第20話 お風呂の獣たち

「お前は実に馬鹿だな」


 俺が『アヘェ』する理由を知ったシルはもはや感心するようにあきれ、そのあと自分を置き去りにしたことをくどくどと説教してきた。

 やがて日が暮れてしまったので、シルは森ねこ亭に一泊することを決める。

 そしたらグラウが泣き崩れた。


「うう、うおぉぉぉん! うおおぉぉぉん!」


「何事!?」


 突然のことだ、シルが狼狽するのも無理はない。

 俺とて事情を知らなければ困惑間違いなしなのだ。


「あー、気にするな。大丈夫だから」


「気にするなって、泣いてるぞ!? 大の男がものすごい泣いてるぞ!? もしかして私が泊まるのが嫌なのか!?」


「いやいや、逆なんだ。お前が泊まることで宿は満室になる。これはこの宿にとって初めてのことで、快挙なんだよ」


 よかった、号泣する程度ですんで。

 心臓麻痺とかで死なれたらさすがに目も当てられないからな。


 その夜は『満室』をみんなでお祝いすることになったが、そこに混じるシルは俺からの事情を聞いても戸惑ったままだった。


 そんな記念すべき日の翌日――。

 せっかくペロが入浴券を貰ったんだから使おうということで、みんなで大衆浴場に行くことになった。

 朝になったら帰るつもりだったシルも、ノラとディアが熱心に誘ったことで予定を変更し、大衆浴場に行ってから帰ることになる。

 入浴券は特に人数制限はされていないようなので、宿で留守番をするグラウを除く全員でのお出かけだ。


「いってらっしゃい」


 いつもにも増して穏やかな表情で俺たちを見送るグラウは、さながら悟りを開いた僧侶のようである。


「私、行くの初めて」


「そうなんだ、楽しいよー」


 先頭を行くのは繋いだ手をぶんぶん前後させるノラとディア。

 その後ろにはエレザと、シディアと手を繋いだラウくん、ペロを抱っこしたシセリアで、最後尾となるのは俺とシルとアイルだ。


「あー、ひさびさにゆっくりできるぜ」


 本日、アイルは初となる休日。

 連日ドワーフ相手の営業でだいぶお疲れらしい。


「定期的に休みを取るようにしたほうがいいぞ?」


「そうする。師匠が大変だって言ってたのはホントだったよ。今日はゆっくり風呂にはいって、宿にもどったらもう一眠りすることにするぜ。師匠が用意してくれた布団は寝心地いいからなー」


 宿はもともと薄っぺらな綿の敷き布団と毛布だったが、今では俺が創造した物に切り替わっている。

 これにはみんな喜んでくれた。

 中でもうつ伏せでジタバタ布団の具合を確かめ、そのまますやぁと眠りについたラウくんはちょっと面白かった。


「そうか、小さな宿にしてはやけに良い布団だと思ったが、あれはお前が用意したものだったのか」


「そういうこと。欲しいか?」


「むぅ……。欲しい」


「なんでちょっと不服そうなんだよ」


「不服というわけではない。なんだか、すっかりお前に物をねだるようになってしまったのがちょっと情けなくてな」


「そんなこと気にしてたのか。お互い様だろ。森で暮らしている頃にはお前に色々貰ったんだし」


 あの頃はマジで何も無い状態だったからな。

 その有り難さに比べると、俺からの提供などそう大したものではない。気にせず貰っとけばいいのだ。まあ酒ばかり要求されたらちょっとどうかと思うが。



    △◆▽



 さて、こうして皆で訪れた大衆浴場。

 通常、動物の連れ込みはお断りのようだが、ペロがレースで特別賞を獲得した従魔であること、あとちっこい子犬ということもあって特別に入場を許可された。


 受付から奥へ進むと、そこには男女共有のくつろぎスペースがあり、飲食の販売所のほか、床屋や按摩屋が存在していた。

 前にディアからちょっと聞いたときに思ったが、規模こそしょぼいものの、やはり普通の銭湯よりスーパー銭湯、あるいは健康ランドに近いもののようだ。


 まだ朝の時間帯にもかかわらず、くつろぎスペースにはそれなりに人が居る。

 主にそこそこ歳のいったおばちゃんたちだ。

 これはあれか、喫茶店とかにたむろするような感じか。


「お母さんお母さん、わたし今日も髪切るね」


「あら、もう伸ばしてもいいのよ?」


「ううん、切ってもらうの楽しみだから」


 そんなディアとシディアの会話。

 何気ないようで、ちょっと違和感を覚える。

 確認してみたところ、ディアはここで切ってもらった髪をそのまま買い取りしてもらうために伸ばしていたようだ。

 かつては宿屋の貴重な収入となっていたため、大事に伸ばしていたとのこと。

 うん、それは『宿屋』の収入とは違うと思うな!


