第12話 処方される形なきお薬

 金貸しログレット。

 彼は王都ウィンディアにおける裏社会の顔役の一人だった。


「人生はままならないものだ。俺はついてなかった。ずっとついてなかった。ガキの頃からだ」


 直属の部下は三十名ほどだが、これが動かせる人間となると五百は下らず、褒められたものではないとしても彼が己の才覚によっていっぱしの立場にまで成り上がった成功者であることは認めなければならない。


「人相の悪いガキだったから、何かと悪者にされることが多かった。大人は俺が言うことより、他のガキが言うことを信じた」


 ログレットの半生は順風満帆なものではなかった――。

 そう聞いた者は当然だと思うことだろう。

 もしそうでもなければ、貧民街で金貸しなんぞしていないと。


「生まれはどこにでもあるような小さな村だ。農家の三男として生まれ、ある程度の年齢になったところで故郷を捨て王都に来て、それで冒険者になった」


 威圧的な人相、恵まれた体格、学は無かったものの頭が悪いわけではなかったログレットはそれなりに冒険者の仕事をこなし、そこそこ上手くやっていた。

 だが気づくと第八支部まで流れ着き、終いにはそこにすら留まれなくなった。


「故郷と同じだ。捨ててやったんだ。追い出されたわけじゃあない」


 将来を憂う知恵はあり、無駄金を使わないログレットにはそれなりの蓄えがあったため、ときおり頼られて行っていた取り立て人の経験を生かしてモグリの金貸しを始めた。


 誤った道へ進んでいるという自覚はあった。

 だが、ではどうすればよかったのか?

 ログレットに助言をする者はおらず、逆に無計画に金を借りたがる者は多かった。


 まずは少額から始めた金貸し業。

 客は当然ろくでなしで、期限になっても返せない者が多く、なかには始めから踏み倒す気で借りる者もいた。

 腕に自信があり暴力的な手段を取られても返り討ちにできると考えていたようだが、何も決闘を挑むわけではないのだ、食事中、睡眠中、または用を足している瞬間と、一方的に襲える機会はいくらでもあり、このときログレットは容赦なく叩きのめした。


「俺は腕っ節で金を育て、育てた金で人を集め、集めた人が勢力となり、そして勢力は俺に地位をもたらした」


 万事順調とは言いがたかったものの、自分の人生が上手く回り始めたことをログレットは喜んだ。


 しかし――。

 ある日、王都に使徒が現れた。


 使徒についてログレットはそう詳しいわけではなく、知る情報としてはごく一般的、故にあの悪名高きスライム・スレイヤーに準ずるろくでもない存在だろうという認識だった。


 面倒なのは、その使徒はこの地区からそう遠くない場所に留まっていること。


 使徒にどう対応するか。

 足並みを揃えておくための、顔役たちの集会。

 満場一致で関わらないという方針が支持され、ログレットはこの決定を部下たちにも伝えておいた。


「ま、それじゃあ不十分だったってことだな」


 終わりは突然訪れた。


 爆発、拠点の崩壊、そして使徒の来臨。

 ログレットが積みあげてきたものすべてが台無しとなった。

 幸い金は残った。

 いや、膨れあがった貸し付けを立て替えると使徒は言うのだから、むしろ大いに増えた。


 しかし、だから何だというのか。

 使徒の手から逃れられぬ以上、もはや金はあっても意味の無いものとなってしまった。

 今や金より命の心配をしなければならない状態なのだ。


 そんな、自分たちがどうなるか気が気でない状況で、使徒は鳥料理は好きかと尋ねてきた。

 いや、正確にはそれは質問ではなかった。

 鳥料理が好きであることの強要だ。

 嫌いだ――などと、いったい誰が言えるものか。



    △◆▽



 使徒に組織を壊滅させられたあと、ログレットたちは連行され、宿屋の隣りの空き地まで連れて来られると、そこで一人のエルフに引き合わされた。


 ずいぶんと奇抜な格好をしたエルフだった。

 派手な衣装を身につけ、首に大きな玉の首飾り、そして今のログレットたちに勝るとも劣らない妙な髪型をしている。


「オレの名はアイウェンディル! エルフの言葉で『鳥を愛する者』を意味する! その名の通り、オレは鳥が好きだ! だから世界で一番の鳥料理が作れる料理人を目指している!」


