第9話 にゃんこ認識災害

 学校でも会社でも、道端でも電車の中でもいい。

 ふとした瞬間、自分が全裸であることに気づき、急に恥ずかしさに襲われる――なんて夢を見たことはないだろうか?

 だいたいは気づいたあたりで夢から醒めて、『なんだ夢か』と安堵するか『んなわけあるか!』とあきれるか。

 公共の場で全裸など、普通なら有り得ない状況なわけだ。


 で、俺は今まさにその『有り得ない状況』を体験している。

 ああ、これが夢であればどれだけよかったか……。

 せめて致命傷は避けようと、とっさに『ω』や『*』を隠そうと思った――が、考えてみればお座りしているのでちゃんと隠れてはいる。

 ならなんの問題も……ってあるわ!

 問題だらけだわボケが!


 つか俺、なんか認識がおかしくないか?

 これってマジで猫に『適応』しちまってんじゃねえの?


 衝撃の事実に、俺は「にゃわわわっ」とあたふた取り乱すことになったが、この場にいる連中は『なんだこいつ?』と怪訝な顔をするばかりだ。


 おのれ、圧倒的他人事みたいな顔してやがるが、これまで俺が全裸だった状況に違和感を覚えないでいた、それはつまり、こいつらもまたなにかしらの影響を受けているということだ。


 自分ばかりが慌てふためくのは不公平と、俺は『お前らもおかしくなってんだぞ!』とクーニャを介して伝えてやる。

 これに顔色(元々悪い)を変えたのは爺さんだ。


「ちょ、ちょっと待て。すごく嫌な予感がしてきたんじゃが……」


 仲間ができて俺はにっこりにゃん。

 おののけ、もっと恐れおののくがいいにゃん……。


「お主の『適応』が周囲にまで影響を、だと? まさか、こんなところで恩恵の変化を体験することになるとは……」


 使徒に対し一家言ある爺さんは、神さまが与えた恩恵にもなにやら持論がある様子。

 詳しく聞いてみると、昔、とある使徒(たぶんスライムなんとか)が盛大にやらかしたわけだが、その規模を考えると神の恩恵由来の力を使ったとしか思えなかったそうだ。

 しかし、この世界を訪れるにあたり、わざわざ『スライムを効率的にぶっ殺す能力』なんて欲しがるわけはない。

 授かった恩恵がたまたまスライム大量虐殺に向いていた、という可能性はあるものの、それより『神から授かった恩恵には成長の余地がある』としたほうが信憑性は高い、と考えたそうだ。


「なるほど……。つまりこいつが猫らしい行動をしていても、私たちが違和感を抱かなかったのは、こいつの『適応』が影響を及ぼしていたから、というわけか」


「概ねそうなる。ただ、それは儂らの場合でな、これが子供たちとなるともっと影響が大きいかもしれん。とはいえ、此奴を絶対的に『ニャスポーン』と認識させるほど強力ではないから、そう心配はせんでもよいじゃろう」


 爺さんの仮説では、『猫の状態にある俺に違和感を抱かなくなる』というのがこの異変の中核となる。

 結果として、『猫の状態にある俺』が優先され、本来の俺である『ケイン』の認識が曖昧になっているのではないか、と。

 ちなみに、おチビたちがやたらめったら懐いているのは、単純に好いているだけだろうということだ。


「子供たちがお主をどう認識しておるか、確認してみたいところじゃが……記憶と現在の認識が齟齬を起こし、いらぬ混乱を起こすかもしれんからな、迂闊なことはできん」


 そっとしておくのが吉、と爺さんは言う。

 つまり、今後もおチビたちに好き放題されてろ、というわけだ。


「あと気になるのは個人差じゃが……おそらくこれは、魔導的な抵抗力の強さが関係しているのではないかのう」


 俺をしっかり『ケイン』と認識しているのは、ここにいるシル、クーニャ、爺さんのほかにはシセリア、アイルで、エレザは不明だがたぶん認識していると思う。

 あとゴーディンやヴィグ兄さんも認識している。


「しかしそうなると、此奴が裸であると最初に気づいたのが儂というのが少々不思議じゃな。どうしてシル殿ではなく儂が……あ? あー、うーむ、うむ、ま、まあそれはええじゃろ」


 なにかに思い当たった爺さんが、あからさまに誤魔化そうとする。


「ヴォル殿、なにか気づいたなら教えてもらいたいのだが……」


「うむ? うむ……そ、そうたいしたことではない、飽くまでちょっとした思いつきなんじゃがな? お、おそらく、好感度のようなものが影響しておるのではないかなーと……」


