第21話 ネコを認めよ 前編

「今度こそ近いうちに来るからな!」


 そう言い残してシルは帰った。

 お土産いっぱいのほくほく顔で帰った。

 たぶん前回の酒と同様に、今回のお土産である日用品や生活用品で一悶着あってすぐには遊びに来られなくなるのだろうが、それについては何も言わず俺は笑顔で見送った。


 シルが帰ったことで宿が満室でなくなり、ちょっとグラウがしょんぼりしている翌日の午後、俺はおちびーズとお供のエレザ、シセリアを連れて自然公園を訪れ、なんだか久しぶりな魔法の指導を行う。


「水水お水ー、さばー、ざばばー」


「えいっ! えいえいっ! うぅー、えいっ!」


 兎にも角にもまずは水を出すことから。

 俺の指導のもと、ノラとディアはそれぞれ独自の掛け声をあげながら魔法で水を生みだす感覚を掴もうとチャレンジ中。

 しかしながら――


「むー、せんせー、ぜんぜん出ないよー?」


 なかなか成果は見られず、しばしの後、集中力が切れたのかノラが不満げに言ってきた。


「まあさすがにな、そこまで簡単には使えないさ。俺だってなかなか水を出せなくて、そりゃあ苦労したんだ」


「そうなの?」


「ああ、最初はな」


 俺は二人のやる気に繋がればと、異世界に来てすぐのことを聞かせてやる。

 それは極限の祈りがもたらした奇跡の話。

 でもオシッコの感覚から魔法を会得したことについては内緒だ。

 べつに恥ずかしいわけではなく、二人に自分で気づいてもらいたいからである。

 こういう『気づき』って大切だと思うんだよね。

 などと考えていたところ――


「あー、ケインさんはこっちに来てもう三日目でおかしかったんですね……」


 ぼそりと呟いたのは、あろうことか我が騎士である。


「おい、そこの騎士。貴様今日のおやつはいらないらしいな」


「うえぇ!? ごご、ごめんなさい! どうかそれは許してください! 私、ケインさんのくれるおやつを食べるのが生きがいなんです!」


「こいつ、生きがいとかえらいこと言い始めたな。もうちょっと違う生きがい探した方がよくないか?」


「夢だった騎士に強制的になってしまったせいか、人生迷子中なんです! 今は美味しいものを食べることがすべてなんです!」


「お、おう、そうか」


 いかんな、この藪はいかん、蛇が出る。


「仕方ない。今日のところは不問としてやろう」


「ありがとうございます! ソフトクリームありがとうございます!」


「俺がいつ注文とった!?」


 まったく、地味にとんでもねえ奴だ。

 余計なことを言うものだから――


「ソフトってなんだろ?」


「クリームってあの白くて甘いのだよね、ケーキの」


 ノラとディアの興味がソフトクリームに向いてしまったではないか。


「甘いかな?」


「甘いといいね」


 まずいことに、ソフトクリームはまだシセリアにしか食わせたことのないものだ。いったい如何なるものかと、ノラとディアはもう魔法の訓練どころではなくなってしまう。


 これはもうソフトクリームを食べさせてからでないと訓練は続けられないかなー、と思い始めたところ、ちょこちょこラウくんが寄ってきた。

 でもって両手をかみ合わせ、オーロラエクスキューションの形にするとギュッと握る。

 すると手と手の隙間からちょろっと水が出た。


「……? ん? んん!?」


 一瞬、ラウくんが見せた水鉄砲の意味がわからなかった。

 だがすぐに気づき、おったまげる。


「ラウくん、今、水出した!?」


「……ん!」


 皆が注目するなか、ラウくんはもう一度両手をかみ合わせ、ちょろっと水を出して見せる。


 あらま、これマジだわ。

 つか俺が極限状態で放尿から会得したのに、ラウくんは昨日覚えたばかりの水鉄砲で会得したの?