 そんなディアの散髪を女性陣は見学するようなので、俺とラウくんは先に浴場へ向かうことにして必要な物――ボディソープやシャンプー、リンスを創造して女性陣に渡しておく。

 これらは元の世界のごく一般的な代物だが、宿の面子ばかりか昨日試したシルも虜になり、どうしてこんないい物を隠していたのかと怒られるほどであった。


 しかし、怒られても困るのだ。

 俺とて創造できるとは思っておらず、なんとなく試したら創造できてしまった物なのである。

 たぶん、ほぼ毎日、三十年近く使い続けてきたものだからだろう。


 女性陣に渡す物を渡したあと、俺とラウくんはお風呂場へ。

 その際、ペロがラウくんに付いてこようとしたが「ペロちゃんは女の子なんだからこっちよ」とノラに捕まっていた。

 そう、浴場はちゃんと男女別なのである。

 これには江戸の混浴事情にびっくりしたペリー提督もにっこりだろう。



    △◆▽



 スライムは魔物だが益獣でもあり、必要がなければ退治しないというのが人々の考え方だ。もし無闇に殺していると、スライム・ガーディアンが現れて懲らしめられる、なんて話もある。

 つかスライム・ガーディアンってなんやねん、という話だが、どうやらスライム・スレイヤーを倒し、絶滅寸前だったスライムを救った英雄らしい。

 英雄……同意してもいいがそもそもがなぁ……。


 などと、スライムについて考えてしまうのは、浴場に当然のようにスライムがいて、のろのろ動き回っているためである。このスライムの活動によって浴場は常に掃除され、清潔に保たれているようだ。

 妖怪垢嘗あかなめを飼っているようなものだろうか?


 男湯の客は俺たちだけだった。

 これには人見知りのラウくんも一安心で、すっぽんぽんながら堂々としたものである。


 思えば、すっぽんぽんのラウくんを目にするのはこれが二度目。

 一度目は森ねこ亭に初めて訪れた日の夜で、素っ裸で宿を駆け回る姿を見て唖然としたものである。

 あの頃のラウくんはちょっと痩せ気味に思えたが、今は食事やおやつをたくさん食べられるようになったためか、ふっくらぷにぷにお肌の健康的なお子さんへと進化していた。


 さて、湯船に入る前にまずは体を洗わねばならない。

 いつもラウくんの面倒を見ているのは一緒にお風呂に入るディアだが、今日は俺の役目。というわけで、俺はラウくんを泡でもこもこにした。ラウくんはラウくんで、よいしょよいしょと俺の背中を洗ってくれた。


