第10話 閑話 シセリア

 私はシセリア。

 立派な騎士になることを夢見る可憐な十四歳の乙女です。


 父上にはよく「お前には才能がない」とか「そもそも向いていない」などと扱き下ろされますが、それでも努力を重ね、この春、ようやく従騎士と認められました。


 そして初参加となる大森林への遠征。

 死にかけました。


 やってくれたのは狂乱鼬。

 そこらの野にいる狂乱鼬と違い、ここアロンダール大森林――魔境に住む狂乱鼬は強力な風の刃であっさりと人の首を落としてくる恐い奴です。


 私の首が落ちなかったのは、曲がりなりにも騎士見習い、鍛えた体あっての幸運でしょう。

 今日までの厳しい訓練は無駄ではなかった……!


 そのあと、危ういところをひょっこり現れたケインさんに助けられ、一緒に砦へ帰還することになりました。

 事もなげに狂乱鼬を仕留めてみせたケインさん、後ろからついてきてくれるのはとても心強かったです。


 砦に着いたところで、私はバーレイに連れられて治療所へ。


 傷自体は回復ポーションで治っていても、失われた血はどうにもならないため宿舎で安静にしておくよう言われました。


 そのまま休めたらよかったものの、私の左半身は固まった血がべったりで、このままでは宿舎へ戻れません。

 そこで行水をさせてもらったのですが……多いとは言えない水量でやりくりした結果、体中がほんのり血なまぐさくなってしまいました。

 悲しい……。

 ですが贅沢は言えません。この砦では水は貴重なのです。

 水源としてはアロンダール山脈からの地下水脈があるのですが、井戸から汲み上げられる水の供給は調理場や解体所が優先されるため需要を満たすには至らないのです。

 たっぷりのお湯に浸かるとか、夢のまた夢。

 ああ、王都の公衆浴場が恋しい……。



    △◆▽



 従騎士である私が寝泊まりしているのは、二段ベッドがずらっと並ぶ、お世辞にもすごしやすいとは言えない宿舎です。

 まだ同僚は働いているので、朝晩のにぎやかさが嘘のように宿舎は閑散としています。

 居るのは不覚を取って療養している怪我人くらいのもの。

 つまり私のお仲間というわけです。


 自分のベッド(下の段)に戻ってひと息。

 意気込んで参加した遠征、さっそく酷い目に遭いましたが、落ち込んでばかりはいられません。

 これくらいでへこたれていては、立派な騎士にはなれないのです。


 そう、いずれ私は騎士となり、陛下に剣で肩をとんとんされるのです。

 働きがよければ、女性ということでお姫様たちの警護を任される、なんてことになるかもしれませんね。

 まだお目にかかったことはなく、その存在を知っているだけのお姫様たち。

 あなたの騎士はここにいますよ!


 ふふ、気分が盛り上がってきました。

 ここは遠征でのささやかな楽しみにと、用意しておいたお菓子を食べちゃいましょう。

 奮発して買ってきた、美味しくて日持ちするお菓子。

 あむっと。

 一つ食べ、ささやかな幸せに浸っていたところで……来ました。

 恐い人が。

 父上です。


 や、やっぱりお説教でしょうか……?

 覚悟と言うより諦めの境地で父上を迎えると、意外なことにお説教はされず、すぐにケインさんの話になりました。

 お説教を免れたのはまあ良かったのですが、死にかけた娘に「無事で良かった」の一言もないのは……。


 それから父上は助けてくれたケインさんにお礼をすべきだと言いだして、私のお菓子をきれいに巻き上げていきました。

 確かにお礼はすべきだと思います。

 でも!

 なにも全部持っていくことないじゃないですか!

 う、ううぅ……。

 夢も希望もなくなりました。

 つらい。

 とてもつらい。

 ちくせう……。

 こうなったらもうふて寝だーっ!