 ちょっとスマートすぎない?

 もしかして天才?


「おお、ラウくんがすごい……!」


「うわー、わたしお姉ちゃんなのに負けたー!」


「……むふー」


 それぞれの反応を見せるノラとディアに、ラウくんは自慢げに胸をはる。


「むう、ちょっと先に魔法が使えたからってそんなにいばって。そんなラウくんはこうだからね!」


 と、ディアはラウくんにくすぐり攻撃。

 たまらずキャッキャッと声をあげるラウくん。


「私もやるー」


 ここに楽しそうだとノラも参加。

 二人がかりでくすぐられたラウくんはもはや立っていることもままならず、ディアとノラを巻き込んで草原に転がった。


「わふ!」


 さらに遊びと思ったペロまで突撃。

 これにより仁義なきくすぐり合い、モフり合いが発生。

 その様子はただただ微笑ましい。

 仲良きことは美しきかな。


 とは言え、集中力の方は完全に切れちゃったようだ。

 ひとまず俺はしっちゃかめっちゃかなおちびーズが落ち着くのを待ち、おやつ休憩を宣言。

 用意したのはもちろんソフトクリームで、みんなでペロペロしながらこのあとどうするかを話し合う。


 日暮れまでにはまだけっこう時間があるものの、今日はラウくんが結果を出し、この訓練の意義が証明されたことだ、俺としてはもう切りあげてもいいと思っている。

 しかしノラとディアは粘ろうとした。


「私もう少し頑張ったらできると思うの!」


「わたしもです。なんかできるような気がします。だからもうちょっと!」


 ラウくんに先を越されたのが悔しいのか、ノラとディアはこれまでになくやる気になっている。

 でも意気込みばかりだと空回りするんだよね。


「んー、まあそう焦るな。このままここで練習するより、今夜お風呂で水鉄砲の練習をする方が感覚を掴みやすいと思うぞ? そしてラウくんはむふーむふーしてお姉ちゃんたちを煽らないの」


 このまま訓練を続けて『やっぱり出来なかった!』となるとますますムキになりそうだったので、やはり今日はここまでとして二人を落ち着かせる。


「でも帰るにはまだ早いな。んー、たまにはちょっと遠回りして散歩でもしながら帰る?」


「うん、そうするー」


「はーい、ケインさんがまだ知らないとこに行くのがいいと思います」


「あー、そうだな。まだこの都市を把握しきってないもんな。となると……どこか行っておいた方がいい場所とかある?」


「どこだろ?」


「どこかな?」


 こてん、と仲良く首を傾げるノラとディア。

 そこでシセリアが言う。


「ケインさん、神殿にはもう行きましたか?」


「神殿?」


「はい、ニャザトース様を祀っている神殿です。ケインさんは使徒ですし、一回くらいは行っておいた方がいいんじゃないかなーと」


「なるほど……」


 確かに一回くらいはお参り(?)しておくべきだろう。

 当初の予定など木っ端微塵になった異世界生活だが、なにもこれは神さまが悪いわけではないし、考えてみれば恩恵だったり安全地帯だったりと俺は助けられてばかりだ。


「うん、そうだな。そうしようか」


 こうして俺たちは神殿を見学しに行くことになった。



    △◆▽



 散歩がてらに訪れた神殿はなかなか立派なものだった。

 考えてみれば一国の首都にある神殿だ、そりゃあ立派に決まってるというもの。

 建物の雰囲気はキリスト教における石造りの聖堂に近い。少なくとも日本の神社やお寺よりはずっと近い。

 とは言えまんま教会という雰囲気ではなく、遠目からでもわかるほどの大きで壁に刻まれた模様にはところどころ猫が踊ってるし、神殿の天辺には巨大な猫の像が鎮座している。

 何というか冗談のようなふざけた――いや、愉快……ではなくて、えっと、親しみの湧く、お子さんが喜びそうな神殿である。


 神殿の入り口は低木の街路樹が植えられた短い石畳の先。

 大きな扉の左右には全身鎧の騎士が二人待機しているのだが……よく見ると騎士の兜は猫耳の形になっており、なんだか徹底してコンセプトを厳守するテーマパークのスタッフを連想させた。


