第10話 遺体ホテル『里山パーチェ』

 早苗が他界してから一週間ほど経ったが、息子夫妻はまだ安置されている遺体の面会に顔を出さなかった。

 トラブルメーカーの消えた『里山ベネッセ』は平和を取り戻していた。銀幕の奥枝有紀ら糸田嘉子と萱場安乃の三人組は相変わらず “シャインルーム” で寛ぐ日々を送っていた。

「静かになったわね」

「トラブルメーカーひとりで、あんなに施設全体が掻き回されるなんて…」

「死人も出たしね」

「そう言えば、亡くなった人たちは隣のホテルに安置されているのかしら?」

「ここで亡くなったら便利よね」

「そうよね。慈治ちゃんが言ってたけど、今は遺体の預かり場所が無くて葬儀屋を盥回しになる時代らしいからね」

「ここの遺体ホテルの名前…何て言ったかしら?」

「確か『里山パーチェ』よ」

「 “パーチェ” ?」

「イタリア語で “平和” ね」

「 “ベネッセ” は?」

「ベネッセはラテン語かな? 善い暮らし向きとか善い生き方とか、そんな感じかな?」

「有紀さんって博学」

「この施設紹介のパンフレットに載ってたじゃない」

「見なかったわよ」

「見てよ」

 遺体ホテル『里山パーチェ』を開業してまだ間もなかったが、施設で他界した居住者を優先的に受け入れるため、火葬までの期間の心配はなくなり、家族にとっては大きなメリットになったことで、再び『里山ベネッセ』の人気ランキングは上位に復活した。


 田中桐子は遺体ホテル『里山パーチェ』の二番目の利用者となった。最初の利用者は碇照子の長男・和晃だった。桐子が『里山パーチェ』を訪れた時、丁度受付を済ませた和晃が、職場移動になった晴美に案内されて安置室に行くところだった。振り向きざまに二人は目が合った。一瞬の事で和晃の目には桐子への意識はなかったが、桐子は『里山ベネッセ』で1~2度会っていて、彼が碇照子の身内であることは分かっていただけに、心臓が抉り取られるほどの衝撃を受けた。茫然と佇んでいるところに篠山兵太が現れた。兵太はこれまた職場移動で『里山パーチェ』の運営に携わっていた。

「田中さん、お久しぶりです!」

「あら、篠山…今日はこちら? 」

「つい数日前からこちらで働いてるんです。時々ベネッセの手伝いもしてるんですけど、今日はここの案内係です。ご面会ですね?」

「…ええ」

「施設での事故は残念でした。碇照子さんと久我原澄子さんは一番のお友だちでしたからね」

「一番のお友だち !? 」

「ええ…ご存じありませんでしたか?」

「犬猿の仲じゃなかったんですか !? 」

「とんでもない!」

「でも、うちの母は碇照子さんに騙されてるって…」

「誰がそんなことを?」

「・・・!」

「亡くなるまで大の仲良しでしたよ。久我原澄子さんが退院後に施設に戻って来てからは、毎日のように澄子さんのことを心配して様子を聞いてこられたんです。澄子さんの認知症が急速に進んで、お部屋から出ることもなくなって、照子さんは相当寂しい思いをなさっていたと思います」

