第15話 先生の紹介

 村岡明彦は、慈治が警察から警備会社に転職して出向した先の大手電機メーカーの社員だった。慈治はそこで彼のストーカーに遭っている佐々木早苗と出会った。慈治は早苗を守るために村岡にプレッシャーを与えたことで、村岡は会社を去った。それが慈治と早苗との結婚のきっかけとなった。その後、村岡がどういう人生を送ったのかは分からないが、持って生まれた性癖が前科を呼んだのだろう。

 村岡は懲りなかった。勤務した先々で女生とのトラブルが絶えなかった。第二、第三の早苗に執着していった。猥褻被害は表沙汰になり難いことに味を占め、村岡の性癖はエキサイトしていった。その氷山の一角の前科…猥褻は病気とは言え、その前に犯罪である。人の一生に不治の傷を負わせる重罪であるにも拘らず、量刑が軽い。判決後に被害者が自らの命を絶っても、それは刑とは無縁となる。日本社会に於ける猥褻事件には “封印” の風潮があり、足輪やGPSマイクロチップでの監視体制には後ろ向きである。後ろ向きな方々が挙って自ら被害に遭うか、その大切な近親者が被害にでも遭わない限り、猥褻被害者の傷の深さを想像できない鈍感ぶりである。大震災で大勢の人が犠牲になった。全国的に謳われたのは “絆” だ。それは美しい思い遣りのように見えるが、おかしくはないか…大切な絆を失った犠牲者に “絆” を呼び掛けてどうするというのだ。自己満足の偽善そのものである。国の援助も掛け声だけが優先する。全国からの寄付も末端まで中々行き渡らない。その間に何が起こったか…弱り目に祟り目の現地にはカルト教が蔓延した。誘いの甘言に藁をも掴む思いでカルト教にしがみ付いたところで、猥褻被害者と同じような失望がその後の彼らを支配している。

 そのカルト票の恩恵を被っている正大党幹事長の川口彰生が、神聖なる終の介護施設である『里山ベネッセ』に猥褻犯を繰り返す前科ある村岡明彦を紹介して来た。『里山ベネッセ』の社長である寛治郎は川口と学友であり、施設建設に於いてはその地位の恩恵に与っている。世の理不尽の源を絵に描いたようなしがらみである。終の棲家と、やっと辿り着いたこの施設の柵は、どう踠こうと慈治の手に負えるものではない。もし策があるとすれば、己に都合の悪い存在の自滅に及ばずながらの合法的悪意を吹掛ける程度であろう。そして慈治は日々、合法的悪意の狂気を “去り際への秒読みに入ることが出来る” 唯一の武器として研ぎ続けることに専念した。


 今のところ、介護士や居住者に対する村岡による猥褻行為もないまま一ヶ月ほど経ったある日、あの田崎守が村岡を訪ねてひょっこり『里山ベネッセ』に現れた。その知らせを聞き付けた『里山パーチェ』の篠山兵太が凄まじい形相で駆けこんで来た。殺気立った兵太を崎山が制した。施設長の慈治が笑顔を崩さずに田崎守の待つ受付に立って歓迎の体を装った。