    △◆▽



 騒がしさに目を覚ますと、宿舎が同僚たちでにぎわっていました。

 夕方になり、本日の森での活動はおしまい。夜は夜で砦内でのお仕事があるのですが、今ばかりは談笑を交えつつ、一時の休息を楽しんでいます。

 そんな皆にも私が死にかけた話は伝わっているようで、すぐに集まってきてより詳しい話を聞こうとあれこれ尋ねてきました。


 求められるまま、私は狂乱鼬に遭遇したときの状況や、そのあと現れたケインさんのことを話して聞かせました。

 あと、父上に大事なお菓子を巻き上げられたこともしっかりと愚痴りました。


 あー……と、なんとも言えない表情になる同僚たち。

 私がこの隊で父上にどのように扱われているか、普段から見ているからこその反応です。

 公私をわけているとか、身内だからより厳しくとかそんな話ではなく、家での調子そのまま、父上はそもそも私に対して容赦がないのです。


 と、そこで宿舎にお客さんが訪れました。

 まさに話題となっていたケインさんです。

 ひょっこり現れたケインさんは、まず私の調子を気遣い、それからお菓子のお礼を言ってくれました。

 美味しかったですか?

 そうですよね、美味しいですよね。


 くっ……。

 ケインさんを恨んではいけない。

 お菓子は助けてもらったお礼なのです。

 恨むならば父上……!


 そう私が自分の心に言い聞かせていると、ケインさんはどこからともなく、こんもりと果実が詰め合わされた籠を出現させ、それを差し出してきました。


 え?

 お菓子のお礼……?


 立ち去るケインさんを見送りつつ、私は籠を抱えて目をぱちくり。

 助けてもらったお礼にお礼にとか。

 それも果実。

 果実はちょっとした貴重品です。


 なんでしょう、あの人は聖人かなにかなのでしょうか……?


 おそらく、この果実はケインさんが森で採取して保管していた物でしょう。

 魔素の満ちるこの森で育つ植物は、どれも外でとれる物より魔力が豊富。当然、果実だって魔力たっぷり。それは果実自体の美味しさに影響するだけではありません。食べればほんのちょっとだけ魔力が高まり強くなれるのです。

 美味しくて、体にも良い(?)。

 これはもう、あれです、お金持ちが鷲掴みにした金貨を投げつけてくる特別な代物です。

 いやー、お菓子がとんでもないものに化けました。

 よく見れば、今の季節にとれる果実だけでなく、夏や秋、それどころかとても珍しい冬の果実まであります。


 これ、もしかすると売ればちょっとした財産になるのでは……?


 心の中で邪悪なものが囁きます。

 いけない、これはケインさんのお礼、気持ちです。

 それを売るなんてとんでもない!


 それに悠長に売ろうとしても、その頃には熟れすぎたり、萎びたりしてしまっていることでしょう。

 やはりここは、ありがたく頂くのが一番。


 まあ、この機を逃したら、こんなに果実を食べる機会なんて一生ないかもしれませんから、乙女としては当然の判断だと思います。


 ではさっそく一つ頂いて……ってなんですかね。

 周りの同僚たちが「ぐへへへへ」と邪悪な笑みを浮かべています。

 小さい子が見たら悪夢を見るような笑みです。

 狙いは……まあ頂いた果実ですね。

 とはいえ、さすがに弱っている私から強奪するほど皆も悪辣ではありませんでした。

 それぞれ持ちこんだお宝(お菓子)との物々交換を申し出てきます。

 本心は独り占めしたいところですが……隊の和を乱すことにもなりかねないため、ぐっと独占欲を抑え込んで物々交換を受け入れます。

 食べ物の恨みは恐いですからね。


 結果として、ケインさんから頂いた果実の多くは、たくさんのお菓子に化けました。

 私は父上に巻き上げられた以上のお菓子を手に入れることができたのです。

 もうなんて言うか、ケインさん様様です。


 今日は首を刎ね飛ばされそうになったり、お菓子を巻き上げられたりしたしましたが、ふり返ってみれば良い日だったのかもしれません。


 と、本日のまとめにはいっていた私でしたが、そのあと父上から呼び出しをくらいました。


 ま、まさかこれは……また取り上げられるのでしょうか?

