第20話 蒼ざめて馬を見よ

 まず恐怖に呑み込まれたのは、楼閣にて事の成り行きを目撃することになった衛士たちであった。


 そもそも、彼らは神官に率いられた神殿騎士が現れた段階でそのただならぬ気配に恐れをなしていたし、訪問理由を聞いたところで退っ引きならぬ事態が発生してしまったと危機感を覚え、さらに件の使徒が守護竜を伴って現れた時には絶望すらしていた。


 しかしそれでも、この学園の警備を任された者としてのささやかな義務感があり、また、所詮自分たちは衛士でしかなく規定通りの働きをしていればいいという無責任感、そしてここで勝手な判断をして責任を取らされてはたまらないという保身が彼らの判断を鈍らせた。


 結果、彼らは真の恐怖を知る。


『見ヨ、我ガ背ヲ……。オ股ヲ割リ裂ク形ヲシテイルダロ……?』


 な・ん・だ・こ・れ・は!?


 使徒が門前に並べた不気味な木馬は、しばらくの後、さらに不気味な得体の知れぬ怪物へと姿を変貌させ、学園を守る障壁を無効化すると今度は大扉を開かせるべく、巧みな連携によりこの楼門の監視台へと乗り込んできた。


 衛士たちは気づけばあられもない悲鳴を上げ助けを求めていた。

 訓練の一環として、これまでに魔物退治を行ったこともあった。魔獣だけでなく、ゴブリンやオークといった人魔を相手取ったこともあった。この人に仇なす魔物に立ち向かった経験は精神的修養となり、いざ脅威に相対することになった際にも立ち向かえる自信となっていたはずだった。


 だが、そんなもの、真の脅威の前にはなんの役にも立たなかった。

 体の奥底から溢れだす恐怖は抗いようもなく、理解の及ばぬ木馬は衛士たちを助けを求めるばかりのか弱い存在へと変えてしまったのだ。


『ホラ、試シニ乗ッテミルガイイ……』


『案外、癖ニナルゾ……』


「嫌だーッ! 誰かーッ! 誰かぁ――――――ッ!」


 仲間が一人、木馬たちに捕まっても、必死に助けを求めても、残る衛士たちは動くことができなかった。


 そして――ああ、何と言うことか、捕まった衛士は木馬たちの手により、四つん這いとなった木馬に跨がらされてしまったのだ。


「お股裂けちゃうぅぅ――――――――ッ!?」


 その悲鳴を聞いたとき、衛士たちの恐怖は溢れた。あまりに恐怖してしまったので逆に冷静になり、どうして自分たちがこんな恐ろしい目に遭わねばならないのかと疑問を抱いた。

 するとどうだ。

 現場を自分たちに任せきり、おそらくこの事態をどう自分たちの都合良く穏便にすませようと長々会議を行っているであろう学園の教師たちに対する憎しみがふつふつと湧き上がってきた。

 確かに自分たちは学園の警備を任された衛士であるが、こんな恐ろしい目に遭わねばならぬほど給料は貰っていない。

 自分たちばかりが、こんな、こんな――。


 そこからは早かった。

 止める者などいなかった。

 衛士たちは協力してすみやかに大扉の開放を行う。


 満ちよ、恐怖よ、学園に――。


 職務を放棄した衛士たちの胸に去来したのは後悔ではなく、これまで感じたことのない圧倒的な開放感と清々しさであった。



    △◆▽



 学園の生徒たちは、ろくに事情も聞かされぬまま実技館へと集められ、決して外へ出ないようにと念押しされてから放置された。

 授業を中断させ移動を促す教師たちの様子から、ただならぬ事態が起きたことは漠然と感じ取っていたが、さらに実技館への移動途中、学園が障壁に覆われているのを目撃したことで、状況は危機的なものであるという確信を得ることになった。


 いったい何が起きたのか?


 不安ばかりが募るなか、生徒たちは大森林の魔獣が溢れたのではないか、どこかの国が攻めてきたのではないか、そう有り得そうな憶測を口にする。

 それは自分たちの恐怖心をより煽るものであったが、また一方であらかじめ最悪を予想しておくことで、いざその事態が明らかになったとき精神的に打ちのめされてしまわないようにという、一種の心の防衛でもあった。


 しかし――。

 現実は憶測を凌駕した。


 バンッと唐突に開け放たれた扉。

 突然の物音に、生徒の多くがビクッと身をすくませ、口を閉ざしたことでざわめいていた実技館が一瞬にして静まり返った。

 そんな静寂の中――


『皆サン、コンニチハ……!』


 ご丁寧に挨拶してきた、得体の知れぬ何か。

 挨拶を返す生徒はいなかった。

 それどころではなかった。

 まずそもそも、現実を受け止めきれていないのだ。

 誰も予想できなかった。

 いくらなんでも想像の埒外だった。

 あんな――あんな逞しい体つきの馬頭、化物が実技館に飛び込んでくるなど……!


