第二章 さよなら聖都-1

※※※※


 日の出を待たずに、宿をあとにすることにした。


 食料の備蓄びちくは心もとないが、いちでのんびり買い込んでいる暇はないと判断したからだ。


 税関を拔けるときにも使った地味なローブに着替えてもらい、巡礼者に見える旅装を整えて街の出入り口に向かう。向かうのは昨日とは違う城門だ。


「衛兵さん……なんだか沢山いますね」


 その声に背嚢はいのうから顔を出すと、昨日は見かけなかった衛兵たちが出入りを管理していた。衛兵には数人の武装神官がまざり、手配書のようなものと通行人の顔を見比べている。


 ――まずい。あみを張られている。十中八九、探しているのは私達だろう――


「え、どうしましょうウィル。私たち『たいほ』されちゃうんですか?」

 すでに包囲網を張られていた事を告げると、パンドラが不安げな言葉を口にした。


『お尋ね者』扱いされるのは冒険譚では珍しくない展開だが、世間知らずの少女には恐ろしいものに連想させたらしい。


 牢屋からの脱出劇も含めて物語の花形ではあるが、貧相の極みにある食事に、ネズミや虫といった生き物が苦手なパンドラには荷が重いような気もする。


 ――そうだな。捕まったら尻尾や耳を引っ張られたり、延々と尋問されたりするかもな――

「やだ……尋問とかイヤです。カツドゥンとか食べたくないですよ」


 冗談めかして軽く脅すと、泣きそうな顔をする。尻尾を巻いているのがローブの上からでも分かるくらいに怯えている。


(本格的な尋問だったら、そんなものではないはずなのだがな……まあ捕まっても、虚偽看破の奇跡があるから酷いことにはならないな)


 微妙に知識が偏っている気がするが、わかりやすい反応に思わず笑いそうになってしまう。


「どうしましょう、ウィル」


 不安をにじませるパンドラを見て、周囲を見回して黙考する。


 この様子では、街に出入りするため関所には全て監視がおかれているだろう。むろん、水路にも警備網は敷かれ、彼らの目を盗んで通過するのは難易度が高いと思われる。


 隠形に対する看破の奇跡もあるなら、昨夜のような透明化魔法も使えない。


 武装神官の目を欺くのは、おそらく困難が予測される。

 ただし、それはわたし達には当てはまらない。


 ――外に見つからず出るのは、そう難しくはないだろう――

「え、出来るんですか?」


 ――ああ、少し待て――


 驚きを隠せないでいるパンドラ。彼女に準備してくると告げて、検問のある通りの露天を見て回る。


 うろうろと周囲を確認し、脱出のための作戦を練る。

 早朝ということもあり、あまり人はおらず無人の屋台ばかりが立ち並んでいる。


 ――ああ、これは丁度いい――


 じっくりと見て回り、使えそうなものを見つけた。

 それは長らく放置された露天の屋台だ。屋台を覆う木製の骨組みには深く埃が積り、塗装も剥げてボロボロになっている。


 ――では、少しばかり失礼して――


 胸中で謝罪しながら、爪に炎をまとって無人の屋台に軽く触れる。


 周囲は無人。人目も無く、引火の危険がないことも十分に確認済だ。


 ――よし、これでいい――


 乾いた木材に火が燃え移ったのをみて、何食わぬ顔で屋台を後にする。着火の瞬間は、露天商にもパンドラにも見えなかったはずだ。


 ――火事だ。ここ離れるぞ、パンドラ――

「え、ウィル? 火事? ちょっ、ちょっと待ってください」


 背後で火が布を焦がし、あっという間にメラメラという音を立て始めた。


 ――いま好機だ。あちらから大回りで城門の外に出るぞ――


「外に出るって……か、火事ですよ! 消さないと!」


 放火したので当然なのだが、煙に混乱しているようだ。


 ――火事で注意が引けている。この隙をついて、街の外に出るぞ――


「チャンスって、ちょっとウィル? あの、待って下さいよ」


 事態についていけないパンドラを先導して、人だかりの中を急ぐ。

 木箱に引火して、黒い煙が人目につく頃には検問まで騒ぎが広がっていた。


「おい。燃えてるぞ」「なんだ火事か」「廃屋から火が出てるぞ」「おい、急げ。火を消すんだ」


 すぐに火事は騒ぎを呼び、中の木材をまきにして炎を吹き上げる屋台は、衆人の視線を集めることになる。


「おい、なにしてる火事だぞ」「だれか水をもってこい」「おい、バケツで堀から水を汲むぞ。お前もついてこい」「検問はどうするんだよ」「後回しに決まってるだろう」


 街の治安を守ることが最優先である衛兵たちは、すぐに現場にかけつけ消火活動を始めた。住民の防災意識も高いのか、小火ぼや延焼えんしょうする前に消し止められる。


 しかし、その頃には私達の姿はとうに検問所を通り過ぎて、僅かに焦げた匂いだけが鼻をくすぐった。

 被害も最小限におさまり、万事がうまくいった。のだが――


「もうウィル。ああいうのは、良くないと思います。すごく良くないと思います」


 パンドラはお怒りだ。


「わざと火をつけたでしょう。そういうのは私、ほんとうにダメだと思います」

 ――どうしてダメなんだ?――


「だって危ないじゃないですか。怪我する人が出たらどうするんですか?」


 わざと火事を起こしたのがお気に召さなかったようだ。彼女がいうには火事はとても怖いもので、さんざん母親から注意するように言いつけられていたらしい。


 彼女の住んでいたのが木造の樹居であったことを考えれば、さもありなんと云ったところだろう。

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