第12話 小 火

 熊城が去った朝、眞子はいつものように出勤して来て事務所に顔を出した。慈治はついに退職願を出しに来たのかと思ったが、眞子は慈治の顔を見て首を横に振った。“まだ済んでない”という眞子の意思が伝わったので、慈治は黙って頷いた。熊城が去ったのに、まだ何かやることがあるのだろうと思いつつ数日が経ち、眞子が予想していたであろうことが形となった。『里山ベネッセ』の裏庭で放火による小火が発生した。放火犯は熊城だった。犯人がすぐに分かったのは熊城が火災現場で全身やけどを負って暴れていたからだ。消防に通報するも、手の施しようがなく、あっと言う間に火だるまになった熊城は、その場にバッタリ倒れて動かなくなった。救急車が駆け付けた時には既に動かなくなって、黒焦げの遺体が燻るグロテスクな様だった。二階からその様子を窺っていたのは、このところ進んで夜勤業務に転向していた眞子である。

「あなたはいらない人だから…」

 『里山パーチェ』から駆け付けた篠山兵太がたまたまその呟きを聞いて耳を疑ったが、“シャンソンの夕べ” での熊城の所業を思い出し、半ば苦笑いしながら納得した。

「確かに、いらない人だったね」

 いつの間にか後ろにいる兵太の同調に眞子は驚いたが、ニッコリ笑って一礼してから事務所に向かった。

 消防や警察の対応で慌ただしいかなと思ったが、慈治は何もなかったかのようにゆったりと自分の席で朝刊を開いていた。

「施設長!」

「おや、眞子ちゃん。裏庭は朝から賑やかだね」

 仮にも元居住者が焼死した朝であるが、慈治は寛いでいた。眞子は “退職願” を出した。ついにその時が来たかと慈治は溜息を突いた。

「これからどうするの?」

「奥枝有紀さんに紹介してもらった劇団で頑張ろうと…」

「それは良かった! でも女優業が飽きたら、またおいで。眞子ちゃんはこの施設に向いてるよ」

「はい!」

「残念だなあ。折角、眞子ちゃんに介護してもらえると思ったてのに」

「施設長はまだまだ介護する側です」

「結構ガタが来てるんだから…」

「その時は帰ってきます!」

「ほんとかい!」

「でも、私が一人前の女優になるまでは元気で居て貰わないと」

「そうだね! 頑張るよ!」

「じゃ、奥枝有紀さんにサヨナラして帰ります」

 そして、眞子は “シャインルーム” に向かった。やはり、有紀たちは寛いでいた。

「朝っぱらから焦げ臭くない?」

「施設の前に停まってるのは消防車と救急車よね」

「パトカーもよ」

「また何かあったのかしら?」

「あら、眞子ちゃんじゃない? 聞いてみようよ」

 眞子が近付いて来た。

「丁度良かったわ。何かあったの?」

「ちょっとした小火だったみたいです」

「あら、そう! でも救急車が来てるわよ。誰か怪我人が出たの?」

「不法投棄されたゴミが燃えたんじゃないかしら?」

「あら、それなら良かったけど…眞子ちゃんは何か私たちにご用で?」

「お別れに来ました」

「急にどうしたの、眞子ちゃん !? 」

「私の仕事が終わったから…」

 有紀は微笑んで頷いたが、嘉子と安乃は思考停止気味に眞子を見つめた。

「理解が付いて行かない。どういうこと?」

「もう一度、女優業を目指すことにしたの」

「あ、そういうことね。それなら分かるわ」

「揺れ動く乙女心だわね」

「正直、私に介護のお仕事がこんなに向いてないとは思わなかった」

「いいえ、眞子ちゃんには向いているよ。でも今しか出来ないこともあるからね」

「短い期間だったけど、ありがとう、眞子ちゃん」

「寂しくなるわ」

 それぞれ、胸が熱くなって言葉少なになり、時間が止まった。

「じゃ、皆さん、お元気で!」

 眞子はふざけて敬礼した。

「眞子ちゃんもね!」

 三人は眞子の姿が見えなくなるまで手を振った。眞子も時折振り返っては一所懸命笑顔を返して来た。その姿が見えなくなると、三人はそのまま日の差した緑の芝生を見つめて溜息を突いた。


 小火の後処理をしている鑑識や消防の姿を後目に、眞子の心を過るのは達成感だった。事件の朝、眞子は2階の窓から施設の裏庭の物陰でウロウロしている熊城を目撃した。様子を窺っていると、熊城は裏庭の策を乗り越えて忍び込んで来た。眞子が監視しているとも知らず、真下まで来た熊城は、ポケットからペットボトルを出し、ガソリンらしきロゼ色の液体を建物に掛け、ライターで火を点けた。眞子は今だと思い、用意していた2リットル入りペットボトルに入った灯油を真下の熊城目掛けて浴びせ掛けた。驚いた熊城に容赦なく火炎瓶を投げると、勢いよく引火した。逃げようとした熊城は足が縺れて転倒し、あっと言う間に火だるまになってのた打ち回っていたが、そのまま動かなくなった。


