第6話 鳥を愛する者 3/5

 地面にひっくり返ったアイルは、ラウくんの腕から飛び出したペロが再びその顔をペロペロし始めてもぴくりともしなかった。


「ふっ、たあいもない。勝負あったようだな」


「まさしく。お見事ですケイン様」


 あざやかに勝利した俺をエレザが讃える。


「で、つい反射的にやってしまったが、これどうするか……」


「捨てていくのがよろしいかと。それが自然の掟というもの」


「いや、あの、副――エレザさん、都市の治安を守るのもうちのお仕事なので、それはさすがに……」


 おっかなびっくりでもの申すシセリア。

 が、ギロリとエレザに睨まれることになり、「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。


「シセリアさん、貴方はケイン様の騎士なのでしょう? 本来であればまず貴方が前に出て、このエルフを懲らしめる必要があったのですよ? それを恥じ入るどころか、気遣うとは何事ですか」


「いや、あの、うぅ……。はい、その通りです……」


 しょぼーんと小さくなるシセリア。

 確かにエレザの言うことはもっともであるものの――


「まあ待て。シセリアはこの春ようやく従騎士と認められたばかりだったんだろ? それがいきなり叙任を受けて騎士になったんだ。騎士として一人前の働きを求めるのはさすがに酷だろう」


「ケ、ケインさん……!」


 ぱぁーっとシセリアの表情が晴れる。


「だから、ここは挽回の機会を与えよう。この手の輩はしつこいと決まっているからな。俺に負けたことを認めず、これからもなにかと絡んでくるに違いない。そこで、こいつはシセリアに背負わせて連れて行き、目覚めたところでシセリアと生きるか死ぬかのデスマッチをさせるんだ。きっとシセリアならもう関わる気がなくなるほどこいつを完膚なきまでに叩きのめし、俺に勝利を捧げてくれることだろう」


「ケ、ケインさん……!?」


 がびーんとシセリアの表情が曇った。


「なるほど……さすがですね。ではそのように致しましょう。さ、シセリアさん、何をぼけっとしているのですか。早くそこのエルフを背負ってください。のんびりしていては、薬草を集める時間が減ってしまいますよ」


「う、ううぅ……、はいぃ……」



    △◆▽



 王都を出た俺たちはそのまま周辺の穀倉地を抜け、街道が走るばかりの原野に到着。

 なるべく見通しの良い場所を選び、春の陽気に誘われ、もさもさっと若葉を茂らせる大きな雑木の下でまずはちょっと早めの昼食をとる。

 いつもはこのあと二時間ほど薬草採取し、オヤツ休憩をしてから王都へ帰る、という段取りだが――


「あん……? あん!? どこだここ!?」


 アイルが目覚めたのは、俺たちが昼食を食べ始めた頃だった。


「あ、お姉さん起きた」


「ホントだ、おはようございます」


「お、おう、おはよう」


「はい、どうぞ。これ、わたしのお父さんが作ったんです」


「おう?」


 状況がわからないまま、アイルはディアに親父さん特製(肉は俺協賛)のバゲットサンドを手渡される。

 目をぱちくりしていたアイルだが、まずはバゲットサンドを一口。


「おっ、うめえ」


「ですよね!」


 えへへ、と親父さんの料理が好評で喜ぶディア。

 アイルはそのままバゲットサンドを食べ始めたので、ひとまずここに至るまでの経緯を話して聞かせた。


「ちっ、オレとしたことが不意打ちを食らうとは……」


「不服か? 再戦しても構わないが、今度はまずそこでうっかり咀嚼できないほど食べ物を詰め込んで四苦八苦している我が騎士が相手になるぞ」


 欲望の赴くままに餌を口に詰め込んだハムスターみたいになっているシセリアを見て、アイルは顔をしかめる。


「いや、あの、さすがにコレには負けないぜ、オレ……」


「それはやってみないとわからないだろう? ――さあシセリア、名誉挽回の時だ!」


「もごっ、もごごっ、もごっ!」


 待って、呑み込むまで待って、と必死にぱんぱんになった頬を指差して訴えてくるシセリア。


「ちょっと無理っぽいみたいだぜ」


「ちょっと無理っぽいみたいだな」


「いえ、ケイン様、ユーゼリア騎士団の騎士は常在戦場、シセリアさんもそれはよく理解しているはず。問題ありません。ほら、そちらの血に餓えたエルフさんも早く戦いたくてしかたないという顔をしているではありませんか」


「ほう、そうか。では――始め!」


「もごーっ!」


「いや待つよ!? 待つって! いくらなんでもこんな状態のやつに戦いは挑まねえよ! つか血に餓えたってなに!? オレをなんだと思ってんだ!?」


「誰彼かまわず喧嘩をふっかける狂犬……?」


「そ、そこまで悪質じゃねえよ! お前の場合は――あれだ、新人のクセにいきなり通り名がつけられるようなのが現れたって聞いて、生意気だから軽くシメて、格の違いを思い知らせてやろうとしただけだ!」


「充分狂犬じゃねえか!」


 なんなの、エルフってこういうものなの?

