第三章 霊廟の霊司祭-2

「しっっ!」


 ルーデリアの弓から放たれた矢が、直撃する直前で撃ち落とされる。ハイリッチを守るのは不可視に近い透明度の魔力刃だ。


 リッチは祭壇さいだんのような場所から動かず、畳み掛けるように破壊的な雷撃を振りまく。


「狼。なんとかしろ!」


 悲鳴じみたエルフ騎士からの要請。彼女だけではハイリッチに近づくことすら叶わない。


 奇跡殺しの薬が塗られた盾が、雷による猛攻を防いでいる。それでは攻勢に出るのは叶わず、透魚による援護にも限界がある。


「ウィルっっ! エールゼの詩。五章八節です」

 ――そうか! パンドラ、頼む。エルーゼをやる――


 覚えのある物語を告げられ、ハイリッチに練り上げた火球を放つ。


小癪こしゃく。この程度の力で、このオルファを討てるとでも思ったか。魔族め』


 雷神の刃が火球を切り裂き、千々に四散させた。私はそれに構わず、連続して火球を放つ。


 だが、人を飲み込むほどの大きさの火球は一発たりとも当たらない。


「ルーデリアさん、いまです盾でリッチに!」


 掛け声にダークエルフの騎士は盾を構え、一気に走り出す。


『愚かな者め。そんな付け焼き刃で私に勝てるとでもっっ、なッッッッ、にィ!』


 振り返りながら雷を振り下ろそうとしたハイリッチは、嘲りの言葉を最後まで口にすることが出来なかった。


 滑ったのだ。地面に撒かれた大量のぬかるんだ泥で。


 非力ながらオークを独力で倒した冒険者エル―ゼは、地面に油を撒くことで食人鬼オーガーを転倒させて斃した。


 地面に突きささった折れた槍が食人鬼オーガーの心臓を貫いたのだ。それは偶然とも言われているが、非力な少年冒険者のなした最初の偉業として詩になっているのだ。


 幻刻魔法の魔力光は、火球の明るさによって掻き消されて、足元に広がった泥はハイリッチに知られること無く致命的な失敗ファンブルを誘発した。


 目視できなくなり狙うが逸れた雷は、ルーデリアの盾と透魚に阻まれて届かない。


「眠ってください。大司教オルフェさん。もう家族の所に帰っていいんです」


 パンドラの放った浄化の炎が、リッチを永眠させるために殺到する。


『魔族の慈悲など必要ない。輪廻神イーミオの導きなど不要だ』

 

 ハイリッチは眼前まで迫った透魚を雷で拒絶する。

 輪廻の女神の恩寵おんちょうも、パンドラの優しさも拒んで、豪雷をもって周囲を破壊を撒き散らす死せる大司教。白炎が四散して、淀んだ大気が爆ぜた。


 ――ならば、ただのアンデッドとして消えるがいい――


 乱雑に放たれた雷の隙間をかいくぐり、ハイリッチの眼前に踏み込む。


『させるかッッッ!』


 間合いに飛び込んだ私を阻むように、稲妻の柱が轟音を立てる。

 だが届かない。限界まで重ねた結界は、砕かれながらもハイリッチの奇跡を阻みきったのだ。


『な、にッッ⁉ この、私がぁぁ』

 ――終わりだ。大司教――


 介錯の音は、あまりに小さかった。


 炎をまとった爪が、優しく脛骨と未練を切り離す。

 干からびた首が床を転がり、眼窩に宿っていた幽火がゆっくりと消えていく。


 やがて、まとっていた死の気配が拡散し、聖堂めいた空間に祈りのない静寂が戻ってくる。


「はぁ……終わったか」


 初めに息を吐いて地面にへたり込んだのはルーデリアだった。


 その盾は雷槌の直撃を受けて焦げ付き、一部が欠けている。奇跡殺しの薬も、大半が消し飛んだのか光も鈍くなっている。


「すごかったですね。私、ビックリしました」

「最高位のアンデッドとの戦って、ビックリしました、で済ませるのか。君は大物だな」


 へたりこんだまま苦笑するルーデリア。ずいぶん疲弊ひへいしているが、まだ冗談を言えるくらいの余裕はあるようだ。


「久しぶりに疲れた。これほどの戦いは数百年ぶりだ」


 そういってルーデリアは、懐から長細いびんを出して一気にあおる。


 ツンとした匂いが鼻を刺したので水薬の一種なのだろう。中のドロリとした青みがかった液体は、とても美味とは思えない色をしていた。


「ルーデリアさん、それってもしかしてエルフの霊薬ポーションですか?」

「ああ、疲労回復の秘薬だ。君も一口どうだ? 昨日の軟膏よりもずっと希少だが、リッチ退治の功労者ならば惜しくない」


「え、いいんですか?」


 目を輝かせてルーデリアの前に座り、マントの下で尻尾をバタバタと動かしている。


 そんな様子を見てもダークエルフの騎士は何も言わない。幻狐族だと口にしたハイリッチの声も聞いたはずだが、パンドラの目を見る眼差しは温かさすら感じる。


「いいとも。とはいえ、薬だからな。一気には――」

「ううううううう、に、苦いです。これ、すごく苦いですよ」


 ルーデリアの忠告を待たず、興味を我慢できなかったパンドラ。その小さな魔女が涙目になって、その味の酷さを訴えてくる。


 ――薬だからな。美味いはずがないだろう――


「うう、舌がジンジンします。ウィルも飲みませんか?」

 ――私まで巻き添えにしようとするな。疲れているなら貰っておけ――


 鼻先に霊薬の瓶を突きつけるパンドラから顔を反らし、祈りを捧げられていた祭壇さいだんに向かう。


「ウィル、休まないんですか?」

 ――ちょっと気になることがあるんだ――


 チビチビと舌先で薬を舐める少女に尾を向けて、祭壇の上に飛び乗る。


(大司教ともあろうものが、リッチーに堕ちてまで何を祈っていた。千年前の英雄が、何の奇跡を願っていたのだ)


 胸をざわつかせる予感めいた何か。それに嗅覚を研ぎ澄ます。


 ハイリッチがいた場所だけ埃が積もっておらず円形になっている。あの大司教は戦いの合間でも一歩も動かずに、ここを守っていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る