第10話 騎士が引くは煉獄の馬

 例えるならそれは光であろうか。

 途方もなく強烈な光だ。

 俺の体の中心から一瞬で広がり、肉体という器を満たしきったところで顕現して大爆発を引き起こす破滅の光――。


 落伍者Aに金貨を奪われた瞬間、俺はその光の発生を予感した。

 これはまったく幸いなことであった。


 過去の経験――すでに一度、この光、この激情の発露により住処を吹っ飛ばした俺は、ここでそれを起こしてはならぬと、とっさに理性を振り絞って惨劇の発生を抑え込もうと試みた。


 断固たる決意であった。

 けれど、また一方で『これは抑え込めるものではない』と判断してしまってもいた。


 結局のところ、これは天災のごとき便意に括約筋が屈したのち、それでも人の尊厳を保たねばならぬという決意によって尻を引き締めるようなものでしかなく、稼げる時とていくばくか、もはや歩くことも叶わぬのだ。


 もし爆発が起きたとなれば、発端となった落伍者Aは木っ端微塵になるだろう。

 まあそれはどうでもいい。

 問題は周りも巻き添いにしてしまうこと。

 怒りの対象ではないものの、おそらくうちの面々のみならず孤児院の者たち、そして周辺の地域住民もまとめてアフロヘアーにしてしまうに違いない。


 そう、絶対に怒られるやつだ。

 宿の収入になるからと髪を大切に伸ばしているディアとかきっとブチキレだろう。

 そんな事態になるのはなんとか避けたい。

 避けたいが……これはダメだ、もう無理なのだ。


 諦めの瞬間が訪れようとしていた。

 が、その時だ。


『みゃ!』


 脳内に響く、凛々しきシャカの鳴き声。

 次の瞬間、俺の頭部にのっしりと重みが加わり、それが現実に這いでてきたシャカであると理解するとほぼ同時――


「みゃおぉぉぉ――――――――――――んッ!」


 猛々しくシャカは鳴き、空に向かって閃光を放った。

 閃光は一直線に空を駆け、浮かんでいた雲に大きな風穴をぶち開けてもなお収まることはない。


「んなぉあぉあ~」


 シャカが身じろぎすると閃光はぶれ、穴の空いた雲をさらにずたずたに引き裂いて散らす。

 それは気まぐれに表れる猫の凶暴性の犠牲となり、哀れにも引き裂かれたティッシュペーパーの成れの果てのようであり、または部屋中に散らばるそれを目の当たりにした飼い主の心境のようでもあった。


 これはいったい何事か……?


 シャカの突然の奇行に唖然とする俺であったが、ふと、爆発寸前であった激情がすっかり落ち着いていることに気づいた。


 状況から察するに、激情により励起した魔力をシャカが吸い上げ、周囲に被害が出ないよう発散させてくれたということなのだろう。


「にゃうー……」


 閃光を放ちきったあと、シャカは気怠そうに鳴いた。

 余計な一仕事をさせられてうんざりしているようで、俺の頭にのしかかったきりとなっている。普段ならさすがに頭の上は邪魔だと抱えるなりなんなりするだろうが、今回は本当に助かったのでしばらく好きにさせておくことにした。


