エピローグ 幾千年後のあなたに
「ねえ、それでどうなったの?」
読んでいた本を閉じると、真剣に耳を傾けていた少年に視線を落とす。
少年は本の表紙に描かれた少女と黒狼のイラストに目を輝かせている。表紙の絵と裏表紙が対になっていることに気付いたのだろう。
「今日はここまでにするわ」
だが私は、そこで吐息をついて物語を途中で区切ることを決める。
「えー、もっと聞かせてよ」
即座に不満の声が噴出し、少年は私の袖を引っぱった。
市長の息子である少年は、閉館寸前なのに続きをねだってくる。袖を掴まれる感触に時計の針を追うが、読み聞かせるほどの時間はない。
「もう図書館を閉めるわ。続きは明日にしましょう」
「じゃあ、本を貸してよ。パンドラの物語は、まだあるんでしょう?」
表紙にかかれた少女と狼の絵を撫でて、目をキラキラさせる少年。利発そうな瞳には強い興味が宿っている。
「そんな時間はないわね」
「最初っ!最初の五ページだけでいいから!」
「そんな読み方をしたら余計に気になるでしょう」
「それでも読みたいんだよ。気になるよ。それ上下巻なんだろ」
たしかにこの物語は上下巻とも言えなくはない。だが、それは少年を図書館から送り出さない理由にはならない。
「興味があるのは結構ですが、規則は規則ですよ」
少年は数日前から何度も訪れて、パンドラの物語を読めとせがんでくる。パンドラの物語が史実だと知ってから、熱烈な読書欲は増す一方だ。
「私は食事にします。あなたも遅くなる前に帰ってください」
「どうせ蒸かし芋だろ。もっと美味しいパンドラテイル料理を買ってくるから続きを読んでよ」
「私はこの味が気に入っているの。それに喋り続けてもう疲れたわ」
「えー、もう読んでくれないのかよ」
「だから明日にしてくださいと言っているのよ」
ガックリと肩を落とす少年に、改めて告げて腰をあげる。
司書としての仕事が終わってから読んであげているが、彼はなぜか私の朗読を欲っしている。私の声が好きだから、だそうだ。
「君の曽祖父は、パンドラの話を疑っていたのに」
「そんなことは知らないよ。家にあるのはお伽噺みたいで、面白くないんだよ」
古い話を思い出して口にするも、少年は関係ないという顔をする。
私に恋い焦がれる衛兵だった青年を思い出し、その面影を残す少年を眺める。
「やれやれ……君はパンドラのように、物語が好きなタイプなのだな」
「フェネクだって同じだろう。こんな古びた図書館の司書をずっとしているんだからさ」
頬を膨らませて、続く少女たちの物語に手を飛ばす少年。
「駄目だ。また明日にしてくれないか」
まだ幼い指先から本を取り上げ、少女と狼の物語の一つを
最果ての
まだ子供である彼が没頭してしまえば、私の司書としての仕事にも、管理者としての業務にも差し障りが生まれてしまう。
「えー、なんだよフェネク。ケチだな」
「個人の自由とは、人の行動を大幅に制限してまで行使していい物ではない。父に教わらなかったかい。報告したほうがいいかな?」
「と、父様のことはいま関係ないだろう」
「いいや。聞き分けがないのなら、保護者に判断を仰ぐのは大人の作法だ」
その指摘に明らかに彼は怯んだ。市長の息子である少年は、父に怒られるのが怖いのだ。
(実に少年らしいことだ。父は少し甘すぎる気もするが)
見るだけで呪われるような本や、触れてはいけない知識もある禁書図書館。
そこを遊び場にしてしまった市長のことを思い出して、首に下げた鍵を手にして、両開きになっている書架の扉の前に立つ。
旅立ちまでの物語を描いた『楽園の少女』の隣に、読み終えたばかりの『聖王の霊廟』を滑り込ませる。
その後に続く物語は、まだ十分な量がある。編纂する前の原書に至れば膨大な数で、その中には本人から語られた物語もある。
「分かったよ。また明日にしたらいいんでしょう」
「聞き分けてくれた助かる」
少し不満そうな少年に首を傾け、訪れた二人のことを思い出す。
次に朗読する物語は、この禁書図書館が始まりとなるので少年も喜ぶだろう。
(さて……少年を送り出すか。しかし時の流れは早いものだな)
かつて自分に求婚していた衛兵のことを思い出す。
その子孫が、こうしてまた図書館に訪れていることを思うと感慨深い。
ハイエルフと種族を偽っているので、彼らの一族を延々と見送ることになるのかも知れない。
「しかし、あの青年が都市の長か。偉くなったものだな」
「フェネク、なんの話?」
「いつか教えてあげるよ。ほら、早く出てていってくれ」
地上に続く通路の鍵を開けて、暗い図書館に入り浸っている少年を追い出す。
「明日も来るからな、フェネク」
「分かったよ。ではまた明日な」
厳重な施錠魔法を施された扉を閉じて、図書館で一人になる。
「はぁ、やっと静かになったか」
静謐な空間が帰ってきたことに安堵を覚えて、慣れ親しんだ無音に身を任せる。。
魔力光で照らされた机に座り、編纂される前の原書を久方ぶりに眺める。
「そういえば、次の巻はここの場所が始まりだったな」
過去を記憶を引き出し、聖女と呼ばれる前の少女と狼の横顔を思い浮かべる。
とても聖女とは思えないほど明るい性格だった
『最果てのパンドラ 冥界の双神』というタイトル。
原書であるがゆえに重量があり、端々が擦り切れた質感を指でなぞる。
そこには千年以上前に出会った少女たちを描いた肖像があり、彼女に付き従う狼が星空のような世界を旅している。
「…………」
そして私は――彼女たちはまだ旅をしているのだろうか。と益体のない事を考えて、私は数百年ぶりに本を開くのだった。
最果てのパンドラ2 ~聖王の霊廟~
―― 了 ――
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