 その自己紹介にやや疑問を感じたログレットだったが、使徒の言動に比べれば気にするほどのものではない。


「お前らにはオレのような鳥専門の料理人を目指してもらう! よろしくな!」


 そんな挨拶があったあと、ログレットたちは再び使徒に連行されて王都の市壁門までやってきた。


「よーし、これからお前たちには王都の周りを走り続けてもらう。俺も後ろから付いていき、掛け声をかけるから応じるように。――では、走れ!」


 理由も聞かされず走らされることになったが、これに反対できる者などおりはせず、ログレットたちは言われるがまま走りだした。


「では掛け声いくぞ! へいらっしゃいっ!」


『へいらっしゃいっ!』


「まいどありっ!」


『まいどありっ!』


 どんな掛け声だ、とは思ったが、口答えなどできるわけもなく、またそんなこと考える余裕もすぐになくなった。

 走ることは簡単でも、走り続けることは体が慣れていなければ行うことは難しい。


 しかしそれでも、恐ろしい使徒が後ろから付いてくるのだ、息が切れ、横っ腹が痛み、体が訴える苦痛に精神が蝕まれても、ログレットたちは懸命に走り続けるしかなかった。


 とは言え、やはり限界というものはあり、小一時間もするともはや走っているのか、それとも踊りながら歩いているのかわからないような状態になり、とうとう限界を迎えた者が倒れ込む。


 するとそこから伝播するように、バタバタと倒れる者が現れ始め、結局は全員が地面に伏すことになった。


「おいコラァー! 誰が休んでいいなんて言った! 走れ! 走るのだ!」


 未だ息切れすらしていない使徒が怒鳴る。

 使徒は恐ろしいが、もう動けないものは仕方なく、ログレットを含めこれに応え立ち上がる者はいなかった。


「お前らはまだ生きている! ならばまだ走れる!」


 使徒が言うことは相変わらず無茶苦茶だ。


「……な……なんで……こ、こんな、ことを……?」


 息も絶え絶えに、ログレットは尋ねた。

 すると使徒は言った。


「大量の注文に対応する持久力を養うためだ! 屋台を引いて王都中を練り歩く体力を作るためだ! まあこの短期研修においては自分の限界を知るための訓練だな!」


 一応、意味はあったらしい。

 こんなふうにちゃんと理解できる話を使徒がするのは、もしかしてこれが初めてではないか。

 ログレットはそんなことを思ったが――


「余計な疑問を持つ余裕があるのに、お前らは走るのをやめた。つまり俺を舐めているのだな? 本当に限界かどうか、それを確かめる術がないと思っているのだな?」


 すぐに使徒の言動が不穏になり、そこらに生えていた雑草を指差して言った。


「ところでお前ら、あの草がどういう草かわかるか? 俺はな、あの草のことをより詳しく知ることができる」


 使徒はおかしなことを言いだしたが、発言のほぼすべてがおかしいのだから、これはもはや正常と言うべきなのだろう。

 もう何が何だかわからない。


 そしてログレットたちが困惑したまま見つめるなか――


「〈鑑定〉」


 使徒が呟き、キッと雑草を睨んだ。

 すると――だ。

 使徒に睨まれた雑草は淡く光り始め、その光はすぐに眩いほどの輝きとなり、最後にはシュワシュワ~っと妙に爽快な音を立てながら消え失せた。


『は?』


 何が起きたのか、すぐに理解できた者はいなかった。


「やはり消滅したか、鑑定は失敗だな。だがちゃんと得られた情報もある。どうやらあの草は『草!』らしい。わかるか? 元気がよかったんだ。おそらく、これからすくすくと育つはずの草だったんだろう。悪いことをしてしまったな。許せ、草よ」


 自分が消滅させた草に謝る使徒。

 いよいよ間違いない。

 キチガイだ。


「さて、今見せた通り、俺は不完全ながら対象をよく調べる術をもっている。これはつまり、本当にお前たちが限界なのかどうか、判断できるということだ」


『――ッ!?』


 誰もが震え上がった。

 そのなかにあって、ログレットは使徒の真の恐ろしさを知った。

 強さなどではなかった。

 思考とか思想とか、そういう中身こそを恐れるべきだったのだ。


 使徒たちにとって、自分たちはあの哀れな草にすぎない。

 そこまで理解した者がほかにいるかどうか、ログレットに判断はつかなかったが、使徒が自分たちに何をしようと考え、その結果、自分たちがどのような結末を迎えるかは理解できたようだった。


