第三章 過去からの脱出
「あ、あの……ウィル、いまのは?」
――分からない、無我夢中だった――
そして答えた瞬間、黒剣がまとっていた力が聖堂の天蓋を砕く。
斧槍でいくつもの柱を失い、雷撃によって破壊された聖堂。それが魔剣のもたらした衝撃でズシンと揺れた。
音を立てて頭上に走る亀裂。剥離するように壁面が崩れ、床に断層が生まれる。
「え、ウィル。これ……」
――まずい。ここは崩れるぞ――
口にした途端、天井を支えきれなくなった柱が砕けて半分になった
「ルーデリアさん」
「分かっている。脱出するぞ」
押し寄せるアンデッドを斬り伏せていた騎士が、突撃槍(ランス)を振り回す。
槍に触れた死者たちは、それだけで転倒して無様に地面に転がる。
「こっちです、ルーデリアさん」
立ち上がろうとする死者たちを、ザクザクと透魚たちが切り刻み道を作るパンドラ。
小さな魔女を
――もう眠れ――
無粋な死者を火葬に処して、群がってきた死者を一つの氷柱に変える。
しかし魔法で使った柱は、聖堂の崩落は留めるに至らず粉々に砕けてしまった。
「狼、もたないぞッ!」
――分かっている。パンドラ逃げるぞ――
「ルーデリア、行きましょう。ここは崩れちゃいます」
パンドラは杖を振るい、幻刻魔法の風で一斉に襲いかかる死者を払う。
聖堂は秒刻みで崩壊を続け、ついに頭上の一部が石塊となってミイラ兵を押しつぶした。
――もう限界だ――
もはや隠しておく余裕などないと悟り、体のサイズを操作する。
巨躯を支える四肢でアンデッドを蹴散らし、尾の一撃で凶器ごと薙ぎ払う。
魔剣士やハイリッチーがいるときは使えなかった巨躯を活かして、道を切り開くとルーデリアもに付いてくる。
「ウィル。お願いします」
――ああ、まとめて消し飛ばす――
炸裂する紅蓮が柱と壁面を舐めまわし、室内を踏み荒らしていた死者たちを灰に変えた。
「狼、やりすぎだ。崩れるぞ」
――承知の上だ。駆け抜けるぞ――
「ウィルについてきてください、ルーデリアさん」
私の背で言葉を代弁するパンドラに合わせて、揺れる床板を蹴りつける。
――パンドラ。しっかり掴まっていろよ――
崩れ落ちる
落盤によって剥離した屋根が落ち、ルーデリアに弓を引こうとしていたスケルトンとグールがまとめて押し潰された。
――どいてもらおうか――
行く手を阻むアンデッドを吹き飛ばし、いまにも崩落しそうな大扉に体当たりをする。
聖堂が大きく揺れ、背後で天井が
「狼。早く逃げろ。巻き込まれるぞ」
――わかっている。後ろで騒ぐんじゃない――
扉を抜け、壁を蹴りつけて僅かな隙間を抜ける。アンデッドの側を通り抜ける瞬間、剣が足をかすめて痛みに顔をしかめる。
「ウィルっ!」
――気にするな。ただのかすり傷だ――
血が滴る気配を感じながら、投げつけられる槍の一斉射撃を弾く。ぶつけた雷撃で地面が崩れ、
「これほどの遺跡だったのか」
さらされた地下空間には膨大な死者でひしめいていた。
おそらく数千の兵が安置されていたのだろう。闇の底は広大な
――いまは脱出に専念しろ。ご先祖様といっしょに、ここで生き埋めになりたいのか?――
「ルーデリアさん、まずは急いで外に出ましょう。話すのは後でもいいって、ウィルもそう言ってます」
――言ってないんだがっ――
眼前に迫る氷槍と炎波を打ち払い、魔法で
ほとんど壊滅した長い回廊を駆け抜け、出口付近に近づく。外の匂いが鼻孔をくすぐり、風が横顔を撫でる。
脇腹を風刃が切り裂いた痛みも無視する。
――もう少しだ。一気に駆け抜けるぞ――
そういった瞬間、巨鎧兵の
「そんな、出口が……これじゃあ、出れないっ……」
――任せろ。塞がれたのなら、強引にこじ開けるまでだ――
