第2話 慈治の妻
「草薙さんは免許がないから居住者の送迎がない。羨ましいよ。私は専務と言ったってスタッフ以上に扱使われてるんだ。いいことなんか何もない」
専務の後藤次盛は慈治の入社当時から愚痴を零していた。介護士の憧れの就職先のひとつでもあるこの『里山ベネッセ』に後藤はどういう経緯で入社し、専務にまで上り詰めたんだろうと、慈治には愚痴をこぼす専務らしからぬ歪んだ後藤の態度が不思議でならなかった。後藤が事務室に居ることは滅多になく、同僚は殆ど営業回り “だろう” と言っていた。施設長の今井も専務の名前は殆ど口にしたことがない。施設に現れたかと思うと、いつも特定の居住者の送り迎えで顔を見る程度で、事務室での仕事風景は見たことが無かった。
外壁の掃除をしていた慈治は、居住者の送迎で施設に来た後藤にバッタリ会った。会うなり後藤はまた慈治にいつもの台詞を投げた。
「草薙さんは免許がないから居住者の送迎がない。羨ましいよ。私はスタッフ以上に扱使われてるんだ。いいことなんか何もない」
そう言って居住者を送迎用のワゴン車から降ろすと、自家用のBMWに乗り代えて去って行った。入りたての新米老人相手に何度同じことを言えば気が済むんだろうと、慈治は呆れ顔で送迎車を見送った。
「クソ野郎だよ」
後ろで声がした。先輩の篠山兵太だった。
「一時でもあの野郎に憧れた自分の過去は黒歴史だよ。あんなふうには絶対になりたくない」
慈治が居所悪く恐縮した面持ちでいると、篠山は笑った。
「あんたを責めてるわけじゃないよ」
そう言ってまた篠山は笑った。篠山はプロボクサーで、その試合を見た後藤に気に入られ、試合のたびにご祝儀を弾んでもらい、何度か食事にも誘われるようになって親しくなった。プロボクサーを目指す篠山の生活は決して豊かではなかったため、後藤は彼を施設の介護の仕事に誘って今に至る。当時の後藤の仕事ぶりは、篠山が傾倒するに充分だった。しかし、施設の運営が軌道に乗ると、後藤の堕落した姿が目に付くようになり、篠山の期待は徐々に落胆に変わって行った。
「一週間ほど有給を取って試合に行ってたんだ。初めましてかな、介護スタッフの篠山兵太です」
「草薙慈治です。高齢ですが迷惑掛けないように頑張りますのでご指導宜しくお願します」
「高齢の草薙さんに外壁掃除だなんてひでえな。施設長の指示かい?」
「いえ、私から畠山さんに無理言って頂いた作業なんです。汚れが気になって」
「畠山美春…さぼってばかりいやがる女だよ。いわゆる “専務の女” ってやつだ。近付くとろくなことのない女だから気を付けたほうがいいぞ」
「…はあ」
「専務の後藤も美春も入社の頃は一生懸命だった。ところが慣れて来ると次第に性格まで変わって、後藤などは専務になったら豹変したよ。何をしてるんだか、営業だと言っては施設には殆ど足を向けなくなった。美春にしたって50歩100歩だよ。居住者の家族に取り入って最近は随分と生活が派手になった。自分はモデルだとか言ってるがテレビはおろか雑誌にだって影も形もありゃしないよ。施設に来てもまじめに仕事などしない。タレント気取りで居住者のおべっか周りをしてるだけだ。ここに長くいると人が変わるんだ。いや、居住者とその家族がスタッフの性格を返るんだ」
「あの…試合って…」
「オレ、ボクシングやってんだ」
「凄いですね!」
「ここで仕事してるとストレスが溜まってね。お蔭で今回は優勝させてもらったよ」
篠山は自虐的に笑った。
「優勝って凄すぎますよ、篠山さん! ここで介護の仕事してる場合ではないんじゃありませんか!」
「食えないんだよ、ボクシングでは」
「篠山くん!」
事務室の窓から顔を出した施設長の今井が篠山を呼んだ。
「オレが後藤専務と美春の事を話したことは聞かなかったことにしてくれ。あいつはもう専務なんかじゃねえけどな」
「え !? 」
慈治に疑問を残したまま、篠山は急いで事務室に向かった。“居住者とその家族がスタッフの性格を変える” “あいつはもう専務なんかじゃねえ” とはどういうことなんだろうと、篠山の言葉が慈治の脳裏に妙に深く刺さった。
