第35話 ――あるいは壮大な痴話喧嘩

 さて、状況は危機的だ。

 しかし、であるからこそ冷静に現状を分析してみようと思う。


 シルが怒っている。

 以上だ。


 注釈を入れるとするなら、せっかく落とし所を用意したのに俺がそれを蹴っ飛ばして逃走を図ったので、シルはその怒りをさらに燃えあがらせている可能性が高いということだろうか。


 俺は〈空飛び(長いので短縮)〉を連続使用することで、かろうじて擬似的な飛行を可能とするが、シルの方はナチュラルに空を飛び回ることができる。

 つまり、俺がシルから逃げ切ることは難しく、命運は尽きかけているのだ。

 わかりきった結果、だが正直どうしようもなかった。

 俺が邪悪なマスコミに騙された愚か者であったことを知られるのは、どうしても我慢ならなかったのだ。

 それに比べれば激オコのシルにボコボコにされた方がマシである。

 とはいえ、最後にもう一度、誠心誠意のゴメンナサイをして許してもらえるか試し――


「っておいぃぃぃ!」


 ドギューンッ――と。

 シルがぶっ放す問答無用のドラゴンブレス。

 放たれた閃光は、青い紙の上に蛍光ペンでしゃっと直線を引いたみたいに空を切り裂く。


「うひぃぃぃ!」


 俺はかろうじて〈空飛び〉で躱したが、直撃したらどうなっていたことやら。


「うぉいこらー! シルー! 俺を殺す気かぁー!?」


「この程度でお前が死ぬかぁ――――――ッ!」


 おお、何とありがたくない信頼であろうか。


 シルは俺を撃墜すべくズギューンッ、バギューンッと容赦なくブレスを吐きまくる。

 これを俺は回避、〈空飛び〉連続使用で死に物狂いの回避。


「こらぁぁぁッ! ちょこまか避けるなぁぁぁ――――――ッ!」


「避けるよそりゃよぉぉぉ――――ッ!」


 ゴメンナサイチャレンジは破綻した。

 もうこれ逃げ切ってほとぼりを冷ますしかないが、逃げるにしても俺の〈空飛び〉ではシルから逃げ切ることは叶わない。

 事実、シルは緩急自在の飛行能力でもって通せんぼ、俺がこの王宮の上空外へと脱するのを阻止している。


 幸い小回りだけは俺の方が上だが、それも無理矢理な小回り――無茶苦茶な機動によって実現しているものであるため、あらゆる方向への慣性にぶん回される俺は気分が悪くなりつつあった。

 これは早いところ、何かしらの手段を講じて決着をつけないとまずい。

 と――


「コオォォォォ……!」


 あっれー!?

 なんかシルが大口開けて光を収束させてんだけどー!


 どうやらシルもまたとっとと決着をつけるつもりだ。

 あー、来るよー、ヤバいの来るよー。


「ガァアアア――――――ッ!!」


「来たぁ――――ッ!」


 放たれる爆発的な閃光。

 シルの奴、広範囲ブレスを使ってきやがった!


「ヤダァァ――ッ! ってあぁぁぁ――――――ッ!?」


 俺は視力を奪われ、と同時に破壊の光を浴びる。


「ぬあぁぁ! 超熱いんですけどぉぉぉ――――――ッ!?」


 熱い信頼のブレスがあまりにもあちあちで、俺は〈空飛び〉を途切れさせてしまい、結果として王宮の屋根に墜落する。


「ぐへぇ!」


 結構な高さからの墜落はさすがに痛い。

 でも奴隷商で受けた苦痛よりはちょっとマシだ、耐えられる。

 あんな銭失いの経験でも役に立つことはあるんだなぁ、などと思いつつ、俺は懸命に身を起こす。

 もたもたしていては追撃を食らう。

 俺はなんとか立ち上がり――


「なっ!?」


 そして愕然とした。

 なんということか、シルのあちあちブレスによって身につけていた服が跡形もなく消し飛び、俺は全裸になっていたのだ!


「ちょっ、こういう場合、腰回りだけは残るものだろう!?」


 星を砕くようなエネルギー波を喰らっても、腰回りの衣服だけは無事というのがお約束なのに!


「ちくしょう、なんだよファンタジーめ、仕事しろよ!」


 さすがに〈猫袋〉から着替えを出して身につける余裕はない。

 だが、このままぶらぶらさせてお空に飛び出せば威厳などあったものではなく、それを目撃したとなればおちびーズが俺に抱く敬意など隕石みたいに墜落するだろう。


「ど、どうしたら、どうしたら……!」


 なんかもう今日は追い詰められてばかりなんですけど!

