第6話 セドリックの野望
結局、最初の立ち退き交渉は二十分足らずで円満に終わった。
その後に続く交渉も似た様なもので、金貨の山による破壊力のごり押しの結果、昼前には十五件の交渉がまとまる。
森ねこ亭が面している表通りの並びを六軒、森ねこ亭の裏から裏通りに沿って九軒。
土地の様子を上から見た場合、大きな長方形の内側、左下すみっこに置かれる小さな長方形が森ねこ亭ということになる。
当初の予定ではこれが買い取る土地のすべてであったが、交渉がずいぶんとすんなり終わったこともあり、俺は森ねこ亭の左側、並び三軒とその裏の三軒も追加で確保した。
これは念のためというか、もしアイルが店を構えることになった場合に提供するための土地である。さすがにここまでしてやれば、人生をねじ曲げた責任をとったと言っても過言ではないだろう。
まあ言うと調子に乗るのでしばらくは内緒だ。
「ケインさん、もう土地は充分ですか?」
「ああ、これで大丈夫だ」
森ねこ亭の食堂で休憩中、確認してきたセドリックに土地の確保を終えることを告げる。
「わかりました。では私はこれから商会のための土地を確保することにします」
「そうか。どこらへんを狙っているんだ?」
「この宿の正面を、と。いずれはご近所さんになりますね。この後は商業ギルドの職員たちも、手分けしてこの宿を中心とした地域一帯の土地を確保するため交渉を始めますよ」
「ん? 商業ギルドも?」
「ああ、ギルドが確保しようというのではなく、代理ですね。私が話を持って行った方々や、ドワーフ大工団のような団体の」
「ああ、そういう……」
「あと、国も近場に土地を確保するようですよ。なんでもユーゼリア騎士団の出張所を作るとか。そうですよね?」
「はい。セドリックさんの仰る通りです」
セドリックに話を振られ、エレザはうなずく。
「シルヴェール様がお住まいになるわけですから、治安を良くするためにも出張所くらいは置くべきだろうと。多少治安が乱れていようとシルヴェール様にとっては気にかけるほどではないかもしれませんが、一応、国としての面目がありますので」
「面目ねぇ……」
まあシルはあれでもこの国からすれば大森林を管理してくれているありがたい竜か。
「ちなみに、その出張所の責任者にはシセリアさんが就任することが決まっています」
「うぇええぇ!?」
エレザによる、流れ弾のような突然の発表。
先輩騎士たちにさんざんもてあそばれ、ぐったりテーブルに伏せていたシセリアは悲鳴(たぶん嬉しいものではない)を上げながらバネ仕掛けのオモチャみたいに跳ね起きた。
「き、聞いてませんけど!?」
「はい、今言いましたから」
「いやいや、そういうことでなくて!」
「ちょっとびっくりさせてあげようと思いまして」
「ちょっとどころのびっくりではないですよこれは!? ってか、その言い方のびっくりと、私が受けたびっくりってすんごい齟齬があるんですけど!?」
突然の昇進(?)に取り乱すシセリア。
そんな彼女にクーニャが言う。
「シセリアさん、シセリアさん」
「何ですか!? いま私ちょっと追い詰められているんで、何かあるなら後にしてもらいたいんですが!」
「いえ、神殿も神殿騎士の出張所を用意することになっていまして、責任者はシセリアさんということに決まっているのですが」
「あぁあああぁぁぁ――――――ッ!?」
シセリアは悲鳴(やはり嬉しいものではない)を上げながらびくんびくんと痙攣し、やがてバネが破損したオモチャみたいにへにょっとテーブルに伏せて動かなくなった。
「哀れな……」
身の丈に合わぬ昇進に、とうとう心が砕けてしまったか。
不憫に思った俺は、シセリアの顔の横にそっと苺大福をピラミッド状に積んでやる。
もしこれで動きがなければ、シセリアの精神はいよいよ限界だ。
しかし苺大福を用意してすぐ、のそっと緩慢な動きではあれどシセリアは大福を手に取ってもちゅもちゅと食べ始めた。
まだ大丈夫みたいだな。
「え、えーと、ケインさん、もしかして私、余計なことを言ってしまいましたか?」
「いや、いずれ明らかになっていた話だ。気にすることはないよ」