 それともアイルが突然変異なだけ?


「ったく、変な渾名をつけられるわ、そのせいで変な奴に絡まれるわ、ろくなもんじゃねえな……」


 お前のせいだぞ、とシャカに向けて胸中で呟く。

 するとシャカは「にゃ」とおざなりに鳴いた。

 興味無いが一応は反応しておこうという生返事だこれ。



    △◆▽



 その後、焦ったシセリアが急いで呑み込もうとしたものを喉に詰まらせて死にかけるという珍事が起きたりしたが、エレザの適切なボディブローによって救助され、結果として大地は存外の栄養を得た。

 そして現在――


「シセお姉ちゃんがんばってー!」


「シセリー、頑張れー」


「……がんば」


 おちびーズの応援を受けるシセリアは、距離をとってアイルと対峙している。

 しかし――


「ふぐ、ぐぐ、ぐ……」


「相手がもう瀕死なんだけど! ほっといても勝手に崩れ落ちそうなんだけど! どんだけ強く殴ったんだよ!」


 腹部を押さえ、立っているのもやっとこさというシセリアと相対したアイルは戸惑っていた。

 するとエレザが言う。


「ユーゼリア騎士団の騎士は常在戦――」


「それはもう聞いたよ!」


「む。まあいいでしょう。しかしちゃんと加減したのにこの為体とは……鍛え方が足りていませんね。これは今後みっちり鍛えてさしあげる必要が――」


「ひっ!? ――げ、元気ですよ! 私は元気いっぱいです! さあ名前の長いやんちゃな感じのエルフさん! 決闘です! もうびっくりするほどコテンパンにしちゃいますよ!」


「妙な呼び方すんじゃねえ! アイウェンディルだ!」


 切羽詰まったシセリアのナチュラルな挑発により、アイルはやる気になった。


「では、始め!」


 この俺の合図に――


「てりゃぁぁぁ!」


 ヤケクソ気味にシセリアが突撃する。

 これに対し、アイルは動かず。

 その代わり――


我が名はイム・ニン・『鳥を愛する者』アイウェンディル! 風よ、吹けグワエウ・ドラモ!」


 突き出される手。

 発動する魔法。

 瞬間的に発生した突風はシセリアを一瞬で宙へと舞い上がらせる。


 どうやらアイルが使ったのは、強風によって相手を上空へと吹き飛ばす魔法のようだ。落下によるダメージというのは、二、三メートル程度であろうと馬鹿にできないもの。地味ではあるが有効だ。

 たぶん俺の〈空飛び〉を傍から見るとあんな感じなんだろうな。


「あ~れぇ~!」 


 シセリアはだいぶ情けない感じの悲鳴を上げながら宙を舞い、そのままズボッと緑なす雑木に頭から突き刺さった。


「ハッ、話にならねえな! よし、次は〈猫使い〉、お前――」


「お待ちください」


 アイルが俺を指名しようとしたところで、ずいっとエレザが前に出る。


「な、なんだよ、アンタは関係ねえだろ!?」


「いえ、シセリアさんは私の後輩です。その後輩の命を摘まれたとあっては、先輩として出張らないわけにはまいりません!」


「いや死んでないよ!? ジタバタしてるだろ!?」


「そんなことはどうでもいいのです。次は私がお相手します!」


「もしかしてアンタ、オレをシバきたいだけじゃね!?」


「だとしたらなんだというのです?」


「悪びれもしねえ!? ――おい、〈猫使い〉!」


「よし。では、始め!」


「普通に始めさせんのかよ!? ――ああちくしょう、やってやらぁ!」


 今度はアイルがなかばヤケクソのような感じだ。


「イム――」


 アイルは即座に呪文を唱えようとした。

 が、それは悪手。

 すでにエレザは距離を詰め、拳を振り上げていた。


「ふん!」


 ゴッ――。


「のごッ!?」


 無防備なアイルの左顔面に叩き込まれるエレザの拳。

 地味に痛そうな音が響き、アイルはくるんくるんっとダブルアクセルを決めてから、ばたんと地面に突っ伏した。


 死んだ?

 あ、ちょっと動いた。


「……か、顔は……ある。よかった、回復、回復しないと……」


 やがてアイルはのたのたと四つん這いになり、それから腰のポーチから小瓶を取り出すと中身を半分ほど飲み、残りを手のひらに溜めてぱしゃぱしゃ左顔面に塗りつける。

 で――


「き、効いてねえッ! 効いてねえぞオラァァァッ!」


 咆吼を上げながらアイルは立ち上がった。

 なかなかガッツのある奴だ。

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