第11話 人=マイケル≒猫
さて、問題が明らかになってからというもの、俺は『猫らしくない生活』を心がけ日々を送っている。
たとえばそれは家主であるシルの世話を焼いたり、おチビたちの相手をしてやるといった、聞けばそうたいしたことないと思われるいたって地味な行動だ。
しかし考えてもみてほしい。
普通、猫といったら世話をされる側である。にもかかわらず俺は甲斐甲斐しく皆の面倒を見ているわけで、つまりこれは実に猫らしくない行動というわけなのだ。
とはいえ、である。
肝心の効果のほどとなると、これが困ったことにまったく実感することができなかった。
はたして俺の状態は改善しているのか悪化しているのか、それすらも判断できずにいるのは、ただ無為に日々を過ごしているだけのような感じがしてさすがに気が滅入ってくる。
もしかして、ただ『猫らしくない行動』をしているだけでは足りないのだろうか?
いや、『猫らしくない行動』だけでなく、俺は『猫が嫌がること』も進んでおこなっているのだから足りないということはないだろう。
たとえば風呂。
おおよその猫が嫌がる風呂に、俺はあれから毎日入っている。
正確には味を占めたおチビたちに剥かれてわしゃわしゃ洗われているのだが、ともかくちゃんと入っている。
また、さらなる高みを目指すためにと、風呂に並んで猫が苦手な爪切りにも挑戦した。
なんだその程度――なんて思ってはいけない。
違う、違うのだ。
猫にとっての爪切りは、人にとってのそれとまったく違う領域に存在する恐るべき苦行なのである。
これを理解するためには、まず猫の爪の仕組みを知らなければならない。
人の爪とは違い、猫の爪は内部奥に血管と神経が通っている。
これがどういうことかわかるだろうか?
人――それも特に男性にわかりやすくたとえるなら、それは獣の角で作られたケースをチンコに装着した状態であろう。
そこにである。
マスターキーの一種である、クソでかニッパー――ボルトクリッパーを手にした巨人が現れ、「おいそこのお前! そのチンコケースは先が尖っていて危ないから俺が切ってやるよ!」なんて無造作にバチーンッとやろうと迫ってきたらどうする?
そんなもん、どんな屈強な男だろうとあられもない悲鳴をあげながら逃げ出すに決まってる。
つまりだ、猫にとって『爪切り』とはそういう――。
……。
俺は正気だ。
△◆▽
朝――。
起床した俺がまずやることは、居間のあっちこっちに散らばるおチビたちを起こすことである。
冬になったら一緒に寝る、とか言っていたおチビたちは、結局待ちきれなかったようで今や半居候状態になっているのだ。
おチビたちを起こした次は、自堕落極まる家主――シルさんを起こしに寝室へ向かう。
これがなかなか骨の折れる仕事だ。
寝ぼけたシルは俺をがっちり捕縛してそのまま二度寝をきめようとするため、これをかいくぐるのに無駄な苦労をしなければならず、場合によってはシルが加減を間違えマジで骨を折られかねないからである。
なんとかシルを起こしたあとは、みんなの朝食を用意する。
この際、森ねこ亭の面子ものこのこ参加してくるので、なかなかにぎやかな朝食となる。
食事を終えたあと、俺はおチビたちの課題をみてやり、昼になったらまた食事を用意して、ひと休みしたあと冒険者ギルドへ向かう。
ついてくるのはいつものおチビたちのほか、通訳の必要はなくなっても記録のために結局ついてくるクーニャ、そして妙な吹っ切れ方をしたことで近頃はご機嫌なシセリアである。
「あー! ねこちゃんきたー!」
この際、子供が集まってきてしまうのはもうどうしようもない。
ふらふらついてきた始めの頃とは違い、今や完全に俺を待ちかまえており、姿を確認したところでわーっと突撃してくる。
これを何度も繰り返しながら、俺は冒険者ギルドへ。
最初こそコルコルがぶっ倒れるという事件も起きたが、今はもう騒動が発生するようなことはなく、いたって地味な納品手続きをいつも通りこなすことになる。
「いいですかケインさん、子供たちが集まってきちゃうとはいえ、預かるとなればそこには責任が発生します。要はちゃんと親元に帰してあげましょうねってことです」
すっかり安定したコルコル。
俺への当たりが強いのは相変わらずだが、最近はやけにあれこれと注意……いや、忠告か? ともかく事務的な受け答えに終始していた以前と違い、あれこれ話しかけてくるようになった。
「この都市なら大丈夫だとは思いますが、余所となるとたびたび人攫いが出没すると聞きます。『大きな猫に連れられたちっちゃな子供たち』なんてのは、人攫いからすればもう攫ってくれと言っているようなもの。くれぐれも気をつけてくださいね。あとそれから――」
「わかったニャー、気をつけるニャー」
うにゃーんうにゃーんと適当な返事をしつつ話が終わるのを待つ。
今のコルコルはまるでお節介焼きのお母さんだ。
このコルコルの話には結構な時間をとられることになり、その間、受付の一つを潰してしまっていることになるのだが、同僚さんたちは特にコルコルを注意することはないし、居合わせた冒険者たちも圧力がかかってはいけないと、俺の後ろに並ぶことは絶対にしない。たとえ混んでいても、別の受付の列に並ぶのである。
「では最後に、こちらにサインを。手を出してください」
「よろしくニャ」
最初は四苦八苦することになったサインだが、現在ではコルコルが俺の肉球にぺたぺたインクを塗り、書類に肉球マークを署名捺印することですむよう改革がなされた。
それで本当に大丈夫かと不安も覚えるが、仕事内容と署名が特殊ということもあり、見れば一発で請け負ったのが俺とわかるためギルド的には問題ないようだ。
こうして冒険者ギルドでの仕事を終えたあと、俺はおチビたちを含む子供たちの相手をするためいつもの公園へ向かう。
もちろんこの道すがらでも子供は増える。
どんどん増える。
俺の代わり映えのしない生活のなかで、唯一目に見えて変化していることといえば、集まる子供の数が増加していることくらいではないだろうか?