 ともかく、これで憂いはなくなり、あとは落伍者どもを処刑するだけとなった。

 が――


「ケ、ケケ、ケイン様ッ! ひ、額に……ッ!」


 なにやらクーニャが大慌てだ。

 どうもシャカに驚いているわけではないようで、何のことかわからず不思議に思っているとおチビたちも騒ぎ出した。


「せんせー、おでこ光ってるー!」


「猫ちゃんの手ですよ! ぴかーって! ぴかぴかーって!」


「……ん! ん!」


 ますますわからない。


「ケイン様、こちらを」


 困惑が増すばかりだった俺に、エレザが手鏡を出して向けてくる。

 これにより俺はようやく事態を把握した。


「な、なんじゃこりゃあ!?」


 俺の額には肉球の形が浮かび上がり、それがペカーッと光り輝いていたのである。


「ね、ね、猫の紋章ですよ! 使徒の証! 初めて見ました! すごい! こんなふうに光るんですね! うわー! うわー!」


 大興奮のクーニャ。

 ああ、そう言えば使徒は感情が高ぶると、額に浮かび上がるとか聞いたな……。


「ケイン様、ちょっと舐め――撫でていいですか! いいですよね!?」


「まあ撫でるだけなら……」


「うおぉー!」


 許可したところ、クーニャは嬉々として俺のおでこを撫で始め、それが楽しげに見えたのかおちびーズも参加した。

 べつに御利益とかあるわけでもなかろうに……。


 そんな一方で、様子がおかしくなったのが落伍者たちだ。


「……あ、あにき、これ、マズいんじゃねえっすか……?」


「……マズいな。使徒とか、カシラに絶対関わるなと言われてた奴じゃねえか……」


「……今のうちに逃げやしょう……」


 ひそひそ囁き合い、やがて落伍者たちはそそくさと逃げだそうとしたので、俺はパチンッと指を鳴らして土壁を生やし、通せんぼしてやった。


『……ッ!?』


 逃げられないと悟ったか、引きつった表情でふり返る落伍者たちに俺が笑顔で話しかける。


「なあ、お前らなに勝手に帰ろうとしてんの? 誰が帰っていいなんて言った? つかまずその金貨返そうか?」



    △◆▽



 瞬発的な激情はひとまず解消されたものの、根底にある俺の怒りはまだ収まっておらず、その証拠に額の肉球マークはピカピカ光りっぱなし、シャカは頭に乗りっぱなしだ。


 なにしろ、落伍者たちは俺の大切な金貨を奪ったのである。

 なんという大罪であろうか、もはや死すら生ぬるい。


 しかし困ったことに、落伍者たちはあまりに脆弱であり、とても俺の怒りのすべてを受け止めきることはできない。なんなら手始めの一撃で昇天してしまうようなか弱さである。


 憎い、だが死なせたくはない。

 相反する感情の板挟み、これでいったいどうやったら溜飲を下げられるのか……。


 ひとまず俺は縛りあげた落伍者たちを正座させ、奪われた金貨を回収してから事の成り行きを説明させた。


 話は孤児院の運営のためミシェルが落伍者たちのボスである金貸しから金を借り、その返済を迫られているというだけの話であったが、ここ数日の間に状況が変化し、返済よりも立ち退きを優先するようになったそうな。

 土地の価格が上がるとかなんとかで。


「なるほど、そういうことか……」


 どうやら家を建てる影響がこっちにも出始めているようだ。

 不当な買い叩きはあらかじめ潰されているが、金貸しならでは、借金のカタに土地を取り上げるというやり方を思いついたか。

 まあこのあたりのことは、いずれセドリックや商業ギルドが対処するだろう。

 それより今の俺にとって重要なのは、この落伍者たちが金貸しの率いる下っ端、構成員にすぎないとう事実。

 こいつは僥倖だ。


 この三人では受け止めきれない俺の怒り。

 だが、お仲間全員でならきっとなんとかなるだろう。


 となれば善は急げ。

 この怒りが眠ってしまわないうちに、さっさと金貸しの本拠地へお伺いしなければならない。


 ふふ、きっとすごく楽しいことになるぞ。


 怒りつつも俺は期待に胸を膨らませることになったが、さすがにその様子を子供たちに見せるのは憚られるため、エレザに頼んでペロを含むおちびーズ、あと邪魔な猫どもを連れて宿へ帰らせた。


「はあ、はあ、ニャザトース様ぁ……」


 クーニャはしつこく俺のおでこを撫で続けている。

 帰れと言っても帰らないことはわかりきっているのでこれは放置することにしたが、シセリアが残ると言いだしたのはちょっと意外だった。


「いやー、ここでケインさんを野放しにはできませんから。何かあったら……ってか絶対何かあるんで、あとでどうして同行しなかったってめちゃくちゃ怒られるやつです。仕方ないんです」


 渋々であることを隠そうともしないシセリア。

 いっそ清々しい。


「さて、すまないな、ちょっと先に済ませないといけない用事ができてしまった。あとでまた来るから、家具や木材はそのときに渡そう。ああそうそう、これは寄付だ。子供たちに何か食べさせてやるといい」


