第28話 江戸という光、そして闇

 手を挙げた豊穣卿は沈痛な面持ちであった。

 また、その後ろ姿を見つめるレオ丸もつらそうな顔をしており、すぐなにか言おうとするがそれはやめ、目を固く瞑ってから形式的な言葉を投げかけた。


「ではアバンド豊穣卿、どうぞご意見を」


 ほかの枢機官たちがおしなべてやりきれないといった表情をするなか豊穣卿は静かに席を立ち、真っ直ぐに俺を見つめ口を開く。


「まず、今回の論題である『招き猫』を正式に宗派として認めるかどうかについては、なんの異議異論もないことを最初に述べさせていただきたい。にもかかわらずこうして意見を述べさせていただくに至りましたのは、豊穣派の代表としてこの場を借り『招き猫』側に一つ要望があったからなのです」


「うん? 要望?」


「はい。どうか、団体名を変更してはいただけませんか?」


「……んん?」


 どういうことかわからず俺が首を傾げると、豊穣卿はちょっと苦笑してからまた話し始めた。


「豊穣派が祀るミャウ=ニュグラス様の異称は『母なる猫』や『千のおやつを平らげし森の黒猫』などがありますが、最も有名でありその偉大さと在り方を表現しているのは『豊穣の猫』です。派閥名が示すとおり、私が所属する豊穣派にとって『豊穣』という言葉は特別重要なものなのです。ここまではよいですか?」


「ああ」


「一方でニャスポーン様を崇める『招き猫』の正式名称は『豊かさを招く猫を崇める者たちの集い』です。豊かさとはつまり豊穣。それは『豊穣の猫』たるミャウ=ニャグラス様のみが冠すべきと私たちは考えます。そこで『招き猫』側には団体名を変更していただきたいのです」


「あー……」


 ここまで聞いて、だいたい察した。

 豊穣卿の要望は本当に名称を変更してくれってだけの話だが、レオ丸が語ったあとなのでただそれだけの問題ではすまない。


 結局のところ、レオ丸は神殿に蔓延る『これ』を止めさせたかったのだろう。

 またこの発言をするであろう豊穣卿を止めもしたかった。

 なにしろ話のあとでこの要望、レオ丸の面子丸つぶれという以上にこれでは豊穣卿が道化だ。


 様子からして、豊穣卿は心情的にはレオ丸に賛同しているが、それでも宗派の長としてのしがらみを断つことはできなかった。

 豊穣派がきな臭いという噂、その真相はつまりこういうこと。


「そのミャウってやつの機嫌を損ねるかもしれない。だから宗派の長としてはここで言わざるを得なかった、というわけか……」


「ここで発言しなければ後世の者たちは私をなじるでしょう。いったいなにをしていたのかと。ですがそれはいいのです。問題なのは、ここでなんらかの形で決着をつけておかなければ、豊穣派が『招き猫』を批判するようになることは避けられないということなのです」


「あー……うん、だろうな、面倒くせえ」


 つまり『豊穣』は我々のものだと、それに類する名称をぬけぬけと名乗っている『招き猫』は許せんと。

 ちょっと聞いただけで易々と想像できてしまう。


 それに育毛剤『ニャスポーンのよだれ』のこともあり『招き猫』が勢力を拡大していくのは確実。

 となれば一番面白くないのは豊穣派だろう。

 それでちょっかいかけるようになれば『招き猫』の連中も黙ってはいないだろうし、両派閥が反目し合うようになるのは不可避。

 宗教問題はこじれたらとにかくこじれっぱなしになる。

 そこも危惧して豊穣卿は改名を願いでたわけか。


 また、神殿の改革を決めたレオ丸はそのあたりも理解して発言したんだろうから、きっと両派閥の仲介役というだけでなく、こじれた場合の責も受け止める覚悟はしていたのだろう。

 しかしこじれてしまった場合は?

 問題は後世へと受け継がれていくに従いややこしさと苛烈さを増していき、発端となったレオ丸はずっと無能の誹りを受けることになる。

 もしかすると、豊穣卿の行動はレオ丸がそんなことにならないように庇う側面もあるのかもしれない。


 レオ丸は豊穣卿を、豊穣卿はレオ丸を。

 思い遣る気持ちが生む難境。

 まったく、どうしてこんなことになるのか……。


 正直なところ、宗派名を変えるのはべつにいい。

 どうでもいい。

 そもそも長すぎなので、それこそ略称だった『招き猫』にしてしまったほうがいいとすら思っている。

 反対が出たら育毛剤の供給を停止すると脅してやれば一発で賛成派に鞍替えすることだろう。


 だが、それとこれとは話がべつで、ここで易々と改名すること――『させられた』ことがマズいのだ。

 それこそレオ丸が言っていたことそのまま、過剰な忖度による抑制がおこなわれたという記録が残ってしまう。


 ええい、俺にまでしがらみが絡みついてきたぞ。

 まったく、神さまがちゃんといて、それが猫であっても宗教ってのはこうも面倒くさくなるのか!