「ここっ、好感度だと!? そ、それがなんなのだ!?」


「異常に気づきにくくなる、それだけ、それだけの話じゃから!」


 ふむふむ、なるほど……。

 考えてみれば、シルは素っ裸の俺を日々撫で繰り回していたわけだからな。

 気づけていればそんなことはしなかっただろう。


 要は抵抗力が低く、俺への好感度が高かった子供たちはひとたまりもなかった。逆に抵抗力が高く、俺に敵意を抱く爺さんは最も抵抗できていた。でもってシルは爺さん以上に抵抗力はあるものの、好感度が高かったので違和感を受け入れやすかった、というわけか。


「そういえば、ペロちゃんだけはニャスポーン様のこと『ニャスポン』ではなく『ケー』と呼んでいますね」


 言われてみればそうだ。

 まあ特別なお子さんだからということもあるのだろうが、なんだか最近は反抗期らしく俺に対抗意識を燃やしているというのも影響があるのだろう。

 これまでたくさん燻製肉をくれてやったというのに、まったく。


 ともかく、このまま異変が進行すると、おチビたちは『ケイン』のことをすっかり忘れて、俺を『ニャスポン』と認識するようになる可能性がある。

 それは切ない話ではあるのだが、それよりも、より深刻なのは俺自身が猫らしく振る舞うことに違和感を覚えなくなることだ。


 現状、さすがにリトルジョーやビッグベンはおトイレですましているものの……いずれは砂場で来る者拒まずの大公開をするようになってしまうかもしれん。

 まいったな、絶対おチビたちは観察したがるぞ。

 なんなら撮影会も開催されてしまう。


 これはやはり強引に魔法で人の姿になってみるしかないのだろうか?

 いやだが、恩恵が関わっている状態に魔法をぶつけるってのは爺さんではないがさすがに危ういものを感じる。


 こうなると、俺にできることは『猫らしくない行動』を心がけて人に戻るまでの時間を稼ぐことだろう。

 さしあたり、まずは服を着ることからか。


「にゃんにゃごにゃ?」


「着るならどんな服がよいか、と仰っています」


「それはお主の好きなようにすればよいのではないか? 服を着ること自体が目的なんじゃからな」


「ふむ、では私が着ているこの服はどうだ? あまりきっちりした服は窮屈だろう。これならゆったりしている」


 すっかり作務衣でごろごろするのが気に入ったシルは言う。

 なら……まあ、それでいいか。

 とりえず、自分に合わせた作務衣を用意して身につけてみる。


「うーん、一気に獣人……っぽく? これはこれでまた可愛らしいですね。私としては神官服を着てもらいたかったのですが」


「素っ裸よりはマシじゃな」


 クーニャの反応はいいが、爺さんは微妙。

 そしてシルはというと、俺にぴったり寄ってきて、自分のスマホを爺さんに渡して撮影の催促。

 でもって、撮ってもらった写真を眺め「ふふん」とご機嫌だ。


「さて、これで一つ『猫らしくない』状態にできたわけじゃが……これだけでは心許ない。そこでお主、ちょっと喋れるようになってみい」


「えっ!?」


 ここで驚きの声を上げたのはクーニャだ。


「そ、そんな! ニャスポーン様が喋れるようになってしまったら、お言葉を伝えるという私の役目は!?」


 知らんがな。

 クーニャは無視して、俺はさっそく喋る練習を始める。

 服を着て人の言葉を喋れば、もうこれどこか別の世界で立派な人類と認められているかもしれないレベルだ。


「にゃごあ、にゃうおあうあん?」


 どうだ、伝わるか、と喋ってみたが皆には首を振られる。

 さすがに簡単ではないか。

 これは練習あるのみと、俺はにゃごにゃご喋り続けたがなかなか上手くいかず、終いには生暖かい目で見守っていたシルとクーニャがしきりに俺をもふり始めてしまった。

 気が散るんですけどー。


「仕方ないのだ。考えてもみてくれ、こう、服を着た大きい猫がな、一生懸命にゃごにゃごとなにかを伝えようとしてくるんだぞ? そんなの愛くるしいに決まっている。そもそも、今のお前はなにをしていようと愛くるしいのだ。いそいそと私の食事を用意する姿や、ひと休みとごろごろしている姿、子供たちに揉みくちゃにされてうんざりしている姿、そのどれもみんな違ってみんないい。前のお前ではこうはいかん。もはや罪だぞ」


