第三章 聖王の霊廟-1

 まだ絵画に見惚れているパンドラから離れ、通路を歩き回る。


 幸いにして罠などはなさそうだが、油断はできない。ダンジョン探索の途中で出くわした亡骸の仲間入りをしたくなければ、気を抜くわけにはいかないのだ。


 ――パンドラ、そろそろ行こう。あまりルーデリアを待たせるのは悪い――


「あ、そうですね。ごめんなさい、夢中になっちゃいました」

 ――気にするな。あとでゆっくり見て回ろう――


 周囲に弱い結界魔法をぶつけて罠がないことを確認し、尻尾をブンブン動かしている狐尻尾の少女に声をかける。


 歩いているうちに空気は少しずつ淀み、死の匂いが強くなってくるのが分かる。横穴付近には生えていたこけも、奥に行くうちに姿を消している。


「なんだか少し寒いですね」

 ――ああ、魔力が充満している。スケルトンがここから来たのは間違いなさそうだ――


 神殿を思わせる作りの回廊かいろうだが、あの井戸とは元から繋がっていたわけではなく、偶然の産物という印象を受ける。


「でも、井戸の中にこんな場所があるなんて驚きです」

 ――もしかしたら、先にこの忘れられた遺跡があって、あとから井戸を掘ったときに道ができたのかも知れないな――


 冒険の醍醐味だいごみである『未知』に遭遇したパンドラは、ソワソワと落ち着かない様子だ。


 聖都の地下水路を探索していたときよりも、絵画で埋め尽くされた通路を歩く方がずっと心を躍るようだ。


 ――パンドラ。少し落ち着け、ここにはアンデッドがいるんだぞ――


 そんな姿に微笑ましさを感じながらも、私は小さな魔女に釘を刺して三歩だけ先を進む。


「はい、気をつけます。みんな、おねがい」


 素直な魔女は、その言葉に応じながら二匹の透魚を生み出す。

 心を弾ませても骸骨スケルトンに奇襲された事は忘れてはいないようで、少しだけ安堵する。


 ゆっくりと進むうちにルーデリアの背中に追いつき、パンドラは杖で壁を叩いて合図をする。


「ああ、君たちか。大丈夫だ、いまのところ罠はなさそうだよ」


 振り返ったダークエルフの騎士は、なにかをしまい込み肩をすくめる。


「ルーデリアさん、なにをしてたんですか? ここでなにか見けたんです?」

「いや、罠がないか調べていただけさ。幸いにして、ここは心配いらないようだ。狼も心配していたんじゃないか?」


 膝のほこりを払い立ち上がり、ダークエルフの騎士は私に目配せする。


 どうやら考えを見抜かれていたようだが、不思議と悪い気はしない。考えることは一緒だったのだろう。


「どうやら、ここは千年前の遺跡のようだ。作ったのは……おそらくだが、聖王だろう」


「どうして分かるんですか?」

「うっ⁉ け、建築様式が聖国と同じだからだよ。壁画を廊下に敷き詰めるのは聖国王宮に伝わる独自のものだ。人魔戦争を忘れないためのな」


 瞳をキラキラさせて近寄るパンドラにうめきながら、早口で説明してくれるルーデリア。


 きっとダークエルフ騎士も、パンドラが知的好奇心の塊のような性格だと理解し始めたのだろう。吟遊詩人だって、ここまで物語には飢えていないだろう。


「じゃあ、聖国の王宮には壁画がたくさんあるんですか?」


「あ、ああ……」

「本に載ってない絵もありますか? 図書館も一般に解放されてます? それとも禁書図書館みたいに許可がいるんですか?」


「図書館は自由に閲覧できるが……」


 ルーデリアの目が助けを求めるように私を見つめる。


 困った顔をされても私にはどうすることも出来ない。知識欲に支配されたパンドラを止めることは、たとえ伝説の聖女であっても不可能だろう。


 ――パンドラ。あまり彼女を困らせるな。そういうのは旅をしながら、ゆっくり見て回るから楽しいんじゃないか――


「じゃあ、ウィル。一緒に聖国に行ってくれますか?」

 ――ずっと旅をする約束だろう。聖国だろうと、魔大陸だろうと、極東だろうと旅をする気だが?――


 あまりに当然な質問をするパンドラの前に立ち、軽く尻尾を動かす。


 ――そんなことより、いまは調べ物に集中したほうがいい。他のアンデッドが潜んでいないとも限らないからな――


 意識を張りながら白く汚れた廊下に足跡をつけていく。うっすらと層になった埃の絨毯じゅうたんにはいくつもの足跡が見て取れる。五指の痕跡がくっきりと残っているのは。この奥から骸骨兵士が這い出た証拠だ。


「狼。油断するなよ」


 私の声が聞こえないルーデリアは抜剣して、足音をひそめながら付いてくる。

 最後尾はパンドラだが、すでに展開された五匹の透魚がユラユラと空を泳いでいるので心配は要らないだろう。


 二人は喋らない。

 廊下に響くのは軽い少女の足音と、鉄靴サバトンが生み出す無粋な金属音だけ。私の足音はそもそも存在せず、背後から廊下中に残された無数の足跡に二人が緊張しているのが伝わってくる。


(もうスケルトンが全滅しているのが理想だが……)


 希望的観測を胸に歩調を緩めると、曲げた弓を思わせるアーチ型の拱門きょうもんが姿を現した。足跡はそこから伸びているのを確認して、音のない深呼吸をする。


 拱門の先は奥は妙に明るい。なにか光源があるのかも知れないと思いつつ、二人に先んじてアーチの奥へと飛び込む。

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