第5話 悔しくなんてありません

「皆で打ち上げしようって話になってるみたいですよ。あの、一緒に行きませんか?」


 誰もいなくなった空間にその声は響いた。

 体育座りをしたまま、それには振り向かず「行かない」とだけ返事をする。


「やっぱりそうですよね」

 歩み寄ってくる声。

「違う。私がミスさえしなければ、まだ続いてたはずだった。それだけの話」

「それでもすごいですよ。3回戦まで行ったんですよ?」


 最後の夏の大会を終えて、生まれて初めての感情は私を体育館ここに縛りつけた。

 このモヤモヤはなんだろう。

 メンバーへの罪悪感? ただの傷ついてる振り? それとも――


美緒みおは先輩が頑張ってたの、コートの外からずっと見てましたから。遅くまで残って練習してたのも知ってます。休みの日だってそう。あんなに本気でやってきたんです、悔しくないはずがないですよ」


 震えたような声が聞こえると、雫のようなものが上から2、3滴落ちてくる。見上げると彼女はすぐ側にいた。


「……どうしてあんたが泣いてるのよ」

「泣いてませんし、それにこれは鼻水です。さあ、立ってください先輩」


 服の袖で目元を拭った彼女は近くのボールを拾う。その強い眼差しに気圧けおされて、いつの間にか私は立ち上がっていた。


「補欠のでごめんなさいですけど。美緒、トスを上げます! だから先輩は思いっきり打っちゃってください!」

「どうしてそんな事」

「試合の続きをするんですよ」


 半ば強引にそれは始まった。

 当然タイミングはすぐには合わない。馬鹿げている。いたずらに過ぎていく時間に、痺れを切らし漏れた「もういいでしょ」。それでも彼女は諦めようとしない。ボールが数え切れないほど転々とする中、繰り返していくうちに美緒はコツを掴み始める。


「先輩っ!」


 直感でしかない。けれど今まさにそれは上がっていった。負けたあの記憶を塗り替えたいと体が反応を示した。右足で小さく1歩目、2歩目を左足で大きく踏み出し、3、4歩目と膝を曲げて踏み込む。

 そのまま両足で大きく跳躍、重心はやや後ろ。最高到達点に達するとボールは頭上にある。タイミングはこれ以上になくバッチリと合って、力強く右腕を振りぬいた。

 手応えは十分。

 直後「いっけー!」と、叫ぶ声が聞こえる。


 その軌跡はエンドラインギリギリを捉えたまま飛んでいき、床に叩きつけられたボールは大きな音を響かせ跳ねると転がっていった。


「亜紀ちゃん先輩、ナイスキー!」


 入部してから初めてのおおげさなガッツポーズをすると、その声に足は向いて美緒と両手でハイタッチを交わす。

 その瞬間、ふっと肩の荷が下りたような気がした。両足の力はゆっくりと抜けてそのまま膝をついた。

 目頭が熱を帯び、手はただただ震えて呼吸が上手くできない。


 ああ、これがそうなんだ。


「なんだ、先輩だって泣いてるじゃないですか」


 差し出された小さな手と、眉をハの字にした表情がこの上なく愛おしい。


「……これは鼻水なんだけど?」

 私は精一杯の強がりをした。


「ねえ。打ち上げさ、今からでも間に合うかな」

「エースを待たないはずがありませんよ。さあ、行きましょうお姫様!」

「何よそれ」


 手を取られると私はそのまま駆けだした。



 歓声も何もないこのコートと、後輩の笑顔がバレーボール部最後の思い出になっていく。

 こっちだって、追いつこうと必死に練習しもがいてた姿を知ってるんだから。

 私は8月のこの暑さを決して忘れはしない。

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