

 それに――


「私たちはいったいなにを記録させられているのか……!」


 阿鼻叫喚となった審査会(?)を記録し続ける書記官たちはもう泣きそうな顔になっている。

 うん、なんかごめんね。


「まあもうしばらく待って、それでも誰も降参しないようであれば中断させることにしよう。たぶんそれが一番角が立たない」


「それは……あー、じゃろうな。止めてやらねば止まらんか」


 こうして方針を決め、もうしばし阿鼻叫喚を見学することになったのだが――。

 その時である。


「にゃうにゃう! にゃ! にゃーん!」


 なんかシャカが騒ぎ出した。

 てっきり自分にもち○~るをよこせと言っているのかと思ったが――


「シャカ様!? 今なんと!?」


「ケ、ケケ、ケイン様! く、来る、いえ、いらっしゃる!」


「は?」


 なにやらクーニャとヴァーニャも騒ぎだした。

 ひどく取り乱しており、なにを伝えたいのかよくわからん。


 俺はひとまず二人を落ち着かせようとした。

 が、そこでさらなる異変。

 近くの空間がうにょんと歪み、その中から黒くてでっかもふもふが飛び出してきたのである。


「ちょっとお邪魔するニャ!」


 現れたのは神猫――ニャニャことニャルラニャテップだった。

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