最初こそ分隊程度(十人前後)だったのが、そろそろ小隊規模(三十人前後)なのである。
さすがにこれだけの数となると、もふられるのも大仕事。
大人しくさせようにも、みなぎるお子さまパワーはとどまるところを知らず、下手に押さえつけようものなら大爆発を起こして俺は未曾有のもふられを体験することになる。
またその際、我先にもふろうとする子供たちも混乱をきたすため状況はよろしいといえず、そこで俺は一計を案じた。
元気が有り余っているなら、それを発散させてやればいい。
ということで俺は音楽を流して子供たちを踊らせた。
音楽は言語発音魔法の応用だ。
踊りはそれっぽいものを適当に、だったのだが、音楽に合わせて踊るという体験はあっという間に子供たちの心を掴み、『楽しいか?』なんて聞くまでもなくきゃっきゃと大はしゃぎしながら踊り狂う。
想像以上に上手くいったこの試み。
問題があるとすれば、上手くいきすぎて子供たちのはしゃぎっぷりが尋常ではなく、これを目撃した者が『これは子供を狂わせる邪悪な儀式である!』とかなんとかひどい誤解をして、俺を宗教裁判にかけようとしたりしないか心配なことである。
しかし考えてみれば、この世界の神さまは猫だ。
今の俺を異教徒だと罵る可能性は低く、むしろ神の思し召し、歌と踊りをもたらす猫と崇められる可能性のほうが高いかもしれない。
うん、どちらにしろ面倒だな。
ともかく、こうして子供たちのもふもふ地獄は回避できたが、しかしいつまでも音楽を流し続けるのはさすがに面倒くさく、そこで俺は音楽プレイヤーを用意できないかと考えた。
シャカはスマホのモックを猫スマホに変化させたことだし、今の俺なら似た様なことも可能なのではあるまいか?
挑戦する価値があると考えた俺は、まずスピーカーのモックを用意し、そこに「えいニャ!」と魔法をかけた。
結果、スピーカーは『旧支配者のキャロル(猫賛美仕様)』を延々と垂れ流す呪物と化した。
わけがわからないにゃん!
確かに俺の性能は向上しているようだが……それでもどうも今一歩という感じがする。
ひとまずスピーカーは怖いので湖に捨てた。
子供たちがあっという間に歌を覚え、みんなで合唱するようになるくらい気に入っていたけど捨てた。
捨てるくらいなら自分が貰って大神殿に送るとクーニャは止めてきたが捨てた。
女神が現れなかったのは幸いだった。
この出来事によって、横着はいけないと学んだ俺は仕方なく音楽を流し続け、子供たちを思う存分に踊らせた。
それはもう来る日も来る日も。
こうなると上達もしてくるわけで、ちらほら見かけるようになった見物人たちは子供たちに拍手をおくってくれるようにもなった。
そんななかで無駄に目立っているのは、子供たちと一緒に踊り狂って妙に動きがキレてきたシセリアである。
もしやシセリアには踊りの才能が?
なんて思ったりしたが、そこまで踊りが上手いというわけでもないし、毎日毎日踊ってたんだから、まあこれくらいは、という程度だ。
やればできる子、ではなく、やってればそれなりにできるようになる子、といったところである。
あれでなんだかんだと子供たちに好かれており、当人はすっかり『歌のお姉さん』気取りだ。
「子供たちに愛される伯爵! これっていいと思いませんか!」
シセリアは伯爵をなんだと思っているのだろうか?
いや、俺とて伯爵に詳しいわけではないが、さすがにシセリアよりはまともな認識をしていると思う。
ちなみに、俺はただ惰性で子供たちを踊らせ続けているわけではない。
歌と踊りのスーパースターといったら誰を思い浮かべるだろうか?
おそらく、元の世界の人々、そのおよそ九割は『マイケル・ジャクソン』と答えることだろう。
で、そのマイケルだ。
彼は「アオゥ!」と言う。
そして猫は「ニャオゥ!」と鳴く。
勘のいい者ならもう理解したことだろう。
そう、マイケルと猫は相似関係にあるのだ。
この子供たちを踊らせる取り組みは、最初こそ思いつきであったが、現在は歌と踊りを介して俺がマイケルに近づき、そのマイケルを通じ人へ近づいていくという――。
……。
俺はまだ正気だ。
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