慈治が施設内に戻るともうすぐ昼食の時間だった。
「草薙さん、畠山さんのサポートをしてください」
「あ…はい」
施設長の指示で慈治は畠山美春のサポートをすることになった。篠山に言わせれば “近付くとろくなことのない女” だが、施設長の指示となれば断わるわけにもいかなかった。
「施設長の指示でお手伝いさせてもらいます。宜しくお願いします」
「あら、ありがとう。助かるわ」
美春は屈託なくあれこれ慈治に指示し、自分もてきぱきと受け持ち居住者たちの食事の準備を急いだ。意識や体に障害のない居住者の介護は実に楽だった。食事中は特にやることがない。“専務の女” ともなればそれとなく優遇されるものなんだろうと、つい色目で見てしまう。介護のハードさはものの本で知る限り壮絶なもののようだが、美春のサポートに関しては主に障害のない居住者だけを監視すればよい楽な者だった。無言でいいなりの上品な老紳士、いつも同じ会話を新鮮に繰り返す話好きのおば様、何事にも両手を合わせて感謝する老婆、周囲に全く関心のない精神的引籠り状態の警戒おじいさんらの昼食が終わろうとしていた。一段落しつつある慈治は、彼らがどういう人生を歩いて『里山ベネッセ』に辿り着いたのだろうなどと食べ終えて満足げな彼らに思いを馳せて、ふと気が付くと美春が居なくなっていた。結局、20人程の担当分の片付けは全て慈治ひとりの作業となり、篠山に言われた言葉が蘇って苦笑いした。
夜勤との交代時間になっても美春の姿はなかった。施設長からそのことで特に報告もなかったので、こうしたことは常態化しているんだろうと慈治は日勤を済ませて帰宅の途に就いた。
途中、通りを出た所で見てはいけないものを見て慌てて姿を隠した。美春は今まででどこに居たのか、専務の後藤が待つBMWの助手席に乗った。これから営業でもあるのかと思いきや、ふたりはいきなり車内で抱き合って激しい愛情交換をした後、車を出した。
「なるほどね」
慈治にも『里山ベネッセ』の腐り加減が少し見え始めた一コマだった。
元来『里山ベネッセ』は、居住者の人気にも増して介護士が就職したがる人気の介護付有料老人ホームだけあって、一番の救いは居住者にあった。ゆとりある生活を送って来た人たちだけあって、殆どの居住者はおっとりとしてたり、ユーモアにあふれ、マイペースでも我をとおすような面倒な要求をして来る人はいなかった。そのため、自然とスタッフとの信頼関係も安定し、目の行き届く介護が提供できる状態だった。開業から間もなくして、入居を希望する新規居住者の数が、寿命で他界する居住者の数を大幅に越えたものの、体験居住とデイサービス枠はキープし続けていた。相互の交流も自由に解放したため、『里山ベネッセ』は一気に全国的な評判になり、この介護士不足の折りに、就職希望者や老人施設運営者の見学も後を絶たなかった。
慈治は最初、入居希望者として見学に来ていたが、訪問が二度、三度になるうち、あまりに居住者の面倒見が良く、介護士の資格を持っていたことから、施設長の今井に嘱託として週2~3日の勤務で来て見ないかと声を掛けられた。慈治の介護士勤務には今井以上に居住者が喜んだという経緯がある。
施設には奥枝有紀という往年の大女優が居た。慈治は施設見学の度に、彼女とよく銀幕の頃の話をしていた。有紀は戦後間もなく暴力団組長の娘として生まれ、天性の歌唱力で小学生の頃からGHQ相手のキャバレーショーの前座で歌うようになった。
その後、映画デビューで多くの大スターとの共演を重ね、その才能は更に磨かれ、芸能界での黄金期を迎えることになる。慈治は大の映画ファンだった。若い頃から地元の映画館に足繁く通い、勿論、奥枝有紀は雲の上の存在だった。それが今、本人を目の前にして映画談議に花を咲かせている状況が信じられなかった。有紀も、施設では往年の大女優として誰も近付き難い存在だったために、話す相手が居なかった。そんな折、映画に詳しい慈治が気さくに話し掛けて来た。その屈託のない性格のお陰で有紀は、やっと施設に新鮮な空気が通り抜けた感じだった。
