第22話 ネコを認めよ 後編
「お初にお目にかかります。わたくし、当神殿を預かる神殿長のウニャードと申します」
そう挨拶してきたウニャードは偉い神官然とした猫爺さん。
しかし髪や眉、特に灰色混じりの立派なお髭が実にもふもふっとしているため、俺には年を経たマヌルネコがご老人に化けているように思えてしまう。首からぶら下げているロザリオ的なものが、猫の肉球を象っているせいで尚更に。
「こちらの娘は私の補佐を務める祭儀官のクリスティーニャです」
「クリスティーニャです。こうして使徒様にお目にかかれたこと、大変嬉しく存じます」
続いて挨拶してきた猫娘。
歳はシセリアと同じか、少し上か。灰色より銀に近い髪は長く、くりっとした瞳は青。浮かべる微笑みは実に上品。おかげで猫型獣人の少女といったら語尾に『ニャ』をつけるもの、性格は陽気で気まぐれ、そして何かと騒がしいという俺の先入観は打ち砕かれた。
「そしてこちらが神殿騎士長のオードランです」
「オードランです。拝顔の栄に浴し、身にあまる光栄に存じます」
猫爺さん、猫娘ときて、ここで普通の中年男性になった。まあ普通とは言っても猫耳ではないというだけであり、逞しくがっしりとした体つきで厳めしい顔つきをしているのだ、そこらの一般人とは明らかに違うご職業であることはすぐにわかる。
ひとまず向こうの挨拶はここで終わり、オードランに率いられてきた神殿騎士たちまではやらないようだ。
となると、今度はこちらのご挨拶だろう。
「えーっと、もう知っているようだけど、神さまの厚意で別の世界から移住させてもらったケインだ。俺みたいな奴は世間では使徒と呼ばれているようだけど、ホントただ移住してきただけだから、そんなかしこまらないでもらいたい。もっと普通で頼むよ」
敬われても温度差に戸惑うばかりで困るのだ。
そのあとうちの面子が順番に自己紹介していき、それを終えたところで今日訪問した理由を告げる。
気が向いたので散歩がてらなんとなく来てみたとかすごく言いにくかったけども。
「いえいえ、どのような理由であれ、使徒様が神殿を訪ねてくださることはありがたいことなのです。このような機会でもなければ、我々は使徒様と言葉を交わすこともありませんからね」
「うん? ああ、そう使徒がいるわけでもないからか」
「はい。さらに我々は無闇に使徒様と関わろうとすることを自粛しておりますので。浅ましく押しかけるなど、使徒様にとってはご迷惑でしょう? 中には少々度を超えた者もおりますので尚更に」
おや、そんな気遣いまでしてるのか。
信奉する神の使いなんて現れようものなら、保護だのなんだの言いながらとっ捕まえようとするのが信者だとばかり思っていたが、どうやら猫教の信徒たちは違うようである。
「それでケイン様、もしよければなのですが、あとでニャザトース様のことを聞かせては頂けませんか?」
「ん? ああ、話せるところだけでいいなら……つか今でもいいけど」
この訪問はただの見学、目的などないため後でと言われても逆に困るの。
それにうちの面々も神さまのことを聞きたいようだったので、俺はウニャ爺さんの申し出を快く引き受け、スローライフに関わることは除いてその時の様子を思い出しながら話して聞かせた。
この話をうちの面々――主にノラとディアとシセリアは「へー」とか「ほー」とか声を上げながら聞いていたが、ウニャ爺さんはそっと目を瞑り、一言たりとも聞き逃さぬようにと集中して清聴、クリスティーニャは内容をせっせと紙に書き記していた。
そして話は続き、神さまが俺に恩恵を与えてくれた様子となる。
「んで神さまは自分の右前足を……こう、わかるかな、普通の猫がやるように顔の前にもっていって、肉球をペロペロ舐めたんだ。でもってその肉球を俺の額にむぎゅっと押しつけたんだよ」
これで俺は『適応』を授かった。
と――
「ああ、なるほど! そういうことだったのですね!」
突如、清聴していたウニャ爺さんがカッと目を見開いた。
「え、な、何が……?」
今の話のどこにそんな興奮ポイントがあったのか。
戸惑う俺にウニャ爺さんは鼻息も荒く語る。
「御存知かと思われますが、使徒様は激しく感情が高ぶると額に猫の紋章が現れます! まさに肉球の形が! これまではニャザトース様が猫であられるため肉球なのだろうと曖昧に結論されておりましたが、ケイン様のお話によりその理由がはっきりしたのです!」
「……」
いや、猫の紋章とか、知らんけど。
え、マジで感情が高ぶると額に肉球マークが浮かび上がるの?
