第31話 芸は身を助く、されど雉は

 まるでカステラだ、とシセリアは思った。

 それはほんの数日前、宿屋都市の建物群を目の当たりにしたとき、ケインがおやつとして用意してくれる、あの牛乳と一緒に食べるのがすっかりお気に入りになったカステラを縦にして並べたようだとシセリアは思ったのだ。


 そして現在――。

 そんな建物の隙間を縫うよう規則正しく敷かれた道を、シセリアは逃げ回ることになっていた。


「ど、どうして、どうしてこんなことに!」


 息苦しさをねじ伏せてまで口をつく叫び。

 それはシセリアのすべてを表現するかのような言葉であった。


 もはや考えることも放棄しつつある怒濤の出世。

 なぜか高まっていく名声。


 なぜ?

 どうして?


 ほんの少しでも思考を巡らせれば、それはすぐにケインと巡り会ったのが運の尽きであったと結論づけられるものであったが、幸か不幸か、シセリアがその答えへ辿り着くことはない。


 なぜならシセリアは今日と明日に生きる少女。

 過去などというもう変えようもないことに意識を割くのは無駄だ――などと考えるわけではなく、現在と未来の心配でいっぱいいっぱいなのである。

 ゆえにこの叫びは、まさに『今』だけを嘆いてのもの。


「待て待てー!」


「みんなー、シセリアはこっちだー!」


「あっつまれー! 追いつめろー!」


 シセリアを追うのは妖精たちだ。

 しかしそれでいて、妖精たちは和気藹々と楽しげであり、シセリアのような緊迫した雰囲気は一切ない。

 それはじゃれつこうと駆け寄ってくる子犬の集団めいた、端からすれば微笑ましい光景であるものの、逃げるシセリアは必死だった。


 もし、この場所が王都ウィンディアであったなら、シセリアにも少しは分があったのだろう。

 けれどもここは宿屋都市。

 土地勘もない訪れたばかりの都市とあっては、いくら必死に逃げようと妖精たちから逃れられるわけもなく、あえなくシセリアは袋小路に追い詰められることになった。


「ま、待って! 待ってください! 話を聞いてください!」


 行き止まりの壁、もたれ掛かるよう背中を押しつけるシセリア。

 もはや後ずさりもできない。

 そんなシセリアに、妖精たちは声を揃えて言う。


『シセリア! 食い逃げはいけないことなんだぞ!』



    △◆▽



 なぜシセリアが食い逃げをするに至ったか。

 元凶を挙げるとすれば、それはやはりケインということになるだろう。


 まず理解しておかなければならないことは、ケインが創造する食べ物――料理やお菓子は、そもそもからしてこの世界の一般的なものに比べ味が良いということだ。

 さらに魔素まで豊富とくれば、もはやそこらのものとは段違いの美味しさなのである。

 こんなものは王族であろうと、その威信がかかっている晩餐会などで振る舞う水準のものであり、たとえ豊かであったとしても毎日食べることなどありえない。


 そんな代物をシセリアは食べてきた。

 毎日毎日もりもりと。

 結果、シセリアは肥えた。

 体ではない。

 体のほうはエレザに課されるトレーニングのおかげか健康的とされるラインをやや下回る程度に保たれている。


 ではなにが肥えたのか?

 それは舌だ。


 そもそも食に貪欲であり、美味しい物に目がなかったシセリアはケインと出会うことでこの世界でも有数の美食家へと変貌を果たしていたのである。


 そんなシセリアが森ねこ亭にいる感覚で、その肥えすぎた舌を満足させられる料理を注文し続けたらどうなるか?

 当然の帰結として、資金が枯渇するのである。


 当初、シセリアが腰につけている革のポーチには金貨がいっぱい詰まっていた。

 それはケインがなにかやらかしたとき、お金で解決できるならばと常に身につけていたもの。

 通貨ではなく金としての価値で、質素に暮らすのであれば優に半年はもつ資金をシセリアは持っていたのだ。


 しかし――。

 シセリアは食べてしまった。

 お金があるのをこれ幸いと自分が満足できる料理――一般からすれば超高級となる料理を食べまくり、そして数日足らずでその資金をほぼ食い潰してしまったのである。


 そしてそのことに気づいたのは、いつものように料理をいっぱい食べて満足したあと。

 つまりお支払いができない状況に陥ってからのことであった。


「ううぅ、食い逃げするつもりはなかったんですぅー、気づいたらお金が足りなくなってたんですぅー……」


 めそめそと弁解するシセリアに、集まった妖精たちは『ええぇ……』と呆れ顔だ。


「シセリアってさー、ちょっとあれだよねー」


「だよねー。お金が足りなくなったって相談してくれたらいいのに」


「まったくもー、なんで逃げるかなー」


 食い逃げ犯として追い詰めたものの、妖精たちの対応はずいぶんと柔らかかった。

 それというのも、なんだかんだでシセリアはこの短期間でお金をいっぱい使ってくれたお得意様であるし、また、それとはべつに話題の人だからでもある。

 なにしろあのスプリガンに妖精界へ連れてこられた人間だ、面白いもの好きな妖精たちの噂にならないわけがない。

 さらにシセリアが持ち込んだお菓子は、まんまとありついた仲間が口を揃えて絶品と評するほどであり、その話を聞いた妖精はなんとかシセリアと繋がりを持ち、いずれ恵んでもらおうと画策しているのだ。