『うわあぁぁぁ――――――――――――――――――ッ!?』


 悲鳴は爆発的に上がった。

 誰ともなくではなく一斉に。

 理解よりも早く、まず体が反応して気づいたら悲鳴を上げていた。

 生徒の誰もが、これまで暮らしていた日常の底が抜け、非日常に放り出されてしまったことを肌で感じ取ったのだ。


 もし、どこかの使徒であれば、ファンタジー世界なのだからこれくらい起きても当然ではないかと無責任に言うだろう。


 しかし『日常』と『有り得る事』はイコールではない。

 使徒がいた世界であっても、全校集会中の体育館に熊が出現したら生徒はパニックを起こす。誰もが知っている熊。国内に多数生息していることも知っているし、ときおり人里に出没するニュースだって見ている。だが、まさか自分のところに現れるとは誰も思っていないのだ。


 つまりはそういうことで、ファンタジー世界だからと、起きる珍事をなんでもかんでも放り込んで良いわけではない。

 ところが使徒にはこれがわからない。

 魔境に『適応』し、非日常を日常にしてしまった使徒には。


『盛大ナ歓迎、誠ニ感謝……! デハ早速ダガ、我二魔法ヲ放ッテモラオウカ……。順番デモ、一斉ニデモ構ワナイ……!』


 やがて生徒たちの悲鳴が収まると化物は告げた。

 未だ恐怖の収まらぬ生徒たちであったが、化物が思いのほか理性的に語りかけてきたことに今度は困惑が強くなる。


 いきなり襲いかかってくることはしなかった化物。

 しかしだからと、言われるがまま魔法を放ってよいものか?


 魔法を放つ――それはつまり攻撃であり敵対行動だ。

 あんな訳のわからない相手に?

 冗談ではない。


『何ダ……? 何ヲ戸惑ッテイル……? オ前タチガ我ニ魔法ヲ放ツナラ、手荒ナ真似ナドシナイ……。サア、安心シテ魔法ヲ放ツノダ……! 我ニ魔法ヲ……!』


 そうは言われても安心できる要素がない。

 だが言う通り魔法を放たねば、その『手荒な真似』をされることになってしまう。


 でも誰が――。


 逡巡する生徒たち。

 その時であった。


「俺がやろう!」


 声を上げたのは一人の男子生徒。

 最高学年である第三学年生であり、優秀な成績で将来を有望視されている彼は心配するクラスメイトに自分が囮になるからいざとなったら皆を誘導して逃げろと伝えると、一人、化物の前に出る。


「俺が魔法を放ったら、お前は反撃してくるのか?」


『反撃……? ソンナ事ハシナイ……。我ハ、コノ身ニ魔法ヲ浴ビタイ、ソレダケガ望ミ……。サア、サア……!』


 それは果たして本当なのか。

 確認はしてみたが鵜呑みにできるわけもなく、男子生徒は反撃してきた場合、皆が逃げる時間を稼ぎ、その後に自分も退くと内心段取りをつける。


 こんなところで死ぬわけにはいかなかった。

 伯爵家の第三子、次男として生まれた彼は魔法の才能が見出されたことで魔導師の道を歩み始めた。来年には魔導院入りし、ゆくゆくは宮廷魔導師に抜擢され、そしていずれは……そう、この国を脅かすような事態が起きたとき、ユーゼリア騎士団で副団長を務めている姉と共に立ち向かえることを彼は夢見ていた。


「ふっ……」


 もしここに居るのが自分ではなく姉であれば、こんなものは危機でもなんでもないのだろうと彼は少しおかしくなって微笑む。

 最近、実家に『私は死にました』という怪文書を送りつけてきたちょっと不思議なところもある姉だが、あれで実力はこの国で一番、ずっと憧れている自慢の姉なのだ。


 姉に勇気を貰った彼は、すみやかに呪文の詠唱を始める。

 彼はこの状況にあって自分でも驚くほど落ち着いており、化物の動きに気を配るほどの余裕があった。

 そして――


「円葬豪火ッ!」


 発導句。

 渾身の魔法を放つ。


 選択した魔法は狭い範囲内だけを焼き尽くす火炎魔法。

 化物を中心とした円、その範囲内だけに鉄すら溶かす豪火が生まれ、それは筒状――赤い柱となって天井をも貫く。


 見事な魔法であった。

 彼は化物を前に自棄になり、とにかく威力のある魔法を放つような愚行はおかさなかった。それどころか、化物が木製であることから火の、さらに集まった生徒たちに被害を及ぼさぬよう、しかし自分が制御しきれるぎりぎりの高威力攻撃魔法を選び、成功させてみせたのだ。