じゃあ俺がブチキレて自宅を吹っ飛ばしたとき、額には肉球マークが出ていたの?
「ああ、今日は何という日なのでしょう! 長きにわたる謎が解き明かされました! これはすぐにでも大神殿へ報告せねば!」
「うん、まあ、したらいいんじゃない?」
信徒にとっては世紀の大発見なのかもしんないけど、俺にとっては実にどうでもいい話だ。
でもまあ、喜んでいるようだし、気まぐれでも訪問した甲斐はあったのかな?
そんなことを思っていたところ――
「ケイン様……」
「ん?」
何やらうっとりした顔のクリスティーニャが俺の前に立ち――。
そして言う。
「おでこをペロペロさせていただけませんか?」
「え」
「おでこをペロペロさせていただけませんか!」
「え」
「おでこをペロペロさせてくださいとお願いしているのです!」
「聞こえてるよ! びっくりしてたんだよ!」
突然なんだこの猫娘は。
何を言われているか理解するのに時間がかかったじゃねえか。
「ああ、そうでしたか。これはとんだ失礼を」
「いやそのとんだ失礼よりもっととんでもない失礼あったよね?」
「まあ! ペロペロを許していただけるのですね!」
「この反応をどうして肯定と受け取る!? つかなんで俺のデコなんぞペロペロしたいんだ!?」
「それはもちろん、ニャザトース様がじかに触れられた場所だからに決まっているではありませんか! ああ、これで私はニャザトース様の肉球を間接的にペロペロした最初の神官となるのです!」
こいつ、自分の変態性を宗教史に残そうというのか!?
「ええい、寄るな! 寄るなこの変態め!」
「変態!? それは誤解です! 私にやましい気持ちなどありません! これはニャザトース様が触れた場所を舐めたいという、ほとばしる信仰心に突き動かされての行動なのですから!」
「撫でるだけでいいじゃねえか! なんで舐めようとするんだよ!」
「そんなの、舐めた方が興奮するからに決まってるじゃないですか!」
「やっぱり変態じゃねえか!」
「違いますぅ! 歴とした神官ですぅ! 変態ではありませんー!」
「黙れ、変態であることと神官であることは矛盾しない! つまりお前は変態神官ということだ!」
「ですから変態ではないと……! もし変態だとしても、それは変態という名の淑女! でしょう!?」
「こいつ、どこかで聞いたようなことを……! お前が変態であろうと淑女であろうと、俺はデコを舐めさせはしない!」
「ぐぬぬ……。どうしてもですか?」
「どうしてもだ!」
「そうですか……。では! 致し方ありません! 聞きわけのない使徒様には強硬手段を取らせて頂きます! さあ、神殿騎士の皆さん! ケイン様を取り押さえてください!」
「なっ!?」
このクリスティーニャの言葉に騎士たちが動く。
そして――。
すみやかにクリスティーニャを取り押さえた!
「どど、どういうことです!? 取り押さえるのは私ではなくケイン様です! 貴方がたは私のような神官を守るのが役目! 気を違えましたか!」
「気を違えているのは貴方でしょうが……」
あきれたように言ったのは静観していたオードラン。
さらに騎士たちもこれに続く。
「同じ信仰を抱く者たちの守護者たるが我ら! しかし使徒様のご迷惑を顧みぬ貴方は今や異端! 従う理由も守る理由もありはしません!」
「どうして我々が使徒様の迷惑となる貴方の味方をすると思ったのか、まったく理解に苦しみますよ!」
神殿騎士の皆さんはまともだった。
ほっとする俺に申し訳なさそうな顔をしたウニャ爺さんが言う。
「ね? ご迷惑でしょう?」
「まったくだよ!」
度を超えた信徒ってこいつかよ!