「…そうだったんですか」

 桐子の顔色が重く沈んだ。

「犬猿の仲だったなんて誰に言われたんですか?」

「徳田早苗さんに…」

「やはりね」

「やはりって !? 」

「あの人は…」

 兵太は一瞬言い淀んだが、話を続けた。

「居住者の方を、それもなくなった方の汚点になることを言うべきじゃないかもしれませんが、あの方には『里山ベネッセ』でも困り果てていたんです」

「もしかして、徳田早苗さんの言ったことは嘘だったんですか?」

「…そういうことです。照子さんは寧ろ被害者ですよ。罪の意識を持つことはありません」

「え !? 」

「照子さんの事故の事がこれで合点が行ったんですよ」

「・・・」

「あの日のことは監視カメラに映っています」

 桐子は青褪めた。

「勿論、警察には監視カメラを作動させていなかったとお伝えして、映像は渡っていません」

「私…」

「分かっています。大丈夫です。『里山ベネッセ』ではご利用者のマイナスになるようなことは外部に漏らすことは絶対にありません」

「買います」

「え?」

「そのテープ…買います」

「映像はとっくに消去しました。ご安心ください。テープはもう有りません」

「・・・」

「じゃ、お部屋に生きましょうか?」

「受付がまだ…」

「ああ、そうですか! ではここで待ってますね」

 桐子は受付に向かった。受付には里子が立って居た。

「あら、桐子さん。火葬まであと四日ですね」

「はい、このホテルが出来てて良かったです」


 受付を済ませた桐子は、兵太の案内で母の安置されている部屋に向かった。

「ちょっとここで待っていてくださいね」

 兵太は準備のために先に部屋に入って行った。部屋を訪れるのは何回目になるだろう…気の所為なのか訪れるたびに母の遺体から受ける存在意識が無機質になっていく。火葬するともう母には会えなくなる。後4日しか母の姿が見られないと思えば、来ずにはいられない。閉店のラーメン店じゃあるまいに、開店中にそれ程まめに利用してもいないのに、いざ閉店となると、未だかつてなかったような列が出来るのと大差ない。もっと頻繁に面会に来るべきだったと思いつつ、他界しなければこんな気持ちにはならないことも自覚していた。入口で待つ桐子に、面会の準備を整えた兵太から声が掛かった。

「桐子さん、お支度が出来ました。久我原澄子さんはエンバーミングが施されていますのでごゆっくりどうぞ。お帰りの際はこの内線でご連絡ください。私は一先ず失礼します」

 兵太が久我原澄子の安置室を出るのと、向かいの部屋に桐子によって階段から突き落とされた碇照子の安置室から出て来る美春とばったり出くわした。

「私たち、いつまでここで勤めなければならないのかしら」

「嫌なのかい?」

「お客さんは生きてる人がいいわ」

「いいじゃないか、クレームを付ける人なんていないんだから」

「それ、ジョークのつもり?」

「じゃ、専務にお願いしたらいいじゃないか」

 その言葉に美春は兵太を睨み返し、速足で受付に戻って行った。美春がこのホテルに移動させられたのは、次盛の心が美春から離れた結果の体のいい左遷であって、自分も同じ立場なのであろうと考えていた。ボクシングの観戦を通し、兵太に職場を提供してくれた次盛だったが、互いの関係は疾うに冷え切り、敵対すらしていた。兵太の所為では決してなかった。全て次盛の怠慢の結果である。しかし、兵太は理解していた。解雇すれば済む話であろうが、オーナーの後藤寛治郎はそうはしなかった。新会社となった『里山パーチェ』に役員待遇で移動させてくれたのである。それは美春も同様だったが、美春自身は役員待遇など価値のないどうでも良いことだった。ただ次盛が何か重いものを背負ったまま苦しんでいて、自分の“体”がその悩みの捌け口になっていることを受け入れていた。しかし、職場が移ってから次盛からの連絡が途絶えている。彼が一世一代の復讐劇を繰り返していることなど知る由もなかった。


 ホテル改装とは言え、遺体安置に掛かる改装はかなりの設備投資を必要とした。一般の安置ホテルであれば特段の費用は掛からない。簡単に言えば従来の客室に遺体を安置し、ドライアイスで保管するのみである。しかし、『里山パーチェ』は、古の安置の風習を損ねることなく、一部には親類縁者の宿泊も可能にする設備を施した。『里山ベネッセ』には遠方からの居住者もいる。他界した場合、近くのホテルに宿泊する必要があるが、この地区に交通に便利な宿泊施設はない。そのため、宿泊施設を併設する必要があった。どうせ宿泊施設を設けるならと、従来の住宅のように遺体と同室で宿泊可能な設備にした現在の『里山パーチェ』の形となって開業したのである。

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