「さあ、わかったら走れ! 光になりたくはないだろう!」


『あ、ああぁぁ――――――――ッ!』


 恐怖が駆り立てた。

 動かないはずの体が動いた。

 ログレットは走った。必死で走った。走っていないと死ぬからだ。光になるからだ。安らかに死ねるなどとは思っていなかったが、それでも光になって消え失せるなんて想像を絶する死に方をするのは嫌だった。


 ほどなくして、ログレットの意識はぶつんっと途切れた。



    △◆▽



 地獄のような体力訓練が三日続けられたのち、ログレットたちはいよいよアイウェンディル料理長から鳥料理を習うことになった。


 まずは鳥を狩るところから、と言われ、戦斧鳥を狩りに遠征することになったのは驚いたし、その狩りで負傷者も出たが、そんなものはあの三日間に比べれば大したものではなかった。


 食材が手に入り、いよいよ習う鳥料理。

 記念すべき一品目は『カラアゲ』であった。

 料理長が言うには、鳥料理はカラアゲに始まり、カラアゲに終わるとされるほど重要な料理らしい。


 ログレットたちにとって、アイウェンディル料理長は言動こそ多少おかしなところがあるものの、鳥料理に対しては実に真摯であり、また自分たちを本気で料理人にしようという熱意を持つ、使徒よりもよほど好感が持てる人物だった。


 誰もが誰も、物事に対しこれほど真面目に取り組んだことなど一度もなかったと言えるほど、アイウェンディル料理長の教えを真剣に身につけようとした。それは、もちろんまたあの地獄のシゴキを受けたくないという気持ちもあるが、自分たち一人一人に向き合い、丁寧に指導をしてくれるアイウェンディル料理長の期待に応えたかったからであり、それはログレットとて変わらなかった。


 しかし、鳥の解体から切り分け、そして下拵えと順調に進んだ料理研修、いざカラアゲを揚げるとなった段階で脱落者が出た。

 ログレットだ。


「アイウェンディル料理長、駄目なんです……! このカラアゲを揚げるときの、油が爆ぜるのが、あとジュワジュワ~ってするのが、俺は恐くて仕方ないんです……!」


 何故、恐ろしいのか。

 ログレットが自覚することはできなかったが、それは己が積みあげたすべてを吹き飛ばしたあの爆発が、そして使徒のひと睨みでシュワシュワ~っと雑草が消滅したのがあまりにも恐ろしく、心にひどい傷を負っていたからであった。


「すみません、俺にはカラアゲは無理です……! でも、他の鳥料理ならいけると思うんです……! だから他の――」


「バッキャローッ! カラアゲは鳥料理の基本だ! カラアゲを揚げられない奴に他の鳥料理なんて教えられるか! さっさと見切りつけてんじゃねえぞ! てめぇお利口さんか!」


「……ッ!?」


 弱音を吐くログレットに、アイウェンディル料理長は激怒した。

 このときログレットが感じた恐れは、使徒による生命の危機とはまた別の、影のようにずっと彼につきまとっていたものであった。


 ここでも自分は駄目なのか……?

 自問自答するログレットであったが、そんな彼に涙ながらに詫び始めたのは、使徒に絡んだ仲間であった。


「すまねえ、カシラ、すまねえ……! 俺がとちったせいでこんなことになちまって……! 無理することになっちまって……!」


「い、いや……」


 組織が壊滅するきっかけを作ったのは確かであれど、カラアゲを揚げられないのは別の話だとログレットは思った。最初こそ怒りはしたが、今はもう責めるつもりはないし――、いや、それよりもだ。