「田崎守さんじゃありませんか!」

「その節は大変申し訳ありませんでした」

「それならこちらではなく『里山パーチェ』のほうにご用があったのでは?」

「いえ、今日はこちらに…」

「そうでしたか…どうなさいました?」

「あの日は、帰り際に交通事故に遭いまして、意識不明のまま救急車で運ばれてしまったもんで…」

 兵太が突っ込まんとするのを、再び崎山が制した。田崎の大嘘は誰の目にも分かったが、慈治は年の功だった。

「それは大変でしたね! で、後遺症とかは?」

「お陰様で何とか完治しました」

「それはようございました。残念ながら故人は総合墓地に埋葬されましたよ」

「止むを得ません。私の不徳の致すところですから」

「今日は? 熊城一晃さんの安置料金のお支払でしたら、やはり『里山パーチェ』のほうに行ってもらったほうが…」

「ええ、そうなんですが、その前に村岡明彦さんの面会に…」

「なるほど! では面会の後、お支払という事ですね」

「…はい。先に面会させていただけないかと…」

「ところで…村岡さんとはどういうお知り合いですか?」

 田崎は返答に困った。まさか刑務所仲間とは言えない。しかし、慈治はふたりの関係はとっくに把握していた。初就職した頃の慈治の警察官仲間が今はOBとして幅を利かせている。個人情報程度の裏情報なら朝飯前というところだった。慈治は警察を退職してすぐに警備会社に移ったとは言え、数人との交流は仕事柄続いていた。それが今に至っている。彼らから情報を得た慈治は、あの田崎なら臆面もなく村岡に金の無心にやって来るはずだと睨んで手薬煉を引いて待っていたのである。そして今、目の前に居る。慈治の去り際への秒読みが始まった瞬間である。

「田崎守さんという方がご面会ですが、通しても宜しいですか?」

 村岡は受話器口で暫くの間があったが了承した。

「どうぞ、お通りください」

 田崎守はいそいそと部屋に向かった。兵太が勢い寄って来た。

「通して大丈夫なんですか!」

「村岡さんが了承してますからね」

「あんなやつ、玄関払いにすべきですよ!」

 兵太の言葉に慈治と崎山は同時に微笑んだ。

「え !? 」

 兵太は二人の意味深な微笑みに驚いた。慈治と崎山も互いの微笑みに驚いて真顔になっていた。兵太は不可解な後ろ髪を引かれながら『里山パーチェ』に戻って行った。


 田崎の面会に村岡は歓迎の体を繕った。田崎の目的は慈治の想像どおり、金の無心だった。

「よくここだと分かりましたね」

「捜しましたよ…会いたくて…」

「私なんかには会わない方が良かったんじゃありませんか?」

「頼るのは、あんたしかいないんだ」

「どうしました?」

「熊城さんの安置料がまだ未払いのままでね…」

「それを私に?」

「済まない…貸してもらえないか?」

「…いくらなんです?」

「30万ほど…」

「30万 !? 」

「いや、いくらでもいいんだ。ただ…おまえとの関係は誰にも話したくない」

「…脅しですか」

「そうじゃない。不払いのままだと訴えられて臭い飯を喰う事になる。少しでも金を工面する努力だけはしたことを示しておきたいんだ」

「・・・」

「捕まれば、ここに来て借金を頼んだことも話すしかない」

 村岡は迷ったが次の面会から事務所に断らせればいいと、取り敢えず田崎を帰すために了承するしかなかった。

「 “シャインルーム” に行っててください」

「 “シャインルーム” !? 」

「ロビーですよ。あとでそこに金を持って行きます」

「そうか! 済まないな!」

 田崎が出て行った後、村岡は部屋の金庫から30万を取り出し、“シャインルーム” に向かった。日頃そこに居ない田崎の姿には風景に馴染まない異質感があった。村岡が田崎に茶封筒を渡す光景は、尚更周囲の居住者の違和感を誘った。中でも違和感オーラ全開は有紀たち三人組である。周囲からの強い視線を感じて村岡はすぐにその場を去った。

「いいお天気ですね!」

 通り掛かりに普段の気配りで “シャインルーム” の居住者たちに挨拶したのは桜木千夏という新人の見習い介護士だった。

「あら、千夏ちゃん、今日も元気がいいわね」

 居住者の萱場安乃は自分の担当助手となっている千夏に声を掛けた。

「はい!」

 元気に返事をして通り過ぎる千夏の肉感的な後ろ姿に、帰り掛けた村岡の目が止まった。その村岡の目を見逃さなかったのは田崎である。田崎は薄笑いを浮かべてその場を後にした。部屋に戻る村岡は、千夏の後ろ姿を思い出し、見る見る猥褻な表情に変わって行った。