「なあシセリア、向こうの二人ってお前んとこの騎士団から派遣してんの?」


「へ? いえいえいえ! 違いますよ! あちらは神殿騎士団の方です! ユーゼリア騎士団よりも立派な騎士団の騎士なんです!」


「あの、シセリアさん? それでは説明不足ですよ?」


 エレザが口を挟み、続けて説明の補足をする。


「ニャザトース様を崇めるニャザトース教、一般には猫教と呼ばれるのですが、当然のごとく世界規模の最大宗教です。そしてこの猫教を守護する騎士の集団、それが神殿騎士団ですね。こちらも世界規模の組織ですから、ユーゼリアのような小国の、それも主に首都を守るためにある騎士団とは格が違うのです」


「なるほど」


「あ、ですがユーゼリア騎士団と少し似ているところもあるのですよ。神殿騎士団は優秀な人材を求めていますので、確かな実力と信仰心があれば誰でも入団を許されるのです」


「へえ、じゃあエレザも望めば入団できたりするのか?」


「私は……そうですね、力量は条件を満たしていると思いますが、信仰心が足りていないかと」


「あー、信仰心か」


 うん、なんかすごく納得できた。

 一見すると実にメイド然としたエレザだけど、実態はまともとは言いがたい人物だから、これが信仰心となればもうお察しなのだ。


 ひとまず納得した俺は皆を連れて石畳を進む。

 と、そこで――


「ん?」


 にゅっ、と街路樹の陰から猫が姿を現した。

 一匹ではない。

 一匹、また一匹と姿を現し、最終的には五匹になると俺たちの進む先を塞ぐように横一列となりこちらへと歩きだした。


「な、なんだ?」


 たかが猫であるが、その『たかが猫』が整然と隊列を組んで近寄って来るなど通常ありえることではない。

 異常だ、怪異だ。

 おちびーズは「猫ちゃん猫ちゃん」と喜び始めたが、俺はこのファンシーな異変に慄くばかり。

 するとここでシセリアが声を上げる。


「神殿にいる五匹の猫……まさか、親分猫たちですか!?」


「え、なにそれ?」


「えっと、王都には猫の縄張りが幾つもあるんですが、その縄張りを統括する五匹の親分猫がいるって昔から知られているんです! 神殿に住んでいるって!」


「そ、そうなのか……」


「はい、そうなんです! うわー、私、神殿には何度も来ましたけど、見かけたことはなかったんです。それが今日はまとめて五匹。これは凄いですよ。あの猫たちは、ニャザトース様の使いであるニャルラニャテップ様のその使いであるっていう話もあるんです!」


 シセリアは興奮気味で、その様子からするとあの猫たちは都市伝説に語られるような不気味な存在ではなく、むしろ吉兆を告げる瑞獣のような存在なのだろうか?

 うーん、でも見たところ普通の猫なんだよな。

 けっこう歳をくってて貫禄がある。


 そんな五匹の猫たちは俺たちのすぐ手前まで来ると、それまで下げていた尻尾をにょきっと立てた。

 ふむ、どうやら歓迎してない、というわけではないようだ。

 いやむしろこれは歓迎のために集まって来たのではないか?

