第11話 新規採用者

 今日も銀幕の奥枝有紀ら糸田嘉子と萱場安乃の三人組が “シャインルーム” で寛いでいた。そこにめずらしい訪問者がやって来た。

「お久しぶりです。徳田眞子です」

「眞子ちゃん !? 」

「そうそう、徳田早苗さんのお孫さんでしたね」

「まあ、大人っぽくなって…」

「その節は祖母が大変ご迷惑をお掛けしました」

「元気なお人だったわね」

「私は…祖母が大嫌いでした。今も嫌いです。でも、この施設には私の大好きな方が居られます」

「大好きな方?」

「奥枝有紀さんです。私は奥枝有紀さんの住むこの施設で働きたかったんです」

「女優になる夢はどうしたの?」

「一時の気の迷いでした」

「ま、そんなこと言って…まだ未練があるんじゃないの?」

「話せば長いことながら、もううんざりです」

 有紀は笑った。

「その若さで良く見抜いたわね。私なんか60年掛かったわ」

「あら有紀さんもうんざりだったの !? 」

「無神経でなければ生きていけない世界よ。ほんとに疲れるったらありゃしないわ」

「有紀さんがそんなこと言わないでよ」

「それより眞子ちゃん、今日はどうしたの?」

「お婆ちゃんはご愁傷様だったわね」

「あの人は…いらないひとだもの」

 眞子からの予期せぬ言葉に、三人は耳を疑った。

「私、今日からここで介護士として働く事になりました」

「ほんとなの !? 」

「皆さんに多大なご迷惑をお掛けした祖母の償いをしたいと思います」

「償いだなんて…眞子ちゃんは眞子ちゃんでしょ。お婆ちゃんとは関係ないことよ」

「今日は就職のご挨拶です。どうかこれから宜しくお願いします!」

「こちらこそ宜しく!」

 揚々と去って行く眞子の背中に三人は何か重いものを感じた。


 『里山パーチェ』に次盛がやって来た。その姿に夜勤の兵太が真っ先に気が付いた。

「専務 !? 」

「…今日からよろしく頼む」

 そこに小池里子が出勤して来た。

「早いですね、施設長」

「施設長 !? 」

「次盛さんは今日から『里山パーチェ』の施設長よ」

 畠山美春も出勤してきた。

「美春ちゃん、また遅刻よ」

「すみません…えっ!? …専務がどうして」

 次盛に美春はフリーズした。


 『里山ベネッセ』では、徳田眞子ら数人が新入社員として紹介されていた。眞子は奥枝有紀の主演する古い映画を見て女優業に目覚めた。その映画に出演していた奥枝有紀にあこがれを懐いた。祖母の徳田早苗の夫はかつて宝竹映画に資金提供をしていた。当時、宝竹映画で助監督をしていた熊城一晃は映画の衰退でタレントスクールに役員として天下りしていた。その関係で眞子は芸能人の卵としてそのタレントスクールに入所したのだが…そこは花の咲かない土壌だった。眞子はそこで3年間を棒に振った。来る仕事と言えば数他のエキストラのみ。別にタレントスクールに所属していなくてもエキストラ事務所で充分事足りる仕事だった。つまり、熊城の事務所は体のいい“インチキ”タレントスクールだったのだ。そこで眞子が見たのは、純真な若者たちを煽り続けるスタッフらの背信行為だ。誰一人本気で俳優を育てようとする者はいなかった。その筆頭に立って営利を貪る熊城の姿は、監督という夢を果たせなかった負け犬のする弱者への八つ当たりの所業だった。眞子の女優業への熱が冷めた頃、徳田早苗の入所する『里山ベネッセ』へ嫌々ながら面会に来て、あの憧れの奥枝有紀も入所していることを知ることになった。眞子は一瞬にして目が覚めた。自分の目指している先は女優などではない。介護の仕事だ。但し、眞子には条件があった。全ての高齢者の介護ではない。世の中がまだ “必要としている高齢者” の介護である。高齢者には自分の祖母のような、或いは熊城のような世の中に不要の存在もある。自分は最低限度の介護をする人と、最高の介護をする人を分けて考えられる介護士になりたいと思った。


 眞子は一ヶ月で熊城の所業の実態をほぼ把握した。案の定、熊城は徳田早苗亡き後も施設で不穏な動きをしていた。眞子は早くも熊城が施設内で隠れた営業をしている事実を掴んだ。しかし、就職したばかりである。施設内の人間関係はまだ皆無の眞子は慎重だった。誰にも告げることなく、ひとり熊城の張り巡らした営業の糸を手繰り寄せていた。殊の外、多くの居住者が熊城の罠に掛かっていた。“偽薬” である。“偽薬” を若返りの秘薬サプリと偽り、定期的に限定品としてオークションさながら闇値を吊りあげてターゲットの居住者らに秘密裏に売り付けていたのである。インチキサプリを買わされた居住者らは、 “美しくなられましたね” と甘く囁く熊城の話術に酔った。

 眞子が熊城の担当になったが、徳田早苗の孫であることに全く気が付かなかった。伏せていたわけではない。取り立てていう事でもない、寧ろ眞子にとっては好都合だった。 “このジジイをどう料理するか”…そればかりを考えていた。


 恒例となった “シャンソンの夕べ” の催しで時任ゆめと君塚清がやって来た。眞子はこの日を待っていた。

 “シャンソンの夕べ” はいつもの如く盛況に終わった。いつもと違うのは、そこに得意満面の徳田早苗がいないということだ。更に、そこを復讐劇の舞台にするべく牙を剥いている次盛が控えている事。そして、予定にない、いつもと違うものがステージに設置された。“秘薬サプリ” の販売コーナーである。主催名は “居住者・熊城一晃” と記載されていた。当の熊城は驚いた。眞子がステージに立った。