その頃を懐かしむ糸田薬品の会長夫人の糸田嘉子や、如月製鉄の元重役夫人の萱場安乃らが加わり、彼女たちは慈治の人柄に癒しを受けながら、すっかり慈治の来訪が待ち遠しくなっていった。彼女たちは慈治を “慈ちゃん” の愛称で呼ぶようになり、次第に施設の他の入居者も彼の来訪を楽しみにするようになった。施設長は慈治の不思議な裁量を見込んで高齢ではあるが取り敢えず嘱託として採用することになった。
思わずして『里山ベネッセ』に嘱託として勤務することになった慈治は、その後も奢ることなく介護の経験値をマスターすべく老体に鞭打って努力を重ね続けた。居住者からの評判は次第に高くなってはいたが、それと比例するかのように専務の後藤の嫉妬対象となってしまった。専務の後藤に皮肉を言われる度に、あの日の畠山美春との車中の秘め事を質問する衝動に駆られたが “それは今ではない” と絶えた。兎に角自分如きに信頼を寄せてくれる居住者の方々だけを見て、老いてからの介護士人生の遅れを取り戻すべく、妻のためにも慈治は前だけを見て日々送ることに邁進した。
慈治の妻は、施設で慈治自身が経験した話を聞くのが大好きだった。
「『里山ベネッセ』はいい所だよ。もう少ししたら一緒に入ろうな」
慈治はその日の話の結びに必ずそう話した。
「あなたはもう、ひとりでもやっていけるわね」
「それは違うよ、早苗。オレは早苗とあの施設に入るために頑張れるんだよ。ひとりならもう何もするつもりなんか起きない。早苗と一緒にあの施設に入るという夢がオレを生かしてくれてるんだよ」
「分かったわ。私も元気でいないとね!」
「そうだよ! もうすぐ…もうすぐなんだからね!」
「ええ、ありがとう、あなた」
定年を迎えた慈治夫婦は10年間悠々自適に過ごして来た。ふたりとも定年後の経済的不安はなかったが、早苗の突然の入院でその考え方を一気に変えざるを得なかった。子どもの居ないふたりでも年金と預貯金の切り崩し生活で何とか寿命までは暮らせるだろうと思っていた。しかし、それはあくまでも二人が健康な場合であることに気付いた。どちらかが病気して介護が必要となったり、予期せぬ認知症になった場合、一方に掛かる負担は限界を越えて、時に悲惨な結果を招くことは新聞記事などで眼にしていた。他人事として然程気にもしていなかったが、早苗が倒れたことで愈々あらゆる不安は現実と背中合わせであることに気付いた。思えば、早苗には苦労の掛け通しだった…いや、苦労を掛けているという自覚すらなかった。仕事のために犠牲になる出来事には全て目を瞑ることが正義だとすら思ってきた。早苗が病に倒れたことすら、当初の慈治は忌々しく思った。“なぜこんな時に” と早苗への怒りが込み上げて来た。しかし、早苗にとっては日々、夫の不規則な出社と帰宅は “なぜこんな時” に向かって、精神的肉体的無理が蓄積されて行ったのである。
早苗が自宅で脳梗塞で倒れ、動けなくなる体と失せてゆく意識の中で、少しだけ横になれば回復するだろうと、やっとのことでソファアベッドに辿り着いて意識を失った。慈治の定年退職の日だった。同僚と酒食に耽って遅くに帰宅し、早苗の異常に気付いた時には相当の時間が経過していた。脳梗塞は発症後4~5時間以内に血栓を溶かす製剤を投与、または8時間以内に血管内治療を施す必要があるとされるが、早苗はその時間を遥かに経過していた。重度の後遺症が残った。老後に描いていた夫婦の悠々自適生活は根本から狂った。早苗が自宅に戻れるまでの半年ほどのリハビリ中に、慈治は必死に夫婦で暮らせる終の介護施設を探していた。しかし、どれだけ探しても慈治が納得できる施設はなかった。もしかしたらパンフレットや施設スタッフの説明では表面上の事しか分からないのかもしれない…そう思った慈治は自分が介護士として勤めたら、その施設の内情を知ることができるはずと、早苗を介護しながら猛勉強を始めた。そして辿り着いたのが『里山ベネッセ』だったのである。
妻の早苗は今まで見たことのない慈治に幸せを感じて眠りに就く日が増えていた。そしてこの日が永久の眠りとなった。
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