第18話 罪深き者たち

 刑期を務め上げた田崎守が釈放された。田崎はまっすぐ『里山ベネッセ』に向かった。村岡への復讐しか考えていなかった。施設前には警官が立番をしていたが、裏には誰もいないお粗末な警戒ぶりだった。施設の受付は相変わらず無防備である。田崎は難なく受付を擦り抜け、村岡の部屋の見える位置まで辿り着いた。想定していた護衛がいないので一気に部屋の前に立った。中に聞き耳を立てたが、テレビの音もなく静かだった。隠し持っていた軍用ナイフを取り出し、引き戸に手を掛けた。静かに力を入れると、するすると開いていき、真っ暗な部屋の中で村岡は寝息を立てて眠っていた。頭を抑え、首の動脈を目掛けて一気に軍用ナイフを突き下ろした。しっかりと手応えがあった。ゆっくりとヒルトに止まるまで刺し切ったまま痙攣が治まるのを待った。飛沫が血腥い。窓から月の光が射すと、死人の顔が浮かんだ。その顔は、見覚えのある顔だった。村岡ではなく川口であることに気付き、田崎は激しく狼狽えた。その男の首に刺した軍用ナイフから手を話し、布団を深く被せて部屋を後にした。脱出の最中、その男の素性を思い出した。あの男は正大党幹事長である。“なぜあの男があそこに? 村岡は何処に行ったんだ?”…田崎は川口が村岡の一件で失脚したことを知らなかった。脱出した建物を振り返った。きっとこの施設の他の部屋に移ったに違いないと、何れ再度の潜入を試みることにしてその場から消えた。


 田崎が釈放される同日、川口彰生がマスコミは勿論、入居者たちの目にも触れないように秘密裏に “あの部屋” への入居を済ませていた。川口彰生の入所は施設内でも限られた人間にしか知らされなかった。息子の次盛にさえ明かさなかった寛治郎は、施設長の慈治に一任し、世話係として崎山忠正とベテラン介護士の小池里子のふたり、健康管理は医師の飯山鶴子というメンバーを組んだ。入居初日の川口はそれまでの疲れで深い眠りに落ちていた。

 その夜、事務室の慈治は内心、苦虫を咬んでいた。正大党の川口彰生など国税で庇護する人間ではない。カルト信者を票田としか見ない偽善の裏切りを続けている。利用出来る者には見境なく職権を乱用する傲り具合には、近いうちに “大奥様の呪い” が下るはず…と、思いたかった。今日は正大党元幹事長の川口彰生が内密に入所したこともあって、慈治と崎山は居残り組になっていた。他のスタッフは夜勤交代後の作業が済んで一段落したところだった。

「施設長…」

 崎山が何かに気付いて声にならない声で呟いた。慈治も気付いていたらしく、黙って頷いた。ふたりは田崎が侵入して、密かに受付を通過したのを黙認していた。

「さて、私らも帰りましょうか、崎山さん」

 田崎が侵入したことで、ふたりは居残りをやめ、夜勤スタッフに任せて施設を後にした。慈治は今日も最上階に上ることなく、妻と暮らした家に戻って行った。


 翌朝、里子は川口彰生のもとに朝食を運んだ。川口は布団を深く被ったまま返事がなかった。

「先生、よく眠れましたか? まだお休みですか? もう8時ですよ」

 朝食のトレーをテーブルに置いてベッドの川口に近付いた。深く被った布団を捲ると、首に軍用ナイフが深く刺さっていた。川口はまるで自分の死をまだ知らないような異様な表情をしていた。

