第10話 絶望の混沌、希望の混沌

 ピヨピヨナビゲーション。

 それはピヨがアイルの頭の椰子の木を傾かせることによって向かうべき方角を示してくれる、ファンタジー感たっぷりでお子さんも興味津々という画期的なナビゲーションシステムである。

 略称はピヨナビ。

 もしかしたらアイルナビゲーション――アイナビと言った方がよいのかもしれないがそんなことは知らん。


 ピヨピヨ騒がしいピヨナビに導かれ、俺たちは試練の森の奥へ。

 この頃になると、二年をすごしたアロンダール大森林とは違う森であることが俺にもわかってきて、本当に魔界へ転移したのだなという実感が持てるようになった。


 そんな探険の果てに辿り着いたのは、鬱蒼とした森に忽然と現れた開けた場所。そこにはあからさまなほど特別感を演出するこぢんまりとした神殿があった。


「ピヨ!」


「あ、ここが目的地みたいだぜ」


 つい立ち止まって辺りを見回していたところアイルが告げる。


「こんな場所は知らないわ。この森はけっこう調べ回ったのに……」


「聖域のようじゃの。普段は閉じられておるのではないか?」


 驚くルデラ母さんにヴォル爺さんが応じる。


「ペロちゃんいないねー」


「あそこかなー?」


 きょろきょろしていたノラとディアが言う。

 確かにここに訪れたペロが向かうとしたらあの神殿だろうと、俺たちは神殿へと立ち入った。


 立ち並ぶ石柱によって外周が囲まれた神殿は、ぱっと見ではパルテノン神殿を連想させるが、こちらは元々屋根が存在しないものとして作られたようである。神の象徴とされた太陽、その光を遮らぬように屋根がなかったというムー文明の透明なる神殿のようだ。


 そんな神殿の中央には大きな狼の像があり、そのやや手前にペロがちょーんとお座りしていた。


「ペロちゃんいた!」


「ペロちゃん!」


「……ん!」


 おチビたちが声を上げると、ペロは一度こちらを振り返り「わふ」と小さく鳴いてから再び像へを顔を向ける。

 ペロはその場から動くつもりはないようで、どうしたのかと皆で近づいていったところ、狼の像にぼんやりと光が灯った。


 なにかが始まる――。

 そんな予感にそのまま見守ると、やがてその光はするっと像から離れ、ペロの前で金色の大きな狼となった。


「あ、たぶん、守護幻獣オルヴァイト……」


 そう呟いたのはルデラ母さん。

 ふむ、アイルんとこの鷲といい、幻獣とやらはみんな金色なのだろうか?


 金色狼――オルヴァイトはお座りしてペロを見下ろし、ペロもまたオルヴァイトを見上げている。

 なにやら厳かで神聖な雰囲気だ。

 ところで、シルとヴォル爺さんがそれぞれ俺の腕をがっちり抱え込んで動けないようにしているのは何故だろう?

 ちょっかいなんてかけないよ?


 自分の信用のなさに若干の切なさを覚えていると、オルヴァイトがすっと首を下げ、ペロと鼻先をくっつける。

 と、そこで強い光が放たれ、見守っていた俺たちはもろに目潰しを食らった。


『……!?』


 みんなで仲良く「目がー、目がー」と苦しむ中、それでも俺の拘束がまったく緩んでくれないのは本当に切ない。


 やがて視界のちらつきが落ち着いたとき、俺たちが目にすることになったのは、ペロがいたその場所に佇む、光を纏った幼女であった。

 ふわっとした金髪にぴんとした犬耳の、金色の目をした可愛らしい顔立ちの幼女は、民族的な印象を受ける金色のワンピースドレスを身につけており、ときおりゆらっと揺れた尻尾が覗く。