「まだ俺をカシラと呼ぶのか……?」


 こうなった以上、もう上も下も関係なく、むしろカラアゲを揚げられない自分こそが和を乱す足手まとい、弾劾すべき落ちこぼれだ。

 そう考えていることをログレットが告げると――


「な、なに言ってんです……!? 今でもカシラはカシラっすよ! 鳥料理を広めるためにも、これからも俺たちを引っぱってもらわないと困りますって……! なあみんな!」


 これに、見守っていた仲間たちは口々の肯定の意を示した。


「そうか……。すべてを失ったわけではなかったのか……」


 仲間が残った。居場所が残った。

 ならば、揚がるカラアゲが恐いと臆病風に吹かれ、勝手に見切りをつけて居なくなるわけにはいかない。


「……」


 アイウェンディル料理長は腕組みしてただ静観していた。

 待っていてくれたのだと、ログレットにはわかった。


「アイウェンディル料理長……。俺、カラアゲを揚げたいです……!」


「はっ、しゃあねえな!」


 それからログレットはアイウェンディル料理長からより熱心な指導を受けることになった。

 もちろん克服は容易なことではなかった。

 だがようやく前向きな覚悟を決められたログレットは恐怖に屈してしまうことはなく、むしろ立ち向かっていった。

 解体された家屋の木材をもらって固定具を作り、そこに自らを固定させ、アイウェンディル料理長がカラアゲを揚げる様子を眺め続けるという荒行にすら挑んだ。


「うぉあぁぁぁッ! ぐあぁぁぁ――――――――ッ!」


 それは精神どころか魂を削るような苦行であった。

 廃人になるか、それともカラアゲを揚げられるようになるか。


 いったいどちらが早いのか、ログレットにはわからなかったし、もちろん仲間たちにもわかりはしなかった。


 そんなある時、ログレットはカラアゲの揚がる音が音色のように聞こえてくるようになった。

 アイウェンディル料理長や仲間たちの揚げるカラアゲ、そのどれも音色が微妙に違い、そのなかでアイウェンディル料理長の音色が一番美しく、そして揚げられたカラアゲも一番美味しいことに気づいた。


 ログレットから恐怖が消えたのは、その時であった。


「よし、じゃあ揚げてみな!」


 ログレットはカラアゲの調理に挑戦させてほしいと申し出て、アイウェンディル料理長はこれを了承。

 今日もドワーフたちに提供するカラアゲを揚げるのに大忙しの調理場で、ログレットはカラアゲの調理に挑んだ。


 今となっては、何故あれほどカラアゲが揚がるのを恐れていたのかわからない。

 だが、あの恐怖があったからこそ、自分にはカラアゲの音色が聞こえるようになったのだ。


 ログレットはアイウェンディル料理長の音色に近付けるよう細心の注意を払いながらカラアゲを揚げた。

 そう、揚げたのだ。


「アイウェンディル料理長、試食お願いします」


 自信はあった。

 だが、恐れもあった。


「……」


 アイウェンディル料理長はログレットが揚げたカラアゲが盛られた皿を手に取ると、どういうことか、それを一つも口にすることなく騒がしいドワーフたちのもとへ向かい提供してしまった。


 いったいどういうことか、唖然とするログレットのことなど知りもせず、ドワーフたちはカラアゲを口に運び、そしてウマいウマいと頬張り始めた。

 そして――


「ん? こりゃかーちゃんが揚げたやつか?」


「だから母ちゃん呼びはやめろつーの。それは手のかかる弟子が揚げたやつだよ。どうだ、なかなかだろ」


「ほう! 弟子たちのなかでは一番じゃぞ! これはそのうちかーちゃんよりも揚げるのが上手くなるかもしれんの!」


「だ・か・ら! 出禁にすんぞ!」


 苛立たしげに吐き捨て、アイウェンディル料理長が戻って来る。

 そして、一連の出来事をただ茫然と見守るだけだったログレットの背中をバシッと叩いて言った。


「やったじゃねえか」


「……!」


 ようやく、ログレットは自分が成し遂げたことを理解した。

 すると自然に涙が零れ始め、頬を伝っていく。

 そんなログレットを見守る仲間たちも、彼と同じように頬を濡らしていた。


 カシラと部下。

 だが、共に苦しみつつも新たなる人生を踏み出した仲間であった。

 家族であった。

 そう、これこそが鳥家族なのだとログレットたちは理解したのだ。


 こうしてログレットたちの洗脳は完了した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る