「あら、先生…殺されちゃったのね。それにしても見事な仕事…」

 里子は全く動じなかった。静かに布団を被せ、出勤途中であろう慈治に連絡した。少しすると慈治が崎山を伴って現れた。

「思ったより大奥様の呪いが早かったようですね」

 三人は顔を合わせて嘯いた。誰も大奥様の呪いなどとは思ってなどいない。慈治は110番通報し、部屋に鍵を掛け、いつもどおりの勤務に戻った。警察車両と救急車が施設前に停まるや、報道の記者たちがハイエナのように群がって来るのを数人の警官によって阻まれる窓外の騒ぎはまるで朝のワイドショーに見えた。事件の詳細を知る慈治ら三人の誰もが漏らしようのない情報が筒抜けである。警察内部に小金稼ぎのリーク常習者がいる証拠だ。

 何も聞かされていない施設の介護スタッフたちには、このところ度重なる同じような光景に “またか” という気のない動揺が走った。暇を持て余している居住者たちの目は寧ろ活き活きすらしている。慈治は敢えて施設を見舞った。誰もが同じことを聞いて来る。しかし慈治は “このところ、こういうのが多いね” とのんびりムードで応対すると、居住者は心ばかりの癒しを与えてられて動じる空気にまではならなかった。

 施設に置けるセキュリティの脆弱性は問われたが、大きな責任は問われなかった。寧ろ現役議員に対する政府の無防備さの方が問われた。慈治は、今後、施設に於ける警備面の強化を図るという在り来たりの方針を打ち出し、聴取は終わった。ハイエナたちがお零れに与ろうと事務所に取材を求めて殺到したが、居住者の精神的安寧を大義に一切の取材を拒否し、電話が鳴り止まぬ事態を想定して終日全て留守録に切り替えられていた。“あの部屋” に於ける呪いが施設の緊急対応のレベルを上げていた。

 施設前には犯人が確保されるまでの間、また数名の警察官が配備されることになった。大物政治家の自宅前のようだと慈治たちは苦笑いをするしかなかった。下らん記事でお祭り騒ぎをしたいハイエナどももハイエナどもだが、真剣に犯人を捕まえる気があるなら、隙と思わせる罠を張って誘うしかないだろう。警察官配備などと “威嚇” するのは、“ここには来ないでくれ” と犯人に懇願しているようなものだ。配備を解けば “今からがチャンスです” と、再犯のきっかけを伝えるだけだろう。日本国憲法は “人を殺してはならない” という条文や “国民を守る” という条文などどこにもない。罪を犯した場合の罰則があるのみだ。憲法前文にしても “諸国民の公正と信義を信頼して” とか “いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない” と謳っているが、果たしてそういう品行方正な国がどこにあろう。侵略に遭っても諸国民を信頼し、自国のことのみに専念してはならないのであれば、国として何れ崩壊あるのみだ。今の繁栄は奇跡ともいえる。北朝鮮に三桁に上る大量誘拐をされたことが分かっても、政府が拉致被害者と認定したのは高々17名である。その内救出できたのは一桁。国民をろくに救えもしない国なのである。国とは言えない被害者放ったらかしのおめでたい集合体である。冷静に考えれば、侵略するより、栄えさせて漁夫の利を得る方が得策であろう。その証拠に、強請り集り強盗の近隣諸国がまだ食い足りないと涎を垂らして日本にほくそ笑んでいる。腹が空けば日本というATMがある。目の前で貴重な資源を奪われても、日本に出来ることは精々 “遺憾砲” を放つことだけである。“諸国民の公正と信義を信頼して” くれる日本は、どんな理不尽を押し付けても無抵抗な実に美味しい集合体なのである。


 川口彰生の死をきっかけに、“あの部屋” が封印されることになった。封印といっても永久閉鎖ではない。先祖と祖父母の鎮魂社として改装するのだ。来月から “あの部屋” は宗教法人格を持たない邸内社の建立工事が着工される。入所した居住者なら誰でも参拝できる施設内神社となる。寛治郎が待ちに待った慈治の案だった。工事は外部に伏せ、一切の資金提供を受けずに『里山ベネッセ』の運営で蓄えた資金を全て吐き出す形になったのは、金の柵によるトラブルが続いたからであろう。

