第16話 誤った方程式による残念な回答
今日は泊まる。
そうシルは言い張ったが生憎と宿に空きはなく、ならばとクーニャが自分の借りている部屋を使ったらいいと言いだした。
「大丈夫ですよ。私はケイン様の部屋にご厄介になりますので」
何をたわけたことを――。
そう思ったときには、クーニャはシルにキュッと絞められており、あわや三味線の材料にされそうになっていた。
俺は思った。
きっとその三味線を使っていたら、芳一は平家の怨霊に関わることもなく、耳をお土産にされてしまうような事態にはならなかったのだろうと。
まあそれはともかく、世話になっている宿でみすみす殺人事件を発生させるわけにはいかないし、目撃者多数とあっては探偵も出る幕がない。
仕方がないので俺はシルをなだめ、ドラさんハウス建設予定地にこぢんまりとした仮設住宅を生やし、そこに泊まってもらうということで話を落ち着かせた。
そして翌日。
いつも通り宿屋一家のみならず宿泊客も一緒になって朝の準備が始まり、俺も実は特別だったらしい生活用水の補充を行う。
お隣の『鳥家族』も開店準備が始まったらしく騒がしい。
その後、仮設住宅にいるシルをノラとディアが起こしに向かい、しかしすぐにこちらへ戻ってきた。
「せんせー、シルお姉ちゃん、毛布にくるまって唸ってたー」
「……唸ってた?」
「はい。ぬおー、ぬおーってうなってました」
「……二日酔いか?」
結局、昨日はちびちび飲みっぱなしだったからな、総量としてはけっこうなもの、竜とて二日酔いになってもおかしくはない。
「むむっ、これはやり返す機会……!」
「やめとけ」
猫どもの世話をしていたクーニャがよからぬことを思いついたようだが、どうせ碌な事にならないと止める。
いざ腕力勝負となったら絶対に敵わない相手にちょっかいをかけるその気質、猫だから好奇心旺盛なのか、それとも残機が九つあるから無鉄砲なだけなのか。
ひとまずシルはそっとしておくことにして朝の準備を進める。
やがて朝食が出来上がる頃、落ち着いた様子でシルは現れ、そして言った。
「私は酒を断つことにした」
毅然と宣言するシル。
うん、これはいよいよおかしいな。
「いやお前……禁酒とか大丈夫なのか?」
「大丈夫もなにも、まったく問題ない。最近、少し飲みすぎていたのでな、反省したんだ」
そう自嘲気味に語るシルは落ち着いているように見えるが、俺にはどこか無理をしているように感じられた。
変に気合いを入れて外面を取り繕っていると言うか、必死になって心の筋肉をガチガチに固めていると言うか……。
「な、なんだ。何もおかしな話ではないだろう? むしろここしばらくがおかしかったのだとも言える。だから変に気にせず忘れてくれたらいい。何もなかったのだ。昨日も何もなかった」
「うーん……」
これまでは深く考えなかったが、そろそろ友の異変に向き合う時が来たのかもしれない。
啓蒙溢れる俺の頭脳は、友の異変、この原因について家を贈る話がきっかけであるとすでに見当をつけていた。
では、この『家を贈る話』がシルにどのように作用したのか?
迷惑――というわけではないだろう。
不必要なら「いらん」の一言で断られていたはずだ。
であれば、この逆、嬉しかった場合はどうだろう。
ちょっとした『嬉しさ』であれば、少し機嫌が良くなるといった影響として現れるのだろうが、挙動不審にまでは至らない。
ならば、とても嬉しかった場合はどうだろう。
すごく嬉しく、楽しみで楽しみで落ち着かないという状態、これならば挙動不審も説明ができる。
人により程度に差はあるが、楽しみで楽しみで何も手につかないという状態は誰にでも起こりえることだ。
楽しみで眠れない、そんな表現が当たり前に共有されるくらい期待が日常生活に影響を与えることは認識されている。
寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまう。
それは興奮状態であり緊張状態、また理性で自身の制御の利かない状態だ。
やるべき事にもなかなか集中できず、終いには自分に対し「どうして!」と苛立ちすらしてしまう。しかし、今あれこれ考えても仕方ないとわかっていても考えずにはいられないのだから仕方ない。人によっては酒の力で強引にリセットをかけようとするかもしれない。
ふむ、シルの挙動不審はこれだな。
この状態を脱するためには、その楽しみを手にするか、期待しすぎて疲れてしまうか、それともその楽しみよりも楽しみなものに取り憑かれるか。
シルの場合、より楽しみなものを用意するというのは現実的ではないだろう。
期待する楽しみをすぐ用意するというのも現状では無理だ。
となるとシルは期待しすぎて疲れ果てる未来しかないが、それは俺としても望ましい結果ではなく、であればその『楽しみ』をポジティブに維持できるよう働きかけを行うべきだろう。
俺がやるべき事は『楽しみ』の共有だ。
これはそう難しい話ではなく、俺も同じように楽しみにしていると伝えればいいだけの話である。
一人だけで抱え込むより、誰かと共有していた方が『楽しみ』というものは持続するものなのである。