 その翌日から、村岡は用もないのに “シャインルーム” に入り浸るようになった。その目は常に千夏の姿を探していた。

「ねえ、あの人、おかしくない?」

 村岡の違和感だらけのオーラに、三人組の糸田嘉子が口火を切った。

「誰かを待っている目よね」

「誰を待っているのかしら?」

「あの子よ」

 有紀が現れた千夏を差した。村岡の目は千夏を捉えたまま、その口元がだらしなく開いた。次の瞬間、村岡は顔を歪ませて椅子から崩れ落ちた。咄嗟に走り寄ろうとした千夏に有紀は叫んだ。

「千夏ちゃん、先に事務所に!」

「はい!」

 千夏は事務所に走った。その姿に村岡は舌打ちして有紀を睨んだ。有紀は “あなたの狙いは見抜いてるわよ” とばかりに村岡から目を逸らさなかった。千夏を後ろに従えて崎山が駆け付けて来た。

「どうなさいました、村岡さん!」

「いや、ちょっと胸が苦しくなって…」

 と、回復の体を装って村岡は立ち上がった。

「大丈夫なんですか? 救急車を呼びましょうか?」

「大丈夫です。部屋で休ませていただきます」

「じゃ、私が部屋まで一緒に参ります」

 村岡に残された最後の思惑に反して、千夏の介抱は望めないという崎山の言葉だった。

「いえ、ひとりで大丈夫ですから…」

 村岡はチラッと有紀に睨みを利かせ、不快な表情で去って行った。

「大丈夫なのかしらね」

「仮病よ」

「仮病 !? 」

「千夏ちゃんが狙われたのよ」

「気持ち悪い~!」

「あの人…やばいわよね。気を付けないと」

嘉子が身震いした。

「高齢者も好みかしら?」

「あら~失礼な…男は性欲の妥協に限りはないのよ。若人狩りに失敗続きなら、私たちが狙われる日だってそう遠くはないわ」

「一昔は大丈夫なんじゃない?」

「やだ~、それってもうこの世に居ないわよ」

「あの変態には出張サービスで我慢してもらうしかないわよね」

「でも、この施設じゃ無理でしょ」

「あの男の目はそういう好みではないわね。素人への強要がお好みのようよ」

「犯罪じゃないのよ、それって !? 」

「あの男、そんな臭いがしない?」

「取り敢えず、これから先もあの男の毒牙から千夏ちゃんを守らないと!」

 そこに、崎山から村岡の一件を聞いた慈治が現れた。

「皆さんにご内密のご相談があります」

 待ってましたとばかりに有紀が応じた。

「じゃ、私の部屋で…」

 三人組は慈治からの初めての相談とあって、前向きだった。


 有紀の部屋に集まった三人組に、慈治は村岡と自分と妻の早苗の関係を離した。そして村岡の過去を話し、この施設に於ける警戒しなければならない人物であることを話した。

「そういうことだったんですか…千夏ちゃんは私たちが守ります!」

「そう言っていただけると心強いのですが、ご相談はここからなんです」

 慈治は千夏にお洒落をさせて、村岡の性癖を煽る計画を話して、三人組にその協力を仰いだ。三人は黙ったまま俯き、重い空気が漂った。

「…やはり…無謀ですよね。このお話は…なかったことに…」

 慈治は先走ったが、彼女たちの無口はそういう意味ではなかった。

「そうじゃなくて…どう煽ったらいいのかと…」

「え !? 」

「千夏ちゃんに、それとなく村岡をそそるようなお洒落をさせたらいいんじゃない?」

「例えば?」

「例えば…可愛いシュシュとかカチューシャとかエプロンとか。介護士の仕事上、イアリングとか指輪はまずいしね」

「そうね!」

「それに、私たちからのプレゼントだったら、千夏ちゃんは進んで身に付けてくれるはずよ」

「予算は出します!」

「あら、じゃ私たちの分も出してもらおうかしら!」

「え !? 」

「冗談よ。慈治さんは変わらないわね」

 慈治は彼女たちのパワーに圧倒された。そして計画は翌日から早速実行された。慈治は驚いた。数日も経たないうちに千夏の雰囲気は垢抜けた感じになっていた。村岡は予想どおり、千夏の変化に翻弄され始め、接触の都度、三人組に邪魔され続けてフラストレーションが急上昇していった。虚しく部屋に戻る村岡に、更に煩わしい事態が重なった。田崎の再三の面会である。