 まあおそらくはペロなのだろう。

 昨日、皆の前で披露した『チンチン』とは違って、今回は本当に人化を果たしたペロだ。

 しかしその雰囲気はあまりに神秘的であり、あのペロが人化したイメージからはほど遠い。

 これでは『ペロ』じゃなくて『ヴェロア』ではないか。


「これにて、ヴェロアの試練は終了した」


 ふいに口を開いたペロ。

 その口調、やはりペロのイメージからはかけ離れている。


「本来であれば――」


 と、さらにペロが話を続けようとした、その時だ。


「……ん」


 ラウくんがそっと手持ちの燻製肉を差し出した。

 で、ペロはそれを自然に受け取り、そのまま口に運ぶ。


「ヴェロアには、もぐもぐ、一族の行く末に関わる、もぐもぐ……」


 おお、なんか雰囲気が『ヴェロア』から『ペロ』になってきた。

 ラウくんもそう感じたのだろう、さらに燻製肉を追加。

 ペロはそれを受け取っては口に詰め込んでいき、やがては喋るどころではなくなってほっぺも膨れてくる。

 かなり『ペロ』ってきた。

 むしろ『ペロ』を通りこしてハムスター的でもある。

 しかし――


「もぐもぐ、ん! もご! もご!」


 待って、ちょっと待って、とペロはラウくんを手で制止。

 その間にもぐもぐしていたお肉をごっくん呑み込むと、ペロは俯いて自分のおでこを人差し指でむぎゅ、むぎゅ、と押し始めた。


「ヴェロア、ヴェロア、話はすぐに終わるからもうちょっとだけ待ちなさい。そのあとに食べればいいから。いいね、待て、だ」


 そう自分に言い聞かせたあと、ペロは俺たちに顔を向ける。


「やれやれ、今回はえらく食い意地の張ったのが来たが……まあいい」


「貴方は……オルヴァイト様、ですか?」


 気を取り直したようなペロに、ルデラ母さんが恐る恐る尋ねる。


「然り。加護を与えるついでに、ヴェロアの体を借りている」


 なるほど……。

 まあなんとなくわかってたけども。


「では聞け。これは我が一族のみならず、汝ら、ひいては世界の行く末に関わる話だ」


「世界の、ですか?」


「世界の、だ。今、混沌が世界を満たさんといよいよ広がりを見せ始めている。このままでは穏やかな終焉が訪れ、世界は神の望む姿から逸脱することになり、やがて神は夢を見るのをやめるかもしれん」


「あばばばば……!」


 話を聞き、突然バグったのはまだ俺の左腕にしがみついているヴォル爺さんだ。


「神が夢を見るのをやめるじゃと……!?」


 爺さんはなにやら大慌てだが……。


「なあクーニャ、神さまが夢を見るのをやめるとまずいのか?」


「まずいです。とてもまずいことです。なにしろ、この世界は眠り続けるニャザトース様が見ている夢なのですから」


「え? 夢? 俺、普通に会話したけど……?」


「それは夢の中のニャザトース様ですね。実体は眠り続けているはずですよ」


 ふむ? 明晰夢みたいなものか?

 まあなんにしても、居眠りする猫が目覚めてしまうと世界は崩壊してしまうっぽく、話はずいぶん大ごとのようだ。


「くっ、此奴がそれほど危険な存在であったとは……! 倒せるか、儂に、此奴が……!」


「おいこら爺さん、なに勝手に人を元凶にしてやがる」


 まったく失礼なジジイだ。

 その少ない毛を毟って磯野家のお父さんのようにしてやろうか。

 しかしここで――


「ヴォル殿、待ってもらいたい」


 俺の右腕を離さないシルが口を出す。

 シルさん……!

 わかってくれるか……!


「違うという可能性もあるだろう?」


 あれ、シルさん……?


「えーっと、ちょっと待とうか。あのさ、なんで俺がその『混沌』みたいな話になってんの? さすがに失礼だと思うんだ。俺は悲しいよ。それにさ、そんな慌てなくても、いざとなったら神さまがなんとかしてくれるんじゃね? この魔界みたいに。そこんとこどうなの?」


「駄目であろうな。一度は許容したもの。神には神の規律があり、神であるが故にこれをみだりに破ることはできぬ。それと、その混沌は汝の話ではないので、そこは安心するといい」


「うおーい! やっぱ俺と違うじゃねえか!」


 シルとヴォル爺さんがそっと顔を背ける。

 できれば腕を放してもらいたいんだが。


「汝という騒がしい混沌は世界に変化をもたらす。故に許容されるのだ」


「え、それでも混沌ではあるの……?」


「ということは、此奴のようなのが他にもおると……? それはまた地獄のような話じゃな。世界の明日は暗いぞ」


 こいつ、ホント失礼なジジイだな!


