第15話 イマジナリーニャンニャン
二年にわたるサバイバル。
数々の困難を乗り越えることで、俺は苦痛に対する耐性を手に入れた。
にもかかわらず、それを突破してくるこの苦痛は何だ!?
くっ、これが人に苦痛を与えるために生みだされた苦痛というものか……!
まずい、正直舐めてた。
過去、魔獣どもにボコボコにされた俺なら、奴隷が受ける苦痛くらい耐えられると踏んで奴隷になろうとしたのに、もうこの段階で心の骨がへし折れそうになっている。
無理か。
無理なのか。
奴隷となって悠々自適な生活をおくるという、俺のささやかな夢はここで潰えてしまうのか。
いや――否! 断じて否!
俺は乗り越える、乗り越えるぞ俺は。
森では地獄のサバイバルに適応して乗り越えた。
ならば、この苦痛にも適応し、打ち破ることだってやってやる。
「んがががが……ッ!」
手に入れるのだ、悠々自適の生活を!
スローライフなどというまやかしではない、本当に豊かな生活を!
「ががっ……がっ、たっ、だ……だあぁぁぁ――――――ッ!!」
悠々自適な生活への渇望。
スローライフへの憤怒。
マスコミへの憎悪。
この三つが渾然一体となり、俺の中でひとつの像を結ぶ。
煮えたぎる極限の苦痛の中で幻視したもの。
それは――。
猫。
なんで猫……?
そう一瞬考えるも、苦痛に苛まれる状況では考察などできようはずもなく、俺は幻視した茶白の猫にすがりつく。
人には象徴が必要だ。
どれほど強い想いであろうと、どれほど真摯な祈りであろうと、それらは抽象的なものであり、であるからこそ集束させ、より強固なものとするために人は象徴を求める。
自身の精神を粉々に打ち砕いてしまうような苦難にあるとき、すがりつける象徴を持っているかどうかで打ち勝てるかどうかが決まる。
だから俺は幻視した猫にすがった。
もう本当にそこに猫がおり、手を伸ばせば「気安く触んな」と引っ掻かれるほどに。
「んにゃにゃぁ――――――んッ!」
俺は叫んだ。
叫んで、そして見た。
猫が背中を山なりに起こし、尻尾をぶわっと膨らませての臨戦態勢で『フシャーッ!』と抵抗の意を示すのを。
すると――どうだ。
バキンッ――。
甲高い音をたてて魔道具が砕けた。
さらに体に施された奴隷紋も、パーンッとガラスが粉々になるように砕け散った。
「んなぁ!?」
よほどびっくりしたのだろう、バシルは体勢を崩し尻もちをついた。
そして苦痛から解放された俺は――
「ふ、ふふっ……ふはは……」
込み上げる笑いを抑えきれないまま、ゆっくりと寝台から降りる。
「はーっはっは! やったぞ、やった! 思った通り、完璧だ!」
打ち破った。展望が開けた。
俺は賭けに勝ったのだ!
「おい、俺は奴隷になるぞ! とびっきりの金持ちに売ってくれ。俺はそこで面倒な指示を無視しつつ悠々自適に暮らすことにする!」
そう、奴隷になれば合法的に金持ちの家へ転がり込むことができるのだ。
なんたる名案か。
しかしまあ、ただ穀潰しになるつもりもないので、何か困りごとがあれば解決するために一働きくらいはする所存だ。
ほら、あれ、時代劇とかである「先生、お願いします」の号令で動き出す先生みたいな。
金持ちなんだから、きっとそういう機会はあるはず。
これなら俺を買ったお金持ちだってにっこりだ。
みんな幸せ。素晴らしい。
「な、な、何を言っているんです!? 拘束を打ち破るようなとんでもない奴隷を売れるわけがないでしょう!?」
「そこは上手くやってくれ! 凄く有能だとか説明して売ってくれたらいいんだ、あとは俺がなんとかする!」
「そんなの無理ですって! もう帰ってください!」
「断る!」
「何なのこの人!? 帰ってくださいよ、お願いです、帰ってください、帰っ、帰れぇぇ――――ッ!」
このバシルの叫びに、様子を見守っていた護衛二人が動き出す。
そうそう、まさにこんな感じで頑張るつもりだ。
で、護衛二人は俺をとっ捕まえ、ここから放り出すつもりなのだろうが……そうはいかん!
悠々自適の邪魔はさせんぞ!
「ふしゃーッ!」
「かはっ」
「ぐふっ」
これが森ならコテンパンに叩きのめすところだが、二人は今日から一つ屋根の下で暮らす仲間だ。怪我をさせるわけにはいかないと、俺は平和的に威圧で二人を昏倒させた。
「ふはははは! 俺を止められる者などいはしないのだ! そういうわけで今日から世話になるぞ! ケインです! よろしくお願いします!」
「か、帰って、お願い、帰って……」
「そう願うのであれば、早く大金持ちを見つけて俺を売り払うことだな!」
悠々自適な生活の始まりに俺は胸をときめかせる。
ところが――
「ふん!」
ドゴッ!
「いっでぇ――――ッ!?」
ケツに突然の衝撃!
わけもわからず倒れ込んでのたうち回っていると――
「まったく、もしかしたらと来てみれば……」
どこかで聞いた声。
俺を見下ろしていたのは、冒険者ギルドの支部長だった。
「おまっ、お前この!」
ケツを押さえながら睨みつける。
おのれ、『適応』さえ働いてくれたら……。
でもさすがに一回二回ではな。
「ちくしょう! 俺のケツに何の恨みがあるんだよ!」
「あるかそんなもの」
鬱陶しそうにため息をつき、支部長はへたり込んでいたバシルに手を貸して立ち上がらせる。
「ハ、ハインベックさん、彼はそちらの……?」
「いや、こいつは冒険者ではない。さきほど登録に来て問題を起こして逃げだしたんだ。その際、奴隷うんぬんと言っていたのでな、もしかしたらと一番近いここに来てみたんだ」
「それは……ありがとうございます。助かりました、本当に……」
「俺とてこいつの面倒を見る筋合いはないが、関わってしまった以上、放ってもおけん。こいつは回収していってもいいか?」
「それはもう。あ、ですが奴隷紋の処置の代金を支払ってもらわないと……それに拘束用の魔道具を破壊されてしまったので……」
「……払うよな?」
「くっ……」
一応、抵抗はしてみた。
でもダメだった。
踏み倒すことは簡単だ。
しかし、この『踏み倒した』というチンケな事実が、いずれ到来するであろう、悠々自適な生活にささいではあれど陰りを及ぼすこと、その可能性を考えると、やはりここはしっかり払っておくべきなのだ。
あーあ、所持金がごっそり吹っ飛んじゃったよ……。
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