くそっ、まともな猫娘だと思ったのに。
こいつのせいでせっかく上方修正した猫娘のイメージは木っ端微塵、地獄の底まで下方修正だ。
クリスティーニャなんて無駄に立派な名前してやがって……。
こいつはもうクーニャで充分だ。
「ううぅ、皆さんひどい……。私はただケイン様のおでこをペロペロしたいだけなのに……。私のような美少女がペロペロなんて、そんなのご褒美なのに……。使徒様はみんな喜ぶはずなのに……」
あかん、こいつおちびーズの教育に悪いレベルで変態だ。
「どうかお願いです、おでこを……おでこを……」
この期に及んでもまだ諦めないクーニャ。
これにウニャ爺さんは深々とため息をついて言う。
「仕方ありませんね……。クリスティーニャ、ケイン様と貴方の間をとるということで、私のおでこを存分にお舐めなさい」
「どうしてジジイのおでこなんか舐めないといけないんですかぁ――――――ッ!」
こいつ上司にものすげえ暴言吐いてるけど大丈夫か。
まあ何にしても俺がいると収まりそうにないので――
「え、えっと、俺たちはそろそろお暇するんで……」
「ま、待ってください! わかりました、ひとまずおでこペロペロは諦めます! 聞いてください!」
本当にわかったのか怪しいところだが、ひとまず何か話したいようなので聞くだけ聞いてみる。
「冷静に考えてみると、突然こんなお願いをするのは失礼でした。誠に申し訳ありません。これはもう何らかの償いをすべきだと思いますので、どうでしょう、私を身の回りのお世話をする従神官としてケイン様のお側においていただけませんか?」
「あ、もう間に合ってるんで」
「え、間に合って……?」
「そこにいる騎士のシセリアがな、お世話してくれてるから」
嘘である。
むしろ俺がおやつやらなんやら与えてお世話している方である。
だがこの猫娘の企みが透けて見えるどころか浮き上がっている碌でもない提案を断るためには致し方ないのである。
「な? シセリア」
「え、ええ、まあ、そういうことで――」
「この泥棒猫がぁぁぁ――――――――ッ!?」
「うえっ!? それそっち、ってのわぁぁぁ――――――ッ!?」
神殿騎士たちを振り払い、クーニャがシセリアに襲いかかる。
そして始まる、突然の相撲!
「お世話するとかいいながら、毎朝ケイン様を起こす際におでこをペロペロしてるのでしょう! この痴女め! この痴女め!」
「あまりにも謂れなき罵倒! 私、泣きそうです!」
がっちり組み合ってシセリアとクーニャが力比べ。
これに勝利したところで得るものなどないだろうが、両者共に負けるつもりはないらしく無駄に白熱している。
これでもシセリアは騎士見習いだったわけで、普通なら同年代のお嬢さんなんてすぐにころんと転がすところ。しかしあいにくとクーニャは獣人、身体能力が優れていると見える。そのため神官でしかないクーニャとシセリアは力が拮抗してしまって……いや、シセリアの方が押されて……。
「ま、負けたくない! さすがにこれは負けたくないのです! なんちゃって騎士ですけど、従騎士まではちゃんと頑張って成ったのに! こんな変な神官に負けるのはぁ――――――ッ!」
ちょっとシセリアが哀れになってきた。
これで負けたとなると、たぶん面倒くさいことになって、何故か俺がおやつでご機嫌取りをすることになりそうだ。
ここは何とか勝たせてやりたいが……残念ながら良い案は浮かばなかったため、いっそ勝負を中断させる方向で考える。
で、思いついたのが森でネコ科の魔獣が魅了されていたマタタビっぽい木の枝を足元に放り投げてみることである。
効果があるかどうかは不明だが……ほいっと。
「さあ、負けを認めなさい! そして私と交代するのです! なに、神殿での暮らしもそう悪いもの――の? の、のぁ~ん! にゃうにゃう~ん!」
効いた。
すごく効いた。
飛びついた。
「にゃにゃーん! これは私のものですにゃーん!」
「クリスティーニャ、待ちなさい! まずはニャザトース様にお供えするために私が預かります! さあ、そのマタタビを渡すのです!」
どうもちょっと効き過ぎて、クーニャとウニャ爺さんが枝の奪い合いを始めてしまった。
オードランや騎士たちはどうしたものかとおろおろしている。
つか、あれって本当にマタタビだったんだな。
「あんなに効くとはな……」
「ケイン様、あのマタタビはどこで採取されたのですか?」
茫然と眺めていると、エレザが尋ねてきた。
なので素直に森と答える。
「それは効くかと……」
どうやらあの森のマタタビは強力らしい。
ネコ科の魔獣に投げて遊ぶために確保しておいたものだが、まさかこんなところで役に立つとはな。
「よし、じゃあ帰るか」
これ以上、ここに居ても良いことはない。
断言する。
良いことはない。
争い続けるウニャ爺さんとクーニャを放置し、俺たちは申し訳なさそうな顔でいるオーランドを始めとした騎士たちに見送られて神殿を出る。
すると、また親分猫たちが集まって来た。
お見送りかな、と思ったが、猫たちは俺たちが神殿の敷地から出てものこのこ付いて来た。
「せんせー、猫ちゃんたち付いてくるー」
「あ、もしかしてマタタビの匂いが体についちゃったからか?」
だとすると困ったな。
マタタビをあげてもいいが、普通の猫には効果が強すぎるだろう。
「んー、まあ好きにさせとこう。そのうち興味を失って神殿へ帰るだろうさ」
と、そんなことを言った日から三日。
猫たちはまだ森ねこ亭に居座っている。
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