第三章 霊廟の死闘-1

 爪に炎を宿し、絨毯ごと床を削る。炎が床を溶かし、地面を陥没させたが怪しいものはない。なにかを隠していた様子はない。


(気のせいだったか。異常がない方がいいが……)


 杞憂に終わったことに吐息をもらすと、尾が冷水に濡れたような悪寒が走る。


『残念……だったな。魔族の狼……貴様らの負けだ』


 それは横たわったリッチの頭部からの声。光の消えた眼窩がんかが私を嘲っている。


 刹那――首から上を失い横臥おうがする骸から、猛烈な死の気配が吹き出した。それはリッチが溜め込んだ祈りによる奇跡の決壊だった。


 ――ッッッッ!――


 自らの失策を悟りながら、残された胴体を破砕する。だが発動した奇跡を止めることはできない。


『王の戦士たちよ、再び立ち上がれ。間もなく、あの御方がお戻りになられる、今こそ魔族を討ち滅ぼしてこの地に幸福を築くとき――』


 最後まで言わせず、言葉ごとリッチの頭蓋を破壊する。

 髑髏どくろの中にリッチの魂を封じていた金環が四散し、澄んだ音とともに五体が土塊になって崩れ落ちた。だが拡散した奇跡を波のように広がり、全身の毛を逆立てる。


「ウィ、ウィル。どうしたんですか。いまのは何ですか⁉」


「なんだ今の気配は。なにが起こったのだっ‼」

 ――やられた。大司教は最後の切り札を残していた――


 祈りの詠唱をよく聞くべきだったと後悔しながら、牙を噛み合わせる。

 大司教オルフェといえば、人魔戦争で聖王の四騎士として数えられた大英雄の名だ。


 彼女の稲妻は数百の魔族を打ち払い。その奇跡は多くの人々を救ったと後世まで伝わっている。そして彼が信奉した神は、雷神の一柱だけではなく。


「もしかして、不死神ザナミト……」


「バカな。では、あの祈りは」

 ――そうだ。オルフェは不死神に祈った。全ての死者たちの神に――


 告げた瞬間、どこかで音がした。その数は一つや二つではない。喩えるならば、大軍を成すおびただしい人間が一斉に起き上がったような音だ。


「これは、かなりマズイのではないか?」


「ウィル。あの、どうしたら?」

 ――杖を構えろ。透魚を展開しろ……来るぞ――


 聖堂に続く開け放たれた扉の先から、大勢の足音が殺到してくるのが分かる。


 ぼうとゆらめく光が闇のなかに無数に灯る。不死神の祝福を退けていた幻刻魔法の光は、もはや扉の外にはない。


 甲冑かっちゅうがぶつかり合い、武具同士が擦れ合う音が聖堂に響き渡る。濃厚な死の気配が埃っぽい風にのって流れ込んでくる。


 爪牙に炎を宿し、四肢に紫電をまといパンドラの盾になるように立つ。


 そして、死者たちが清廉なる大聖堂に殺到してきた。


 刃を手にしたまま白骨化した兵士。顔を覆う頬当ての内側が干からびた聖騎士のミイラ。豪奢ごうしゃな鎧の中から死臭を漂わせる大戦士。そして宝剣と王家の紋章を背負った貴族らしき武将の骸。星月鋼イシルディンで鍛えられた魔剣を握る軽鎧の剣士。


 かつて人間を守るために魔族と戦った英雄たちが、死者として蘇り、殺意を向けてくる。


 霊廟に眠っていた者たちが、不死神の祝福を授けられて一気になだれ込んでくる。


「こ、こんなのどうすればいい。完全に予想外だぞ!」


 恥も外聞もなくルーデリアが絶叫して、残った薬を全て盾に塗りつける。


 全周囲を囲むアンデットから放たれる覇気も、その魔力を帯びた武器から滲み出る剣気も凄まじい。彼らの生前の実力は知らずとも、けっして油断が出来る相手ではないのは肌で感じることができる。


「ウィル!」


 ――外のスケルトンとは比べ物にならないぞ。油断するなよ――

「わ、分かりました。頑張ります!」


 戦咆哮ウォークライをあげて吶喊とっかんしてくるグールの狂戦士。


 黒鉄の戦斧が振り下ろされるより先に、その胴を薙ぎ払い。背後から迫っていた剣士を鎧ごと断ち切る。


 炎によって二つの骸が崩れ落ちるが、アンデッドの戦士たちは怯むことない。槍が剣が戦鎚が空を引き裂き、眼前に迫る。


「ウィル、危ないです!」


 魔族を赦さぬまま息絶えた戦士たちの武具が透魚によって斬られ、私の放った多重結界が砲弾となって動く骸を消し飛ばす。


 だが止まらない。千年前に魔族と凄まじい戦争を繰り広げてきた戦士たちは、現代の自分たちに猛烈な殺気を向けてくる。


 ――厄介だ。こいつらには、ただのアンデッドじゃない――


 聖堂になだれ込んだ屍兵たちは、こちらを取り囲むように円陣を組んで迫ってくる。


 自動的に人を襲う死者ではなく、明らかに戦技を意識した動きに追撃が諦めざるをえない。


「狼。あまり離れるな」

 ――わかっている。私に指図するな――


 聖銀ミスリルの剣をグールの胸に突き立てたルーデリアの側まで後退し、眼前に迫る有象無象の骸兵を稲妻でまとめて薙ぎ払う。


「狼。君はいったい何者なんだ」

 ――いま気にするような事じゃない。パンドラッ――


「ウィルは、ウィルですよ。カッコいいでしょ」

 ――違う。そういうことじゃない――


 透魚で迫りくるアンデッドの武器を一掃した魔女。そんな少女の見当違いの言葉に反駁はんばくしながら、ミイラの首を噛みちぎる。


 ――ぺっぺっ、私達は戦争したいわけではないというのに――


 口内に入り込んだ破片を吐き出し、左右から同時攻撃をしてきたグールを炎陣で焼却する。


「あ、あの私達は魔族じゃないんです。は、話を聞いてくださいっ!」


「無駄だ、パンドラ。アンデッドに話は通じない。身を守ることに集中するんだッッ!」


 次々に迫る武具を弾き返し、連続して放った矢で死者の動きを停止させる。精密な射撃で関節を居抜き、動きを封じたのだ。


 ――さすがはエルフ。弓術はお手の物か――


 伝承の一端に触れたことに感心しながら、ルーデリアの背後から襲いかかるアンデッドを消し飛ばす。


「ウィル。お話し合いはどうしても出来ないんですかっ⁉」

 ――彼らの心は人魔戦争の頃のままだ。説得は諦めろ、死ぬぞッ‼――


 闘志を燃やして、戦いを忘れらずにいる死兵たちを一閃する。だが過去からの刺客たちは仲間の死を厭わず、恐怖にも屈せず群がってくる。


 ――いつまで人と魔族が争っていると思っている。戦争は終わったんだ!――


 人魔戦争後、魔族と人間は和解した。だが、それを伝えてもアンデッド達は止まらない。過去に魂を縛られた存在は、世界が変わったことを理解できないのだ。


 ――ああ、まったく聞き分けのないッ――


 魔族との戦いの果てに命を落とした魂の虜囚りょしゅう。彼らを説き伏せる術など持ち合わせていないと痛感しながら、パンドラを狙った投槍を空中で噛みちぎる。


「ウィル、どうしたらいいですか⁉」

 ――切り抜けるしかない。初心者にはずいぶんとハードな冒険になりそうだがなっ‼――

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