第四章 湖畔にたゆたう穏やかな刻

※※※


 旅の休憩で立ち寄った湖で、パンドラは大きく伸びをした。

 頭上には温かな光を灯す星が燦々と輝き、湖面の波をキラキラと輝かせている。


 人の手が入らない浅い湖には、いくつもの魚影が泳ぎ、水面を差し入れられた素足に興味を惹かれたように鱗を煌めかせている。

 

「おいしーですね」

 ――そうだな。芋を売ってもらえてたのは幸運だった――


 小さなフライパンで音を立てるのは、バターで炒められる芋。

 街道で出会った行商人から買った芋の一部が、香ばしい匂いをさせている。


 ルーデリアと別れて五日、代わり映えのない旅路の途中で私たちは休憩をしていた。


 私は押しつぶした草の上に座り、触手を操ってフライパンに揺らす。パンドラは湖に足を差し込んだまま、楽しげにスープをかき混ぜている。


 少し離れたところには、土がむき出しになっている。そこにはパンドラが貰った植物の種が埋められている。


 旅のさなかに、あちこちに種を蒔いて沢山の作物を広げようというのはパンドラのアイデアだ。岩が多くあまり肥沃な大地ではない丘陵地だが、たくさんの作物は育てばいつか町が生まれるかもしれないと少女はワクワクしていた。


(ほんとうに人助けが好きな子だな。そういうところもキライではないが)

 

「はい、ウィル。味見おねがいします」


 そんな事を考えつつ触手の先端を刃物に変えて、シュルシュルと皮を向いていると匙を差し出してきた。


 ――はむ、うむ。いい味だ――


 湯気を立てるホクホクの芋を口に含むと、絶妙の塩加減が舌を喜ばせてくれた。以前宣言したようにパンドラの料理技術は向上しているようだ。


「よかったです。ウィル、こっちでお芋もらいます」


 触手からカットされた芋を受け取り、手慣れた様子で味付けをしていく。

 街道から外れた湖に人影はなく、ただサワサワと風の音だけが満ちている。それが心地良い。


 「ウィル。上手になりましたね」

 ――ああ、けっこう練習したからな――


 すぐに触手の扱いだと理解して、ヒュンヒュンと振ってみる。

 まだ完璧とはいえないが、湖の魚を獲るもりとして使えるくらいに上達した。


 ――魚もメニューに加えよう。これはワインを注いで蒸し焼きにすると美味いぞ――


 蘇った記憶のままに魚を捌き、内臓を水で洗ってからフライパンに放り込む。ワインとバターの焼ける匂いが風に乗って散っていく。


「味付けは任せてくださいね」


 芳醇な香りに揺れる狐の尻尾。それを毛皮に感じながら、火にかけたままのフライパンを動かして小さな魔女の首筋に鼻を当てる。


 輝く湖面を見て思い出すのは、浅黒い肌の騎士のことだ。


 ――パンドラ、でも良かったのか?――

「なにがですか?」


 空になった堅パンの器。そのままでは噛めないほどの硬い生地をスープでふやかして、もぐもぐと顎を動かしていたパンドラが不思議そうに首をかしげる。


 器が一つになったのに、小さな魔女は気にしてないようだ。


 ――折角の話を聞く好機チャンスだったではないのか?――


「チャンス……ですか? ウィル、何のことですか?」


 一つの器を二人で共有するつもりのパンドラは、私の言葉の意味がわからないという顔をしている。


 ――何のことって……ジョリイド異聞録のヴィッシュ。ケイゼル英雄譚のシャルゼ。コトナ録のミリ―ベルは知っているだろう?――

「スヴァルトエルフの英雄さんですよね。好きなお話ですよ」


 一度もダークエルフとは言わなかったパンドラが、水から足を抜いて私を振り返る。


 キョトンとした金色の瞳が私を見つめている。興味で彩られた双眸は、魔獣を退治しても、ハイリッチを冥界に返しても何も変わっていない、


 ――好きなら、なおさらルーデリアと話をすればよかったじゃないか?