 とはいえ、妖精たちは宿屋都市の運営側。

 そのあたりの線引きはしっかりされているらしく、こっそりシセリアを見逃すようなことはしない。


「払うものは払ってもらうけど、それ以上は責めないからそんなめそめそしないの!」


「ううぅ、すみません……でもホント、逃げたわけではなくて、知らない妖精さんにツケでいいよって言ってもらったからなんですぅ……」


 やばい、お金がたりない、と青くなっていたところ、そう言ってくれた妖精がいたとシセリアは説明をする。

 それで助かった、とお店を出たところで「食い逃げだー!」と叫ばれ、びっくりしてそのままダッシュしてしまったのである。


「なんだそれ、悪戯か?」


「ねえシセリアー、ここにその妖精はいるー?」


「このなかには……いないですね。ともかく仲間が迎えに来てくれたらそのときに支払うので……」


 自分から戻ろうにも、この宿屋都市と汎界の行き来は馬車の定期便のように、決まった日時、決まった場所にしかいけない。

 そこには王都ウィンディアどころかユーゼリア王国領すら含まれていないので、汎界に帰れたとしても戻るまでには時間がかかるし、お金もかかる。

 それならケインたちを待っていた方が早いのだ。


「なので……その、なんとかツケでお願いできませんか……? あとこれからの食事もツケってことでどうかひとつ……」


『ずうずうしい……!?』


 シセリアのお願いに妖精たちはびっくりして、それからみんなでケラケラと大笑いする。


「シセリアは面白いからツケでもいいかなーって思うけどさー」


「そういうのはダメなんだよねー、ごめんねー」


「ふえぇぇ……。では私はどうしたら……?」


「そんなの、働けばいいのさ!」


「この都市は、お金がない人も泊まれるようにって働けるようになっているからね!」


「でもー、ちょっとした仕事だと、シセリアはこれまでみたいな料理は頼めないよー? そんな仕事ってあるかなー?」


「なあなあ、シセリアってなにができるんだ?」


「え、えっと、それなりに戦えますよ! これでも騎士なので!」


「うん、本当に『これでも』だね!」


「でも騎士かー、それはいらないなー」


「戦う必要がないもんねー」


「がーん!」


 ショックを受けたことをわざわざ口で表現するほどシセリアはショックを受けた。


「ひとまずさー、お掃除とか皿洗いとかかなー?」


「そうなると……泊まることも考えて、これからシセリアの食事はふかしたお芋を一日一個ね!」


「ひ、ひぃぃ……!」


 それはちょっとした冗談であり、なんならみんなでシセリアを養ってもいいか、くらいのことを妖精たちは思っていたが、そんなことをシセリアが知るわけもない。

 だから恐怖した。

 一日にお芋一個。

 死んでしまう……!


「――ッ!」


 と、そのときであった。

 かつてない恐怖に脅かされたことによりシセリアの防衛本能が覚醒し、この危機を脱するためにはどうしればいいのか、それをこれまでの半生から導き出そうとする。

 それはいわゆる走馬灯。

 結果――


「踊れます!」


 気づけばシセリアは叫んでいた。

 それはシセリア自身すら予期せぬ唐突さ、妖精たちは何事かときょとんとする。


「あ、いや、その……えっと、私、踊ることができるんですよ……」


 叫んだはいいものの、意図したわけではなかったためシセリアはいまさら戸惑うことになり、自信なさげに言い直す。

 すると妖精たちはいっせいに笑いだした。


「ははっ、そんなの、俺たちだって踊れるぜー」


「ねー、踊れるよねー」


 そして妖精たちは楽しげに踊りだす。

 その踊りはそれぞれ好きに体を動かすというものであったが、妖精たちがいっせいに宙を舞う様子はそれだけで幻想的だった。


「ほーらね!」


 やがて妖精たちは舞うのをやめ、どうだ、とばかりに胸を張る。


「ほわわー……って、いえ、待ってください! 私の踊りはみなさんのものとは違うんです!」


 すっかり見惚れていたシセリアであったが、ここで引き下がってはお芋一個生活になってしまうとすぐに意識を切り替える。


「いいですか、よーく見ててくださいね! あと歌も歌うんですから!」


 一世一代の大勝負――は言いすぎだが、それくらいの覚悟でもってシセリアは妖精たちに自身の踊りを披露する。


『……!』


 シセリアの踊りはケインからすればそれなり。

 しかし子供たちを楽しませるには充分であり、そもそも楽しげな歌を歌いながら、見る側を意識して組み上げられた踊りなど妖精たちにはなかった文化だ。

 まず妖精たちは『いったいこれはなんだ!?』と言葉を失うほど唖然とすることになり、やがてその衝撃もシセリアが踊り終える頃には一種の感動として妖精たちに受け止められることになった。

 ゆえに――


「これはすごい踊りだ!」


「なんかすてきー!」


「ね! ね! もいっかい踊ってみて!」


 踊り終えたシセリアに贈られる妖精たちの喝采。

 あまりの反応の良さに、これには踊ったシセリアもびっくりだった。

 で、さらに――


「よーし、わかった! シセリアは踊れるんだな! じゃあこのことを市長に伝えてやるよ! きっと市長なら、シセリアが踊りで稼げる案を思いついてくれるはずだ!」


「ふぇ……?」


 事態はあらぬ方向へ。


 ケインやエレザが予想したとおり、シセリアは妖精界でなんだかんだ楽しく過ごしていたのだった。

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