 なんか開き直られたんですけどー。


「うーむ、普通に喋るのは無理かもしれんのう。では魔法で音を出して、それを声にしてみてはどうじゃ?」


 なるほど、その手があったか。

 この爺さんの提案は思いのほか上手くはまり、すぐに手応えを感じることができた。


 とはいえ、だ。

 自分が喋ろうとしたことを、そのまま自動で言葉にするほど便利な魔法にはできなかった。

 たとえるなら考えるだけで打ち込まれるチャットの文を、そのまま発音アプリで喋らせているような状態に近い。

 しかしそうはいっても、ちゃんと自分の意思が相手に伝わるようになるのは大きい。


「どうだ、ちゃんと喋れてるカ?」


「ああ、喋れてはいるが……声は可愛いままだな。ちょっと抱きついていいか?」


「さんざん抱きついたデショ!」


「今後は神殿でお勤めしてもらえたりしませんか? きっと信徒は喜んでくれます。上位存在のふりしてもきっとバレませんよ?」


「それで違和感持たなくなったらいよいよ伝説になっちゃうデショ!」


 どういうわけか声が甲高くなるという不具合。

 シルとクーニャはむしろそれが合っていると言うが、合っていては困るのだ。

 俺はなんとか猫らしくない声を発生させようと努力するが――


「ニャースポーン!」


 ノラの声が。

 そう、『時すでに時間切れ』である。

 課題を終えたおチビたちがきてしまったのだ。

 ここ最近は課題の内容を難しくしてあるが、俺をオモチャにしたいという熱意を抱いたおチビたちは、やすやすとそれを突破してくる。


「あれっ、ニャスポンが服きてる!」


「喋ってるー!」


「な、なんて賢い猫ちゃん……!」


 メリアさんや、あなたマジで記憶から『ケイン』という存在が抹消されてしまってない?

 もしかして一番重症なの?


「でもニャスポン、喋ったあとに『ニャ』はつけないの?」


「つけない。必要ないヨ」


「えー、いるよー。ねー?」


「いるー!」


「いるわ! 絶対いる!」


 ノラ、ディア、メリアは語尾に『ニャ』をつけて欲しい派だ。

 ラウくんを見る。


「……る!」


 ラウくんもつけて欲しい派であった。


「むっ。ラウー、ならぼくは『わん』をつけるよ!」


「……わん?」


「つけるわん! つけたわん!」


「……わん!」


「わんわんだわん!」


 ラウくんとペロはわんわん言いだし、つられてテペをペルもわんわん吠えだした。

 あっちは平和でいいなぁ……。


「あのネ、お嬢ちゃんたち、猫だからって語尾に『ニャ』をつけるわけじゃないかラ。ほら、クーニャだって、つけてないデショ?」


「あ、ニャスポーン様、そのことなのですが……」


「ん?」


「実は、現在神殿の上層部では、語尾に『ニャ』をつけるべきか否かの話し合いがおこなわれておりまして……」


「どうして、そんなコトに?」


「ニャルラニャテップ様がつけていらしたので……」


 クーニャが詳細なニャニャの記録を提出したことで、語尾に『ニャ』をつけるのが猫の獣人にとっての正しいありかたなのではないかという真面目な論議が交わされているらしい。

 馬鹿馬鹿しい話である。

 だが、世の中は往々にしてそういうもの。

 どんなしょうもないことであろうと、それなりの組織が世に出すとなれば、そうした会議をへているものなのだ。


 結局、語尾に『ニャ』反対派は俺しかいなかったので、多数決の暴力に屈した俺はしぶしぶながら『ニャ』をつける。

 ついでに一人称についても皆で話し合われ、やはり多数決で『ニャー』にするよう指定されてしまった。


「ニャスポン、自己紹介してみて!」


「……ニャーはニャスポンだニャー……」


 よくできました、とパチパチ拍手するおチビたち。

 これっぽっちも悪気がなく、本当に讃えているのでたちが悪い。

 シルが顔を背けて「ふひっ」と笑ってるのは腹立つ。


「じゃあニャスポン、今日はなにするー?」


 さっそく俺をいたぶりつくす算段を立てようとするノラ。

 これではストレスで毛が抜けてスフィンクス化待ったなしだぞ……。


「ちょっと今日は……あ、そうだニャ。今日、ニャーはお仕事をしないといけないニャ。だから一緒に遊ぶことはできないニャ」


 苦し紛れの言い逃れであったが、考えてみれば『仕事をする』という状況はまったく猫らしくないものである。


 というわけで、俺は久しぶりにお仕事のため冒険者ギルドへ向かうことにした。

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