第三章 受け継がれる遺産 

 ――余計なことは言わなくていいぞ――

「えっと、ごめんなさい。それは秘密なんです」


 わざわざ怪しまれるようなことを口にする小さな魔女。

 そんな世間知らずのパンドラに溜息をもらして、指先に鼻をよせる。


「いや、待て。治癒の魔法が使えるなら、どうして傷薬が必要だったのだ?」

「奇跡じゃないから自分は治せないんですよ。文字で残せますから便利ですけど、何でもできるというわけじゃないんです」


「なるほど。人のヘソは噛めても、自分のヘソは噛めないようなものか」

「うーん、ちょっと違う気はしますけど……」


 よくわからない喩えに苦笑するパンドラ。

 ついさっきまでアンデッドと干戈かんかを交わしていたとは思えない明るい表情に、少しだけ安堵を覚える。


「でも、せっかくの遺跡が残念です。あんなことなら、もっと良く見ておけばよかったです」


「……まあ、それはいずれ人手がはいって修復されるさ。あの霊廟が聖国の所有物なのはハッキリしているからな」

 ――聖王時代の遺跡を復元するのか?――


「壊れちゃったけど、修理とかできるんですか?」

「幸いにして、ここも聖国が管理する街道の一つだからな。百年後には観光地になっているかも知れないぞ」


 ――それは気の長い話だな――

「それまで、これは私が預かっておくことにするよ」


 私の皮肉が聞こえなかったルーデリアは愉快そうに笑い、手にした黒い剣に布を巻き付ける。


「それって……」

 ――お前、盗んできたのか――


「今回の戦利品だ。千年前の魔剣だからな、武勲の証拠としては十分だろう。この弓は折れてしまったが、ドワーフ工房で修復すれば使えるだろう。突撃槍ランスも修理だな」


 剣と弓をしまい込み、どこか満足気な顔をするルーデリア。

 凛々しいダークエルフの遍歴騎士から、トレジャーハンターもこなす冒険者に評価を改めるべきかもしれない。


「君たちは、なにか持ってこなかったのか? あそこは宝の山だったじゃないか」


 冒険者の問いに首を横に振って返事をするパンドラ。少なくとも逃げるのに手一杯で、戦利品を取る暇などなかった。


(少し勿体なかったかもしれないな)

「なんとも無欲だな。そうだ、代わりと言ってはなんだが……」


 冒険の醍醐味ともいえる『宝箱』を逃したことに想いを馳せていると、ルーデリアは井戸に巻きつけていた赤い紐をするりと解く。


 それは地下に降りる時に使ったグレイプニルという魔具だったはずだ。


「これを進呈しよう。よかったら報酬の一つと思ってくれ」

「え、でも……これって貴重なものなんですよね?」


 手渡された魔法道具マジックアイテムに驚きを隠せないパンドラ。ルーデリアは、そんな小さな魔女に破顔はがんして頭を優しく撫でた。


 その行為になぜか、ムッとした。

「いいんだ。私の目的は果たされた。その御礼だと思ってくれ」


 私の感情など露知らず、親しい相手にするように穏やかに目を細める。親愛の匂いがするのに、なぜかルーデリアを見つめるパンドラの瞳に胸がザワザワする。


 ――パンドラ。貰ったなら礼を言って、ちゃんと大切にしまっておけ――


 二人の間に割って入り、手にした紐をひっぱる。ルーデリアとの距離が離れ、ようやく私の心で渦巻いていた複雑な感情が静まる。


「ウィル、どうしたんですか? なにか怒ってます?」

 ――別に。ただ、せっかくの壁画が見れなくなったのが残念なだけさ――


 心配そうなパンドラに本心を隠して、井戸に飛び乗って井戸の底を覗き込む。


 スケルトンを生み出していた井戸からは、すでに死の匂いはしなくなっている。不死神ザナミトに祈っていた大司教だいしきょうが消え、祝福を受けた古強者たちはみな土砂どしゃに沈んだようだ。


(オルフェが言い残した言葉が気にはなるが――)


 ハイリッチは『聖王が帰還する』と口にしていた。死者ゆえに妄執に囚われていたと解釈するのが自然だが、不穏さは胸の奥にわだかまっている。


 あれほどの数のアンデッドが他にもいるとすれば、この大陸を再び大きな戦火が襲うことになるだろう。


(これは聖女教に伝えるべきだろうか。それとも聖国の管轄だろうか?)


 もはや土に埋もれ、物音一つしなくなった井戸の奥を見つめながら考えを巡らせる。


 このところ、アンデッドに関わることが多くなっているのも気がかりだ。死者の群れが地上に溢れかえれば、呑気に旅をすることができなくなる。


(だからといって、パンドラを危険な目に合わせるのは……)


 井戸を覗き込み、自分の顔を眺めながら黙考しても答えは出ない。相談すれば、『自分が行く』と決断する可能性が高い。


(私はそんなのはゴメンだ。私はパンドラと……パンドラと?)


「ウィル。呼びましたか」


 胸を締め付ける想いに奥歯を噛み締めていると、小さな手が私を後ろから抱きしめた。


 また私の心がパンドラに伝わってしまったのだと悟り、羞恥を噛み殺して『なんでもない』と呟く。


 だが、彼女は濡れた毛皮を温めるように胸元に抱き寄せ、小さく微笑む。その笑みが何を意味するのかは分からない。ただ温もりだけが心地良い。


「おい、君たち。もう暗くなってきたから、今日は野営にしないか?」


 ダークエルフの騎士は、私達の間に無粋な言葉を投げかけ、軽く利き手を上げてみせた。


「ここで寝るんですか?」

「いや、ここでは危ないかもしれない。村の外れにあるベントリックの本宅に行こう」


 そういって彼女は、マントをひるがえして歩きだす。疲れていても斥候せっこうの役を譲る気はないということだろう。


「あ、ちょっと待ってください」


 パンドラは返事を待たず進むルーデリアを引き止め、井戸の側で膝を折る。


「地母神にして輪廻の神イーミオさま。どうか彼らの魂に安息と導きをお与えください。そして次は争いのない世に生をお恵みください」


 幻刻魔法ではなく、静かな祈りをもって地に埋まったアンデッドの冥福を願うパンドラ。


 その祈りは届いたのか、冷たい空気が和らぎ、うっすらと大地が輝くのがわかった。村を覆うほどの燐光は次第に弱くなり、夜の静けさが戻ってくる。


 ――自分を殺そうとした相手だというのに、本当にお人好しだな――

「お話できなかったのは残念ですけど、別に恨んでなんていませんから……それに」


 ――それに?――

「きっと聖女さまも、ゲマトリス将軍も同じことをしますから」


 慈悲深さで名高い二人の名を口にして、彼女はダークエルフの騎士は後を追いかける。


 ルーデリアは振り返りもせず、黙々と二つの月の下に足跡を残している。ただエルフの長い耳だけはピクピクと動き、喜びと羞恥の交ざった匂いは鼻に届く。


「君たち。無駄口をそのくらいにしろっ!」

 ――やれやれ、忙しい一日だったな――


 そして私は素直ではないルーデリアの叱責に、誰にも見られないように尻尾を一振りするのだった。


※※※

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