 心配そうにしているミシェルに金貨を渡したあと、落伍者たちを立たせ、さっそくアジトへと向かうことにする。

 だが――


「このまま連行するのでは芸がないな……」


 落伍者たちには、少しでも俺を楽しませる義務がある。

 そこで俺は落伍者たちを馬で引きずってはどうかと考えた。西部劇とかである、手とか足に縄をかけ、ずるずる引きずるあれだ。


 それはまったく素敵な思いつきだったが、生憎とその引かせる馬がいない。

 シセリアに頼み、ユーゼリア騎士団から借りてきてもらうことも考えたが、それを待つとなるとけっこうな時間を食ってしまって興醒めだ。


「仕方ない、ここは代替案でいくか」


 俺は胴長の三角木馬を創造すると、落伍者たちを仲良く跨がらせた。


『アアアァ――――――――――――ッ!!』


 己の自重によって三角形のカドが股に食い込み、その痛みに耐えかねた落伍者たちがあられもない悲鳴を上げる。

 それは心地よい囀りではあったものの、ちょっと近所迷惑かもしれないと考えた俺は、少し静かにさせるべく落伍者たちの口に大きなペロペロキャンディーを突っ込んでやった。

 これはその苦しむ様によって俺の心を少しばかり温かくしてくれたことへのご褒美でもある。

 口に広がる飴の甘さと、股間が訴えるかつてない苦痛。

 これらが渾然一体となる時、この落伍者たちの精神は新たなる地平へと旅立つことになるだろう。


「よし、ではシセリア、引いてくれ」


 この木馬は車輪付き、引っぱることで移動可能な優れもの。

 ここらの路面は地面剥きだしのぼこぼこなので、移動させることで木馬は跳ね、落伍者たちによりエキサイティングな体験をもたらしてくれる。


「うぅ、力仕事はいいんですが……なんか騎士からはかけ離れたものに関わっているような気が……」


 気乗りしないようではあったが、シセリアは犬ぞりの犬がごとく木馬を引いて歩き始める。

 するとだ。


「ンゴッ! ウンオゴォホォ……ッ!」


「アンガーッ! ゴガゴギゴゴ……ッ!」


「ンオオォッ! ウゴゴゴ……ッ!」


 想定した通り、その刺激によって落伍者たちはたまらず悶絶エンジョイ。

 うんうん、堪能してくれているようで俺も気分が良い。


「な、なんだあれは……!」


「むごい……人のすることか……?」


「こらっ、見ちゃいけません! 家に入ってなさい!」


 いったい何事かと集まってくる地域住民。

 誰も彼も、木馬を一目見たところで表情が驚愕に染まる。


 木馬の主な構成要素はありきたりな木材であり、なんならお父さんの日曜大工でだって作り上げられる代物でしかない。しかし、その設計思想はこの世界において文化的オーパーツであり、もはや未知との遭遇と言っても過言ではないため、きっと地域住民が受けるカルチャーショックは相当なものなのだろう。


「ところでケインさん、出発したのはいいんですが、どこへ向かったらいいんですか? この人たち、うめくのに忙しくてとても案内するどころじゃないですよ?」


「ああ、それなら大丈夫。俺は〈探知〉という魔法が使えるんだ」


「え」


 何かと素材を探して歩き回らねばならなかった森暮らし。

 これを少しでも楽にしようと開発を試みた魔法、それが〈探知〉だ。


「ケインさんあの――」


「ちょっと待ってろよ」


 俺はさっそく〈探知〉を使い、落伍者たちのアジトを探す。

 そして――


「よし、見つけたぞ!」


 俺はすみやかにアジトを発見。

 するとそれに遅れ、遠くの方でドーンッと何かが爆発するような音が響き、もくもくと上る黒煙が見えるようになった。


「……」


「シセリア、あの方角へ向かってくれ。煙の場所が目的地だ」


「……え、えーっと、なんとなく予想はできるのですが、何が起こったか聞いてもいいですか……?」


「うん? ああ、実はこの〈探知〉は未完成でな、お目当てのものをちゃんと探し出すことはできるんだが、なんか発見ついでに爆発させちまうんだよ。不思議だよな」


「ケインさんの性格が表れているのでは……?」


「ははは、こやつめ」


 面白い冗談だ。

 俺ほど穏やかな日々に焦がれる者など居はしないというのに。

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