 体が綺麗になったところで浴槽につかる。

 ふいー、とくつろぐラウくんだが、このままただつかるのは退屈かと、俺はアヒルのおもちゃを創造して浮かべてみた。


「……!」


 ラウくんはすぐさまアヒルに興味を持ち、やがてはアヒルを沈めては浮かんでくるのを眺めるという地味な遊びを始める。

 それなりに楽しそうにしているが、俺はそこにさらなる楽しみを加えるべく両手を使った水鉄砲でアヒルを攻撃して見せた。


「……!? まほう!」


 目をまん丸にして驚くラウくん。


「ふっふっふ、これは魔法じゃないんだ。やってみるか?」


「……やる!」


 そこからは突発的な水鉄砲教室になった。

 俺が知っている水鉄砲は二種類。

 寿司を握るように一方の手をもう一方の手で握るタイプ、あと両手の指をがっちりかみ合わせてオーロラエクスキューションでも放つようなタイプだ。

 このうち、手のちっちゃいラウくんがものにできたのは、オーロラエクスキューションタイプであった。

 まあそれでも、ちょろっと水が飛ぶ程度なのだが。


「お姉ちゃんにも教えてやるといい」


「……ん!」


 力強くうなずくラウくん。

 このあと、二人してアヒルのおもちゃを水鉄砲で攻撃しまくった。



    △◆▽



 風呂を堪能したあとはくつろぎスペースでひと休み。

 ずっとたむろしているらしいおばちゃんたちの姿はあるが、うちの女性陣はまだ入浴中のようで見当たらない。


「……はふー」


 すっかり温まったラウくんはへにょっとしている。

 お店で果実水でも買ってあげようかと思ったが、あいにくと無一文だったのでキンキンに冷えた瓶のコーヒー牛乳を創造してあげた。


「……りがと」


 すっかり俺が与えるものに抵抗がなくなったラウくんはコーヒー牛乳をまず一口飲み、ちょっとびっくりした顔をしてから必死に飲み始めた。

 ただ急ぎすぎたせいか、頭が痛くなったらしくギュッと目を瞑って悩ましげな顔になってしまう。

 たぶん夏にかき氷とかあげたら、同じことを繰り返すんだろうな。


 こうしてラウくんと二人のんびりすることしばらく、ようやく女性陣が風呂から上がってきた。

 まず駆け寄ってきたのがノラとディア、あとペロだ。

 散髪したディアはショートカットになっており、より溌剌とした印象を受けるようになった。

 俺は二人にもコーヒー牛乳を用意してやりつつ、ちょっと注意。


「一気に飲むと頭が痛くなるからな」


「ぬあっ」


「あうっ」


 うん、聞いちゃいなかった。


「ししょー、オレにもくれよー」


「あ、ケインさん、私も欲しいです!」


「はいはい、ちゃんとみんなあげるから」


 アイルとシセリアに急かされつつ、俺はコーヒー牛乳を提供。


「あだだ……!」


「くあー……!」


 急いで飲むのはやめとけよ、と言ったのに急いで飲む。

 でもって頭痛に悶える。

 コントか。


 とは言えおバカをやったのはここまでで、残る三名、シル、エレザ、シディアは落ち着いてゆっくりコーヒー牛乳を堪能していた。


「美味しいわね。ふふ、ケインさんが来てから、美味しいものを口にする機会が増えたから舌が肥えてしまいそう」


 にこにことシディアが言うと、エレザが同意。


「確かに。ケイン様がくださるものはどれも美味しく――いえ、美味しすぎます。やみつきになってしまいますね」


「そんなにか?」


「うむ、そんなに、だな。ゴブリンのような暮らしをしていたお前がここまでの……いや、むしろこれが当たり前だったお前がよくあんな暮らしをできていたな。食べ物や飲み物だけの話ではないぞ? 見ろ」


 と、シルは自分の手や腕を見せ、さらにふぁさっと髪を撫で上げる。

 すごくコマーシャルっぽい。


「石鹸など、私はそれなりに良いものを使っていた。しかしお前が用意したものを使った今、もう以前のものでは物足りんよ」


「シルヴェール様の仰る通りですね。洗ったあとの肌の潤い、乾かした髪のさらさらとした手触り、これまでにない仕上がりです」


「ふふ、そうですね、なんだか若返った様な気になりますよ」


 シルの言うことに同意するエレザとシディア。

 おかしいな、所詮は俺が使っていたシャンプーとかなのに、なんでそんな凄い効果があるの?

 思い当たることはないが……。

 と、首を捻って考え、結局は何もわからず顔を上げる。

 そこで気づいた。


「……!?」


 なんかおばちゃんたちに包囲されてる!

 いつの間に!?

 さっきまで向こうにいたよね!?