「なら良いのですが……。まあそういうわけで、しばらくはギルド職員を見かけることになると思います。その後は……出遅れた人々がなるべく近辺の土地を確保しようと動くでしょうね」
「出遅れ組か……。そっちはちょっと揉めそうだな。土地の価値が上がると見込んで、強引な交渉とかやりそうだ。不当な価格で買い上げるとか」
「そうですね。実はそれを予想して、ケインさんには少々高めに金貨を積んでもらったんですよ」
そうセドリックは控えめな表現をするが、俺が土地を買い上げた金額は結構なものだ。なにしろ金貨の山。生活費など込み込みでひと月金貨一枚もかからないような人々に支払う額としてはずいぶんと過剰である。
「本来であれば安く買い上げるのが定石というものです。安い土地なのですから、安く買い上げてしまえばいい。これをあえて金貨を多く積んでもらったのは、守護竜様が住むことになる土地を買い叩いてしまうのは失礼にあたると考えてのものでした。まあそれもケインさんの予算が潤沢で、出費を渋ることがなかったので実現したことなのですが」
ご祝儀値みたいなものか。
確かに出費を絞れとか一言も言ってなかったし、むしろたくさん使ってくれって感じだったから問題はない。
「そしてこの買い取り金額は商業ギルドを通じて公開するようにしました。今後しばらく、これは一つの基準となります」
「基準?」
「はい。もしどこぞから話を聞きつけ、土地を安く買い叩こうとする者が現れた場合、手続きの段階でそれは不当であると商業ギルドから待ったがかかります。通常であればこのような事はありませんが、なにしろ守護竜様がこの地域にお住まいになるという話から始まったことですから、よからぬ者にケチをつけられてはたまらないと商業ギルドも必死になります。国も後ろ盾になるので、商業ギルドはがっつり噛みつくでしょうね。せめてケインさんが支払った額の、その三分の一は支払うよう求めることでしょう」
まあそれでも本来の価格からすればかなりの金額なのですが、とセドリックは笑う。
「また逆に、買い取り価格の公開は土地所有者が途方もない金額を提示してくることも防げます。そもそもが守護竜様の邸宅あっての話です。そのためにケインさんが支払った金額よりも高額を提示するというのは、もはや不敬にあたります。同額であろうと不遜です。こちらはせいぜい半分までとすべきでしょう」
「なるほど、確かに基準だな……」
俺の支払った金額を元に、買い取り価格の下限と上限が決まったようなものだ。
しかし、である。
「なあセドリック、今が底値だって言ってたのに、自分から本当の底値では買えなくしちゃったのはどういうことなんだ? シルに気を遣うにしても、他にやりようがあったんじゃないか?」
また損をしすぎる者がいないように、得をしすぎる者がいないように、とバランスを取ったように思えるが、セドリックは商人だ、本来であればそんな気を回すようなことではないだろう。
「ケインさん、私はですね、この地域を発展させたいのですよ」
セドリックは嬉しそうに微笑みながら言う。
「本当の底値で買い叩いて、土地の値段が上がりきったところで売り払おうとするような者は必要ないんです。ちゃんとその土地に価値をみいだし、安くない金額を払って確保してくださる方でなければ意味がないのです」
「篩に掛けたってことか」
「まあ、そうですね。しかし私が話を持って行った方々は、みなさん納得して頂けましたよ? 少々高くはなりましたが、それでも底値には違いありません。いえ、先のことを考えれば、ケインさんが支払った金額ですら底値と言えるでしょう。この地域にはそれだけの価値があるんです。私がそうしてみせます」
そのセドリックの言葉には何が何でもこの地域を発展させ、ヘイベスト商会を根付かせてみせるという覚悟を感じる。
考えてみれば、何かのきっかけになればとセドリックが森ねこ亭の開業を支援したのが十年前だ。となればもっと以前から発展の機会を窺っていたということになる。
なかなかの執念。
悠々自適を目指す俺としても見習いたいところである。
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