というわけで朝食後、俺は自分の望む家を建てられることを喜んでおり、さらにお世話になっているシルにその家を贈れることを嬉しく思っていること、またシルがお隣になることを歓迎し、気軽に会えるようになる日を楽しみにしていると、それらをちょくちょく言葉にして伝えながら家の構想を詰めていった。
で、その結果――
「ぐおぉぉぉ……!」
シルは聖なる光を浴びたドラゴンゾンビみたいに苦しんだ。
なんでや。
結局、そろそろ昼食という頃には、シルはすっかり燃えつきたようにへにょっとして、しかし何か遣り遂げたような満足げな微笑みを浮かべて項垂れるばかりとなってしまった。
「シルお姉ちゃん、大丈夫ー? 飲む? お酒飲むー?」
「飲まない……。飲んだら負けだから飲まない……」
「でも元気ないですよ。無理するのはよくないです」
「そ、そうかな? ――あ、いや、駄目だ。それでは先が思いやられる。私は堂々と胸を張って引っ越してきたいんだ……」
おかしい……。
俺はてっきり、ノラとディアのような「楽しみだねー」「だねー」みたいな、和気藹々とした会話になると思っていたのに、今のシルには悲愴感すら漂っている。
いったい何がいけなかったのか……。
ともかく、これ以上俺が変に刺激してはシルが昇天してしまいかねないため、弱ったシルの介護はノラとディアに任せることにした。
△◆▽
昼食をとったあとシルは少し元気になり、気分転換に空を飛んでくると言いだした。
するとおちびーズがこれに興味を持ち、介護してもらった手前断りにくかったのか、シルはおチビたちとおもりのエレザを背に乗せて空へと羽ばたいていった。
そしてその後、宿に残った俺、シセリア、クーニャはそれぞれのんびり過ごしていたが、そこに制服姿のメリアがフリードを連れてやってきた。
「こんにちは……!」
メリアは明らかに不機嫌そうで、挨拶もそこそこに「猫ちゃんが足りない!」と猫どもを捕らえようとし始める。
しかし初回サービスはもう終わりだったのだろう、猫どもは『お断りニャーン』とメリアの手から逃れようとする。
「なんで、なんで……!」
すたこら逃げ回る猫、あたふた追うメリア、そしてご主人のあとを「クゥ~ン」と鳴きながらついて回るフリード。
埒が明かない。
仕方がないのでメリアにニャンニャンチケット(マタタビの葉)を何枚か渡してやると、まったく現金なもので『よく来たニャーン』と猫どもはメリアにすり寄った。
「ふわー! この葉っぱいいわね! もっと欲しいわ! 売ってもらえる!?」
「やりすぎは良くなくてな。それだけにしといてくれ」
「む、なら仕方ないわね……」
残念がるメリア、もしこちらの世界に猫カフェがあれば、入店前にヤク(マタタビの粉末)を体に振りかけてから突撃しそうである。
ともかく猫まみれになって機嫌が良くなったメリアは、昨日明らかになった魔法についての話をさっそく教師に説明したことを報告してきた。
しかし――
「頭ごなしに否定されてしまったの。そんなわけないって。ちゃんと貴方――つまり使徒様から聞いた話で、シルヴェール様が補足してくださった説だって言っても、そんなわけないって」
メリアの担任教師(?)は頑固であったらしく、メリアの話に取り合おうとしなかったようだ。魔法のことをよく知らない者が、なんとなく使えてしまったがための持論であり、シルの補足も身内びいきの補強であろうと。
「そのくせ、持って行った水は調べてみるとか取り上げられるし。まったくもう! なんだか腹が立ってしまって早退してきたの!」
「そうだったのか……」
いかんな、メリアの評価を上げさせるはずが、むしろ下げてしまうような話になっている。
欠けていた条件はあったものの、俺の話はただの持論ではなく神さまから教わった話。間違っているはずがなく、このあたりのことを理解してもらって誤解を解くべきか。
そう思っていたところ――
「一介の魔導師ごときが、ケイン様がニャザトース様から受けた教えを否定するですって……? ふざけた……あまりにもふざけた話です! これは神敵認定も辞しません!」
クーニャがなんだか物騒なことを言い始めた。
「シセリアさん!」
「え!? なんでそこで私を呼ぶんです!? 嫌な予感しかしませんね! やめてください、引っぱってどこへ連れていこうというんですか! 私は今日、この宿に籠もってこの世に生きる喜びと悲しみについて考えないといけないんです!」
「そんなことはどうでもよろしい! すぐに神殿へ向かいますよ!」
「やだー!」
結局、シセリアは抵抗虚しく、尻尾をぶるんぶるん荒ぶらせるクーニャに引っぱられて宿から連れだされていった。
「ええぇ……」
メリアは唖然とした様子でそれを見送ったあと、恐る恐るといった感じで尋ねてくる。
「あの話、神様から聞いた話だったの?」
「ああ、実はそうなんだ」
「神様に……。あ、神様って猫ちゃん?」
「ああ、猫ちゃんだ」
「猫ちゃん……」
「クゥ~ン……」
メリアは何か思うところがあったようだが、すぐに思考が猫に侵略されてしまい、そんな主をフリードは寂しげに見つめるのだった。
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