第二章 冥界に送る小さな祈り

 ※※※※


 戦いとすら呼べない蹂躙じゅうりんは、すぐに結末を迎えた。


 朽ちた砦に散らばるのは、原型を止めないアンデッドの残骸。

 冥界から蘇った者たちの亡骸は、やがて摂理に従い自然に帰っていくことだろう。すでに不死神の祝福は途絶え、虹色の蛍火にも似た霊魂が虚空こくうに漂っている。


 しかし、まだ残る自らの身体に魂を縛られているのか、戸惑うように宙を彷徨っている。


――パンドラ、還してやろう。輪廻りんねに――

「そうですね。このままじゃあ、可哀想ですから」 


 正規の弔いも、鎮魂もできないのが慚愧ざんきを生むが、浄炎で清めて遺骨を埋葬することで我慢してもらおう。山賊であった彼らは平和を乱す逆徒ぎゃくとであったかもしれないが、その魂までを冒涜ぼうとくする気はない。


 山賊の遺体を一つ一つ丁寧に焼いていき、砦の一角に土を掘って残った骨を埋める。骨の取り違いはあったかもしれないが容赦してもらおう。


 ――これでよし。粗末な墓標だが、我慢してもらおう――

 

 彼らが残した武具を生きた証として見立てる頃には、燐光を放つ魂はどこにも見えなくなっていた。


「イーミオ様のところに行けたでしょうか?」

 ――どうだろうな。輪廻神のところに還れたならいいな――


 慈悲深い輪廻神の名を口にするパンドラを横目に、消えていった魂を思う。

 彼らが『何処』へ行くのかは分からない。そこは楽園ではないかもしれないが、グールとして地を彷徨さまようよりはマシだと信じるしかない。


 墓に尻尾を向け、瓦解した砦を後にする。日没まではあまり時間はない。


 ――さて、最後の片付けをしてくる――

「えっ、ウィル。どこに行くんですか? 村はそっちじゃないですよ」


 山嶺の方に向かって歩きだすと、魔法で生み出した水で手を洗っていたパンドラが声をかけてきた。


――まだ何も解決などしていない――

「え、まだ解決してないって……でも、もう山賊さんはいないんですよ」


 ――では山賊を殺したのは誰だ。だれが、あの惨劇を起こした?――

「あ、そうだ……あの山賊さんはどうして……」


 私の問いにパンドラは瞠目して、周囲を不安げに見回す。

 グールとなった彼らの身体には刀傷や矢傷はなかった。籠城した地下室の扉は、破城槌のごとき圧力を受けて潰れていた。グールの陥没した胴体には、明らかな粗雑な鈍器の痕跡が残っていた。


 身体に食いちぎられたような傷跡はなく、かわりに地下室から食料だけがごっそりと失われていた。


 肉食の獣の仕業ではない。


 暴虐のかぎりを尽くした襲撃者が、人間の討伐隊の可能性も極めて低い。それは砦に残っていた人間のものとは思えぬ、大きな足跡もが証明している。

 貴重品や金貨には手つかずなので、知性ある熊頭人ベアラや巨人族でもないだろう。


「なにが、いるんですか?」

 ――そんなに怯えなくてもいい。いまは気配はない――


「別に怖く……ないですよ」

 ――そうか勘違いだったな――


 視線を巡らせて明らかに警戒しているパンドラに苦笑する。

 耳をしきりに動かして音を探りながら言われても、言葉の説得力に欠けるというほかない。


(この足跡は食人鬼オーガ? いや、違うな。人は喰われてない)

 私は視線を落とし、泥濘ぬかるみに残された足跡を見つめる。


 足の指は四本。泥に深く沈み込んだ足跡は、襲撃者の巨躯きょくを示している。靴を履く習慣はなく、さりとて鈍器を用いるほどの知能はある。


 盗賊を襲うというリスキーな真似をしながら、なにも奪わず去っている。足跡からは血の匂いがしないので、手傷を負って逃げ去ったという雰囲気でもない。

 いくつも残された証拠が、ぼんやりとしていた犯人像を明確にしていく。


 ――これは獣鬼トロルの仕業だな――

「トロル? トロルって、あのトロルですか?」


 伝承に出てくる怪物の名に、パンドラが驚いたような顔をする。

 人を食うとされるオーガでもなく、最大の氏族をもつゴブリンでもない。剛力で巨体、鈍重にして堅牢と評される種族だ。


 ひしゃげた扉や瓦解がかいした砦、力任せに引き裂かれた鎧が、襲撃者の正体を教えてくれる。


 トロルは『遊び』で人を殺す。

 泡のような自然と蘇った記憶が、そのことを思い出させてくれる。


 トロルがいくつもの村を襲い、逃げ惑う人々を殺して無数の里を壊滅させたという話は枚挙まいきょいとまがない。亜人とされるが集落を作り会話の成立するゴブリンよりも更に知能は低く、魔獣と差違のない怪物として駆逐される事が多い。


 かつて『我』もゴブリンの氏族や、人間に請われて退治を請け負ったことがある。


 石のような硬い肌をもち、殺人を愉しむ魔物を討ってくれという依頼だった。二目と見れない亡骸にされた者の遺族たちは、より恐ろしいとされた魔狼に涙ながらに懇願してきたのだ。


 ――パンドラ、先に村に戻れ。これを持ってな――


 咥えていた革袋を放り投げる。紐をほどいて、袋の中を見つめたパンドラは不思議そう瞬きをした。


 袋の中には無数の宝石。


「宝石がたくさん。これどうしたんですか?」

 ――地下室で拝借してきた。山賊たちはずいぶん溜め込んできたようだな。これだけあれば村の二つや三つ立て直すくらいは余裕だろう。はやく戻って安心させてやれ――


 ジャラジャラと音を立てる宝石を一瞥して、トロルの足跡が続く山麗に視線を送る。


「あの……ウィルは、どうするんですか?」

 ――行って、獣鬼トロルを退治してくる――


「ウィル。私も行きますよ」

 ――不要だ。朝には戻る。パンドラは村に帰れ――


 自分の要件だけを言い残して、返事を置き去りにして地面を蹴る。

 風は刹那せつなで追い抜かれ、瞬きの時間でパンドラは遠ざかる。もはや旅の相棒に、私を追いかける手段はない。


 最後になにかパンドラが叫んだ気がしたが、それは耳に届くことはなかった。


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