竣工は予定より早かった。清祓式きよはらいしきを伴った竣工式は、限られた者だけで執り行われた。寛治郎と息子の次盛、『里山ベネッセ』の施設長である慈治、今に至る影の“功労者”である崎山忠正と小池里子、寛治郎の要請で看護師から医師になり、遺体安置ホテル『里山パーチェ』とのパイプ役になった懐刀の飯山鶴子、さらに居住者代表として奥枝有紀、糸田嘉子、萱場安乃が招待された。

 竣工後の管理は慈治に一任された。慈治は毎朝、お塩、洗米、お水の三品と、祖父母が欠かさなかったという朝刊と煎茶をお供えし、夕方には下げ、榊は毎月1日と15日に新たなものを供え、数日に一度水替えをするのが管理の日課となった。

 そんなある日、一連の作業を終えた慈治の背後に後藤乳根女とそれに付き添う入江金蔵が立った。

「慈治さま、ありがとうございます」

 …そんな声が聞こえた気がして慈治は振り返った。やはり妄想の世界には入り込めない。正面で圧倒する神前に手向けた榊の中央の御鏡が、丁度日差しを浴びてガランとした30畳ほどの空間に光を放っていた。


 完成した邸内社前の廊下には、参拝が許される午後2時から4時までの間、居住者の列が絶えることなく続いた。彼らの信仰心の厚さは想定外だったが、一過性のことだろうと思ってそのままにしていた。しかし、ひと月経ってもその勢いは衰えず、寧ろ居住者にとっての毎日の習慣となって、次第に長蛇の列となっていった為、氏名許可制を取るしかなかったが、居住者からの不満はなかった。一方で邸内社が出来たのはここが新興宗教団体に買収されたからで、ここはいかがわしい施設に成り下がった証拠だと、退所が相次いだ。それは主にカルト信者と思しき入居者の退所だった。介護施設は、カルト党や護憲派の赤星党と深く関わっている場合が多々ある。それらの組織の息の掛かった人たちは “施設入所に於ける暗黙の優先権”があると謂われる。『里山ベネッセ』に於いては少なくとも川口彰生の死によって、ほぼカルト党色は絶えた。その影響は『里山パーチェ』にも及んだ。カルト党信者は身内同士の納骨先に於けるトラブルが絶えなかったが、それも皆無になった。慈治は事態の “おまけ感” に、にんまりした。


 『里山ベネッセ』は、やっとかつての静けさを取り戻した。もともとここは人里離れた場所に建つ上級武士だけが静養する旅籠として栄えたが、曾祖父の代でそれも尽きて旅籠を閉じた。跡継ぎの祖父の万太は再び後藤家を盛り返そうとしたが、道半ばで若くして他界してしまった。妻の乳根女は、気丈に夫の後を引き継ぎ、再び後藤家を盛り返した時には既に体が深刻な状態になっていた。次第に都市開発が進み、住宅エリアがどんどん屋敷に押し寄せ、交通の便も良くなった頃、人里離れた場所ではなくなった屋敷の行く末を考えた寛治郎は、母の乳根女を看取った後、先代が残してくれた資産で屋敷を介護施設に改装した。しかし、後藤家に忠実な金蔵には、寛治郎の祖母である大奥様の意に反していることを指摘されていた。そして今、その金蔵の亡き後、祖母の住まいに邸内社を建立したことで寛治郎も心の整理が出来た思いだった。


 しかし、思わぬところから不穏な空気が漏れ出した。自分に相談なく邸内社が建立されたことで、次盛は『里山ベネッセ』の運営が寛治郎から離れ、“部外者”の思惑に支配されているのではないかという猜疑心に苛まれ始めていた。このところ施設では警察沙汰になるような事件が起こり、不可解とも思える死者も度重なり、次盛の猜疑心は大きくなるばかりだった。その矛先は父の寛治郎が終の棲家まで与えて優遇している慈治に向けられた。次盛は父に慈治の解雇を強く訴えた。息子のそんな意向を寛治郎が受け入れるわけもなかったが、慈治は寧ろ次盛の要求を受け入れる姿勢をとった。ここが去り際と思えたからである。慈治は次盛からの抗議を “己の不徳の致すところ” として寛治郎に辞職を申し入れた。しかし、寛治郎は次盛の要求を却下し、慈治の辞職は認めなかった。

