第四章 黒エルフのセクハラ

「ウィル。お野菜は私が切りましょうか?」


 ――いや、鍋を見ててくれ。再現してみたいものがある――


 パンドラの隣に立てた事を満足感を覚えながら、触手を束ねる。イメージするのは魔剣士と斬りあったときの感覚だ。


「うええ、狼……お前、ホントに何者なんだ」


 束ねた触手が黒い剣に変じるのを見て、ギョッとした顔をするルーデリア。

 どうやら上手くいったようだ。光を弾く材質も波紋も本物と遜色そんしょくないように見える。


 生成したのは魔剣士の使っていた剣で、今はルーデリアが所持する魔剣そのものだ。


「わー、すごいです。そんな事もできるんですね。これならどこでも包丁要らずですよ」


「いやいやいや、そういう問題じゃないだろう。魔剣の複製など、どんな文献にも存在しないぞ」


 ――なら私が史上初ってことだろう。おおっ、サクサク切れるぞ。さすがは太古の魔剣だな――


 葉っぱを刻んでサラダの具を作りながら、模倣した剣の便利さに感心する。肉体を変化された刃物ならば、包丁のようにサビを気にする必要はなさそうだ。


 ――ふふん。どうだ、これでも私が厨房ちゅうぼうでは役立たずか?――


 まだ引いているダークエルフに振り返り勝利宣言。器用さでは一日の長を許したが、パンドラの隣を誰かに譲る気はない。まあ、我ながら大人げないとは思う。


「なにやら腹立つ顔をしているな。私たちが仲良くしてたから嫉妬しっとでもしたのか」

 ――なっっっ! そんなわけがないだろう。別にパンドラが他の女と仲良くしていても気にしない。私は大人なのだからなッ!――


 自嘲したことを一瞬で否定する。だがコントロールが不慣れな触手は、狼狽ろうばいを体現するように暴れまわってしまう。


「なにをする、止めろ。触手をブンブンするな」


 私の言葉が分からないルーデリアは、突如として室内で荒れ狂う触手から距離を取る。


 だが非難をうけても、混乱した感情で鞭のようにしなる感覚器官を止められない。人が図星を突かれて手足をバタつかせる感覚とは、こんな感じなのだろうか。


「ウィル……ヤキモチなんですか?」

 ――うっ、私は……別に――


 琥珀こはく色の瞳に見つめられ、思わず目をそらす。


 感情の波が勢いを失い、乱れていた触手が枯れたように萎れてしまう。こういうとき何を口にすればいいのか分からない。


 どうして、こういう感情の処理方法が本には書いてないのだろうか。


「ウィル。大丈夫ですよ」

 ――なにが……だいじょうぶなんだ――


「だって、私はウィルが一番好きですもん。パンペルデュよりも、旅することよりも、本を読むことよりも、ずっとずっとウィルのことが好きですから」


 小さな魔女は、そういって私を抱きしめる。

 服越しの体温と、甘い少女の香りに包まれて心が凪いでいく。


 心臓は早鐘を打っているのに、動くこともできないのに、抱かれた事が少しも嫌ではない。


 聖都で抱きしめられたときよりも心地がいい。小さな温もりが愛しい。


 ――私は……――


 言うべき言葉が見つからないまま、目を閉じる。

 強い感情は彼女に伝わる。きっと私の想いは、いまパンドラに流れ出しているのだろう。


 それを止める気にはならず、まだ不器用な触手を使って小さな体を包みこんで抱きしめる。


 きっと私は、この小さな魔女に魅了されているのだろう。だが心を奪われたことに微塵みじんも後悔はなく、安らぎと心地よさを感じるだけだ。


「おいおいおい、こんなところでイチャつくのは止めてくれないか。私は旅の独り身なんだぞ」


「え、え、その……わたし、そういうつもりじゃっ⁉」


 無粋な言葉がルーデリアから放たれ、ボッと火を吹くように顔を赤くしたパンドラの腕がパッと離れた。


「二人で愛し合うのは依頼を完遂してからにしてくれ。異種族とはいえ男女のロマンスは目に毒だ」


 呆れたように溜息をもらすルーデリア。一人で旅をする遍歴へんれきの騎士は、私の性別を誤解したまま、不貞腐れたように生の果実にかじりついた。


 ――はぁ、やれやれ。どうして、どいつもこいつも私を男だと思うのだろうな――

「あの、ルーデリアさん。ウィルは男の人じゃないですよ。カッコいいですけど」


「は?」

 ――パンドラ。余計なことは言わなくてもいい――


 瞠目どうもくして口をポカンと開けるルーデリアを一瞥いちべつし、名残惜しさを感じながら触手をほどく。


「でも、ウィルは女の子なんですから、誤解したままはイヤですよ」

 ――どうせ依頼が終わったらさよならだ。少しの誤解は気にしなくてもいい――


「でも、ウィルは女の子なんです。勘違いはイヤですよ」


 認識の間違いを無視しようとするが、パンドラは譲らない。


 ――私はそんなことよりも食事にしたい。それに喉も乾いた――


 不満を口にするパンドラに尻尾を向けて触手を伸ばすと、ルーデリアが近づいてきた。 


「狼。君って……」

 ――なんだ、なにか用か?――


「本当に女の子なのかい?」

 ――そうだが……といってもお前には伝わらないか――


 パンドラにしか自分の声が届かないのを思い出し、調理を続けるため再び剣を生成しようとしたとき――

 

