第三章 静寂に還す詩と秘された墓所-2

「ここは井戸か」


 ――ここだな。ここが一番臭う――

「ウィルがここだって言ってます」


「そこはもう調べた。普通に使っている井戸だから何もないぞ」


 訝しむルーデリアを無視して、井戸の中に小さな火球を放つ。水面に向かい、ゆっくりと落ちていくオレンジ色の光。


 ――見つけた。井戸に横穴がある――


 灯された火で、井戸を構築する壁の一部が大きく剥離していることに気付く。


 人間一人が通り抜けられるほどの大穴が、地下水を湛える水面近くに拓いているのが水面の反射で明らかになる。


 ――おそらく洞窟だ。臭いがする、ここから湧いているんだろう。


「え、井戸の中に洞窟があるんですか?」

「こんな村のど真ん中にか」


 不自然さを感じながら、井戸の縁に足をかけて井戸の中に飛び込む。


「わわわっ、待ってください。一人じゃ危ないですよウィルっ‼」


 掴まえようとするパンドラの手をすり抜け、井戸の底へ。


 重力の落下に身を任せ、狭い井戸の側面を何度も蹴りつけて降りていく。

 横穴に飛び込むのと、放った火球がゆるやかに水に着水して消えるのはほぼ同時だった。


「だ、大丈夫ですかウィル! 溺れてませんか、怪我してませんか。返事してくださいっ!!」

 ――問題ない。溺れてもなければ、かすり傷一つないさ。ただ少し埃っぽいくらいだ――


 大袈裟に心配するパンドラに内心で苦笑しながら、洞窟の入り口から無事を宣言する。


「よかったぁ。ウィルが怪我しちゃったら、どうしようかと思いましたよ」

 ――私がこれくらいで怪我などするわけないだろう。余裕だ――


 自分のことは頓着とんちゃくせず、人のことばかり気にかける相棒。そんな彼女を安堵させるために、わざとらしい言葉を紡ぐ。


「それでどうなのだ、狼。そこはなにかありそうか?」


 ルーデリアも井戸を覗き込み、声をかけてきたので視線を巡らせる。


 入り口周辺は土壁で覆われ、ただの横穴にしか見えない。だが、その先には明らかに人の手が入っている。


 ――降りてきてみれば分かる。見たほうが早い――


 その光景を口で説明する気にはなれず、パンドラに声をかける。この横穴の高さなら小柄な女性でなくとも入ることは難しくないだろう。


「じゃあ、降りてみますね。あ、でもロープとか持ってきてないです」


 透魚を先行させるも、釣瓶つるべの紐を失った井戸を降りる手段がないことに気付く少女。


「どうしよう。ここに飛び込むのは、私ちょっと怖いかも」

「それなら……これを使うがいい」


 不安げなパンドラ。それにルーデリアが淀みなく応えて、赤い紐を井戸へと垂らしてきた。


 ――なんだこれは。こんな細い紐で大丈夫なのか――

 縄というには頼りなく、どこか不安になるほど細い繊維せんいに訝しむ。ロープとも呼べない細い紐で、軽いとはいえパンドラの体重を支えられるのだろうか。


「ずいぶん細いですね」

「そう見えるだろう。だが、このグレイプニルは何があっても切れない。ドワーフ王国の遺跡から発掘された、どんな地の底からでも引っ張り上げるための魔法の紐だ」


 彼女は井戸の上で高らかに宣言して、ほどなくしてルーデリアは井戸の底へとスルスルと降りてくる。そして危なげなく横穴に着地すると、手を降って合図を送った。


「君もそれを使って降りろ。私はとりあえず、先の安全を確認してくる。ここで待っていろ」


 降り立ったダークエルフの騎士は、洞窟の景色に驚いたようだが、特になにも言わずに奥へと進んでいく。


「ウィル、そこにいますか?」


 ――ああ、ちゃんといるぞ――

「ううー、ちゃんと降りれるでしょうか?」


 初めての経験を前に、パンドラは躊躇ためらっているようだ。


 他人を助けるためには危険にも飛び込むのに、一人だと途端に普通の少女のような反応をする小さな魔女。


 そんなアンバランスさに呆れつつも、私は横穴から身を乗り出す。


 ――無理せず、そこで待っていてもいいのだぞ。骸骨兵士くらいなら私たちだけでどうにでもなるからな――


 一度はパンドラを危険にさらしてしまったことを思い出し、控えめな言葉をかける。しかし彼女は首を横に振る。


「ううん。大丈夫です。それにウィルと一緒にいたいですから」


 意を決したのか垂れ下がった赤い紐が揺れる。井戸に降りるために勇気を出してグレイプニルを握ったのだろう。