 だいぶ減ってしまったケインさんの果実を、そして交換したお菓子を……。


 あー、ダメですね、これはもうダメ、戦争です。

 たとえ自分よりずっと強い相手だとしても、それは譲れぬものを守るための戦いに背を向ける理由にはなりません。

 乙女には、負けるとわかっていても戦わねばならないときがあるのですよ。

 でりゃーっ!



    △◆▽



 勘違いでした。

 剣を片手に執務室へ飛び込んだことを怒られました。

 ただそれは大声で怒鳴り散らすようなものではなく、知恵の足らぬ者を相手に、なんとか理解してもらおうと願いを込めて語りかける――言ってみれば諭すようなものでした。

 いやー、残念なものを見るような目を向けられ、ため息まじりに「そういう所だぞ」と呟かれるのは、思いのほか心にダメージがありますね。


 それで父上がどうして私を呼んだかというと、ケインさんについて話をするためでした。

 私が持った印象ですか……?

 良い人だと思いますよ。

 誰に対しても気さくで……え? それがおかしい?

 性別、年齢、立場、そして地位関係なく気さくというのは、普通ではないと……なるほど。


 でもそれは、あまり人と関わらない生活を送っていたから……え? お菓子を食べた反応? 食べ慣れているような感じだったんですか?

 う~ん、そうなると……よくわかりませんね。

 父上はどう思っているんですか?


 は?

 使徒?


 それって……誇張抜きで世界を大混乱に陥れた、悪名高きスライム・スレイヤーみたいな?

 本気で言ってる……あ、それでこの砦に留まってもらって、安全な人かどうか確かめようとしたと……。


 本当に使徒かどうか確かめる方法もあるにはある?

 ただ下手すると隊は壊滅して、さらに王国にも被害が及ぶ可能性があると……。


 いやいやいや、やめましょう、怒らせるとか。

 本当に使徒様だったらえらいことになります。

 ユーゼリアが国になったのだって、スライム・スレイヤーのせいで大国が大混乱に陥って分裂した結果なのですから。


 まあ使徒でなくとも、ケインさんは腕力だけであっさり魔境の狂乱鼬を倒してしまうような魔導師、敵対が悪手であることくらい私にだってわかります。

 収納魔法が使えるくらいです。きっとほかにも色々とすごい魔法が使え……え!? ケインさん、大浴場作ってくれたんですか!? 熱いお湯も張ってくれて、ちゃんと男女別!?

 すみません、私ちょっと行って――って、まだ話があるってなんですか!

 娘がほんのり血なまぐさいままでもいいんですか!?

 ケインさんは使徒!

 それでいいじゃないですか!


 ……へ?

 国のためになんとか友好的な関係を築きたい?

 それはもちろん賛成ですが……。


 はあ!?

 私に色仕掛けをしろと言うんですか!?

 助けてもらった、なので好意を抱いた、そんな感じでって……なんですかそれ、私はお腹を空かせた子犬や子猫ではないんですよ?


 いや、子犬や子猫の方がまだ成功率は高いって、どうしてそこで貶めてくるんですかね……。

 自分でも無謀だと思っているって、どういうことですか。

 普通はもうちょっと、こう、やる気を出させる言い方をするものでしょう!?


 ま、まあ、たとえその気にさせようとしても無駄ですけど。

 騎士として認められているならいざしらず、私はまだ見習い。

 ここで訓練をほっぽりだすわけにはいきません。

 私の目標は立派な騎士になること、そしてこの国の役に立つことなのです!


 ……ッ!?

 ポンコツの私が騎士になるより、ケインさん誑かして引き込んだ方がはるかに国の為になる!?


 だからその言いよう!

 泣きますよ!?

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