「うーん、ウィルが何を言っているか分かんないですよ」


 ――あの伝説は全部ルーデリアのことだろう。なんで話を直接話しを聞かなかったんだ。それがずっと不思議だったんだが――


「はい?」


 ――魔法の武器である転倒突撃槍スタンプランスのヴィッシュ。斥候せっこうシャルゼの罠避け虫群。コトナ録のミリ―ベルが使う赤いグレイプニルと銀剣。それはルーデリアの道具だっただろ?――


「ええっと……」

 ――その三つは全部、あいつの活躍した物語だろ?――


 まだ飲み込めていないパンドラに指摘すると、湖に声が響きわたった。


「え、ええっーーーーーー!」


 声に反応して動物が逃げていく気配が伝わってくる。パンドラの素足に触れていた小魚たちも蜘蛛の子を散らすように去っていく。


「ルーデリアさんは、もしかしてあの英雄さんだったんですか?」

 ――まさか気付いていなかったのか? 魔法を使えないダークエルフは稀有だろう――


 遍歴の騎士でエルフ。魔法を使わず、数多くの魔道具を駆使する剣士といえば世界広しといえど数人もいない。ましてや悲劇的な末路を辿っていないのなら、唯一だと考えるのが妥当といえるだろう。


「ぜ、全然気付きませんでしたよ」

 ――私はとっくに気付いていると思っていたよ――


「もう、教えて下さいよ。いっぱいお話を聞きたかったのに」

 ――いや、あえて触れていないと思ったんだが。書物の名前まで出していたから――


「ただの偶然ですよ。うう、ルーデリアさんから本になっていないお話も聞けたはずなのに」


 ショボンと耳を垂らすパンドラ。物語好きの小さな魔女は、せっかくの生の冒険譚を聞く好機を逃したことを後悔しているようだ。


「じゃあ、ルーデリアさんの名前は名前の一部だったんですね」

 ――おそらくな。フルネームは舌を噛みそうな名前であることは珍しくないからな――


 きっと、名前が極めて長いエルフの名を、冒険に合わせてそれぞれ使い分けて名乗っていたのだろう。


「せっかく色々聞けるはずだったのに、気づきませんでした。残念です」

 ――生きていれば、また会えるさ。あいつは長生きが取り柄のエルフだからな――


 そこまでいったところで、魚の蒸し上がった香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。そろそろ食べ頃になったようだ。


「そうですね。また会えますよね。ううん、ルーデリアさんに会いたいです」

 ――そうだな。でも、その前に冷めないうちに食べよう。はんぶんこだ――


 触手を刃にして、するりと魚を骨ごと二つに切り分ける。それをパンドラは頬張る。


「美味しいです。はい、ウィルもどうぞ」


 出来たての魚に舌鼓を打ったパンドラが、フォークに刺さった魚を向けてくる。


 ――自分でも食べられるんだがな――

「いいじゃないですか。ウィル、あーーーん♪」


 なぜか楽しげに魚の身を突きつけてくる。これでは聖都のときと同じだ。

 ――分かったよ。あーん――


 心音が早くなるのを感じながら、魚の柔らかさを口内で味わう。


「美味しいですか?」

 ――ああ、上手になったな――


 そこまで言ったとき、不意に眠気がやってきた。

 昼食のせいだろうか。パンドラの匂いが、ふわふわと頭を溶かしていく。


「ウィル……眠たくなっちゃいましたか?」

 ――すこしだけ眠くなってきた――


「眠っていて大丈夫ですよ」


 小さな手が、私の頭をそっと撫でる。

 現れる透魚をみた瞬間、力が抜けて意識が溶けていく。


「おやすみなさい、ウィル」


 子犬のようになった私を膝にのせて、微笑むパンドラに「おやすみ」と返事をする。

 そのぬくもりに身を任せて、私はゆっくりと目を閉じるのだった。


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