第8話 アルコールの向こう側
シルの住みたい家を建てるはずが、どういうわけか俺が住みたい家を建てて贈るという話になってしまった。
どうして話が捻れたのか、考えてはみたが原因を突き止めることはできず、またそれをはっきりさせたところで俺のやるべき事は変わりはしないだろう。
その日、俺は森ねこ亭の食堂にて、朝食を終えたあとも大きなテーブルに陣取り、真っ白な紙の前で腕組みをしてどんな家を建てるか考えていた。
おちびーズの訓練は中断することになってしまったが、ノラとディアは大らかな心でそれを許し、現在は俺と同じようにテーブルに陣取り、与えた紙と色鉛筆でお絵描きに勤しんでいた。傑作ができたら壁に飾るそうだ。ラウくんもお姉ちゃんたちに倣ってせっせとお絵描き。キリッと凛々しくお座りしているペロの写生を行っている。
その他の面子はエレザがおちびーズを見守り、シセリアは手持ち無沙汰すぎて宿の手伝い、クーニャは猫どもの世話とそれぞれ何かやっていたが、いつもなら屋台の準備を始めているアイルも今日はのんびりと食堂に留まっていた。
「今日はドワーフたちが家の取り壊しに来るだろ? なんか食事はオレに頼みたいってことでさ、だから屋台は休みなんだ。まあしばらくはここで頑張って営業ってわけだ」
どうせ屋台で出向こうが客はドワーフ。
出向かなくても特に変わりはなく、問題もなさそうだ。
「おうーい、来たぞー」
そして白紙と睨めっこすることしばらく。
ドルコがドワーフを十人ばかり引き連れて森ねこ亭にやって来た。
「あれ、あんたまで来たのか」
「ああん? なんじゃ、儂が来ちゃ悪いんか?」
「ああいや、ただ取り壊すだけなんだから、わざわざ親方が来ることもないんじゃないかなと」
「そりゃそこらの取り壊しなら任せるが、なんせ守護竜様の邸宅が建つわけじゃからな。この仕事は最初から最後まで儂が指揮するぞ」
「そういうことか」
大仕事だと気合いが入っているわけだ。
「んで、どこから取り壊した方がいいとかあるか? なけりゃ勝手にこっちで判断して進めるが」
「あー、任せてもいいんだけど、宿の裏手にある三軒から取り壊した方がやりやすくなると思う」
「どういうことじゃ?」
「宿の裏は裏庭だから、まずはその塀を取り払って、残ってる家具とか、解体した建材は裏庭に置く。溜まってきたところで、俺が裏庭に行ってそれを収納する」
「ほう、それなら置き場に困らんな!」
俺の提案に、これなら予定よりも早く片付くかもしれないとドルコは気を良くした。
どうやら抱えている仕事で中断できないものは急がせているらしく、余裕が生まれるのは望ましいとのこと。
「本当はもっと人を連れてきたかったんじゃがな。まあ明日からは増える。おそらく三日か四日で解体し終わるじゃろ」
そう告げ、ドルコはさっそく仕事にかかった。
まずは森ねこ亭の裏庭へ向かい、塀を取っ払うと裏手の家屋の壁を引っぺがし始めた。こういう雨風に曝されていた建材はもう薪に使うしかないが、柱や梁は削れば再利用できる木材となるそうだ。
家屋の裏手に大穴を開けたあと、ドワーフたちはえっさほいさと残された家具を運び出す。
これはけっこう場所をとるため、俺は中庭で待機して運ばれてくる家具を〈猫袋〉へと収納した。
この作業を続けるうち、これって俺が行って片っ端から〈猫袋〉に放り込んでいけばいいのではないいか、いやそもそも、先に家屋を回って収納しておけばよかったのではないかと思い至ったが、思いついていたとしてもドワーフたちが楽をできる程度の話であったため気にしないことにした。
解体は任せると決めたのだから、これでいいのだ。
家具を運び出し、家屋がもぬけの殻となったところで本格的に解体が開始。ドルコを始めとした五人のドワーフが建材をどんどん引っぺがし、残りの者たちがバケツリレーの要領で裏庭へと運搬。みるみる家が解体されていく様子はアリがお菓子の家を食い尽くすようで、ついつい眺め続けてしまう光景であった。
このドルコたちの淀みない仕事ぶりにより、昼には一軒の家屋が跡形もなく消え去り、きれいな空き地が残るばかりとなった。
「よーし、ひとまず一軒片付いたな。続きは昼から、腹ごしらえをすませてからじゃ」
と、一仕事を終えたドルコたちは裏口から宿へと入ってこようとするが、これはアイルにより蹴り出される。
「埃まみれでこっちに来るんじゃねえ!」
ひどい扱いである。
しかしアイルの言う通り、ドルコたちは粉塵まみれ、わかりにくい人相がもはや判別不能、お粗末なクローン集団のようだ。