 そう俺が考えたとき――


「わん! わんわん!」


 こちらのモフモフ代表が飛び出した。

 いきなり飛び出してきた子犬、普通の猫なら逃げるなり戦闘態勢に入るなり何らかの反応を示すものだが、親分猫たちは足を止めてじぃ~っとペロを見つめるだけだった。

 猫たちはふてぶてしいまでに堂々としており、ペロはこの静かな迫力に圧されて足を止めてしまう。


「わんわん! わん! わう!」


 じぃ~っと。


「がるるる! がう! がうがう!」


 じぃ~っと。


「がう、が……きゅーんきゅーん!」


 五匹の猫にただ見つめられ続けるというこれまでにない体験に、とうとうペロは恐れをなしてラウくんの足元にすがりついた。

 まあ相手が悪かったな。

 単純な強さでは勝るとしても、相手はちょっと妖怪っぽい猫、それも五匹だ。ムキムキのマッチョマンだってオバケに遭遇したらあられもない悲鳴を上げるのだから恥ではないぞ。


 で、そんな猫たちは再びこちらに歩み出すと、どういうわけか全部俺に集まって来て、脛や太ももにごりごり頭を擦りつけ始めた。

 フォロー登録ありがとうございます。

 でも毛がつくんでやめてください。


「ふわー、私、猫ちゃん触るの初めてー」


「わたしも! なんかすべすべでふわふわー!」


「……ねこちゃん」


「くぅ~ん……」


 俺がごりごりフォロー登録されているのを幸いと、おちびーズは猫たちを撫で始め、ペロはその様子を寂しげに見つめている。


「ケインさん、大人気ですね。やっぱり使徒様だからでしょうか」


「どうだろう……」


 他に思い当たることとしては心の中に猫が住んでいることだが、この因果関係が明らかになることはないだろう。

 何しろ相手は猫、いくら尋ねてもにゃんにゃん返されるだけだ。

 犬のお巡りさんもお手上げになるというものである。


「えーっと、歓迎してくれてるところ悪いが、俺はちょっと神殿を見に行きたいから、ほら、動くから、どいてどいて」


 なんとか猫たちのフォロー登録を振り切り歩きだす。


「あ、先生、猫ちゃんたちついてくる」


「うん、まあ猫はそんなものだ」


 気分にもよるが、気に入った相手のあとを風呂だろうがトイレだろうが付いてこようとするのが猫である。


 思わぬ足止めを食らいつつも、俺たちは神殿前までやって来た。

 すると二人の神殿騎士が両開きの扉をそれぞれ開いてくれ、一人はそのまま神殿内へ、そしてもう一人は俺の前でうやうやしく跪いた。


「使徒様、ようこそおいでくださいました」


「あれ? 俺のこと知ってるの?」


「はい、存じ上げております。使徒様に関わる情報は、すみやかに神殿に伝わるようになっておりますので。――ささ、どうぞ中へお進みください」


 立ち上がった神殿騎士が道を空け、俺たちを中へと促す。

 付いてきた親分猫たちも一緒に神殿に入ろうとしたが、これは神殿騎士に止められていた。まだ反省期間中でしょうとかなんとか言われている。たぶん神殿内で悪さをしたんだろう。


 訪れた神殿の内部はやっぱりキリスト教っぽかった。

 信徒が座るための長椅子がずらっと並び、正面には象徴となる像が置かれている。


「ん? 女性の像?」


 猫神の神殿なのに、一番重要な場所にあるのが足元に一輪の花が供えられた女性の像とはどういうことなのか。

 俺は不思議に思いながら近づき、すぐに自分が思い違いをしていたことに気づいた。

 猫はいた。

 ただ女性が抱え込むように抱っこしていたので遠目では気づけなかっただけだ。

 要はこれ、目を瞑ってくつろぐ神さまを抱っこしている女性の像ということか。

 でもこの女性って誰なんだろう?

 そう不思議に思っていたところ――


「ようこそ使徒ケイン様、歓迎致しますよ」


 ふいに声を掛けられる。

 見ると神殿奥へと続く扉が開き、立派な神職のローブを纏った猫耳のご老人と、同じく神職とおぼしき猫耳の娘、あと数名の神殿騎士を率いる貴族風の男性がこちらへとやって来るところだった。

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