 新たに寛治郎と次盛の確執が生まれた。慈治は、辞職が認められなかったことで、せめて施設長の辞任をと懇願し、息子の次盛への施設長就任を願い、長期休暇を取った足で施設を後にした。慈治はこれを機会に、早苗との思い出の家で幸せな過去を思い出しながら老後を送ることにしたのだ。


 暫くすると、居住者たちは慈治が施設長を離れ、突然いなくなったことを不審に思い、動揺が広がった。次盛は寛治郎の了承を得ないまま『里山ベネッセ』と『里山パーチェ』の統括施設長として、いくつかの新方針を打ち出した。中でも部屋の外への外出規制は居住者の大きな反感を招いた。更に邸内社の参拝は “当分の間、お休みします” の貼紙をしたことで、施設長交替の次盛に対する居住者の負の風当たりが表面化した。次第に居住者の統制が執れなくなり、人望のなさが表面化して行った。

 居住者の二言目には新施設長の悪口と慈治の復帰願望が繰り返され、介護スタッフの間でも、次盛の孤立は表面化する一方だった。そんなある日、崎山は慈治の住まいを訪ねた。最近の施設の変化を嘆いても、慈治はただ微笑んでいるだけだった。

「そのうち落ち着くよ。大丈夫」

「いつ職場に戻られるんですか?」

「有給はまだあるからね」

「有給を消化したら戻られるんですね」

「その時になったらまた考えてみようかと…休み癖が付いて、この生活が居心地良くてね。人間は身勝手な生き物だね」

 崎山は、すっかり他人事のように話す慈治が、職場復帰の意欲が完全に失せているとは思いたくなかった。兎に角、たびたび慈治のもとを訪れて『里山ベネッセ』の“今”を話し続けるしかないと思った。

「次盛さんの指示で、邸内社が参拝禁止になってしまったんだ」

 その言葉に慈治は僅かばかりの反応を示した。

「でも、閉鎖したからといって放っとくわけにもいかないので、掃除くらいは里子さんと交替でやってます」

 慈治は暫く憮然としていたが、仏壇の早苗に目をやった。崎山は慈治が施設の柵に巻き込まれそうになる自分を、必死に抑えたのかもしれないと思った。崎山にしても、妻との強い絆を断たせてまで慈治を施設に戻すのは酷な気もした。その場を辞した崎山は、その後も時折、慈治の家を訪れては施設での出来事を話しに寄ったが、それ以上の深入りはしないように心遣った。

 今日も玄関のチャイムが鳴った。また崎山だろうとドアを開けると、そこに立って居たのは次盛だった。

「次盛さん !? 」

「父が生きる意欲を失っています。早く『里山ベネッセ』に戻って来てください」

唐突だった。

「ま、中へ…」

「いえ、ここで…私が間違っていました。どうか『里山ベネッセ』に戻ってきてください!」

「私はもう…お父上は、次盛さんが苦しんでらっしゃる時、全て自分の責任だと本当に心を痛めておられました。今度は次盛さんがお返しをする番ではありませんか?」

「私には荷が重い。草薙さんに早く復職していただいて、私は父の元を離れることが一番だと思いました」

「離れる? …たった一人の跡継ぎじゃありませんか? お父上の元を離れるなどと思ってはなりません」

「私の未熟さから草薙さんには大変ご迷惑をお掛けしてしまいました」

「次盛さんのお気持ちは理解できます。ご自分を責めてはなりません。幼い頃に受けた辛いご境遇の成せる業です。でも、次盛さんがここに来られたという事は、その辛さを克服なさったからに他なりません。次盛さんさえおられれば『里山ベネッセ』と『里山パーチェ』の未来は明るいんです」

