第四章 与えられる名前

 ※※※


 朝早く、家を出た私たちはベントリックのロッジに向かうことにした。

 パンドラは馬には乗らず、私の背中で思う存分に黒い毛皮を堪能している。


「そんな事ができるなら、なぜ前回は馬を使ったんだ? 最初から君が乗せれば、私の分も馬など要らなかっただろうに」


 ――そんな簡単に本当の姿を見せるわけがないだろう――

「ルーデリアさん『能ある狼は爪を隠す』ってウィルが言ってます」


 イヤミが聞こえない騎士に、小さな魔女は当たり障りのない言葉で通訳してくれる。


 馬は完全に怯えきっているので、かなり彼我の距離があるが、パンドラたちは特に気にしていないようだ。


「パンドラ、君はそっちのほうが好きみたいだな。馬の背より狼の方が乗り心地がいいのか?」

「はい。すごくモフモフですよ。とっても温かいし、ぜんぜん揺れないんですよ」


 パンドラは背中に抱きつきながら、我が事のように馬上の騎士に自慢する。


「ふむ。そこまで言うなら私も一度は乗ってみたいものだな」

 ――お断りだ。百年早い――


 興味を抱いたように呟いたセリフを、眉根を寄せて拒絶する。


「なんだか歓迎されていないようだな。狼はなんと言っているのだ」

「百年後なら、乗ってもいいそうですよ」


「そうか。ならば、それまで待とう」


 そういう意味ではない、と思っていると快く返事をされた。


「じゃあ、百年後の約束ですね。ウィルもそれでいいですか?」

 ――くっっ、一回だけだからな。二回目は絶対にないからなっ――


 自分の失言を悟りつつも、撤回するのも不誠実な気がして不承不承うなずく。

 

 エルフの感覚では百年後も気の長い話ではないのだろうか。なんだか上手く乗せられてた気がする。背に乗せているのは私の方なのに。


 胸の奥でもモヤモヤする感情を、踏みしめる足跡に込めながら一気に跳躍する。目指すは遠くに見えるベントリックのロッジだ。


「わわわっっ、ウィル?」

 ――心配するな。着地は任せろ――


 多重に弱い結界を幾重に展開して、自分の巨体を飛びこませる。


 脆い結界は砕けながらも、落下の勢いを殺して衝撃を分散させる。四散する結界が虹色の魔力光となって消えいく。やがて最後の一枚が砕けたときには足元には少し反動する伝わってこなかった。


 ――どうだ。怖くはなかったか?――

「怖くはないけど、ジャンプするなら先に言ってくださいよ。ビックリしました」

 ――ははは、すまない。パンドラは虫は怖いのに、こういう度胸があるんだな――


 ちょっと不満げなパンドラに苦笑して、首筋を撫でるパンドラを乗せたまま自分のサイズを小さくなる。この姿をベントリックに見られると面倒なので、以前のサイズに自分を調整して背中の少女を地面に下ろす。


「怖くはないですよ。だってウィルですから」

 ――むぅ、そうか――


 屈託のない笑みを浮かべ、ルーデリアを待つパンドラの顔がうまく見れない。

 全幅の信頼を向けられていることが、落ち着きを失うほどくすぐったくて仕方ない。


「君たち、私を置いていかないでくれないか。馬の脚では敵わないのだぞ」

 ――これでも随分と遠慮をしたスピードなのだがな――


 いっそ咥えて走るべきだったかと意地悪なことを考えながら、ベントリック邸の扉に足をかける。だが引っ掻いても音はせず、小さな傷だけが刻まれる。


 ――やはり駄目か。ノックも出来ないのは不便だな――


 自分が音を出せないことを改めて確認し、後ろ足で耳を裏を掻く。


「ほんとうに不思議な狼だな。ベントリック……私だ、帰ったぞ。開けてくれ。開けろ」


 ルーデリアは、私を一瞥すると壊れんばかりの勢いでドアを激しくノックする。うるさい。


 蝶番ちょうつがいが分解されそうな勢いでガンガン叩いていると、ベントリックが出てきた。ボサボサの髪で目の下には大きなクマが作られている。


「ルーか。なんだ、君たちもいるのか?」

 ――いたら悪いのか――


 あんまりな挨拶に、気持ちが漣を生み出すのを感じていると、ベントリックに小さな魔女は手にしたものを差し出す。


「ベントリックさん、言っていた『完成品』を取ってきましたよ」

「へえ、早いんだな。じゃあ、村のホネホネはもう片付いたのか?」


「ああ、もう問題ない。ハイリッチーや色んなアンデッドがいたが、私たちが退治したからな。とはいっても、お前はそんなものに興味など無いのだろうな」


「よく分かっているじゃないか。ボクは死んだ人間になんて興味はないさ」


 パンドラが運んできた野菜を手にして、室内に戻っていくベントリック。彼を追ってロッジの中に入ると、綺麗にしたばかりの机は新しい書類で埋まっていた。


「ベン。あれだけ片付けたのに、また汚したのか?」

「ルー、説教は後にしてくれ。いまボクはとても忙しんだ」


 ガシガシと頭を掻いたベントリックは、貰ったばかりの『完成品』を奥に運ぶ。

 彼は作物の葉っぱや実をむしり、なにかよく分からない器具に次々に装着しては覗き込んでいるが、私には行動の意味は理解できない。


「うん、全て予想通りの反応だ。ようやく出来たぞ」


 ややあって、彼は立ち上がると半分にカットした実を豪快にかじる。


「ふむ、味も問題ないな。君たちはこれを食べてのだろう、どうだった?」

「サラダにしてもスープにしても美味しかったです。お代わりもしちゃいました」


 昨夜の料理の味を思い出したのか、パンドラは満面の笑顔をベントリックに向ける。

 たしかに乾燥した芋や、しなびた葉野菜のサラダに比べても美味だったと思うが、ベントリックはあまりレシピには興味がなさそうだ。


「第三者による聴取にも瑕疵かしはないか……完成だな」

「よかったな、ベン。これで六年間の努力が実を結んだのか」


「よかった? いいや、本題はこれからだ。次は、これが大陸のどこでも育つか試さねばならない。この世の全ての飢えを駆逐するまで、ボクの研究に終わりはないのさ」


 一度は綺麗にした机に、新しい紙を乗せて何かを書き始めるベントリック。


「おいおい、ベン。まだやるつもりなのか? そろそろ本国に帰るべきじゃないのか?」


「豊かな国に戻っても仕方ないだろう。これは貧しい土地を救うための研究なんだ。持って帰りたければ君が勝手に持って帰れ」


 愛想のない言葉でルーデリアの提案をはねのける青年。どうやら彼は国の研究者であったようだ。


「完成したとはいっても、名前もない作物を国に持って帰るわけにもいかんだろ。ベン、せめて何か名前くらいは付けろ」

「面倒だなぁ」

 

 心底、嫌そうに眉を歪めたベントリックの視線がこちらに向く


「おい、君っ!」

「は、はい。なんですか?」


 いきなり指さされたパンドラが、ビクッと身を震わせる。


「君、名前はなんと言った?」

「えっと、パンドラ……ですけど……」


 聞かれておずおずと返事をする小さな魔女。

 私にも意図が読めないままベントリックを見上げていると、彼は野菜の花をむしりパンドラの尾と見比べて口を開いた。


「この野菜はパンドラテイルとでも名付ければいい」

「え、えええええええええええっっっ⁉」


 突拍子もない発言に大声をあげて、尻尾を立ち上がらせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る