第一章 深き水の蛇-4

 頭によぎるのは、浮かび上がってきた過去の知識の泡だ。


 ヒュドラは丸呑みにした生き物を体内で疑似卵へと取り込む、そして卵として取り込んだ生き物を、時間をかけて徐々に消化することで飢餓を乗り越える。性別問わず、体内に餌を貯蔵するための疑似卵を作るのでヒュドラは『蛇の女帝』と呼ばれるのだ。


 ――ヒュドラに呑まれて五年後に救出された男の話もあるぞ――

「じゃあ、子供たちは助かりますか?」

 ――たぶんな――


 これまで読んできた本の内容を思い出しながら、ヒュドラの亡骸に視線を送る。

 卵に取り込まれた生き物は仮死状態になり、消化される直前まで生きているそうなので、行方不明になった子供たちが生きている可能性は高い。


 ――さて、ずぶ濡れになってしまったな――

「ひゃっ、ウィル。ブルブルしたら水がかかっちゃうますよ」


 体にまとわりつく水を、体を震わせてることで弾き飛ばすとパンドラが短い悲鳴をあげる。二人共びしょ濡れなのだから、これくらいはゆるして欲しい。

 ――帰るぞ。パンドラ――


 いつのまにか透明化の魔法は解け、自分たちに武装神官の視線が集中しているのを感じる。

 長居すれば面倒になるだろう、とパンドラの袖を咥えて軽くひっぱる。


「あ、あの……君たちはいったい」


 そんな私達に、ヒュドラの口から這い出た武装神官の長が口を開く。食われかけた女神官は、青白い顔をしているが命に別状はなさそうだ。


「私達は――」

 ――余計なことは言うな。詮索されると面倒だ――


「え、ちょっとウィル⁉」


 パンドラの返事を待たず、彼女を背に乗せる。

 これ以上の滞在は害悪にしかならない。子供たちの安否は気になるが、ここで武装神官の誰何に答えて、混乱と厄介事を招くのはゴメンだ。


「ごめんなさい。ウィル。最後に一つだけ」


 だがパンドラは忠告したにもかかわらず、指先で幻刻魔法を生み出す。


「う、ぁ……ぐっ」「なんだ、傷が消えた」「足が、うごくぞ……」


 柔らかな光を生み出す力ある文字が、魔物との戦いに倒れた神官達を癒やしていく。


 私はうめき声をあげながら起き上がる武装神官たちに、私は深々と嘆息する。

 ほんとうにお節介だし、お人好しがすぎる。


 しかし、なぜだろう。そのことを少し誇らしく感じる。


「あの、神官のお姉さん。ヒュドラのお腹に卵があります。その中で子供たちがまだ生きているかもしれません。どうか、助けてあげてください」


 そういってペコリと頭を下げるパンドラ。


 ――もういいか?――

「はい、待ってくれてありがとうございます」


 パンドラは頭を撫でで、背中にまたがる。私は相棒が助けた武装神官のリーダーを一瞥し、祈りの姿勢を取る者たちに尾を向ける。


――いくぞっ!――


 言葉を待つことなく、凍った水面を蹴って貯水空間を後にする。


「あの少女は」「まるで――」「……のようだ」


 取り残された彼らが何事かを呟いたが、それは耳に届かず風に溶けていった。

 

 ※※※

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る