「やったか……!?」


 これまで行使してきた中でも会心の魔法。

 その確かな手応えに、彼は思わず勝利すら確信した。

 だが――


『良イ……! 良イゾ、素晴ラシイ魔法ダ……!』


「な――ッ!?」


 現実は非情であった。

 炎が収まったとき、そこにはまったく無傷の、焦げ跡すら見当たらぬ化物が佇んでいたのだ。


『汝ノ魔法ニ対スル熱意、積ミ上ゲテキタ努力、ソノ全テガ注ギ込マレタ見事ナ魔法デアッタ……! 傲ラズ成長シテ行ケバ、汝ハサゾ高名ナ魔導師ト成ルダロウ……!』


「う、うぅん……?」


 渾身の魔法を耐えきられたことはショックであったが、言ったとおり化物が反撃してこないこと、いやそれどころか、妙に熱のこもった感じで褒めてくることに、彼はどう反応してよいものかと戸惑った。

 しかし――


『デハ、次ノ魔法ヲ頼ム……! 期待シテイルゾ……!』


「んな!?」


 さらに魔法を求められ、彼は愕然とする。

 確かに一度きりとは言っていなかったが、では、どれだけ魔法を打ち込めばこの化物は満足するというのか。

 そしてもう魔法が撃てなくなった時、この化物はどう動くのか。


 今の魔法がまったく通用しなかったとなると、自分のみ――いや、この場に居る生徒みんなで集中砲火を加えたとしても、この化物を倒すことはできないだろう。


 時間稼ぎをするしかない。

 学園のこの状況は、まず間違いなくこの化物が原因。となればいずれは教師、あるいは外部からの救援がやって来るはず。

 その彼の判断は至極真っ当なものであった。

 問題は――


『此処カ……! 良イ魔法ノ気配ガシタゾ……!』


『ヌウ……、貴様、独リ占メハズルイ……!』


『大勢イルナ……! コレハ楽シメル……!』


 化物が一体きりではなかったという事実であった。

 さすがに唖然とした。

 もう誰も悲鳴を上げる者はおらず、続々と実技館へ侵入してくる化物をただただ絶望の面持ちで眺めるばかりであった。

 希望は潰えた。

 かに思われたが――


「ああぁぁもう! 何でこんなことにぃぃぃ――――――――ッ!」


 ややヤケクソに聞こえる大声を上げながら実技館へ飛び込んで来たのは大斧を担いだ少女であり、彼女は手近な化物に突っ込んでいくとその大斧でもって化物を叩き割った。


『グオオォ……ッ!』


 叩き割られた化物はうめき声を上げ、すぐに動かなくなる。

 あまりに突然の事態が続くため、そろそろ何が起きても驚けなくなっていた生徒たちは、そのあっけない化物の最後をぽかんと見守るだけであった。


 しかし一方、仲間を倒された化物たちはひどく動揺する。


『何テ酷イ事ヲ……!?』


『我ラガ一体何ヲシタ……!』


『待テ、話セバ分カル……! ソノ攻撃ハ我ニ効ク……!』


「木馬と語り合う趣味はありません! せいぜいわんちゃんや猫ちゃんにお悩み相談するくらいです!」


『グアァァァ……ッ!』


 恐ろしい化物が少女に為す術もなく倒される。

 さらに、特徴的な猫耳兜の騎士――神殿騎士たちが飛び込んで来て、少女は彼らと一緒になって化物を掃討した。


「シセリア殿! ここは片付いたようです!」


「はい、ではちゃっちゃと次行きますよ次! 校舎の方はケインさんが行ったんで、私たちは外をうろついてる奴らの殲滅です!」


 化物を片付けた少女は騎士たちに告げ、生徒たちが我に返る頃にはもう実技館を飛び出してしまっていた。


『………………』


 少女たちが去ったあともしばらく、残された生徒たちは茫然とするばかりだった。

 だがやがて、自分たちが助かったことを理解し安堵すると、いったいあの化物はなんだったのか、そして助けに来てくれたあの少女は何者だったのかと、緊張の揺り戻しもあり騒がしく喋り始めた。


 誰もが恐怖に身がすくみ、ただ怯えることしかできなかった状況に颯爽と現れ、神殿騎士たちと共に化物を殲滅、そしてまた颯爽と去って行った少女。

 生徒たちには彼女が物語に出てくる姫騎士のように思われ、記憶に残るその姿は眩く輝いてすらいた。

 特に、姉に憧れを持つ一人の男子生徒には――。

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