「あの、オルヴァイト様、もしやヴェロアには、その混沌を止める使命があるのでしょうか?」


「そうではない。ヴェロアには――いや、誰にも止めることはできぬ」


「そんなのもうおしまいじゃないですかー!」


「落ち着いてください。シセリアさん、落ち着いて」


 これまで黙っていたシセリアが恐慌をきたし、エレザによしよしと介抱される。


「しかし、だ。それは今現在の話であり、未来においてはその限りではない。可能性を持つ者はいる。そこで我は、その者のもとへとヴェロアを導いた」


 これを聞き、『ん?』とみんな眉間に皺を寄せる。


「ってことは、あの事故はあんたが引き起こさせた……?」


「いや、歪みをこちらへ引き寄せただけの話だ」


「そ、そうか。でもペロが行方不明になったのは、あんたの働きかけがあってのもので、俺だけが悪いってわけではないんだな?」


「そうだな」


「おお!」


 やったぜ!

 ご先祖さまが関わったってんなら、これはペロのご家族にそこまでゴメンナサイしなくても大丈夫そうだ。


「ヴェロア様が導かれて……最初に出会ったのはケイン様ですね。では、ケイン様がその『可能性』ということなのでしょうか?」


「そうだ」


 エレザの質問にオルヴァイトがうなずく。

 そしたらクーニャが喜んだ。


「なんと、私のケイン様が世界を救う……!」


 私のとか言っているが、決して俺はお前のものではない。


「その『混沌』とやらをどうにかしないと俺の悠々自適も実現できないか。ならやるしかないんだろうが……俺がすぐにどうにかしようとしてはダメなのか?」


「今の汝では足りぬ。取り込まれるだけに終わるであろう」


「ケインさんでも駄目とかこれもう本当に終わりなのでは? え? 私のケーキ屋さんになる夢は?」


 知らんがな。

 絶望しているのかのん気なのかよくわからないシセリアにあきれていると、真剣な様子でルデラ母さんが尋ねる。


「オルヴァイト様、どうかお教えください。どうすればこちらのケインが『混沌』に打ち勝てるようになれるのか」


「混沌を高めよ。結局のところ、混沌に混沌をぶつけて一方を掻き消すという話なのでな」


「ああぁぁぁ……!」


「主様、どうか気を確かに……!」


 ヴォル爺さんが胃の辺りを押さえて苦しみ始め、トロイが介抱。

 ルデラ母さんはちょっと引き気味でさらに尋ねる。


「そ、その方法しかないのでしょうか?」


「我には思いつけぬ。そちらの鳥も、おそらくは同じであろう?」


「ピヨ!? ピョピョ! ピョッ! ピィーヨォーッ!」


「アイル、ピヨはなんだって?」


「気安く鳥とか、てめえ舐めてんのかってすげえキレてる」


「なんじゃそら」


「伝えるべきことは以上だ。今はまだ雌伏せよ。汝が、この世界の希望やもしれんのだからな」


「ううぅ、なんとなく同行したらとんでもない話を聞くことに……」


 ちょっと後悔しているっぽいメリア。

 ほかのおチビたちはよくわかってないのか「ほへー」という感じである。

 そのほかの面子は『マジかよ、こいつが希望かよ』といった感じで実に失礼であり、喜んでいるのがクーニャしかいなくて俺はつらい。


「では最後に、汝らを森の入り口まで送ろう」


 そうオルヴァイトは告げ、纏う光が強くなる。

 すぐに光は目を開いていられないほどになり、やがて瞼を上げるとそこはつい今し方までいた神殿とはまた別の神殿となっていた。


「ここは……森の入り口にある神殿ね」


 神殿を見回し、ルデラ母さんが言う。

 宣言通り、オルヴァイトは俺たちを送り届けてくれたようだ。


 楽をさせてもらったので、ここはひとつお礼でも、と思ったが――


「おや?」


 オルヴァイトがすっぽんぽんになっていた。

 いや、すでに神秘的な雰囲気は消え失せ、なにが起きたのかわからないようにきょとーんとしているこの感じは……。


『……』


 どうやら皆もなにか感じたようで、視線がすっぽんぽん幼女に集まる。

 きょとんとしていた幼女は、皆の注目を浴びていることに気づくとにぱっと微笑んだ。

 そして言う。


「ぼく、ヴェロアだよ! ペロでもいいよ!」

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