 熊城の焼死体を乗せたであろう救急車が施設を出て行った。 “あの世に行って女装しても、その赤黒く爛れた形相じゃ、誰にも相手にしてもらえないわね” と、眞子はインチキタレントスクールで若い目を愚弄し続けた熊城に毒突いた。


 碇照子の“事故死”に続く、二回目の警察介入で『里山ベネッセ』にはまたしても近隣からの不審の風が靡いて来始めた。

「このところ死人が続きますね、施設長」

「こういう時もあるでしょう」

「宜しくない噂が立つと、入居者にも不安が広がりますので何とかしないと…」

「崎山さんに何か良策があります?」

 崎山は黙ってしまった。

「今、動いてもやること為すことは悪意に捉えられて、蛇足になる気がするんですよね」

 納得した崎山は一呼吸おいて小声になった。

「それはそうと…今度、村岡明彦さんという方が入居して来るようですね」

「村岡明彦 !? 」

「ご存じなんですか?」

「あ…いや…」

 村岡明彦は慈治の妻・早苗の独身時代のストーカーである。慈治は警備会社の出向時代に旧姓・佐々木早苗と知り合った。村岡は早苗のストーカーだったが、慈治にストーカーを咎められ会社を辞めた過去がある。その村岡がこの施設に入居して来るなど思いも寄らなかった。慈治は内心 “一難去ってまた一難か” と思った。

「その村岡さんなんですけどね…」

「何か問題でも?」

「前科があるんですよ」

「この施設では前科がある人でも受け入れることになっていますよ」

「それはそうなんですが…猥褻行為とストーカー行為の常習犯での前科なんですよ」

「どうしてうちの施設にそのような人が?」

「議員センセの “お口添え” ってやつです」

「オーナーからは何も聞いてないな」

「施設が一連の事故や熊城さんのことで翻弄されていて、施設長が不在の時に後藤社長直で下りてきた話なんですよ」

「…そうでしたか」

「議員センセの後ろ盾はあの会員800万人のカルト団体。選挙の時はご老人を大型バスで送迎するという同調圧力団体」

「なるほど」

「しかし高齢化でネット社会について行けず、今では求心力がガタ落ちで、会員は年々10万人のペースで減っているらしいですよ」

「詳しいですね、崎山さん」

「近所に熱心な勧誘おばちゃんがいるもんで…勧誘って言うか、彼らの間では“折状しゃくふく”って言うらしいんですけどね。丁重にお断りするためにはそれなりの知識が必要なんですよ、知識はないのに勧誘がしつこくてね。驚くかな、殆どの人は自分たちの信仰しているカルトの実態を知らないと来てる。私が理詰めでお断りすると逆切れですよ。“あなたはお勉強なさっているかもしれませんが、私はあなたのためを思ってお誘いしているんですよ!” って物凄い剣幕でね。私のためを思うなら放っといてもらいたいんですが…」

「あそこは確か、統計上は20年も経てば信者が誰もいなくなるって言われてるね」

「そうなんですか !? …でも今すぐにでも消えて欲しいですよ」

「あのカルトの所為で他界した両親の墓参が出来なくなった人を知ってるよ」

「どういうことですか !? 」

「葬式で喪主を務めた長男が、熱心なカルト信者で、他界した両親を次々カルト教の総合墓地に埋葬したんですよ」

「そのご両親は信者だったんでしょ?」

「そのご両親は…浄土真宗なんです。近くのお寺に代々の立派なお墓もあるんです」「なら、そこに埋葬するのが筋でしょ」

「家族は皆、そう思っていたんだが、長男はそうはしなかった。何の話し合いもなく気が付いたらそういう事になってしまっていたんですね」

「葬儀からおかしかった。浄土真宗の葬儀ではなく、カルト教の葬儀だった。しかし、埋葬は代々のお墓かと誰もが思っていたんですね」

「信者じゃないものは、のこのこカルト教の総合墓地には墓参に行きませんよね」

「長男に抗議したところで、埋葬されてしまったら後の祭りですよね。 “墓参したいんなら信者になればいい” と言われてね」

「酷い話ですね」

「これから先、両親の墓参りも出来ないというのは、毎年命日が来るたびに虚しい思いを強いられることになる…罪な話ですよね」

「カルトお勧めの訳有り居住者も迷惑な話です。今この施設で問題を起こされたら、肩入れしたカルト議員こそ非常にまずいんじゃないかと…」

「…ですね」

「部屋は?」

「亡くなった徳田早苗さんの居た部屋に…」

「今やあそこは呪われた部屋のようだね」

「入口にお清めの盛塩をしておけばよかったです」

「いつ入居して来るんです?」

「そこまでは…これから施設長に連絡があるんじゃないかと…」

「崎山さん」

「はい?」

「前にもお願いしましたが、その “施設長” ってのはやめてくださいよ。私の一番お世話になっているご先輩の崎山さんに “施設長” って呼ばれるのには抵抗があります。草薙って呼んでください」

「分かりました、施設長!」

「崎山さん!」

 ふたりは噴き出して笑ったが、見えないトラブルの前触れを感じて、すぐに押し黙った。重い空気を劈くかのようにオーナーからのコールが鳴った。慈治への呼び出しである。

「来ましたか…」

 慈治は重い腰を上げてオーナーの住む最上階に向かった。

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