 きっとこれらの問題は、ニャニャたちが神殿にさっぱり関わろうとしないから起きるのだろう。

 もうちょっと構ってやれよ、とは思うが、なにしろ猫だからな。

 猫ちゃ~ん、猫ちゅわわ~ん、と熱烈な歓迎をしようとする連中のところに猫が寄りつくわけはない。


 ここはいっそイチかバチかで召喚チャレンジしてみるか?

 成功すれば問題はいっぺんに解決するだろうが……はたしてそれでいいのかという疑問も首をもたげる。

 結局これは人が始め人が受け継いでいく組織の問題。

 これくらい人がどうにかしなければならないのではないかと。


「うーん……」


 唸るしかねえ……。

 いやホントこれどうしたものか。


 俺があれこれ考えていることは豊穣卿も察したか、本当に申し訳なさそうな顔をして所在なさげである。


 豊穣卿のことは少し知っている。

 毛の長い猫を見つけては足裏の毛が伸びすぎていないか、肉球が埋まってしまってはいないかと確認して、もしそうであれば丁寧に切ってあげるという精神鑑定ギリギリセーフな趣味を持つ信心深いおっさんだ。


 なぜそんな心優しいおっさんが、このような辛酸を舐めなければならないのか。

 なぜ毛玉と一緒にさっき食べた餌まで全部出しちゃって、すっかり腹ペコになったからご主人に『お腹すいたにゃ!』っておねだりするけど『さっきゴハンあげたでしょ』とすげなく断られてしまい悲しみに暮れる猫のような顔をしなければならないのか。


 なにか……なにかないのか。

 この混迷を打ち払う光のごとき名案は。


 それこそ誰かに相談したいところだが……こういう時に頼りになりそうな爺さんも難しい顔をして黙ってしまっている。

 ええい、役に立たぬ即身仏め。


 いや、そもそも即身仏は役に立つものではないか。

 即身仏とは江戸初期以降、飢饉や流行病など人々を襲う甚大な苦しみを引き受けるべく己を捧げ仏となった者であり、言っちゃ悪いが独りよがりの産物でしかない。

 まあ畏敬の念は覚え……畏敬?

 と、思ったときだ。


「――ッ!?」


 突如、俺は幻視する。

 それは八百八町を飛翔する寛永通宝であった。

 嫁姑にいびられる婿養子の殺し屋であり、事あるごとに披露される家紋入りの印籠、エキサイティングな髪型をした我が子を改造乳母車で連れ回す剣客、濡らした手ぬぐいで人をビンタしまくる遊び人、そしてキンキラの着物を纏いサンバを踊る暴れん坊な将軍様であった。


「ああ、ああ……!」


 ほとばしる江戸。

 そう、江戸、江戸だ、江戸なのだ!

 閃いたぞ、名案を!


 さっきまでの鬱屈など吹き飛び、俺は晴れ晴れとした気分になったのだが――


「にゃっ。にゃっ。にゃにゃっ」


 なんかシャカがあたふたこっちに来て、俺の頭をぺしぺし叩く。


「んお? シャカ、どうした?」


「なーうぅー……」


 そしてなにか……まるで『手遅れだったか』とでも言いたげな様子でしょぼくれる。

 なんだろう?

 窮屈な話し合いが続いたからストレスが溜まってしまったのだろうか?


 まあシャカの行動は気になるが、ともかく今は善は急げ、この名案を皆と共有せねばならない。


「クーニャ、ちょっと下の広間にいる猫たちを集めてきてくれるか。美味しいおやつをあげるから、と誘ってくれたらいい」


「え……あ、はい。わかりました」


 急なお願いにクーニャはちょっと戸惑ったが、それでもあれこれ質問してくるようなことはなく俺に従い猫たちを集めにいった。


「お主、さては妙なことを始めようと……!?」


「失敬な。決して妙なことではない。この状況を……いや、やっかいな慣習を後世へ引き継がせないための提案だ! 邪魔をしないでもらおうか!」


「ぐぬ……!」


 江戸という光を得た俺の迫力に爺さんは怯み、そして黙る。


「さて、じゃあクーニャが猫たちを連れてくるまでの間に、少し話をしようか。さっき大神官が言ったように、あれこれ思いつきを押しつけ合って神殿が萎縮していくのは愉快な話じゃないし、それで明るい未来が訪れるとも思えない。つか、ニャニャたちのご機嫌伺いができるほど親密でもない連中がなにを判断できるってんだ? 判断するなら、せめて自分は誰よりも信仰の強さ――信仰力が強いと示してからやってもらいたいもんだね」


「信仰の強さとは言っても……それこそどう判断するので?」


 尋ねてきたのはレオ丸で、俺はそれに笑って返す。


「ではどう判断するかって? そうだな、そう思うだろうな。そこで――これだ!」


 俺は創造する。

 この混迷の審査会を導くための光、そのための道具。


『……?』


 場に創造されたものを見て、誰もが一様に困惑した。

 それは三角棒をずらっと並べた、巨大な洗濯板のような物。

 時代劇で見たことある者もいるだろうが、正式名称まで知っている者はそうはいない、そんな代物だ。

 

 これは十露盤板そろばんいたという。

 江戸時代におこなわれていた、石抱と呼ばれる拷問に欠かせない拷問器具である。

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