「失礼するよ」

 いきなり後ろから尻尾をグイッと持ち上げられた。

 尻尾で隠れていた足の付け根に、視線が突き刺さる感覚。


 ――ヒッッッッッッッッッッ⁉――


「あっ、ほんとに女の子なんだね」 

 ――なにをするんだ! この変態がっっ‼――


 股間に語りかけた呑気な声を、断ち切るように触手の打擲を飛ばす。


「いや、すまな――」


 触手の一撃がルーデリアの頬を叩き、紡ぎかけた言葉ごと、黒エルフの体が吹き飛ばした。


「ルーデリアさんっ⁉」

「い、いきなりなにをするっ!」

 ――それはこっちのセリフだ。この変態エルフッ!――


 赤く腫れた頬をおさえて文句を言うルーデリアに、音にならぬ怒声を放つ。


 意思が伝わらないと分かっていても、羞恥に燃える感情を抑えることが出来ない。


(見られた。パンドラ以外に。パンドラ以外にっ!)


 一瞬でグチャグチャに掻き回された感情によって視界は滲み、自然と涙が溢れてくる。


 なぜ、こんな想いに囚われるのかまるで分からない。どうして恥辱に悔しさを感じるのか分からない。


 ――うううううううっっ!――


 泣き出しそうなほど乱れた感情に、デタラメに触手を暴れまわる。想いと同期した触手をコントロールできない。


「ちょ、ウィル。落ち着いてください」


 激しく乱れる感情を止めてくれたのは、パンドラの抱擁ほうようだった。ぎゅっと抱きしめられ、小さな胸から心臓の音が伝わってくる。


「もうっ、ルーデリアさん。ウィルに謝ってください」

「す、すまない。さすがに不躾ぶしつけだった、冗談だと思っていた」


 微妙に失礼なことを口にしながらも、素直に頭を下げるルーデリア。匂いから本心による謝罪だと分かるが、騎士としての礼節が整っているかは妖しいところだ。


 ――もういい。終わったことを気にしても仕方がない――


 ムリヤリ自分を納得させて、ソファーで丸くなる。

 ひどく疲れたのは慣れない器官を生成したせいでも、アンデッドと戦ったからでもないだろう。空腹だったはずなのに、食欲まで無くなってしまった。


「そんなに落ち込まないでください。ウィルが元気ないと悲しいですよ」

 ――別に落ち込んでない。パンドラ、心配せずとも私はぜんぜん平気だよ――


「うう、平気って声じゃないですよ。待っててください、いま美味しいごはんを作りますから。美味しいものを食べたら元気出ますよね」


 グッと気合を入れるパンドラ。

 健気な言葉に尻尾で返事をする。いつのまにか触手も、体内に収納されてしまったようだ。


 ――すまないパンドラ。私はなんだか疲れたよ……今日はもう何もする気がおきない――

「ウィル。休んでてくださいね」


 頭を撫でて、小さく微笑むパンドラ。

 見慣れた笑顔に、なにか救われた気持ちになり尻尾でソファーを叩く。


「はぁ、なんだか君たちの仲が本当にいいのだな。私はなんだか馬に蹴られそうだよ」


 湯気を立てる鍋を運んできたダークエルフの騎士が、私たちを見て呆れたように言い放つ。


「え、暴れ馬が入ってくるんですか?」


 頓狂とんきょうな言い草に扉を方を見つめるパンドラ。だが馬などやってくる気配はない。


「エルフの慣用句なのだが……分からないなら、それでもいい。ほら、君の分だ」

「ありがとうございます。はい、ウィル」


 出来たてのスープを、先にすくって差し出してくれるパンドラ。

 クリーミーな匂いを嗅いで、一舐めすると程よい塩気が舌に広がった。


「それはパンドラの分だったのだがな。待て、もう一皿注いでくる」

「あ、大丈夫ですよ。二人で分けますから」


 そういって私に使ったばかりのさじで、自分もスープを口にする。


「美味しいです、ルーデリアさん。騎士さんは料理もお上手なんですね」

「そ、そうか……それはよかった。だが君たち……あまり見せつけないでくれないか」


 私たちの行為に視線を反らすルーデリア。彼女の言葉で、自分たちの行為の意味に気付き、心臓が早鐘を打ちはじめる。


 匙で食事を食べさせる行為は、まるで物語で語られる恋人同士のようだ。


「どういうことなんですか、ウィル」

 ――なんでもない。気にしなくていい――


 一つの匙を分け合う行為に疑問すら持たなかった小さな魔女が首を傾げる。

 私は不思議そうな顔をするパンドラに、意味を説明できる勇気をもてず、差し出された匙からスープをすする。


 ただせっかく作った夕食の味は、パンドラからの『あーん』が生み出す緊張のせいで、まるで分からなかった。


 ※※※

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