「この間は助かったよ」

「安置料の超過料金を払ってないそうじゃないか」

「急に電話があってね。人に会わなきゃならなくなったんだよ」

「払って来たのか?」

「ちょっと物入りでね…もう少し工面してもらえないかな?」

「オレをATMがわりにするつもりか?」

「今回だけだって…それより、あの子はモノにしたかい?」

「何の事だ」

「恍けんなよ、その様子だとまだのようだね。おまたが疼いて仕方ねえだろ」

「下に行っててくれ」

「あざ~す」

 田崎は素直に部屋を出て行った。村岡は事務所に田崎の面会を拒むように要請していたが、田崎はまた村岡の部屋を訪れた。堪り兼ねた村岡は事務所に抗議した。

「この施設のセキュリティはどうなってるんです! 何のために受付があるんです。あれだけ面会拒否の要請をしてるのにも拘らず、そういう人間を素通しなんですか!」

「皆様には善意でここで受付をしてもらうシステムで、今まで無断面会をなさる方はひとりもおりませんでしたので…でも、これからは厳しく対応させていただきます」

「頼みますよ!」

 村岡は田崎の待つ “シャインルーム” に下りた。田崎に茶封筒を渡す村岡は、千夏の姿を探す執着は持ち続けたままだった。獲物に遭遇敵わなかった村岡は、部屋に戻る道すがら千夏を探す猥褻に血走った目は猫の目のように動いた。

 翌日も、玄関のモニターに田崎守の姿が映った。ひとり事務所番をしていた崎山は席を立って部屋から消えた。田崎は注意深く事務所を除くと、誰もいないことを確認して、村岡の部屋に向かった。物陰で田崎を見送った崎山はニヤリと口元を緩め、改めて事務所に戻った。


 連日の田崎の面会に村岡は面喰った。あれだけ事務所に念を押して面会を拒んだのに、その田崎がのこのこと眼の前に現れた。事務所は一体何をしているんだと村岡は憤った。

「おや、今日はご機嫌斜めのようですね」

「金なんてもうないよ」

「おかしいな。あの金庫には札束が詰まってたじゃないか」

「何だと !? 」

「見えちゃったんだよ、金庫の中…」

「… !? 」

「おまえがあんなに大金持ちだったとは…でも、本当は持ってるはずはねえよな」

「・・・」

「どういう金?」

「…親の遺産です」

「おかしいじゃねえか? 親の遺産なら銀行振り込みだろ。その大金を自宅の金庫に移す不用心なバカは居ねえだろ」

「私は移した」

「もう一度聞く…どういう金? 務所仲間の誼じゃねえか」

 田崎のどすの利いた口調に村岡は半ば観念した。

「…預かった金ですよ」

「誰に?」

「それは言えません」

「正大党幹事長の川口彰生?」

 村岡は目を剥いて田崎の顔を見た。

「図星か…ちょっとぐらい貸してくれたっていいだろ。口止め料的な感じ?」

 田崎は失うものが無い人間の目をして粘着してきた。

「 “シャインルーム” で待ってるからよ。あの子に会えるかもよ」

「分かった」

「悪いな…今回から帯の付いたままな」

 そう付け加えて田崎は部屋を出て行った。村岡は田崎が入口の外に居ないのを確認し、部屋に鍵を掛け、金庫から帯封を一束取り出して “シャインルーム” に向かった。途中、桜木千夏と擦れ違った。村岡は通り過ぎる千夏の後ろ姿を舐め回し、その表情が一段と狂気立った。

 “シャインルーム” に行くと、田崎はいつものように違和感を撒き散らして待っていた。金を渡すとすぐに内ポケットにしまい込んだ。

「次はこれを2個頼むよ」

 そう言って去って行った。

「…次はないよ、田崎」

 村岡は田崎の後ろ姿にそう呟いた。

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