「師匠、ちょっと空き地にテーブルとイスを用意してやってくんね? 料理はこっちから運ぶことにすっからさ」
「それがいいだろうな」
俺が空き地にテーブルとイスを用意してやると、アイルが料理を運んでくる。屋台ではカラアゲのみだが、今日は宿の調理場が使えるため複数の鳥料理が提供され、これにはドワーフたちもご満悦。
青空食堂と化した空き地で、ドワーフたちは一心不乱に料理をもしゃもしゃ、ビールをがぶがぶ。
当たり前のようにアルコールを摂取するドワーフたちを見ると、まだ仕事があるだろうと言いたくなるところであるが、奴らにとってビールなど炭酸の効いた麦茶にすぎないようだ。
こうして腹を満たしたドワーフたちは、ちょっとお昼寝をしたあと再び解体を開始し、日暮れにはもう一軒の解体を完了させた。
これで今日は帰還するのかと思ったが――
「ん? 儂らはここに泊まり込むぞ? こっちと向こうを行き来する時間も惜しいんじゃ。泊まるところなら、ほれ、空き家がいっぱいあるじゃろ?」
「まあ確かにあるけども……」
そこまで時間を切り詰めようとするほど厳しいスケジュールになっているとは思ってもおらず、ちょっと申し訳なくなった俺はせめてもの気晴らしにと、空き地に露天風呂を用意してやり、ボディソープやシャンプー、リンスの提供をおこなった。
結果、それまで地獄の炭鉱から這いでてきた闇のドワーフだったようなドルコたちが、髪や髭がふわふわさらさらな高貴さを感じさせる光のドワーフへと変貌した。
まるで泉の女神にすり替えられた斧のようである。
いやこの場合は露天風呂の女神か?
△◆▽
家屋の解体二日目。
ドワーフの数が三倍くらいになった。
前日の解体で生まれた空き地にみっちりとドワーフ。
想像してみてほしい、教室いっぱいのドワーフというものを。
圧巻? 壮観?
いや、これはそういったものとは違う……集団恐怖症を呼び起こす何かだ。
あと互いに近づきすぎて、髭が絡まり合わないかと変な心配もしてしまう。
「よーし、では始めるぞ!」
ドルコの号令により、二日目の解体が始まる。
昨日は一軒ずつだったが、今日はドワーフの数が三倍になったことで三軒同時進行での解体。昨日はぽけーっと見学している余裕があったものの、今日は解体された建材がみるみる積みあげられるため、俺もドワーフたちの流れ作業の一つとして組み込まれ、せっせと〈猫袋〉に収納を行うことになってしまった。
だが……まあそれはいいのだ。
解体がすみやかに進むのは望ましいことだから。
問題は食事だ。
ドワーフたちが昼食をとるのは、解体された三軒分の空き地に用意された青空宴会場。
冬眠明けの熊みたいに腹ペコになったドワーフたちは、提供される料理を片っ端から貪り、その合間にビールをがばがば飲む。
屋台営業で鍛えられたアイルは昨日の三倍のドワーフ相手になんとか営業しきったが、恐ろしいのはこれが仕事の合間の昼食にすぎないという事実である。
つまりあとの仕事を考慮し、セーブした食事なのだ。
午後も解体は順調に進み、そして恐れていた夕暮れが訪れる。
ドワーフどもの夕食の時間だ。
仕事の終わり、あとは飯食って風呂入って寝るだけという解放感に満たされたドワーフどもは、己の餓えと渇きを癒すべく、昼食時の忙しさなど可愛いものであったと俺たちに知らしめるほど飲み食いに勤しんだ。
「ヴォアァァァァァ――――――――ッ!」
咆吼を上げながら忙しなく調理場を動き回るアイル。何か魔法を使い、自身の素早さを引きあげての調理は、目を凝らしていないと姿を見失うほどの速さであり、迂闊に近寄れば撥ね飛ばされて怪我を負いそうである。
この忙しいと言うよりも、もはや追い詰められているようなアイルを見かねてグラウとシディアが手伝い始めるが――
「お、お……お? おおーう?」
「あ、あー、あらー? あららー?」
何ということか、二人は忙しすぎてまともに喋れなくなってしまった。
かつては暇を持てあます宿屋経営、そんな二人にこの忙しさは荷が重かったようだ。
すでに宿屋の面々も配膳やら皿洗いと協力しているが、それでも追っつかないというこの状況。
アイルは頑張るとか言っていたが、もうこれはそういう段階ではないため、俺はドワーフどもの所へ行ってその場で料理や酒を創造して提供するようにした。
だいたい十人ずつのテーブルに料理と酒樽を置いて回る。だが回って最初のテーブルに戻ると、料理は消えてるわ、酒樽は半分以下になってるわと尋常でない消費速度に愕然とした。
「嘘だろ……?」
思わず呟く。
だって解体に来たドワーフだけでこれなんだぜ?
