第12話 猫を崇める者たち

 うじゅ~、とシセリアの顔がしわくちゃになったのは、決してエレザに剥いてもらったミカンが特別すっぱかったというわけではない。


 大神殿からの召喚。

 まさにこれがシセリアを『うじゅ~』至らしめたのである。


 召喚と聞いた場合、一般に想像されるのはマンガなりゲームなりでおこなわれる、自身に味方してくれる『何か』をその場に呼び出すというロマン溢れる行為ではないだろうか?


 しかし、これが社会的な『召喚』となると、ロマンなど微塵も感じさせない実に現実的でつまらない話――裁判所が被告人とか証人を指定の日時に出頭するよう命じることであり、それはつまり、召喚を受けた者はろくでもない状況にあることを意味する。


 まあ今回呼び出しをくらった先は、裁判所じゃなくてこの世界で幅を利かせている宗教団体の本拠地なのだが……。


「俺って呼び出し食らうようなことしたっけか?」


 かつては森暮らしの野蛮人であった俺も、今ではすっかり品行方正な王都の市民。

 宗教団体に目をつけられるような心当たりはなく、はてさて、と首を傾げていたところ、すでに六つ目となるミカンを剥き始めたシルが言う。


「あれではないか? ほら、魔界でニャザトース様を呼び出そうとして、ニャルラニャテップ様が来てしまったあれ」


「あー、あれか。ニャニャは気にしてないようだったが……そうだな、信者というものは得てして過剰に敬うもの、あの出来事を問題視する可能性は充分にあるわけか。よろしい、ならば戦争だ」


 召喚されたその先で、俺もなんか召喚してやる。

 そう決意したところ――


「ああ待ってください違うんです、そういう話ではないんです!」


 クーニャが慌てて口を挟んできた。


「深刻な誤解があります! これはなにも罰しようと召喚するわけではなくて、どちらかと言えば証人です、証人! ちゃんと説明するので、ちょっと頭の中で整理する時間をください!」


 なにやら必死なクーニャは手紙と睨めっこを始め、うんうん唸りながら天井を見上げたり、首を捻ったりと忙しない。

 すると――


「あー、なにか立て込んできたようですので、私たちはお暇させていただきますね」


 大神殿が絡む厄介事の気配を感じたセドリックは、余計な話を聞いてしまう前にとドワーフたちを連れそそくさ帰っていった。

 娘さんが残っちゃってるが……まあ立場が違うからな。


 やがてシルが九つ目のミカンを剥き始めた頃、クーニャは「よし!」と気合いを入れて顔を上げた。

 ようやく説明ができる状態になったようだ。


「えー、それでは! まず、大神殿の用件は大きくわけて込み入った用件と、簡単な用件、それからおまけの用件の三つがあります。ひとまず込み入った用件とおまけは後回しで、最初に簡単な用件を伝えます」


 そう宣言して、クーニャがさっと顔を向けたのはしょぼくれてミカンを食べているシセリアだった。


「シセリアさん、おめでとうございます! この度、大神官ナゴレオール様と枢機官団がその功績を大いに評価したことで、シセリアさんは聖騎士に任命されることになりました!」


「……は?」


 急な話にシセリアはぽかーん。

 開けたお口からはミカンがコンニチハしている。


「なあクーニャ、その聖騎士ってのはなんなんだ?」


「神殿騎士たちの中でも、特に優秀と判断された者が選ばれる騎士です。確か今はいなかったはずなので、この話をシセリアさんが受ければ当代で唯一の聖騎士ということになります」


「なるほど……」


 話はわかった。

 わかったが、いまいちすごさがピンとこず、エレザだけは『あらまあ』と驚いた表情をしていたが、その隣り、まさに当事者であるシセリアはというと、実に面倒そうな、うんざりした顔をしていた。


「あー、なんか新しい鎧とかくれるんですかね? いりませんけど」


「ええっ!?」


 シセリアの発言に『てめえ正気か!?』とクーニャが目を剥く。


 そういやシセリアってユーゼリア騎士団と神殿騎士団からそれぞれ鎧を一式もらってるけど、一度も着たことないんじゃないか?