「少し、お話よろしくて?」


「え……あ、はい」


 びっくりして目をぱちくりしていると、おばちゃんの一人が話しかけてきた。


「盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、つい聞こえてしまって。なんでも、貴方はとても良い石鹸をお持ちだとか?」


「あー、ま、まあ……」


 口調こそ落ち着いているが、おばちゃんの気配は隙あらば牙を突き立てようとする獣のようであり、それは周囲を包囲しているおばちゃんたちも同様であった。


「もしよければ、どちらで購入したのか教えてくださらない?」


 購入なんてしてない。

 でも本当のことを言うのはヤバイと感じた俺は、とっさにでまかせを告げる。


「ヘ、ヘイベスト商会の新商品……だったかな? えへへ……」


「あら、そうなの」


 そう言っておばちゃんはにっこりと笑った。

 肉食獣が牙を剥くみたいに。


「うふふ、お邪魔してごめんなさいね。――ではみなさん、行くとしましょうか」


 そう告げたあと、おばちゃんはおばちゃん仲間を率い、すみやかに大衆浴場を去って行った。

 それを見送ってすぐ、アイルが言う。


「師匠、まずいぜあれ。セドリックの旦那に迷惑かかんじゃね?」


「む、むぅ……」


 そりゃ無いものを出せとおばちゃん集団に詰め寄られたら迷惑に違いない。

 でもって無いとわかれば、今度は俺を捜し出そうとするだろうし……。


 俺は想像する。

 あんな感じのおばちゃんたちが押しかけて来る様子を。

 そして日に日に増大していくおばちゃんたちによって、毎日毎日ボディソープ、シャンプー、リンスを提供するマシーンになる俺の姿を。


「いかんな、これ下手するとこの国から逃げ出さないといけないようなことに……」


「え!? ケインさんどっか行っちゃうんですか!? い、行かないでほしいです! ずっと居てほしいです! ケインさんが居なくなったらきっとうちの宿つぶれちゃいます!」


「んん!?」


 なんかディアが妙な事を言う。

 俺まだ一ユーズたりとも支払ってないんだけど。

 つか今は無一文よ?


「先生がどっか行くなら、私ついてかないと」


「ケインさんがどこかへ行くとなると、私も同行しないと」


「師匠がどっか行くならオレ屋台引いて付いてくけど」


「おや!?」


 これは宿の客が一気に消えますね!

 不思議だ、俺はいつの間に座敷童になっていたんだ?

 それとも招き猫か?


 摩訶不思議な現実に戸惑っていると、くいっくいっと服を引っぱられる。

 見ればラウくんがしょんぼりした顔で、瞳をうるうるさせながら俺を見つめていた。


「えーっと……わかった。ちょっとなんとかしてくる」


 思ったよりも大ごとになりそうで、俺は慌てて大衆浴場を飛び出すと、〈空飛び〉でもってヘイベスト商会へ直行。

 そして着弾するなりセドリックを呼びつけた。


「ケインさん、今日は――」


「ちょっと困ったことになったから助けて!」


「え!? 何事です!?」


 びっくりするセドリックに急いで事情を説明し、ボディソープ、シャンプー、リンスをそれぞれ大壺にいっぱい用意した。


「ほほう! これが女性を魅了する品ですか!」


「ああ、適当な値段で売ってくれれば――いや、あまり安すぎても買い占められるから適度に高い値段にしてくれ! 入手困難とかなんとか言って! そのあたりの匙加減は任せるから!」


「わかりました。お任せください」


 ふう、これでなんとか取り繕うことができるだろう。

 売り切れたら入荷未定と告知してもらえばいいし。

 セドリック、実に頼りになる男だ。


「あ、ところでケインさん、昨日、従魔ギルドの催しでメ――」


 と、セドリックが言いかけた、その時だ。


「セドリックさーん! なんか、なんか御婦人方が物凄い剣幕で新商品を出せと詰めかけ――あ、ちょ、あぁぁぁ――――ッ!」


 扉の向こうから悲鳴が聞こえてきた。

 くっ、もう来たか……!


「というわけであとは頼む! では、サラバだー!」


 遭遇してはまずいと、俺は窓から逃げる。


「え!? あの、ケインさ――おうぉおおおぉッ!?」


 俺が脱出してすぐ、どたばたと部屋に踏み込む足音が聞こえ、続いて女性が騒ぐ声と、なんとかなだめようとするセドリックの声が聞こえるようになった。

 危ない、間一髪だった。

 だがぎりぎりなんとかなったとも言えるだろう。


「はあ、のんびりしに行ったはずがえらい目にあった……」


 なんかもうどっと疲れた。

 昨日といい今日といい、これはあれかな、俺は森ねこ亭でのんびりしているのが一番いいのかもしれないな……。

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