第二章 望月と小さな宴-2

 頬をぶどう酒で染めた少女は、楽しげに酒を酌み交わす村人たちに微笑みを向けていた。


 ――どうした? なんだか嬉しそうだな――

「私は、みなさんのお役に立てたのでしょうか?」


 ――これで村を救っていないといわれたら、聖王でも立つ瀬がないさ――


「飢えたる村に 舞い降りし剣は二振り

 まだ名もなき勇者と、いみなを失いし少年王 

 共に背中を預け 見捨てられし民の災いを打ち払わん

 魔を払い 後世に刻むは 始まりの詩 鳴り響くは誕生のきざしなり」


 勇者と聖王が繰り広げた最初期の冒険譚。それを諳んじていた声が小さくなり、どこか照れてようにフードで顔を隠す少女。


 伝説の英雄のような行いをしていた事に、今更ながら気付いたのだろう。


「あの……」

 ――どうした、パンドラ?――


「ウィル、私たちってもしかして凄い事をしてたりします?」

 ――聖都でヒュドラを退治したり、獣鬼トロルから寒村を救うのは普通の旅人がすることじゃないだろうな――


「ぅぅ~」


 指摘にぎゅっと膝を抱える少女。その心臓は早鐘を打っている。ようやく自覚できたのだろう。


 ――なんにでも無闇に首をつっこむから、そんな事になるんだろう――

「だ、だって……助けられるのに見て見ぬ振りするのはどうしてもイヤだったんですよ」


 ――たぶん伝説の十聖もお前と似たような理由で戦っていたんだと思うぞ――

「でも、十聖や勇者は私とは違いますよ。私はそんなにかっこいいことはしてません」


 モジモジと指をすり合わせるパンドラ。

 大好きな英雄譚の登場人物を引き合いに出されて、これ以上無いくらいに照れている。


「それに……ほら、私たちは旅を始めたばかりですから……十年も戦った勇者さまみたいに立派じゃないですよ」

 ――たしかに私たちの旅は、まだ半年だな――


「でしょう。やっぱり聖王さまには全然及びませんよ」

 ――といっても、勇者たちが初めてヒュドラを退治したのは一年くらい経ってからだぞ――


「うっっ」


 明らかにたじろぐパンドラに苦笑する。


 ――まあ、いいではないか。別段に武勲ぶくんを競っているわけではないのだから――

「それは……そうなんですけど」


 ――勇者は聖王を越える活躍をしたくないのか?――

「あ、当たり前ですよ。だって十聖はすごくカッコいいんですよ」


 そして勇者たちの活躍を語りだすパンドラ。王道といわれる英雄譚から、外典げてんとされる吟遊詩人の詩に至るまで教えてくれる。


 ――よくそんなに覚えているな――

「だって、たくさん読み返しましたから」


 楽しげに笑い、小さな手で毛皮を撫でる少女。その小さな手が妙に心地良い。


 ――では、聖王の旅路でも追いかけてみるか。アルベインの西からだと途中になるが――


 頭の中に地図に描き、西へと魔王軍を押し返した十聖の戦記を追いかける。本に語られた地を巡る旅には自分も興味がある。


 聖女教の目はかいくぐる必要はあるが、聖王が興した国に立ち寄るのも面白いだろう。


「いいですね。私も行ってみたいです」

 ――そうか。では西に進むか――


 手にした本の表紙を指でなぞるパンドラに頷き、少し冷めた肉を頬張る。

 これで明日からの予定は決まった。また点在する村に立ち寄りつつ、糧食を確保していけばのんびりと旅を続けることはできるだろう。


 ――パンドラ、ほかに行きたいところはあるか――


 気ままな旅なので、どこに行くも自由だ。十聖の旅路を巡礼しながら、世界を見て回っても誰からも非難をされるわれは無いのだ。


 ――どこでもいいぞ。時間はあるんだ、魔大陸にだって渡れるぞ――


「うーん、じゃあ北にも行ってみませんか?」


 今度はずいぶんと漠然とした答えだ。

 明確な目的地があるわけではないが、なぜ北を目指したいのかが気になった。


 ――どうして北に? これから寒くなるのだぞ――


「あの……私、雪っていうのを見てみたいです。白くて綺麗だって聞きました」

 ――雪か。たしかに温暖な南の地では、あまり見れるようなものではないが……――


 焚き火のぬくもりを感じながら、とろんと眠そうな顔をしているパンドラの横顔を眺める。


 あまり眠れなかったのだろうか。少しウトウトと船を漕いでいる。


「ウィル、アルプの山に行ってみたいです」


霊峰れいほうアルプか、パンドラの好む物語で出てきた記憶はないな。魔大陸だったな)


 今度は具体的な地名が出てきた。だが峻厳さで有名なアルプ山脈になぜパンドラが興味を惹かれるのかは分からない。


 そこにはいったい何があるのだろう。記憶を失う前の『我』ならば分かるだろうか。


――そこには変わったものなどないはずだぞ。それにとても遠いぞ――


「しっています、よ……でも、わたし」


 ぼんやりとした口調で、パンドラの眠気が限界に近いことを知る。

 私も一日で多くのことがありすぎたので、少しだけ頭が重い。パンドラの眠たさが伝染うつったのだろうか。


「わたし……ウィルの……すぅ、すぅ」


 言葉はやがて言いかけたまま、ゆっくりと寝息に変わる。


 ――パンドラ? そうだな、今日はここまでにしよう――


 宿った疑問を少女の穏やかな吐息に解かし、自分も追いかけるように目を閉じる。


 ――おやすみ、また明日――


 やがて小さな重みが背の毛皮がかかり、深い溜息とともに力を抜くと、夢の誘い手がそっと近づいてくるのだった。


 ※※※

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