「皆さん、この施設では無断でこのような物が販売されています。 “若返りの秘薬サプリ” とありますが、中身は “偽薬” です。“偽薬” ってご存知ですよね。成分は薬理的な影響のないブドウ糖や乳糖です。それを熊城一晃さんは居住者の皆さんに高額で売り付けています。本日、罪滅ぼしとして不当に売り付けて領収した金額を熊城さんに全額返済してもらいます。熊城さん、どうぞステージまでお越しください」

 被害に遭ったことを知った居住者に動揺が走ったが、それ以外の居住者の反応は被害者に冷たかった。

「騙される方がバカなのよ」

「若返りのサプリ何てあるわけないし、あったとしても、こんな年老いてからじゃどう足掻いたって効き目なんかないわよ」

「誰? そのバカどもは?」

 そんな言葉が被害者を名乗り難くしていた。

「ここに被害を受けた分を取りに来るのも気が引けると思います。ですから、熊城が今まで領収した金額は一旦施設でお預かりします。その上で、被害状況を擦り合わせて返金の作業に入りたいと思いますが、それで宜しいでしょうか?」

 会場は静まっていた。

「異議が無いようですので今日はこれで散会と致します。皆様お疲れ様でした」

 部屋に戻る居住者の白い目を浴びた熊城は、施設のスタッフに逃げ道を塞がれ、その場で青褪めていた。

「眞子ちゃん、ご苦労さま!」

 施設長の慈治は微笑んで眞子を労った。次盛は復讐の機会を逸したが、徳田眞子の行動には一様の理解を示して、次の機会を待つことにした。


 “シャンソンの夕べ” を済ませて帰宅した慈治は、妻の遺影の前で久し振りにシャンパンを開けた。妻の好きだった「モエ・エ・シャンドン・ネクター・アンペリアル」…早口言葉のような長い銘柄だが、慈治は結婚記念日には毎年妻へのプレゼントを忘れなかった。この最後のシャンパンは他界してから口を開けずに冷蔵庫に入ったままになっていた。初めての結婚記念日の時、恰好を付けて勢いよく “ポンッ!” と開けたら妻に注意された。 “外ではそんな開け方はしないでね、笑われるから” …意味が解らなかった。今、遺影の前で、慈治は妻に教わったとおりに、静かに “プシューッ” と開け、その栓を遺影に供えた。

「言われたとおりに開けたよ」

 遺影の妻は、その香りを嗅いでニッコリ微笑んだ。ポンッなんてだらしのない音を立てて開けようものなら、妻の顰蹙を買って結婚記念日が台無しになる。あっと言う間の三回忌は良い日だった。シャンパンを仏壇の妻のグラスに注ぎ、自分のグラスにも注ぐと、慈治は喉の強張りと涙を堪えるために大きな深呼吸をした。それからグラスに口を付け、ゆっくり傾けると、これまでの妻との思い出が喉の奥へと流れて行った。

 ふと、面接の日の眞子のことが蘇った。遺体ホテル『里山パーチェ』に徳田早苗の遺体が移ったあの日、成長した眞子は『里山ベネッセ』に現れた。祖母への面会ではなく、介護士の新スタッフ面接のために。施設長の慈治だけと話したいと言って人払いをした。祖母譲りの身勝手な行動かと思ったが慈治は快く了承した。

「私は熊城一晃がここに居住者でいることが許せない。ここは私の憧れの奥枝有紀さんが住む聖域です。あんな穢れたもののけが住む処ではありません。そのために私はここに来ました」

 慈治は真摯に耳を傾けた。

「熊城一晃はこの施設に置いてはならない人なのに、祖母が余計なことをしてしまいました。だから私はその責任を取らなければなりません。あの人がここで何をしているのか、私に調べさせてください。そのために私を介護士としてしばらくここに勤めさせてください」

「ずっと勤めるという希望ではないの?」

「私は人の好き嫌いが激しいから、介護士には向いてないんです。でも勤務している間はちゃんとやります。長くは持たないけど短期間なら…」

 眞子は真剣だった。慈治には眞子の心理が充分理解出来た。

「私だって向いてないよ。私がここに就職したのは妻のためだったんだ」

「奥様の?」

「妻は長年の無理が祟って体を悪くしてね。私の所為なんだ。せめてもの罪滅ぼしに最高の終の介護施設に入れてあげたくてね。ここを見付けたんだ。でも、予算がね」

「ここ高いですもんね」

「でも、何とかしてここに入れたくてね。ひょんな事から嘱託で就職することになってね。やっと夢が叶うかもしれないと思った矢先に、妻は他界してしまった」

「・・・」

「私は…生きる理由を失ってね」

「でも、今こうして…」

「辞める機会を与えてくれなかった。今から思えば、ここのスタッフたちの思い遣りだったんだ。ズルズルと今になってしまった」

「良かった!」

 慈治は改めて眞子は優しい子だなと思った。祖母とは大違いである。慈治夫妻には子が居ない。眞子に対する思い入れは確かにあった。祖母への面会の時も必ず事務所に寄って話をするような子だった。不思議と眞子も慈治には心を開いて相談するようになっていった。


 ボトルを傾けると注ぎ口からシャンパンが数滴零れるだけだった。妻の遺影に目をやると “飲み過ぎじゃない?” と責めている。“シャンパンは残せないから…” と言いながら、妻は言い訳がましいのが嫌いだったのを思い出し、言葉を止めた。妻の遺影は微笑んでいた。シャンパンを飲んだ分の涙が溢れだした。


 “シャンソンの夕べ” の翌日早朝、熊城は肩を落として施設を去った。

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