「今日はお別れに来ました」

 次盛は玄関の外に待たせてある畠山美春を呼んだ。

「おや、美春さんもいらしてたんですか?」

「美春と結婚することにしました」

「そうでしたか! おめでとうございます! お父上が喜んだでしょ!」

「父には言っていません」

「え !? 」

「これから美春の実家に行きます。実家の農家を手伝います。あっちでも当分役には立たないと思いますが、かつて自分から欠け落ちたものを取り戻したいと思っています」

「…そこまで決意なさったんですか」

「ですから、草薙さんには戻って来ていただきたいんです。そしたら安心して美春の実家に発てます。このとおりです!」

 次盛は玄関前で土下座しようとしたので、慈治は慌てて素足のまま玄関に下りて止めた。

「そういうことをしてはなりません! 分かりましたから、兎に角お上がりください」

 煎茶の湯気が重い空気を優しく撫でた。

「どうか膝を崩して…煎茶は亡くなった家内が好きでね。いつだったか、気を利かせたつもりでお茶を買ってきてね。奥さん孝行のつもりでお茶を入れてやったんですが、飲まなかったんですよ。“このお茶美味しくない”…ってね。グラムいくらしたのって聞くから、500円くらいだったかなって言うと、どおりでねって、溜息を突かれてね」

 美春が噴き出した。

「このお茶は家内が好きなほうのお茶なんです。味見してみてください」

 美春がお茶を手に取り啜り出した。

「おいしい!」

「良かった!」

「私の実家は茶畑農家なんです! お茶の美味しさは小さいころから知ってるの! このお茶は美味しいわ! ねえ、専務も飲んでみて!」

「専務って呼んでるんですか、次盛さんおことを?」

「私、この人が専務の時に誘惑されたの」

「おい!」

 戸惑う次盛に思わず慈治も噴き出した。次盛は照れ隠しにお茶を啜った。

「どうです?」

「…美味しい」

「良かった…お世辞でも嬉しいです」

「ほんとに美味しいです!」

「でしょう!」

 三人の緊張が解れた。慈治は『里山ベネッセ』に戻るしかなかった。三度目の去り際を失ってしまった。

「ふたつだけお約束くださいますか?」

「はい!」

「お父上にきちんと話してから発ってください。そして、私の生きている間に必ずここに戻ってきてください。私に残された時間は長くはありません。そのふたつをお約束いただけたら復職します」

 次盛は平伏して嗚咽を堪えていた。三人はその足で寛治郎の元を訪れた。寛治郎は次盛を強く抱き寄せた。


 慈治は『里山ベネッセ』の事務所で職を辞することをスタッフたちに伝えた。

「施設長に復帰してくださるんじゃなかったんですか!」

「『里山ベネッセ』には戻りますが、金蔵さんに代わって社長のお世話をさせていただくべく、屋上階の居住者となります。そして今日は社長に指示されて新しい人事を伝えに来ました」

 崎山忠正は『里山ベネッセ』の施設長に任命された。そして『里山パーチェ』の施設長には小池里子が決まった。ふたりとも慈治の推薦だった。崎山は慈治の入社から面倒見が良く、真摯に相対してくれた。慈治が先輩の自分を越して施設長になっても、その姿勢は一貫して変わらなかった。慈治は無欲の彼を尊敬した。彼こそ『里山ベネッセ』の施設長に相応しかった。小池里子にしてもそうだった。施設内の理不尽にも不満ひとつ言わなかった。里子は氷のように冷静な人物だった。その根本に彼女に息づく慈しみを見抜ける人は少ない。里子こそ遺体安置の『里山パーチェ』の施設長にはぴったりの人材だった。


 次盛は今ごろ、美春の田舎に向かう列車の中だろう。それまでにこの砦を守らなければと、慈治は金蔵の祠に手を合わせていた。

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