 ままならぬ現実に悲嘆し、絶望しかけた――その時だ。


「な……なに!?」


 股間の前に、もやもやとした亜空間が出現。

 そしてにょきっとシャカが顔を出す。

 今回はちょっと大きく、その顔は獅子や虎ほどもあった。


「シャ、シャカ? お前そんなところ――って、まさかそういうことか!?」


 シャカが出現したことにより、俺のデリケートゾーンは周囲の視線からしっかりガードされることになる。

 これはあれだ、かなり気合いの入った海パン、あるいはぶかぶかでちょっと下にずれちゃった猛獣顔のチャンピオンベルトのようなもの。

 これなら人前に出ても恥ずかしくない!


「シャカ……お前、俺を助けようと?」


「にゃ!」


 そうだ、とシャカが鳴く。

 ああ、なんと飼い主思いの猫であろうか!


「このお利口さんめ! よーしよしよし、よーしよしよし!」


 感激して撫で回すと、シャカはごろごろ嬉しそうにニャンコアイドリング。

 まさに猫と飼い主の心温まる触れ合いであるが、背後から見られた場合、全裸の変態が自分の股間をよしよし撫で回していると勘違いされること待ったなしなのが玉に瑕だ。


 そんなシャカとの触れ合いのなか、俺はふと気づく。


「シルの攻撃が……やんだ?」


 不審に思い空を見上げる。

 するとそこには、ホバリング状態でこちらを見下ろすシルの姿があった。

 ただ妙なのは、シルが目を見開き、あんぐり口を開けていること。


 竜の状態でも唖然としているのって結構わかるんだな、などと俺が思ったとき――


「へ、へ、変態だぁ――――――ッ!」


 シルが高らかに叫んだ。

 もう周囲に響き渡るほど高らかに。


「おいこらやめろ! 変態だと!? 人聞きの悪い! 服はお前が消し飛ばしちまったんだろうが! でもってこの猫は、俺の危機を察してこうして大事なところを隠してくれているんだよ!」


「変態だぁ――――――ッ!」


「おいぃ!? お前いま俺が説明したこと聞いてたぁ!?」


 なんて奴だ。

 ブレス攻撃をやめたかと思えば、今度は俺の名誉をごりごりと削ってきやがる。


「ひとまず変態変態言うのをやめろ! 俺は変態じゃない!」


「黙れド変態! ちょっと目を離すとすぐこれだ! どこでその得体の知れない猫を――はっ! そうか! さてはお前がますますおかしくなったのは、その猫が原因だな!? ニャザトースの使徒だからと、妙な猫に取り憑かれたか!」


「ち、違う! そんなんじゃない! こいつは主思いの無害な猫、可愛い奴なんだ! お前が思うようなものじゃない!」


「うるさい! お前は話していても埒が明かんのだ! その猫は私が追い払ってくれる! ちょっと我慢しろよ!」


「もう話すらさせてくんないのぉ!?」


 俺の訴えに耳を貸さず、シルは「コホォォォッ」と再びブレスのチャージを始めてしまった。


「追い払うって思いっきり力業なのかよぉ!」


 ヤバい、またあちあちブレスか?

 いや、わざわざ我慢しろと言うほどだ、今度はあちあち程度では済まないだろう。

 さすがにそれは防がないと恐い。

 でも防ぎ切れるか?

 いや、防いだとしても中途半端ではその余波で王宮に被害が出かねない。

 ここはもう攻撃に転じて、ブレスを撃たせないようにするしかないだろうか?

 悪いのは俺なので、さすがに攻撃は控えていたが……どうもそんなこと言ってられない状況だ。シルなら被害を出すような真似はしないと思うが、今は頭に血が上っちゃってるみたいだからなぁ……。


 やるしかないか――。

 そう思った時、シャカが唸った。


「にゃうにゃうおぁーんおうおう……」


「シャカ? まさかお前がやるのか? シルに対抗するって?」


「んおぉーう」


 その通りだ、とでも言いたげな唸り。

 そこで俺の脳裏に鮮烈なイメージが浮かぶ。


「これは……まさか、これを……? だが……いや、シルにここを破壊させるわけにはいかない。やるしかない、やるしか……!」


 俺は覚悟を決め、自分を奮い立たせる。


「俺の心、もってくれよ! 羞恥心三倍だ!」


「おあぁーお!」


 シャカが大きく鳴いて応え、あんぐりと開けたお口に光が収束。

 ギュンギュン集束。

 そして――。

 その瞬間は訪れた。


「ゴァアアアァ――――――――――――ッ!」


 まず放たれたシルのお祓いブレス。


「んにゃぉおおおぉ――――――――――んッ!」


 ほぼ同時に放たれるシャカ渾身のねこねこ波。

 傍から見ると股間からエネルギー波を撃っているようで、さすがの俺もこれはあまりに変態的であると羞恥に悶えてしまう。

 俺の黒歴史がまた一ページ……!