 エレザから貰った自己主張の激しい鎧はときどき着てるけど。


「あ、あの、シセリアさん? 聖騎士はですね、すべての騎士たちの憧れって話で……その、なにか込み上げるものとかありません?」


「いやー、私は騎士になりたかったわけで、なにも魔界で唯一とか、猫教でただ一人とか、そんな大げさなものになりたかったわけではないんですよ」


 欲のない娘さんである。

 きっと七つの大罪の割り振りが、全部『暴食』に突っ込まれて生まれてきてしまったのだろう。


「なのでー、そのー、聖騎士の話って、断れたりしませんかね?」


「いやいやいや、シセリアさん!? 大神官と枢機官団が認めたことを断るって正気ではありませんよ!?」


「……?」


「どうしてきょとんとしちゃうんですか!?」


 あー、これはあれだな、二人の温度差が激しいのは、まずシセリアが事態をちゃんと把握できていないことに起因するんだろうな。

 たぶん『またなんか偉い人に出世させられる』くらいにしか思っていないのだろう。


「なあクーニャ、その大神官と枢機官団ってのは?」


「神殿で一番偉い人と、その顧問団です……って、あれ? ちょっと待ってください。シセリアさん、もしかして、状況がさっぱりわかってなかったりするんですか?」


「はい」


「貴方は神殿騎士でしょう!?」


 愕然とするクーニャ。

 確かにシセリアは神殿騎士であるものの、しかしゲームではないのだ、任命されたからといきなりすべての知識を得たりはできず、ましてシセリアはクーニャのように信仰心が強い娘さんではないため、自ら神殿という組織について学んだりするような勤勉さはないのだ。


「あ、あの、一つ根本的な質問させてください。シセリアさん、神殿の正式名称はさすがにご存知ですよね?」


「ニャザートス教では……?」


「それは猫教と同じ俗称――って間違ってるじゃないですか! ニャザトース様ですから! ニャザトース様! あと正式名称は『ニャザトース様へ感謝を捧げ、その安らかな眠りを願う者たちの集い』です!」


 それは俺も初めて聞いた。

 つか普段から『神殿』と言ってるせいで、一般には広まってないんじゃないか?

 まあ正式名称が長すぎて、いちいち口にするのが面倒というのがあるのだろうが。


「シセリアさん、話の途中ですが、ここでちょっと簡単な説明をさせてください。いえ、説明するからちゃんと聞いて覚えて!」


 シセリアがあんまりにもあんまりなので、クーニャはすっかりむきになってしまった。

 なんであれ、熱心な信者ってこういうとこあるよね。


「まず! 神殿の最高指導者は大神官です! 当代はナゴレオール様! 神殿の本拠地、聖都ニャダスにあるニャザトース大神殿の責任者ということで大神殿長と呼ばれたりもします!」


 神殿のトップ、というわけだ。


「そんな大神官へ助言するのが枢機官です! 大神官に次ぐ二十四人の高位聖職者たち! 枢機官団を構成していて、聖都で重要な仕事をしています!」


 お仕事の内容は大神官の補佐、聖都の運営、各国の巡回神官の任命、神殿騎士の管理などなど。


「で、その下に続くのが、数カ国を管理地域として、その首都の神殿を巡回する巡回神官長! その下が一国の首都にある神殿の責任者である巡回神官! ウニャード様がこれです! 最後が町にある神殿の責任者で、神殿のない村々を巡回する神官長です!」


 こう説明されると、神殿ってのは国々を股にかけた世界規模の組織なんだな、とわかる。

 大神官と枢機官つったら、それこそ一国の王を超える権力を有する存在で、それはつまり、自国の王の決定にも逆らえなかったシセリアが提案を辞退していい相手ではない、ということであった。


「シセリア、聖都のお土産よろしくな」


「うえぇ!? ちょっとケインさん!? いや待ってくださいよ、なんですその私だけ行って来いみたいな! ケインさんもなんか呼ばれてるんでしょう!? 私だけじゃなくて!」


「いやー、ほら、神殿は使徒に不干渉って話だから。な?」


「あー、ケイン様、基本的には仰るとおりなのですが、今回は事情が事情ですので召喚に応じていただきたいのです」


「事情?」


「はい。それが二つ目、込み入った用件です。これはケイン様とシャカ様、そしてシセリアさんに関係のある話でして……」


 おっほん、とクーニャは一つ咳払い。

 なにやら無駄に佇まいをあらためると、真剣な顔になって告げる。


「端的に申しますと、ニャスポーン派――正式名称『豊かさを招く猫を崇める者たちの集い』を正式な宗派と認めるかどうか、その審査が聖都でおこなわれることになりました」

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