第三章 霊廟の霊司祭-1

『魔族め。我が王より賜りし、この地を汚すとは許せぬ』


 しわがれた声が響き、白いの杖がトンと床を軽く叩いた。


 吹き出す敵意が物理的な圧力をともなって広間を揺らし、パンドラが小さな悲鳴をあげた。


 ――パンドラ、平気かッ⁉――

「はい、あのウィル……」

 ――油断するな。あれは私たちを歓迎していない――


 前傾姿勢のまま、暴風のような憎悪にいつでも反応できるように神経を研ぎ澄ます。


『許さぬ、大願成就の日まで我らの眠りを妨げるものを決して許さぬぞ』


 振り返った僧衣の女は、生きた人間の顔をしていなかった。


 ミイラだ。水分を失った顔や肌は赤黒く、ローブから露出した腕には皮と骨しか残っていない。だがくぼんだ眼窩に宿った青白い光だけは明確な敵意を宿している。


 生気のない枯れた指が、私を、パンドラを、ルーデリアを順に指差す。その五指には高位神官だけに許された金の指輪がめられている。


「嘘だ。ハイリッチなんて……しかも人魔戦争時代の……」


 ルーデリアが声を震わせている。


 当然だ。ハイリッチなど、普通の英雄では対処できるものではない。十人の高名な英雄か、大英雄クラスになってようやく祓除ふつじょできる最高レベルのアンデッドなのだ。


『ここは我らが王が、来るべき日まで臣下を眠らせておく場所。穢らわしい魔族が踏み入っていい場所ではない』


 しわがれた声をあげて、殺意をむき出しにするハイリッチ。


「あの、違います。私たちは――」

『疾く、死ぬがよい』


 弁解しようとしたパンドラの言葉を待たず、アンデッドの杖が揺れる。生み出されたのは稲妻の矢。その数は――三百を優に超える。


 ――ちぃッッ、やっぱり問答無用なのか――


 冷たい大理石の床を蹴りつけ、放たれる雷矢の前に飛び込む。


 背後で悲鳴をあげるルーデリアを無視して、広域に結界を創成する。自ら発射前の矢に肉薄して張った七重の結界が、刹那のうちに放たれた奇跡を遮断する。


 奇跡と結界の境界で、異なる力がぶつかり合い爆発を起こす。ビリビリと大気が震え、結界を揺さぶる振動で天井から小さな石片が降ってくる。


 一撃で七枚の結界のうち、三つが砕かれた。


 破城槌にも耐える結界を砕くほどの力に、柱を蹴りつけながら戦慄を覚える。


 ――高位の奇跡を使うアンデッドとは厄介だな――


「こんなところでハイリッチなんて聞いてない」


 悲鳴じみたルーデリアの言葉を疑うまでもなく、目の前の女は紛れもなくリッチだ。


 並の神官や魔法使いではとうてい太刀打ちできない、高位のアンデッド。不死の神に魂を捧げ、生者としての運命と引き換えに呪われた命を獲得した魔法使い。その中でも特に凶悪な存在として、いくつもの文献や物語に名を馳せる大賢死霊ハイリッチだ。


「ウィル。大丈夫ですか」

 ――問題ない。この場を切り抜けるぞッ――


 会話をする暇も与えず、再び雷が降り注ぐ。襲いかかるのは矢ではなく、紫電の槍。かつては雷神を信仰する戦神官であったのだろう。


 残りの結界が破壊され、かわりに狙いの逸れた電槍が床板を大きく陥没させる。激しい衝撃に埃が舞い散り、視界が白く覆われる。


 ――いまだ。一撃で狩る――


 魔法や奇跡を得意とするリッチーは、その多くが遠距離型のアンデッドだ。本来なら攻撃を防ぎながら距離を詰めるが、幸いこちらには一瞬で距離を食い殺す技がある。


 雷を四肢にまとい地面を蹴りつける。一条の光となり、壁を蹴りつけて正面から背後に回り込み、そのローブで覆われた脛骨くびを狙う。


 ――その首。もらっ……――


 勝利を確信した瞬間、薄く透明な雷の刃が展開されていることに気付いた。


 それらは首に襲いかかる私の心臓に向けて鋒を向け、一斉に射出され――


 ――しまッッッ!――


 己の失策を気付き、結界を展開するが間に合わない。薄い刃はすでに結界の内側に侵入して、毛先に触れている。時間が遅滞し、毛が雷で焦げる感覚が伝わる。


 自分では裂けられぬ死の予感。


「ウィル!」


 その命に触れた死を打ち砕いたのは透魚だった。鋭利な背びれが雷刃の群れを破砕し、直後に結界にぶつかってきたハイリッチの雷槌が体を弾き飛ばす。


「ウィル、無事ですかっ⁉」

 ――ああ、助かった。ありがとう――


 失われかけた心音を意識しながら、深呼吸をする。


『幻狐族か。中立を気取りながら魔族の味方につくとは……恥を識るがいい』


「魔族とか知りません。私は友達を助けただけです。それに私たちは争う気なんてありません。攻撃しないでください」


「先に攻め入ったのは貴様ら魔族だ。我が息子も、我が伴侶も貴様ら魔王軍が焼いたのだ。燃え尽きた町の嘆きを、あの悲しみと怒りを私は忘れぬ。決して忘れぬぞ」


「な、なにを言ってるんですか。魔王軍なんて、もう――」


 言いかけたパンドラの言葉を遮るように、無数の雷が降り注ぐ。


 私は破壊的な威力を孕んだ矢雨を結界で防ぎ、五層の防御幕シールドごと貫く槍の射線上からパンドラを逃がす。


「パンドラ。アンデッドとの話し合いは無駄だ。彼らの時間は祝福を受けた瞬間に止まっている。説得などできない」


 ルーデリアが盾になにかを塗布とふしながら叫ぶ。直後、彼女のもとにも雷の洗礼が襲いかかった。


「ちっっ、これだからアンデッドは嫌いだ。話が通じない!」


 彼女は、それを小さな盾で防ぎきった。


「ルーデリアさん!」

「心配するな。奇跡殺しの霊薬だ。といっても、これが最後の一回だがな!」


 その言葉とともにダークエルフの騎士が飛び出す。疲れを知らないアンデッドに持久戦は不利だと理解しているのだろう。


 ――パンドラ。全力でいく、援護を頼む――


 前線に出るルーデリアに合わせて地面を蹴りつける。撹乱かくらんして隙を狙わねば、ハイリッチを斃すことは出来ないだろう。


「狼。右から行け」

 ――私に命令するな――


 聞こえぬと知りながら返事をして、連続して放たれる雷槍を躱す。


 四肢に雷はまとわない。さっき攻撃を察知されたのは、迂闊にも雷の魔法を行使したからだ。ハイリッチを守る雷神の加護が、同じ属性の予兆を見切らせたのだ。


(まったく。物語で語られていたのに忘れるとはな)


 千載一遇の好機を逃したことを悔やみながら、絶え間なく降り注ぐ雷を避ける。


 結界は全てパンドラの防御に回しているので、一撃でも受ければ致命傷になる。周囲を泳ぐ透魚も全てを防ぐには至らない。

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