湧き出す魔法力を
炎を、稲妻を、結界を混ぜ合わせ、螺旋状にねじりあげて融合させる。
練り上げた破壊的な力を、塞がれた井戸への道にぶつける。轟音と共にアンデッドが消し飛び、外から濁りのない空気の匂いが吹き込んでくる。
だが、ルーデリアは息切れをして突撃槍を取り落しそうになっている。
――遅い。そんな速度では間に合わない――
「うわっっ、なにをするんだっっ⁉」
今にも塞がりそうな穴に飛び込むため、ルーデリアの体を
「ウィル、耐久強化を掛けます」
魔法が使えないダークエルフ騎士に幻刻文字を描くのを見届けて、一気に出口へと突進する。
斬撃や刺突が肌を傷つけるが、痛みを我慢して井戸のある縦穴へと飛び込んだ。
着水の瞬間に子犬サイズまで体を縮め、結界で衝撃を保護すると尾後で轟音が鳴り響いた。
千年もの間、戦士たちを眠らせていた聖王の霊廟。それは戦いの果てに崩落し、本当の意味で墓場になったのだ。
「ら、乱暴すぎるぞ狼。激突死するところだったぞッ!」
――贅沢を言うな。アンデッドと永眠するよりは、ずっとマシだろう――
「あ? 狼、どうしたんだ。ずいぶん可愛くなっているじゃないか。水を浴びて縮んだのか」
水面から勢いよく顔を出して、私を睨みつけようとしたダークエルフの騎士がキョトンとした顔をする。
「あ、ルーデリアさんもそう思いますか? ウィル、小さくて可愛いですよね」
私を抱きしめて、胸がくすぐったくなるような甘い匂いをさせるパンドラ。『嬉しい』の感情に自分まで落ち着かなくなる。
――パンドラ。そんなことよりも、地上に戻らないか。井戸の中では凍えてしまう――
ひんやりとした水の中で身震いする少女に見上げ、吊り下がった紐――グレイプニルを見上げる。
「そ、そうですね。ちょっと寒いですもんね」
「ならば私に掴まるといい。まとめて引き上げてやる」
「お願いします。ウィル、少しだけじっとしててくださいね」
――私は子供ではない。そういうのをお節介というのだぞ――
すっかり濡れてしまった毛皮に、クシュンとくしゃみをしてパンドラを仰ぐ。
ルーデリアはグレイプニルを自分とパンドラの体に巻き付けると、すぐに力を込めて井戸の壁面に足をかけた。
スルスルと
「ほら、ついたぞ」
――さすがはエルフだ。身軽なものだな――
「ぬわっっ、水を飛ばすのは止めろ。飛沫が飛んだではないか」
感心しながら地面に着地して、全身をブルブルと震わせるとダークエルフの騎士は迷惑そうな顔をした。脱出を助けたというのに、ひどい言い草である。
――すっかり暗くなってしまったな――
空を仰ぐとうっすらと二つの月が輝いているのが見えた。
敵地でハイレベルのアンデッドと
「あの、ウィル。足を怪我しましたよね」
――ああ、忘れていた。そういえば、何回か受けてしまったな――
パンドラの言葉で痛みを思い出し、ドクドクと血を流す足の付け根を舐める。そういえば、前にも似たようなことがあッた気がする。だが上手く思い出せない。
「すまないが、私は薬は切らしている。さっき使い切ってしまったんだ」
「大丈夫です。ウィルは私が治しますから……ちょっと待っててくださいね」
杖を置いたパンドラが指先で文字を描く。その文字は毛皮に張り付くと、柔らかな温もりを傷口に広げていく。
――ありがとう、パンドラ――
「えへへ、どういたしまして」
「君は治癒も使えるのか。失伝魔法といい、単騎融合魔法といい。二人は何者なんだ」
私の頭を撫でるパンドラを見つめ、ルーデリアが眉根を寄せる。単なる『旅の魔女』以上だと疑われているようだ。
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