「ウィル、上は見ないでくださいね」

 ――なぜだ。私が見ているとなにか困るのか?――


「だって、スカートの中が見えちゃうじゃないですか」


 どうやら紐に掴まって降りる際、下着が露わになるのを気にしているようだ。


 ――女同士だぞ。恥ずかしがるようなことか? 一緒に風呂にも入っただろう――

「それでも恥ずかしいですよ。もう目を閉じててくださいよ」


 どこか戸惑ったような口調に、なぜだか自分まで恥ずかしくなってきた。

 自分に沸き上がった感情の名前が分からず、溜息を交えてパンドラから視線を外す。

 

 だが透魚がなにか私の視界に割りこみ、彼女の安全を強引に確認させた。白だった。


「んしょっ、うんしょっ」


 ややあって、パンドラはおそるおそるといった様子で降りてきた。風の魔法か、幻刻魔法の落下制御を使えば良かった事は思い至らなかったらしい。


「はぁー、おまたせしました」


 どことなく得意げな顔をしたパンドラが、私に微笑みかけ空に文字を描く。

 意味を持った文字が光となり、周囲が照らされると洞窟の内部がつまびやかになった。


「わー、すごいです」


 パンドラは明るくなった横穴の景色に驚愕の声を上げる。


 ――ああ、たしかに見事だ。古い遺跡のようだが――


 洞窟のような穴の先には、古びて色あせた壁画が描かれていた。


 色とりどりの絵は、繊細なタッチで戦場を描いている。それは槍衾であり、燃え落ちる塔であり、隊列を組む雲霞の如き兵士であり、荒野で繰り広げられる決戦だった。


「あ、これ……」


 ひときわ大きな壁画に占有していたのは、城を見上げる後ろ姿を描いた絵だった。色がくすみ、ところどころ剥げ落ちているが、見覚えのある鎧を着込んだ二人の人間がいる。


 輝く黄金の鎧と、漆黒の全身鎧。その二人の姿でどの時代の絵画なのかすぐに理解できる。


 ――どうやら、この絵は人魔戦争を描いた壁画みたいだな――


「ウィル。これは聖王さまと、聖将さま。それに白いフードの人は聖女さまですよね? そうですよね?」


 初めて見る絵に感動を隠せないでいるパンドラ。


 無理もない。どんな物語にも挿絵として登場していないので、この絵は現代にまで伝わっていないのだろう。全て色褪せてはいるが、壁画がもつ歴史的な価値は計り知れないはずだ。


 ――おそらく人魔戦争後の遺構なんだろうな。だが、だれが何の目的で――

「見てください。このお髭のおじいさん、きっと聖賢さまですよ」


 壁画を前にぴょんぴょん跳ねるパンドラ。彼女はすっかり絵画の虜になっているようだ。


「こっちは聖女さまの礼拝の姿です。やっぱり綺麗ですねー」


 言われて目を向けると、神殿で祈る白いローブの女性が描かれていた。

 目深にかぶったフードから色素の薄い髪がこぼれ、光のなかで煌めいている。祈りを捧げる聖女の背後には、黄金鎧の少年王が佇み、それがまた女性の神性な雰囲気を引き立てていた。


 ――聖女と聖王は親しかったというが、共に祈りを捧げていたのだな――


「なんだかロマンチックですね。どんなお祈りをしていたんでしょうか。題名がかすれて見れないのが残念ですよ」


 目をキラキラさせて、ふわふわの尻尾を動かすパンドラ。


「あれ……でも、この人。どこかで会ったような気がしませんか?」

 ――そんな訳ないだろう。千年前の只人ヒュームだぞ。とても生きているわけがない、きっと他人の空似だろう――


 フードからかすかに覗く丸みを帯びた、人と特有の耳朶じだを一瞥し、少女の意見を否定する。ルーデリアのようなエルフならまだしも、千年のときを生きる只人ヒュームなど存在するはずがない。


「そうですよね。でも……やっぱり何処かで会ったような」


 それでも思い出そうとしている相棒から目を離し、無数の壁画で埋め尽くされた通路を眺める。あたりはシンと静まり返り、もうルーデリアの足音すら今は聞こえない。


(こんなところを見つけるとは思わなかったが、ここは一体なんなのだ)


 地下に掘られた遺構いこうは、思った以上の広さがあるようだが、その建造目的がわからない。


(スケルトンがここから湧いたのは間違いなさそうだが、先に進めばわかるのか?)

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