 だが、今はシャカに頼るしかないのだ。


 シルのブレス、シャカのねこねこ波。

 二つは空中でぶつかり合い、そして――。


 チュド――――――――――――ンッ!!


 王都を揺るがす大爆発。

 びりびりと痺れる衝撃が体を打つ。

 怯みながら確認した上空には――


「ぬあぁ~」


 情けない声を上げながら、へろへろと庭園へ落下していくシルの姿があった。

 ねこねこ波の方が威力的に上回っており、シルは余波の影響を強く受けてしまったとか?

 うーむ、だとしたら凄いな。

 シャカ……おそろしい猫!



    △◆▽



「ケインに攻撃されたー。悪いのはケインなのに攻撃されたー」


 お着替えしてから急いで庭園へ戻ってみると、そこでは伏したシルが丸くなって拗ねており、ノラとディアに鼻先をよしよしと撫でられ慰められていた。

 近くにはエレザと、その背後にラウくん、足元にペロ、でもってちょっと離れたところに及び腰なシセリアがいる。

 王様陣営の方は遠巻きに様子を見守るばかりだ。


「あー……っと、シルさんや、怪我とかはしてない?」


「む、馬鹿が来たな、ぬけぬけと」


「いや馬鹿が来たって……」


「お前馬鹿。ホント馬鹿。びっくりするほど馬鹿」


 シルは顔を上げて俺を見たものの、すぐにぷいっとそっぽを向いてしまう。

 うん、完全に拗ねちゃってるねこれ。


「ご、ごめんね?」


「むぅー……」


 ちらっと、疑うような眼差しを向けてくるシル。

 ここで面倒だからと放置すると、ますます面倒なことになる予感がしたので俺はご機嫌取りに終始する。

 すると――


「あ、あの……」


 いつの間にやら王宮の面々がこちらまで来ており、実に申し訳なさそうな感じで王様が話しかけてきた。


「状況がまったく飲み込めないのだが……」


「あー、そうか。そうだよな」


 俺が来てからの騒動を見て、事態を察しろというのは無理な話。

 さすがに酷だ。


「わかった。じゃあ簡単に説明を――」


「待て。説明は私がする。お前はすごく適当な説明をしそうだ」


 俺が何を言っても「ふーんだ」「つーんだ」と取り合ってくれなかったシルが横から告げ、すぐに見慣れた人の姿へと変化する。


「さて、事の発端はだな――」


 と、シルは明らかになった真実を絡めつつ、現在に至るまでの経緯を王様に説明。

 それからお騒がせしたことを謝罪した。


「すっかり迷惑をかけてしまったな。そこで、お詫びといってはなんだが、今後、なにか困ったことがあれば協力しよう。例えば……そうだ、近隣の国々が攻め込んできて困る、といったような。敵兵がここに辿り着くよりも先に、攻めてきた国々を懲らしめてやるぞ」


「え、ええ、そ、その時は……」


 それは頼もしい切り札となるはずだが、ブレスをばかすか放っていたシルによほど肝を冷やしたか、王様は引きつった笑顔で応じるばかりだ。

 これではいざとなってもお願いできるかどうか。

 そこで俺は考えた。


「なあシル」


「あ?」


「い、いや、そんな睨むなよ。えっとな、思ったんだが、攻めてくるかどうかわからない国への対処よりも、森から魔獣が溢れだした場合に助けてやるって話の方が喜ばれるんじゃないか? 聞けば、大暴走の兆候があるって、ここ二年ほど警戒してるらしいぞ?」


 そう提案したところ――


「はぁー……」


 深々と、もうこれ見よがしに深々とシルはため息をついた。


「な、なんだよ」


「お前な……それ、お前だぞ、きっと」


「は?」


「兆候がどんなものかは知らないが、お前これまでに何度か森を騒がせているだろ。大暴走の気配なんぞ、今の森にはないぞ」


『え?』


 庭園にいたほどんどの者たちが声を発した。

 俺もその一人だ。


 この日、約二年にわたりユーゼリア王国を悩ませていた『大暴走の予兆』が杞憂であったとが明らかとなった。

 一件落着である。


「むー、私、なんにもしてない……」


 ほっと胸をなでおろす者が多いなか、意気込んで場に臨んだノラは肩透かしにあってやや拗ね気味なご様子だった。

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