じゃあこの地域一帯の解体やら建設やらで、もっとたくさんのドワーフが集まったらいったいどんなことになってしまうんだ?
「まずい、これはまずいぞ……」
くそっ、ただ家を建ててもらうだけのはずが、なんでこんな頭を悩ませるような事態になるんだ。
問題の根本は、この辺りで食事のできる場所が森ねこ亭しか存在しなことだろう。
しかし――しかしだ。
仕事に出向いた先で、食事の出来る場所が常にあるわけでもないだろうし、ならば弁当を持参するなり、今回のように人数が多いなら給仕部隊が派遣されるなりと方法はあるはずだ。
にもかかわらず、まったくその気配がないのは……。
「鳥料理……そして酒か……!」
何かしらの手段を講じれば、ここで食事をとることができなくなってしまう。
だからドワーフどもは何もしない。
できないではなく、しない。
すっかりアイルの屋台で美味い鳥料理と酒に慣れてしまったが故にドワーフどもは食事の用意などしないのだ。
ちくしょう、なんてこった……!
誰だよ、アイルに屋台やってみろとか唆した奴は……!
俺だよ!
だって毎日毎日鳥料理はつらかったんだもん!
浜辺のおじさんだって毎日毎日たいやきが釣れたら飽きるよ!
そんなのリリースだよ!
「まずい……何か、何か手を考えないと……これ以上ドワーフどもが集まるとなったら、アイルは過労死するし、グラウとシディアは人の言葉を失うし、俺はドワーフどもに料理と酒を提供するマシーンにされてしまう……!」
近い将来、必ず訪れるであろう破滅に俺は震え上がった。
もう今すぐ対策を考えたいところだが……今ここで俺が抜けてしまえばアイルは潰れ、明日からさっそく俺が地獄を見るはめになる。
まずは今この状況をどうにかせねばならない。
どうにか――。
そう思い悩んだ瞬間であった。
「――ッ!?」
稲妻のごとき大いなる閃きが!
これだ、と確信した俺は、巨大な瓶にもう水なら凍っているほどキンキンに冷やしたウォッカを用意すると、そこにこれでもかとレモンを搾る。
「おおう、なんじゃ? 酒か? 酒じゃな?」
さっそく意地汚いドワーフの一人が気づき、興味を持った。
「これは火酒だ。よく働いてくれているお前らへお礼にと用意してみたんだが……さすがのドワーフでもこれはきついかもしれないな」
「なんじゃとぉ!? さてはドワーフを舐めとるな!?」
飲ませてみい、とそのドワーフは手にしていたジョッキのビールを飲み干し、瓶からウォッカを汲み上げるとぐいっとあおる。
「んおおぉぉ……こいつぁよく冷えて……とろみのある口当たりに果実の爽やかさ……ウマいな!」
「なにぃ? ウマい酒じゃとぉ? よーし、儂が確かめてやる!」
「ウマい酒と聞いたら飲まんわけにはいかんのう、どれどれ……」
わらわらとドワーフどもが集まり、次々にジョッキでウォッカを汲み上げるとビールと同じようにぐびぐびと飲み干していく。
こうしてドワーフどもは飲む酒がビールからウォッカに切り替わり、しばらくすると陽気だった宴の様子はゾンビたちの同窓会とでもいうような怪しいものへと変貌する。
もはや何を言っているかわからない者、うやうやしく四つん這いになったかと思ったら母なる大地に食べた料理のお裾分けをする者、水属性を獲得しようと露天風呂の底に沈む者と、誰も彼もが奇行に走った。
「くっくっく、計画通り……一網打尽だ!」
諸行無常。
酒に汚いドワーフは酒によって滅びるのだ。
で、翌日。
ドワーフたちはみんな二日酔いになったため、この日の作業は中断されることになった。
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