第四章 小さな手が触れた一輪
ベントリックが村外れに建てていた本宅は、避難所として使われていたロッジよりも汚かった。
――掃除してないのが丸わかりだな。予想がついていたが――
「あはは、お掃除は苦手みたいですね」
放置された期間が長いのか、机も床も埃で真っ白になっている。千年の月日を重ねた霊廟の方がまだ綺麗に思えるほどだ。
大量の紙や器具が机の上に散乱し、床にまで広がっている。足の踏み場などなく、息をしただけでクシャミをしてしまう。
火で体毛を乾かしたのに、まだ鼻がムズムズする。
「あいつめ、こまめに掃除をしろと言っているのに」
ルーデリアは
「あの……ルーデリアさん、私たちはなにをすればいいでしょうか?」
「ここは私が片付けておく。君たちはそうだな……裏にある畑を見てきてくれ」
「畑ですか?」
開け放たれた窓の外に見える景色を背伸びして見つめるパンドラ。だが、子犬形態の私にはただ壁しか見えない。
「あいつの畑だよ。なんなら作物を掘り返してくるといい。それを夕食にしよう。死闘の報酬が乾パンだけでは味気ないからな」
テキパキと片付けをしながら、炊事場に水を流す騎士。おそらく質のいい貯水石が保管されていたのだろうが、流石に旅慣れていると感じる。
「行ってみましょうウィル。もうお腹がペコペコです」
――そうだな。元々は畑の『完成品』とやらを取りにきたのだったな――
すっかり目的を忘れていたことに苦笑しつつ、夜の涼しさに自分たちの身を委ねる。
空気はすっかり夜の気配を含み、双子月が
「ここみたいですね。綺麗なお花が咲いてます」
――そうだな。真っ白だ――
空気を吸い込むと清らかな花の匂いがする。
一面に広がった緑色の葉は、昨夜見たものと似た形をしている。
無愛想な青年は、これを品種改良した『完成品』と呼んでいたが、素人の目には違いがあまりわからない。
「ウィル、これがベントリックさんの育ててた畑なんですよね?」
――ああ、画期的な作物だと言っていたが……あまり私にはピンとこないな――
「はい、でも美味しかったですし……お花はとっても綺麗ですね」
――これは多年草といっていたな。作物が取れる植物とは思えないほど綺麗な花だ――
花の下を覗き込むと、形の違う赤い果実が熟していた。昨日食べたもの『試作品』とは、少し種類が違うようだ。
――この畑の作物はすべて同じ種類みたいだな――
畑には同じ種の植物が青々と生い茂っていて、とても長いあいだ放置されていたようには思えない。土地は豊かにはみえないのに、丈夫で育ちやすいというのは真実なのだろう。
――とりあえず、持てる分だけ持って帰ろう――
「そうですね。ベントリックさんの分も持っていきましょう」
返事をしたパンドラが実を回収するのを見て、私も土を前足でガシガシと掘り起こす。
二人がかりの作業により、あっという間にカゴはベントリックのいう『完成品』一杯になった。
「なんだか、お家にいた頃を思い出しますね」
――そうだな――
家を出る以前は、こうして二人で野菜や果物を摘んでいた。
鍵を閉じた家は、自動で働くゴーレムが管理しているはずだ。だが木で作られた家や、釣りをした湖に懐かしさを感じないわけでもない。
貯蔵したワインや蜂蜜。毎日窯で焼かれた小麦の香り。パンドラの匂いの染み込んだ毛布は、あの場所にしか存在しない物だ。
半年前に家を出て、触れることのなくなった書庫のことが脳裏をよぎる。そこには『我』がパンドラに贈ったという本もあるという。
――もしかして、帰りたくなったか?――
「いいえ。ウィルと一緒に旅するのはすごく楽しいですから」
――そうか。でも帰りたくなったときはちゃんと私には言うんだぞ――
もぞもぞと胸の奥で湧き上がる思いを噛み殺しながら、パンドラの前を歩く。
今日はかなり危なかったが、幸いにしてまだ旅を二人で続けることは出来る。
(だけど、いつか……この旅が終わったら)
パンドラの方を軽く振り返って、二人で過ごした家に想いを馳せる。
私たちはまたあの家に戻れるのだろうか。それともどこかを終の住処にするのだろうか。
(いや、いまはまだ考えるような事ではないな)
ホームシックになっているのは自分の方だと自覚して、一晩を過ごす場所に歩く。
口を閉ざした私を、家から漏れ出したオレンジの光だけが優しく迎えてくれていた。
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